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非幸福者同盟 作者:相羽裕司

第八話「夢星」(前編)

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159/月に寄せる歌

 アスミが母親の部屋に立ち入ると、壁一面の本棚に古い蔵書が並んでいた。

 存在(そんざい)変動者(へんどうしゃ)である母・空瀬(からせ)アリカの本質能力(エッセンテティア)は、「精巧な人形を作ること」である。行為自体はありふれたものでも、程度が逸脱し過ぎれば、それは常人とは異なる存在変動者の営みになる。母が作る人形は、まさに「ヒトのカタチ」であって、本物の人間に寄り添い過ぎていて、それゆえに人の心を狂わせた。ここだけの話、母の作品の買い手は訳ありの人。変人・奇人が多かった。

 クリエイターとして、今の世界には収まり切らない、まさに次の世界の高みにいた母でも、創造のメカニズム自体は常人と変わらないのか、母の作品もまた、「既存」の要素を元にして作り上げられていた。

 マテリアル無くしていかなる創造もなし。インプットなくしてアウトプットなし。それゆえだろうか、母は自分が摂取する創造物にとても気を付けていた人だった。

 その母の精神的な摂取物が、この部屋に並ぶ母の蔵書というわけだ。時代に名を遺したような哲学者の本。あらゆる側面から「構造」について書かれた本。医学書。などが主なラインナップだ。

 そうした、深く、美しい精神的な糧を元に彼女の能力で作られた、母の最高傑作が『理想的な人間像』と名付けられた人形である。

 まがりなりにも存在変動者として生きてきたアスミの直覚としては、歴史に名を残す像というのもまた、オントロジカを集積する特性を持っていたのではないだろうか。その像がその場にあるというだけで、美術館が、否、土地そのものが潤う。これはオントロジカが集まっているがゆえの現象に捉え直せそうな気がする。

 ともあれ、母の最高傑作は歴史上の像のように霊性を携えて、この土地のオントロジカを集積し始めた。積むという表現は少し違うかもしれない。この地のオントロジカは「理想的な人間像」に集まり、またこの地の誰かに奇跡を届けるために拡散してもいく。そういう循環の中心として、「理想的な人間像」は機能するようになった。ゆえに、アスミが守人(もりびと)として守らなくてはならない、奪われてはならないこの地の核心である。今は、とある場所に隠してある。

 さて、最高傑作の話はともかく、母にとっていかなる位置づけの作品なのか、空瀬アスミの義体(ぎたい)はどうだろう。

 こちらも、認識阻害のリボンを外して素のままを世界にさらしても、端的に美しい。

 しかし、「理想的な人間像」が芸術作品としての高みを極めた美しさを宿しているのに対して、アスミの義体はどこか親しみやすさがある美しさなのである。どちらも素晴らしい作品だとしても、アートとコミックイラストの関係。文芸小説と大衆小説の関係。そんな違いが両者にはある。お母さん、私の方は手を抜いていたのか? 思うに、いつからか母親の蔵書には、一般人が娯楽として読むような小説も混じりはじめていた。ジョーの母、カンナの影響だったというのは最近得た知見だが、母の作品はあくまで母が得た精神的な糧から生み出されていたのだとしたら、そんな娯楽的な部分は、自分の義体の方に投影されていたのかな。今ではそんなことを思う。

 歴史に名を残す美には至れず、娯楽として一時に消費されていく、そんな私の人生であったか。「終わり」が近づいている今、そんな道化めいた自分はどうだったのかと振り返る。

 悪い方ではなかった、かな。

「アスミ」

 思索は、自分に人格が生まれてからいつも側にいた声によって途切れた。アスミの父親である。ここはアスミにとっては母の部屋なら、父にとっては愛する人の部屋だったということになるのだろうか。

「もうすぐ、私の誕生日なんだけど?」

 年頃の、可愛い娘としてのスマイル。プレゼントでもねだりたい声色を偽装して、アスミは父に探りを入れてみた。

「うん。八月二十日で、十六歳だ」

 存在変動者ではない、普通の人である父は、普通の親が娘に語りかけるように言った。

「私は、十六歳になれるの?」

 現在は地域復興の活動に従事している父親を尊敬している。それが普通の人なりの、街を守ることなんだと分かってる。自分の我がままなのかもしれないのだけれど、志麻(しま)から温かさを貰っていたのもある。アスミはもう少し、自分の気持ちに火をつけたまま踏み込んでみた。

「お母さんは、どうして欧州に行ったままなの?」

 父はすぐには言葉を発さず、沈黙したまま棚の一角から古いレコードを取り出すと、母の部屋の片隅に座した蓄音機にセットした。

 精神的な摂取物には、作品だけでなく鑑賞方法にもこだわっていた母である。母の選択は、音楽に関してはデジタル音楽でもCDでもなく、レコードで聴くというものだった。

 やがて、部屋に心地よい振動が満ちる。曲目は、ドヴォルザーグの『月に寄せる歌』。音楽が鳴っている間、この部屋は異界になったかのよう。止まっていた「ホントウ」の話が、少しだけ父とできる。

「準備はした」

 父親が語り始めた。

「もう間もなく、アスミが長い間、疑問に思っていたことも腑に落ちると思う」
「間もなくって、いつ?」

 自分にはもう時間がないのに。思わず、噛みつきそうになる。

「戦いに出るんだろう」

 アスミはハっとなる。父は訪れる真実大王との戦いのことを言っている。父は愚鈍ではないのだ。日常の世界を誠実に生きながら、アスミ達の非日常の世界のことも気にかけている。

「生き延びてくれ。本当に、間もなくなんだ」

 アスミは頭が回る女である。父がまだ全てを語ることができないのには理由があること。そして、父親が想定している時期は、真実大王との戦いの後、アスミの誕生日が訪れるまでの期間なのだろうと推察する。

 もう一度母に会いたい。この気持ちに偽りはない。だとするならば、真実大王との戦いを生き延びること。それが、この願いを叶えるための条件なのだと、ここまでを高速で導く。

「分かったわ」
「最終的にはアスミに任せるつもりだ。でも、決断は女の仕事じゃない気もする」
「何それ、男女差別?」

 オントロジカにまつわる非日常の話を横に置いて、父の言い方は今の社会では保守めいて感じられた。しかし、真面目な父が自分に誠実に言葉を選んでいるようでもある。何か、この辺りに親として伝えたいことがあるのか。

「決断は男の仕事だ。女の仕事は別にある」

 力強く言い切ると、父は音楽を止めた。秘密の話をする時間は、そこで終わった。

「行ってくる」

 父の顏が、非日常世界に生きる娘の父としての顏から、普通の街の住人として、復興の仕事をする人の顏に戻る。

「行ってらっしゃい。気をつけて」

 そう言ってアスミは父を送り出した。
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