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非幸福者同盟 作者:相羽裕司

物語後半のプロローグ

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157/259

157/――アスミという女

  ◇◇◇

 アスミが魂の核から深く息を吐き出すと、「からだ」の制御の一部が手放された。

 施術室は外界と切り離されたようにひんやりとしている。裸体であるせいもあるのだろう。冷たい。

 施術台にうつ伏せに横たわるアスミの背中に、女の柔らかい指が触れた。フイに氷を皮膚にあてられた時のように、ピクンとアスミは身体(からだ)を震わせる。

 体とリンクするように、心象が冷却されていくに伴って、アスミの内面は、余剰が剥がされて、常に抱いている自身の核心めいた想念だけに純化されていく。

 そこで幾ばくかの忘我。意識は地中へ。

 この世界とは何なのか。

 そこにいる私とは何なのか。

 子供の頃から、アスミはそんなことを考える女だった。

 S市の代名詞、「(もり)の都」の新緑について。木漏れ日の中に映える緑に憧憬を抱きながら、同時にその存在について考えていた。どうして、緑色はあるのか。

 太陽光・プリズム・分光……共鳴理論。少し大きくなってから、いわゆる色素のメカニズムを筋道立てて学んだ機会があった。しかし、アスミが抱いていた疑念も驚愕も落ち着くことはなかった。そういうことではないのだ。そこに「緑色」が「ある」という純粋な「驚き」。この感情が幼い頃からアスミの核心にあるのだが、他人と共有できた試しがない。

 小学校に上がる頃には、普通の人はこういうことを考えないらしいと、この気持ちを他人と共有することも諦めていた。ああ。不可解!

「『理想的な人間像』に関しては、どう考えているのだね?」

 冷たい空間に、澄んだ声。アスミの意識も現実に戻ってくる。アスミの「からだ」をメンテナンス中の女が、声をかけてきたのだ。この問いには、感情ではなく理性で答えなくてはならない。この女はそこにいるだけで周囲の(ぞく)な空間が聖なるものに変わってしまう「特別」な女である。自然と、アスミも自分の中から丁寧な言葉を選ぶ。

「そうね、私が消えてしまったケースだったら、志麻(しま)と、あと最近仲間になった宮澤(みやざわ)ジョー君って男の子が引き続き守っていく形になると思うわ」
「ああ。アスミさんはそういう先々に気を回すことを常々考えてる人だったね。もうちょっと感覚的な話。あの人間像の印象・感想をアスミさんから聞いてみたいといった程度の意味だったのだけど。君のお母さん、人形師・空瀬(からせ)アリカの作だろう」

 女はアスミの「からだ」へ指圧を施しながら言葉を続けていく。彼女の呼吸・言葉・施術には一定の連動したリズムがある。

 「理想的な人間像」。それこそがS市のとある所に隠してある、この地のオントロジカの集積体。物理的に存在する、決して奪われてならないもの。「守人(もりびと)」として、アスミが守り続けてきたものだった。

「アレは架空」

 少し思案してから、率直な感想を述べる。

「最も理想的な物理的存在が、架空ね。アスミさんは相変わらず哲学的だ」

 アスミは女に志麻へとは違う意味で気を許していた。友人のような関係にはなれないが、互恵(ごけい)関係にある他者として、信頼はおける人間だった。

 ここで、アスミに施術を行っている女について少し。

 女の所属は、S市近辺の、オントロジカにまつわる闘争には守人側にも収奪者側にも加勢はしないが、まだオントロジカの存在を世間に知らせるべきではないとする立場の組織だ。その中でも、震災以降特に地域的なネットワークを発達させている宗教的な集団の長だった。歳はアスミよりも二つ年上。先の愛護(あいご)大橋での大巨神(だいきょしん)との戦いの際も、後始末に現場に訪れてもいた。

 肩口で揃えられた黒髪は絹の質感で、瞳は翡翠(ひすい)の色を携えている。纏っている神聖で理知的な雰囲気は、人間としての格を感じさせる。地域で知られている通り名も込みで女の存在を表すなら、彼女の呼称は、聖女・中谷(なかたに)理華(りか)。聖性のみに還元されるほど、歳相応の女としての性的な魅力を隠し切れておらず、彼女の柔らかい肌、蠱惑(こわく)的な声、誘惑するような瞳。そういった彼女の存在に触れただけで、例えば男は、心に浮かぶ全てが理華のことになってしまう。

「『誤謬(ごびゅう)人間』」
「うん?」
「交戦した蝶女王って相手が、私のことをそう呼んでいたわ。私はただの『欠陥商品』だと思ってたのだけど、大そうな呼び名もあったのね」
「へぇ。誤謬。間違いというよりは、私はアスミさんは夢のような存在だと思いたいね。この現実に実体がないという意味では、そうだろう」

