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『子作り』と『親』

作者:県 裕樹
 彼女は一通の封書を手にしながら、『チっ!』と舌打ちをしていた。
「これでまた一人、愚痴を言い合える仲間が減ったわね……」
 そう呟きながら、彼女――西村恵美は顔を醜く歪め、その封書を忌々し気にテーブルに叩き付けた。
 純白の封筒に納められていたのは、桜色の便箋に印刷された案内状と数枚のカード……そう、旧友から届いた結婚式の招待状であった。
(別に、男が欲しい訳でも無いし家庭を持つ事にも興味は無い。けど、このイライラは一体何なの?)
 それは紛れも無く焦燥感から来る苛立ちであったのだが、何処かで『認めたくない』と拒絶していたのだろう。年齢も29歳、晩婚化が進んでいる今の世とは言えど、周囲の同世代女性に比べて自分が劣っていると暗に示唆されているような感覚が、彼女を焦らせていたのだ。
(冗談じゃない、取り残されるのは嫌よ……結婚生活に興味が無いのは事実だけど、世の中に対しては言い訳にしかならない。売れ残りのオバサンとして見られるのだけは御免だわ!)
 誰が言い出したか、30代までに結婚できなければ負け組と云う文句……そんな暗示には掛かるまいと思い続けて数年。若い時分にはそれで納得できても、そのリミットが近くなれば焦りが出てしまう。実際、周囲はそれ程自分に注目などしていないのだが、やはり見栄が優先してしまうのだろう。キャリアウーマンとして堂々と過ごしていれば『格好の良い女性』として映ったかも知れない彼女ではあったが、やはり周囲からのプレッシャーには耐えられなかったようだ。
(上等じゃない、20代のうちに結婚して見せるわよ。負け組? そんなものになって堪るものか!)
 次の誕生日まで、6カ月と5日。その日から恵美は、男を漁りまくる修羅と化したのであった。

***

「とと……大丈夫?」
「らいじょうぶ、らいじょうぶ……これしきのお酒で、酔える訳ないじゃ無いれすかぁ!」
 あの日から数週間後、恵美は独身仲間をかき集めて合コンを企画した。男性陣は中堅クラスの商社マン、口八丁が商売道具の営業職の集まりである。
 先ず、条件としては『自分達と対等の身分である事』が最優先された。医者や政治関係者など、上流階級に位置する男たちを選べば玉の輿も狙えるが、結婚後に見下されるのは御免だという思惑によって、敢えてこの線は避けられたようだ。
 第二に『内勤者・デスクワーカーはアウト』と云う一項も加えられた。これは、内向的な性格の者が多いだろうという、ある意味での偏見が多分に含まれていた。依って『平均的な企業の営業職』と云う条件での人選と相成った訳である。
(営業マンなら明るい性格の男が多いし、成績優秀者なら高収入だからね)
 そのような思惑もあり、恵美は短い談笑の中で、最も優秀そうでルックスの良い男を真っ先にロックオンしていた。そして酒に弱い振りを装い、まんまとお目当ての相手――井原和樹に『お持ち帰り』させるまでの段取りを成功させていたのであった。
(チョロい……本気を出せば男なんて、コロッと騙せるんだから。今時、純愛なんて流行らない。勝つのは肉食系なのよ!)
 二人きりになった後は、お約束の展開……そう、色仕掛けである。何しろ相手も『女性との出会い』に期待してこの場に参加しただけあって、下心は多分にある。そこを衝けば、既成事実は簡単に作れてしまう。恵美にとっては、男性が自分を抱いたという事実さえあれば充分だったのだ。
(これで証文は揃ったわ。素性もチェック済み、逃げようとしたって無駄……ザっとこんなものよ)
 強引で、且つ変化球気味の馴れ初めではあったが、この時点で恵美が男を捕まえた事は確かだった。その手段がどうであれ、相手を見付けさえすれば、その日の彼女のプランは9割がた成功したと言って間違い無かったのである。

