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非幸福者同盟 作者:相羽裕司

第六話「たとえばそこにいてくれるだけで」

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123/自由の国より

  第六話「たとえばそこにいてくれるだけで」


 あなたの大事な人を返すよ、というように、エッフェル塔はお姫様抱っこしていたアスミを、丁寧に志麻(しま)に手渡した。志麻は膝を折って座ったまま、赤子にするように左腕をアスミの枕にしてあげた。

「ジョー君の、能力なの?」

 アスミはまだ体の自由が効かないようだったが、横たわったまま視線をエッフェル塔に向けて尋ねる。『ハニヤ』の起動時間が終わり、発光は既に収束している。体の肌の色、全体的な存在感の薄さ、そうした「マイナス」の現象も元に戻りつつある。志麻が気付いたのは、以前『ハニヤ』を使った時よりも、アスミの身体の「マイナス」の痕跡が緩やかなことである。先ほどまであれだけ派手に外界に「プラス」を生み出していたわりには、アスミの体が代償として負う「マイナス」が小さく感じられる。

「おかしいわ。ムっちゃんを呼び出すだけで、ジョー君がこの地から受けられるオントロジカの供給量はいっぱいいっぱいのはず。日付も変わっていないのに、あなたみたいな強力な存在を召喚できるなんて」

 アスミが少し詰問調なのは、ジョーも何か代償を払った上でエッフェル塔を呼び出しているのではないか、という疑念があるからのようだ。志麻の疑問もそこに結び付く。アスミが負うはずの「マイナス」が少ないとしたら、その差額はどこへいったのだろう。

 元愛護大橋があった空間では、依然大巨神(だいきょしん)テンマが天を仰ぎ、狂わんばかりの咆哮をあげている。瞬く間に手首を切断された混乱も、もう少ししたら治まるだろう。いざ怒りの進軍が開始されるとするなら、もう志麻にもアスミにも余力はない。今、自分たちがいかなる代償を払っているのか先に把握しておきたい。こんな時でもどこか冷静なアスミはそう思っているのだろう。

 ところが、亜麻色の髪のお姉さん。もといエッフェル塔はあっけらかんと答えてくれた。

「それは今、パリから直接オントロジカを供給してるからだね。ジャブジャブ持ってきてるから、その辺りはあんまり心配いらないよ」

 たとえば高級料理店で、何でも好きな物を頼んでイイよ、といきなり気前よく言われた一般人の反応だろうか。食生活は丁寧に過ごしてきたものの、特にこの世の美味・珍味、そういった豪勢さとはあまり縁がなくこれまで過ごしてきた類の人間であるアスミと志麻は、ポカンとした顔で胸を張っているお姉さんを見上げた。

「そんなことが、できるんですか?」

 天空に現れた姿を一目見た時から、既に敬意の元、(ひざまず)きたいと思えるような存在(ヒト)だった。敬語で志麻はエッフェル塔に尋ねる。

「え、できるんじゃない? スマホでパリの動画とか、この国でも見られる時代じゃない?」

 そんな、面白動画のURL送りましたみたいなノリで、オントロジカをパリから送ってますと言われても。

「なんてね。もちろん無条件でこういうことができるわけじゃない。それを可能にするのは、ある意味奇跡的なことなのかもしれない。今回、それをやったのは宮澤ジュニア君だ。私たちはもう、今、奇跡の先にいるんだね」

 言われてみると、志麻は現に自分の身体が楽になっているのを感じる。オントロジカによる回復効果は何度も体験してきたが、現在のそれは何か今までとは質が違う感じ。この地のオントロジカではなく、パリのオントロジカが自分たちの周囲に供給されている所以なのだろうか。横を見やれば、『ハニヤ』を使ったのに、アスミの姿に今の所特に違和感もない。黒髪ストレートのままの女の子。何だか認識阻害のリボンがまだ必要なかった頃のようで、それはつまり、アスミという存在に供給されているオントロジカの量と質が十分であることを意味していた。

「パリは世界四大オントロジカ集積地だからね。この地も大したものだけれど、ちょっと量・質共に段違いかな」

 志麻が自分とアスミに起こってることを分析しようと考えを巡らせた矢先、新たな事実をエッフェル塔はさらっと告げてくる。もう、何がなんだか分からない。

「はっは。君たちってさ。オントロジカが何なのか。それすらもよく分からないまま使ってたでしょ。あまりにも、世界に関してまだ知らないことが多いってことだよね。それなのにさ」

 矢継ぎ早に明かされる新たな情報に、ただただキョトンと座っていたアスミと志麻の額を、エッフェル搭は右手と左手それぞれの人指し指でチョンと押した。

「君たちってば。この世界の中の自分の方をないがしろにしようとするなんて」

 エッフェル搭の諭すような口調は、アスミと志麻の両方を慈しんでいるようでもあるし、少し非難しているようでもあった。

「えと。エッフェル搭……さん? オントロジカって何なんですか?」

 アスミも思わず「さん」付けで尋ねていた。アスミのお父さんがオントロジカについて長年研究しているのは志麻も知っている。アスミの父の研究は手法の精緻(せいち)さ、重ねている時間共にこの国では素晴らしい水準のものであったが、何の因果か、今、娘の元にど真ん中の「答え」を知ってるらしい存在が現れている。

「それは、君たち自身でちゃんと『出会』わないとね。ただ、ちょっとヒント。私はこの遠い島国の宮澤君からとても沢山のオントロジカを受け取っていてね。その積み重なった分を返そうと思ってたんだけど、宮澤君ったら、その分を二人の子供に全乗せ。それでいて、俺本人は自分で立ってるしなぁ、みたいな態度なの。あいつ、最初はちょっとキショいなって思ったけれど、そういう所はカッコいいよね。ってまぁ、そんな類のもの」

 エッフェル搭からすると「宮澤君」の方がジョーの父であり、「宮澤ジュニア君」がジョーのことであるらしい。述懐する態度からは、その遥かなる時間にわたる記憶の中で、由緒ある最古の事柄も、最近の「宮澤君」に関する事柄も、等しく「面白い」と思ってるような様子である。

「さて」

 エッフェル搭はお話は一区切り、とでも言った風に、腰の鞘に手をあてた。気が付けば、狂乱の中にあった背後の大巨神は、改めてこちらを向き直り、破滅の意志を向けている。その業火の眼光は、片手首を失った分、いっそう鋭くなっているかのようである。

 エッフェル搭は流麗な仕草で髪を一()きしてから、抜剣した。

 大巨神から吹き荒れる衝撃波、熱波、強欲なる意志。そのあらゆる支配と収奪の大風が志麻達の方に向かってくる中、ちょうどこの遠方の島国の少女二人を守るように立っている蒼を纏ったお姉さんは、手にした自由の剣の元「だから何?」とでも言わんばかりである。佇まいは堂々と。なびかせる軍服ワンピースは飄々と。

「宮澤ジュニア君を通して見てたけどね。まったく、たかだか数百・数千の男たちを魅了したとか。たかだか数万単位の顧客の心を掴んだとか。その程度で。片腹痛い感じなんだよね」

 そう言って不敵な笑みを浮かべると、タンッと地面を蹴る。

 宙に向かって飛翔を開始したエッフェル搭の姿は、無理なく、無駄なく、美しい。

 アスミと志麻は、ただ茫然とその勇姿を見上げるのみであった。
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