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非幸福者同盟 作者:相羽裕司

第十話「夏の雪明り」

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210/259

210/永久色(とわいろ)

 不意にベンチの後ろ側から、背中越しに、全てを包み込むように抱きしめられた。

「姉ちゃん? なんで?」

 カレンはいつものメイド服ではなくて、若草色のシャツにジーンズという簡素な格好で。自然な金色の髪が、夕日を反射してキラキラと光を落としている。

「探した、探した。心配するよ。家族だもん」

 柔らかい感触が、服越しに伝わってくる。

 カレンは、ジョーの両肩に手を当ててジョーを立たせた。正面から見つめ合う。

「アスミちゃんだね?」

 少し困ったように、カレンははにかむ。

「七夕の日にアスミちゃんを家に連れてきた時。ああ、この子が、ジョーを私の所から連れて行っちゃうんだって、思った。それくらい、ジョーにとって特別な人」

 ジョーはうろたえた。何故か。カレンのまなざし。香り。存在。そこにいてくれるだけで、温かかったから。

「姉ちゃん。でも、俺は、助けられないんだ」
「それは、つらいよね。ヒーロー」
「ヒーロー? 何を言ってんだ。俺なんて、ダメな人間だ」

 カレンはゆっくりと首を横に振った。

「自覚はないんだ。ちょっと、分が悪いヒーローだけどね。君は、ヒーローだ」

 カレンは優しく、指でジョーの頬の涙の跡をぬぐった。

「小学生の頃、私が髪の色を揶揄されて暴力を受けた時。私が就職できなくて、社会的に弱い立場になった時。そして、アスミちゃん。私は知ってる。ジョーはとても分が悪い。『全ての棄却される存在の味方』っていう、ヒーローなんだ」

 カレンの瞳は揺るぎない確信に満ちている。こんな俺を、まだ信じてるというように。

「確かに俺は、そんな所があるかもしれない。だけどそれに何の意味があるんだ。アスミには、真夏に消えるはずの雪を愛でてるみたいだって言われたよ。そんなことは、無価値なんだ」

 姉から告げられた自分という人間の本質。だけど、自分自身が、そんな自分を信じられない。そんな雪は、幻想(イメージ)だ。本物じゃない。

 するとカレンは、こんなことを言った。

「確かに君だけでは、何もできないかもしれない。でも一つだけ、お姉ちゃんは伝えないといけない。それはね。そんな想いを抱いてしまっていた人間は、あなた独りなのか、ってこと」

 カレンは首にかけて、シャツの内側にしまっていた、首飾り状の一繋がりの紐を取り出した。

(なん、だって?)

 紐は無彩限の(いろどり)()われており、先端には小さな鍵が付けられていた。

「女子的介護生活歴二年。アンナお祖母ちゃんが、お風呂に入る時以外、片時も離さずに身に着けていた鍵だよ。今日、ジョーに渡してって」

 小さな錆びついた鍵には歴史が感じられ、それはアンナお祖母ちゃんにまつわる時間の積み重ねのように思われた。

「私もジョーも薄々と知っていたこと。宮澤家には秘密がある。孤児だったお父さんの側はひとまず置いておいて、お母さんの血筋。

 カンナお母さんがいる。アンナお祖母ちゃんがいる。兵司(ひょうじ)ひぃじーじがいる。となると一か所。『なかったことになってる』人がいる。その人について触れようとすると、特にお母さんが嫌がるのだけど。

 カンナお母さんのお父さんにあたる人。兵司ひぃじーじの息子にあたる人。そして、アンナお祖母ちゃんの夫にあたる人。つまり、私たちの『お祖父(じい)ちゃん』にあたる人のことが、忘却されている。ジョー。私はね。世界中の誰が忘れた方が楽だ。正しいって言っても。忘れちゃいけないこともあると思うんだ。記憶は怖いものでもあるけれど、強い何かをくれるものでもあると思うから」