***

 その日から1カ月半程が経過し、恵美は自らの変調に気付いていた。そう、来るべきものが来ないのである。
(チっ、余計なものまで! ……でも、却って好都合かも。これで益々此方の立場は強くなったんだからね)
 産婦人科での検査結果は『妊娠6週間目』。紛れも無く、あの日の結果が現れた証拠であった。恵美はその診断書を武器にし、和樹を追い詰めていった。
「ま、まだ間に合うだろう? 産む気が無いのなら、堕胎すべきだよ」
「逃げるつもりですか? これは紛れも無く貴方が私に対して行った狼藉の結果なんですよ? 責任をお取りになるべきです」
 ここで言う『責任』……そう、それはつまり『結婚』を意味する。恵美は和樹に対し、腹の中の子供の父親として責任を果たせと迫っているのだ。
「待て! 確かに妊娠させてしまったのは俺かも知れない。だが、他にも責任の取り方はある筈だ!」
「ふぅん……そっちがその気なら、こっちにも考えがありますよ?」
 恵美の目つきが変わる。逃しはしない、他の選択肢など認めないという、確固たる意志の表れだった。
「もし、このまま堕胎を主張するなら、アンタに傷モノにされて、その挙句に捨てられたって言い触らすよ?」
「お、脅す気か!」
「脅す? 私は本当の事しか言ってないよ。アンタが私を孕ませた、これは紛れも無い事実でしょ?」
 目付きだけではない、態度までも豹変させた恵美に、和樹は恐怖すら覚えたという。そして、このまま議論を続けても自分が不利になるだけで、事態は好転しないと悟った彼は、止む無く首を縦に振った。
 その証文を得た恵美は、ウェディングドレスが着られるうちに挙式をと、急ピッチで事を進めていく。そして2か月が経過し、彼女の左手薬指には、見事に銀のリングが輝く事になったのである。29歳と9か月、まさにギリギリのラインで恵美の目標は強引に達成されたのだった。

***

「行って来るよ」
「……いちいち起こさないで頂戴、出るなら勝手に出てってよ」
 恵美はベッドから顔も出さずに、出勤していく和樹に言葉を投げ掛けた。
 朝食も作らず、赤子にミルクも与えず。赤子――初音が夜泣きをすれば疲労困憊でダウンしている和樹を叩き起こして世話をさせる。無論、彼女に育児をしようなどと云う意識は微塵も無い。つまり、和樹が自分で連れ歩く他に手立ては無かったのだ。幸いにして、勤務先の会社に託児施設があるので、彼はそこを頼りにしていた。
 そして陽が高く昇った頃合いに漸く起き出して、街へと繰り出す。それは働きに出るのでも、夕食の材料を買いに行くのでもない。彼女自身の欲求を満たす為、着飾って出掛けて行くのである。
「アイツがこんなに安月給だなんて、思ってなかったわ。マンションでも買って、優雅に暮らせるかと思ったのに」
 ……まことに勝手な言い分である。自らは全く労働をせず、和樹の給料の殆どを自分の私欲の為に浪費しているのだ。これでマンションが購入できるなら、おめでとうと云うところだ。因みに、和樹に小遣いなぞは、当然与えていない。辛うじて交通費を渡しているだけで、食費や光熱費も最低限に抑えている……と云うか、そんな事は考慮していない。恵美は自分自身が楽しめれば、旦那や子供がどうなろうと、どうでも良かったのだ。