 理華はアスミと共闘するような関係にはない。しかし、一般人にしてはアスミの事情に立ち入り過ぎている。この二人の関係性には理由がある。

 中谷理華は、存在(そんざい)変動者(へんどうしゃ)である。

 S市には、守人であるアスミと志麻の他にも、アスミが認識している存在変動者が何人かいる。彼・彼女らは戦闘は行わず、一方で普通の市民とは違う形なりの人生を、それぞれに歩んでいる。理華はそんな人間の一人であるが、その能力ゆえにアスミとは数奇な縁があった。彼女の本質能力(エッセンテティア)は、「一定の条件で人の認識に干渉すること」である。アスミが普段付けている、周囲に認識阻害を誘発する藍色のリボンは、理華の能力によって作られたものである。

「それで、私はあとどれくらい生きられるの?」

 楽器を調律するようにアスミの「からだ」に向けられていた理華の一連の施術が一区切りしたので、アスミは本日理華の元を訪れた主眼について静かに切り出した。

「すまない。確証は持てない。ただ、アスミさんの義体(ぎたい)に流動しているオントロジカが量・質、共に弱くなっているのは確かだ。このまま十三体目の義体の当てがない以上、いつか『いのち』が保てなくなることだけは確かだ。人形師・空瀬アリカ作の義体。一年という使用期限が、どれほど切迫性を持っているのかは、私は空瀬アリカではないので断言できない。誕生日が訪れた時、糸が切れたようにプツリと途切れてしまうのか。あるいは、しばしの猶予期間があるのか。ただし、いずれにしても……」
「終わりは、来るのね」

 想定していた通りの話だ。奇跡は起きない。違う。オントロジカによる奇跡の恩恵を既に十分に受けてきたおかげでアスミは存在してきて、その奇跡の期限がそろそろ終わろうという話なのだ。

(奇跡を分配すらされなかった数多の人々に比べたら、私は何と恵まれていたことか)

 上体を起こして施術用のベッドから降り、肌着を付け始める。

「『マグマ』と『氷』に関しては、どう?」
「変わらずにアスミさんの心臓に両者が補い合うように存在している。今の義体のオントロジカの状態でも、使用は可能だろう」
「切り札はアリ、か。終わりの日を迎える前に最後の敵が襲来してくるのは、タイミングが良かったんだわ」
「アスミさん。自己犠牲なんてものは、ろくでもないものだと私は思うけど」

 理華は着衣したアスミに、藍色のリボンを手渡した。義体の期限が迫っている関係か、目元の辺りが誤魔化せなくなってきていたのを受けて、周囲の認識を阻害する力をより高めてある。

「それはそうだけれど、優先順位というものはあるわ。例えば世界が滅亡の危機にあったとして、あと三日で死ぬ人間が犠牲になれば世界が救われる。そんな状況なら、犠牲は『正しい』ことなんじゃない?」

 その見解に関しては、理華は何も応えなかった。

「ま、もちろん使わないつもりよ。街を守るために、最前を尽くしたいって話。あなたには話したことがあるけれど、震災の頃の街のアカリを見て、私はこの街が好きだと気づいたの」

 聖女の拠点に併設された施術室を後にするアスミに、理華はこう声をかけた。

「私はヒーローとしてというよりは、普通の女の子としての生をアスミさんには全うしてほしいと思っているよ」

  ◇◇◇

 聖女の拠点を出てくると、門の所で志麻がアスミを待っていた。

 仮初(かりそめ)の生の中で出来た数少ない友人。理華と比べると、聖性も霊性もない。素体は普通の可愛い女の子。内側に傷を引きずって、今一つ社会に溶け込めなかった彼女は、アスミに執着することで自我を保っていた。そんな彼女の歪な激情は知っていたけれど、そういう始まりだったとしても、志麻という子は表面を固い外殻で覆い切るにはどこか隙がある子で、ちょくちょく彼女本体の素の面白さが滲み出て、こちらに伝わってくるのが常だった。そんな彼女のあり方は、アスミに沢山の喜びをもたらした。やっぱり、この世界に志麻がいてくれて良かった。

「志麻」
「うん?」

 最近、志麻は変わった。清廉さの中に隠れていた棘が、今は見えない。

 お互いの心の剥き出しの所で度々触れ合いながら、長年過ごして来たので分かる。彼女が抱えていた痛みの源泉。彼女の母親のことに関して、最近、区切りがついたのだ。

 母親が不在という状況は同じでも、アスミと志麻では本質的に違っていたから。まがりなりにも、いなくなるまでは確かな愛情を受け取っていた自分が母親について語るのは、志麻に悪い気がしていたのだけど、今の志麻なら、その柔和になった表情で、全てを受け止めてくれる気がする。

 聖女の前の告白。街を守って消えていく正義のヒーローめいて語った言葉に偽りはないけれど、ここにもう一つ、友達の前で漏れ出たアスミの気持ちがある。

「私ね。もう一度、お母さんに会いたい」


 二〇一三年。

 正しい言葉が増殖し、光の速さを得て駆け廻り、世界を一つの方向へ、強く、大きく、新しくと、変革し続けていた頃である。

 零れ落ちたアスミの言葉が、勝ち抜けず、価値を認められず、世界から忘却される類のものだと気付いた志麻は、優しくアスミを抱きしめた。


  /物語後半のプロローグ・了
 第八話へ続く
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