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非幸福者同盟 作者:相羽裕司

第五話「彼の地よりきたる」

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118/この世界

 瓦礫の中、空に向かって手を伸ばしている志麻の姿を見つけて、ジョーは悲しい気持ちになった。

 元愛護大橋があった空間が煉獄と化してから、何とか一歩一歩歩いてきたジョーだったが、ついに足を踏み出せなくなっていた。今、頭に過るのは、昨晩のアスミからの伝達事項の二つ目である。


――明日以降の戦いの中で、ジョー君が私と志麻、どちらかしか助けられないという場面になったら――


 今、大巨神テンマによって、アスミは握りつぶされんとして、志麻にもその生命を絶つ最後の一撃が加えられんとしている。


――絶対に志麻の方を選んで――


 どうしようもなく矮小で、力ももう残っていない。そんなジョーでも、最後に何かをしなくてはならない。

 上空で大巨神に捉えられているアスミは、普通の人間であるジョーには、最早文字通り手が届かない。だが、破砕されたガンディーラの近辺で動けないでいる志麻の方は、まがりなりにも地面に近い所にいる。今から走っていって救出して、一緒に逃げることはもしかしたら可能かもしれない。やがて大巨神は結界の外へと出て行ってS市を焼き払うかもしれないが、そんな地獄の世界になったならなったなりに、せめて志麻の手を引いて逃げ続けるんだ。できるだけ遠くへ。

 アスミが最後の防御手段として使っている『ハニヤ』の光は、もう一分と持たないかもしれない。あるいは、本当はもうとっくに時間は切れているのかもしれない。

 幼馴染として昔長い時間、心の一部を共有していたからだろうか、ジョーには、アスミが時間を稼いでいるのだということが分かった。今のうちに志麻を助けて逃げろと。そう、ジョーはアスミから託されているのだ。

 それでもジョーは、志麻に向かっての一歩を踏み出せないでいた。左手にアスミから預かった藍色のリボンを握りしめたまま、佇んでいる。

 そんな猶予は許さないとでも言うように、状況は変化した。『ハニヤ』の最後の力を前にアスミを握りつぶせないでいた大巨神テンマは、業を煮やしたのか。あるいは単純な怒りの表現なのか。口から熱線の第二射を放出したのである。

 首をゆっくりと回しながら、全方位に放たれた熱線は天は結界の天井に反射し、地は大地を溶かし、瞬く間にジョーが立っていた河川敷にも向かってきた。もう、第一射目からその身を呈して逃がしてくれた陸奥の姿もない。

(まいった。ひぃじーじが忠告してくれていたのに)

 このまま熱線が到達すれば、ジョーの身体は瞬く間に蒸発してしまうだろう。

(戦艦陸奥が爆沈した時に、ひぃじーじが陸奥も友人も両方助けたいなんてことを思ったりしたら、ひぃじーじは死んでいた。助かる可能性がある友人を選び、手遅れだった陸奥を切り捨てた。その決断、その意志こそが正しかった。そうして生き残ったひぃじーじの繁栄の帰結として、俺が生まれた)

 それが正しいことだと分かっているのに、ジョーの胸によぎるのは、再会して言葉を交わしてから、時折アスミがみせる、凛としているのにどこか脆い、そんなちょっと無理をして世界との整合性を探っているような笑顔と。そういうアスミを慈しむ気持ちだ。

 つまり、とても強い己の核心からくる衝動として、自分に対してか、この世界に対してか、心の底でこんなことを問うてしまっている。


――両方助けたいって、思ってしまうような存在は、この世界では許されないのか?


