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非幸福者同盟 作者:相羽裕司

物語後半のプロローグ

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156/――ジョーという男

  物語後半のプロローグ


 ギチギチ。

 機構的な何かが接合される音。噛み合わさり回転する音。そういった過程を経ながら大きい何かを構築していく音が聴こえている。

 そこで幾ばくかの忘我。意識は天空(そら)へ。

 さて。魂が吸い込まれていきそうな満天の星空というものを見たことがあるだろうか。「次の世界」への衝動をどこまで向けても限りがない、暗色の中に星々が煌めき合っている光景。「ここ」こそがhollowホロウ――(空洞)で、今、ここにいる自分は幽霊だ。そんなことを思ったことはないか。この覚束(おぼつか)ない不安を消してしまいたくて、願わくば星々の向こうの「本当の」世界へ行きたい。そんなことを思ったことはないか。

 ジョーは思ったことがある。

 記憶が過去の一地点に繋がると、望遠鏡越しの星空を見るジョーの傍らに、一人の老人が立っていた。

 自分と他人の境界が曖昧な児童時間の頃の話で、抱いていた気持ちが自分のものなのか、彼のものなのか分からない。そんなボンヤリとした感覚の中だとしても、彼がこの世界に存在したことは覚えている。ジョーにこの気持ちを教えてくれた人がいたのだ。

 彼――スヴャトは冬の雪降る頃にS市にやってきて、東の沿岸地域と中央の都市部との境界線上に位置する「紫の館」に、少しの間だけ滞在するのが常だった。

 全てが曖昧だ。スヴャトとの出会い。スヴャトと過ごした時間。詳細が思い出せない。ただ、身体の芯にくる寒さの中、ホットコーヒーで暖を取りながら、紫の館の最上階に付随していた望遠鏡で星を観察するジョーに、様々なことを語ってくれたのを覚えている。

 スヴャトといえば、白くて長い顎鬚(あごひげ)だ。髭の尖端を紫色のリボンで結んでいるという、ちょっとファンキーなお爺さん。深々と帽子をかぶって、両耳にはピアスを付けて、そして深淵な瞳をしていた。瞳の黒目の部分こそが、彼が追い求めた宇宙の深淵そのもののようで。おっとりとして、でも不思議と聴き取りやすい明晰さを兼ね備えた声で、明らかに異国人の風貌なのに流暢な日本語で、幼いジョーに親が教えてくれないような知見を伝え続けてくれた。

 親が教えてくれなかったことの代表は「死」であった。親がその事に触れるのを意図的に避けていたというよりは、両親も人間が死んだらどうなるのかなんて分からなかったのだと、今なら理解できる。

 それでも当時、初めて触れた身近な人間の「死」という概念の前に、ジョーの心は均整を欠いていた。

 寒い夜だった。両親も姉も寝静まっているので、湧き上がる不安を前に、頼ることはできない。それ以前に、この想念に関しては分かち合える人間と分かち合えない人間が世界にはいて、自分の家族は後者のように思われた。否。自分の家族はそうであってほしいと思った。

 (よろ)めくように外に出た幼いジョーは、寒月の深夜、「紫の館」を目指した。スヴャトに会うことでしか、この不安は埋められないのだと思ったから。

 ジョーの「死」に対する恐怖と不安の告白を聞いたスヴャトの返答は、とても難しくて、今でも何を言わんとしていたのか本質的な部分が分からない。綴られた言葉は、こんな感じだ。

「死を恐れるジョーよ。だがな、生命は本当の意味で死滅するということはないのだ。君もワシも、――つまり生物、「生きている」と我々が呼んでいる存在。この本源にあり、最も小さい要素は『たましい』だ。この『たましい』が有機体に入った状態が『いのち』があるという状態だ。『いのち』は有限だが、『たましい』は無限だ。『いのち』が死ぬと『たましい』は四散するが、やがてまた別な生物体の中に入り『いのち』を作り出す」
「ひいお祖母(ばあ)ちゃんも死んでない、ってこと?」
「『たましい』はそうだ。だが、ジョーが再びひいお祖母ちゃんに会うことは難しい。現在の人類では、一度霧散した『たましい』から意識的に『いのち』を再構築することはできないからな。それどころか『たましい』が何処にあるのか、その在処(ありか)すら、大多数の現在の人間は認識できない」
「ひいお祖母ちゃんの『たましい』は、今、何処にあるの?」
「残念ながら、この地球上にはないかもしれない」

 その言葉は、ジョーにはとても遠く感じられた。

「『たましい』は、次はより意識の発達した生物に宿り、変化し、より完成度の高い、今の我々から見るとより理想的な形態に生まれ変わってくるかもしれない。それは進展だ。しかしまた、死滅がある。進展と死滅は絶えず繰り返されて巡る。これは『たましい』にとっては無限なる苦しみの輪廻であるよ」
「終わりがない、ってこと?」

 スヴャトはゆっくりと頷いた。

「ではこの星に存在する生命にどんな意義があるのだろう? 我々は何のために存在するのだろう? ある。何がためにある? それはだ。いつかの彼方、地上の『たましい』はあの天の向こう側に参画するであろうからな。それは、意味があることだ」

 そう言って、スヴャトは天井越しの、満天の星空に向かって手を伸ばした。

 瞳に望遠鏡越しの空が映っている。スヴャトから伝播するように、ジョーは彼方への衝動を感じた。「ここではないどこか」へ、自分の根本が遊離していきそうな。進歩を。夢を追うという甘美な感情。その先に待っている、天空に向かう建造物達の息吹。難しい話は分からなくても、この星空の彼方へ行くということが、再びひい祖母に会うということなのだと理解した。

 スヴャトは先行者だった。既に宇宙へ進出する準備を進めている。

 混濁する意識の中で、確かに残った光景は、スヴャトの背中である。スヴャトが「進展」を目指して前に進んでいく姿を、ジョーも追おうと思った。きっと今すぐ駆け出さなければ、追いつけない。

 駆り立てるままに足を踏み出そうとした時、また、ギチギチ、という機構音がした。背後から、ジョーを呼び止める声が聴こえた。

(誰?)

 振り返ると、そこには紫の髪を流し、スヴャトの国の民族衣装、「サラファン」を纏った少女が佇んでいた。『構築物の(コンストラク)歴史(テッド)図書館(・ヒストリア)』でいつもジョーを待っている少女だ。

 紫の少女の口がゆっくりと開いた。


「でも進展(ソレ)は、犠牲の上に成り立っていたわ」


 紫の少女の言葉で世界は暗転した。ここで、記憶を媒介にしたスヴャトとの交信は途絶えた。ジョーの意識は、「今、ここ」の現実へと戻ってくる。


「暑い」


 今日は、二〇一三年・八月十一日。夏だ。

(なんだ、これ?)

 寝起きの自室にて。自分の体を確認すると、ジョーの左手首の脈を取る側に、一筋の鬱血が出来ていた。内出血を疑うが、特に最近この箇所を打ったり圧迫したりした記憶がない。大事(おおごと)ではないと意識を遠ざけようには、とても鮮明に、紋章のように手首に刻まれていて気にかかる。

 ジョー自身は最後まで知ることのない事柄を一つ。この「呪い」のアザは、二〇一三年・八月二十日という「期限」が近づき、ジョーがスヴャトのことを思い出し始めたのと同期している。

 ジョーは、ポツリとつぶやいた。

「このアザ、昇竜(しょうりゅう)みたいだな」
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