 カレンから、無彩限の紐に付属した小さな鍵がジョーの手に手渡された。

 その鍵を受け取った時、ジョーの脳裏にフラッシュバックした映像は。

 三つだ。


 一つ目は、西洋の山中を通る線路を、歩き続ける死の行軍。

 二つ目は、本当はずっと知っていたはずのある世界史の転換点に位置する、歴史建造物の堂々たる姿。

 三つ目は、黒髪の日本人。ジョーに無償の優しさを向ける年老いた男の笑顔。


 その三つが組み合わさった時、ジョーに開けた閃光のような未来の可能性。

(ある。のかもしれない)


――不安しか、ない。でも、それでも――アスミを死なせないための方法。


「棄却される存在(アスミちゃん)を慈しんでしまうあなたは、幸せに向かい今日も進歩を追い続ける世界から、取りこぼされてしまうでしょう」

 古の大いなる戦艦――和装の女の子の紅の線も。現世の飄々たる搭――黄金の髪のお姉さんの蒼い線も。消えてしまってなお。全ての拠り所を失ってしまってなお。一本の線がジョーの中心に存在し続けていたのに気づく。

「でもね」

 ある大切な気持ちをくれるその線は、紫色。否、もう少し正確に形容するなら「藤色(ふじいろ)」をしていた。

「ジョー。変な言い方かもしれないけれど。幸せになれない人間なりに、幸せを諦めないで」

 手首の昇竜のアザの痛みが戻っていた。でも、今では、この痛みさえ生きている証のような気がする。

 ジョーは、優しくカレンを抱きしめた。

「姉ちゃん。怖い。でも、少しでも可能性が見えた以上。俺、行かなくちゃならない」


――怖くないように、魔法をかけてあげる。


 カレンはそっとジョーの額に手をかざすと、ある一連の言葉を詠唱し始めた。

「右手に橋を。左手に塔を。胸には(ほこら)。私を作っていたのは、なぁに?」

 『構築物の歴史図書館』でジョーを待っている紫の髪の少女。彼女がいつも口にしている呪文だった。

「どうして。姉ちゃんが?」

 呪文には、続きがあった

「それは和の場所で百色に揺らぎ続ける花雪。あるいは虚無の中で補い合い続ける暗闇と星アカリ。そう、私を作っていたのは、この世界が何度巡っても途切れない。とっても綺麗な永久(とわ)色のチェーン」

 もう一度カレンは最後の部分を繰り返した。


――この世界が何度巡っても途切れない。とっても綺麗な永久色のチェーン


 優しい微笑を。大好きな弟に、ちょっとだけ先に生まれたお姉ちゃんから愛を。

「宮澤家の女に伝わるおまじない。私には、不思議な力はないからね」

  ◇◇◇

 一歩一歩、土を踏みしめて、ジョーはS市一級河川の河川敷を歩みだす。

(子供の頃、アスミが言ってた)


――ジョー君の名前って、女の子みたい。知ってる? 『若草物語』の、主人公。


 ヴィヴィッドな黒髪のツインテール。藍色のリボン。瞳に、キラキラと星を称えた少女は心から笑っていた。

 少しずつ、歩む速度を上げていく。

(あの頃のアスミが既に、幻のようなものだったのだとしても)

 無彩限のストラップを手首に巻きつけて、ギュっと拳を握りしめる。

(今のアスミが、現行の世界からは歓迎されないような存在なのだとしても)

 拳を横に突きだした。いよいよ、行こう。


――俺は彼女を、途切れさせたくない。


 この先に待っているのが、再びの破綻だとしても。

 それでももう一度踏み出すこの気持ちを、勇気という。

 河の水面から運ばれてくる澄んだ香り。街に静かに循環し続ける微風。そして、いつの日かから変わらない、オレンジ色の夕暮れ時。今度は、ちゃんと言おう。

(今年の冬に、(アスミ)と雪降るこの街の景色を見たいんだって)


 終戦の日を染める夕焼けの中。夏の雪明りを(すく)いとるために、少年は走り出した。


  /第十話「夏の雪明り」・了
 第十一話へ続く
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