 気付いてしまった。宮澤ジョーという人間は、大切なものが二つあったとして、そのどちらかを捨て去ることができない人間だった。 

 数多に訪れる危機の中で、どちらかを切り捨て、どちらかを生かす。強く、速く、豊かで、正しい。そちら側を選び続けて――そうじゃない方は切り捨てて――生存し、繁栄することを目指す。そういうことができないなんて、この世界の理の中ではとても欠陥的な事柄だった。

 本物になれない。この世界の真実に適合できない人間。

 そんな人間に訪れる終着点。とても強く、今やその繁栄の意志を世界へと広げんとする大巨神テンマの放った熱線が、ジョーに到達した。この世界の理では、栄えるのはテンマ・ソウイチロウであり、消え去るのは宮澤ジョーであった。

 その時、幾ばくかの忘我。既にジョーの身体は溶解し、その命は終わりを告げ、これは彼岸の光景なのか。あるいはいわゆる走馬灯のようなものなのだろうか。夢と現実の境界上にいるような感覚。ただ初めてではない。少し前に、この不思議な感覚の中で戦艦陸奥の記憶に触れた気がする。いくつかの、ここではないどこかの音が、光景が、匂いが、ジョーの知覚に流れ込んできた。



――ついにソ連が崩壊したね。これからは大変な時代になるよ。だからカレンにはお守りに、二つ目の名前を与えたんだ。厳密には、音としてのシニフィアンと、意味としてのシニフィエが分離可能なこの国の言葉の性質にあやかって、アメリカ風の音に加えて、日本語の「読み」と「意味」を宿したってことだけどね。カレンは、「可憐」でもあるんだ。


 ベッドに横たわっている女と、寄り添っている男。ベッドの傍らには揺り籠があって、中で眠る赤子に男は優しい眼差しを向けている。

「ああ、でも不安だ。こんな俺がパパだなんて。だってこの子には、そのままでは豊かな人生なんて保証できないんだ。一つ出来事をあげるなら、二年前のベルリンの壁崩壊だ。あの人々が壁を越えてゆく熱情を見た時に、一つの未来の方向が選ばれたのを感じた。やがてこの国の経済発展期の余剰も底を尽き、繋がった世界では平等にばら撒かれることになる貧困を前に、この国でも多くの人達が虐げられ、淘汰されるだろう。たぶん、この子が大人になる頃の話だ」

 黒縁の眼鏡に、ぐりぐりとした瞳。頬が引き締まっていて、お腹の辺りも痩せている。見知らぬ(ちち)は、独特のテンポで長く述懐した。

「私、あなたの何事も悲観的に想定し過ぎるところ、ちょっと嫌いよ」

 ブロンドの髪に、蒼い瞳。柔和で、朗らかで、ちょっと丸い。見知らぬ(はは)は、意見するというよりも相槌を打つように言った。

「組み立てられた構造を解体して把握し、再構築することができれば、現在建てられているものがどういう風に伸びていくのかは、ある程度分かっちゃうからね。その予測の結果、この子にはその『過酷』な時が来るまでに、僕にできるだけの贈り物をしておこうと思ってるんだけど。でもこんな僕だから、最終的には、その苦しい世界の中で、この子なりに地を這ってでも生きていってもらうしかないよねぇ」

 タハハ、と、面目なさそうに。速く、明晰に頭が回る反面、胸から溢れ出る制御できない温かいものにとまどっているように、男は笑った。

「でもあなた。今、すっごい喜びに満ちているのでしょう」

 分かってる、というように女が指摘すると、男はパっと顔を輝かせた。

「喜んでるよ! 喜び久しく、永遠に輪廻(りんね)しそうな気持さ!」

 男は本当に嬉しそうに、溢れてくるウズウズとした感情を隠そうともしないで、揺り籠を覗き込んで、中の赤子をあやした。思わず、オゥッオゥッというオットセイを模した声、表情、動きなんかやってみせる。男は、無駄にこの手の赤子を喜ばせるレパートリーが豊富な人間であった。別に大きくなった後の本人は覚えてないのだけれど、その後も見知らぬ赤子(あね)はニコニコ、アゥアゥと大絶賛を男に返し続けた。
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