***

 丸一日、足を棒にして働き、漸く帰宅した和樹が玄関を潜ると、室内は冷え冷えとしており、真っ暗だった。時刻は22時半、大人が就寝するにはちょっと早いタイミングである。要するに、誰も居ないのだ。
(このままじゃ、ダメだよな……この子の将来の為にも、キチンと話し合わないと)
 無人のダイニングに明かりを灯すと、和樹は初音をベビーベッドに横たえ、ミルク用の湯を沸かし始めた。沸騰させてから少々冷ましてミルクを溶き、更に人肌程度にまで温度を下げる必要がある為、授乳のタイミングより早めに支度を始めなくてはならないのだ。
 そしてケトルの笛が小さく音を立て始めたその時、ドタドタと騒々しい音を立てて玄関に倒れ込む者があった。そう、本来であれば家で待機しつつ、初音の面倒を見るべき立場の恵美が、千鳥足で帰宅したのだ。
「近所迷惑だ、もっと静かに入って来い」
「……ぁによぉ、文句あんの? この甲斐性無し! アンタの稼ぎが悪いから、こんな安アパートに住んでるんじゃないの!」
「遊び歩くのは良いが、まず自分の責務を果たせ。言いたい事があるなら、それからにして貰おうか」
「はぁー!? アンタが私を孕ませたから、こんな事になったんでしょぉ!?」
 その回答を聞いて、和樹は『話にならん』と吐き捨て、恵美に背を向けた。初音の事をもっと考えて欲しい――彼はそう話を持ち掛けるつもりであったが、その気も失せたようだ。笛を鳴らし続けているケトルを火から降ろし、湯冷ましを作らなければならなかったからだ。が、恵美はその態度が癇に障ったらしい。
「ちょっと、話の途中でしょ!? 何なのよその態度は!」
「責任を感じているから、お前の豪遊も不問にしてやっているんだ。それでもまだ足りないと云うなら、働けば良いじゃないか」
 言いたい事を跳ね退けられた挙句、説教までされて、恵美は益々憤慨した。が、その態度が和樹を更に呆れさせた。
「……もういい。邪魔だから向こうへ行っててくれ。俺は初音のミルクを作らなければならんからな」
「何よ、そんな物!」
 恵美は土足のまま上がり込み、粉ミルクの缶を横なぎに払い除け、中身を床にぶちまけた。和樹の態度に対する抗議のつもりだったのだろう。
 刹那、乾いた音が室内に木霊する。和樹の我慢も、遂に限度を超えたのだ。
「……殴ったわね? この私を殴ったわね!?」
「だからどうした」
 本当なら、もっと文句を言い、もっと殴ってやりたかったに違いない。和樹にはその権利が充分にあるのだから。しかし彼は敢えてそこで手を止め、怒鳴る事もしなかった。怒りをぶつけて事が解決するのなら幾らでもそうしたのだろうが、その行為が無駄な事だと分かっていたのだ。最早この女に何を言っても聞きはしない、自分が疲れるだけだ……と。
 恵美は『後悔するがいいわ』と吐き捨て、そのまま出て行った。しかし和樹はそんなものには構いもせず、授乳の準備を進めていた。そして漸くミルクが人肌にまで冷めた頃、再びドアを開ける音がした。
「はて、何の御用です?」
 玄関先には、恵美と一緒に何故か警察官が立っていた。和樹はその理由が分からず、思わず問い質した……のだが。
「貴方から暴行を受けたとの、被害届が出されていますよ」
「……育児放棄をした母親に、軽い仕置きと説教はしましたがね。それ以上の事はやっちゃいませんよ」
 成る程、先程の捨て台詞の根拠はこれか……と、和樹は恵美を睨み付けた。
「叩けば埃が出るのはそっちの女ですよ、お巡りさん。俺を取り調べるのなら幾らでもやって貰って結構ですが、恥をかくのはアナタの方になりますよ」
「兎に角、御同道願いましょう。被害届が出ている以上、有耶無耶には出来ませんから」
 こうなったら、洗いざらいを吐き出してやろう……そう考え、和樹は警察官に任意同行の形で付いていった。そして帰宅したとき、時計の針は既に午前1時を指していた。
(乳児一人残して、出ていくバカ女の為に……俺は一体、何をやってるんだか)
 寒々とした室内に、一人取り残されて泣いていた初音を抱き寄せ、ミルクを作り直す和樹。だが彼は、この時点で自身に何が起きているのかを、まだ知らなかった。

***

 その日、和樹が二社目を訪問し終わった時、時刻は14時に近くなっていた。本来であれば、多少遅くなってでも昼食を摂るところであろう。しかし、彼の財布にそのような余分の金は無い。空腹を堪え、強引に笑顔を作り、さぁ次だ! と気合を入れたその時、唐突に和樹のスマートフォンが着信を告げた。
「何だい母さん、珍しいね。俺に電話を寄越すなんて」
「落ち着いてる場合かい! アンタ、DV亭主だって近所中で言い触らされてるよ!?」
 何だと!? と、和樹が思わず素っ頓狂な声を上げてしまったのも、無理らしからぬ事であろう。確かに過日、一度だけ妻の頬を叩きはしたが、それは彼女の悪業を正す為に、止む無く放った一発だったのだから。が、しかし、事実は大きく捏造され、広範囲に拡散されていたのだ。
「体中に痣を付けたアンタの嫁が、泣きながらベランダで洗濯物を干しているのを見た人が、思わず咎めたんだって!」
「冗談じゃない、俺は左頬を一発叩いただけだ! それも、痣の残るような力じゃない! かなり手を抜いた一発だった!」
 和樹は懸命に、身の潔白を証明しようとした。いや、母親もそうであると信じていたらしい。だが、実際には虚偽の噂が拡散し、手の施しようが無い程に、彼は『悪人』として言い触らされていたのである。
(おかしい……たった一晩で、ここまで!? どんなマジックを使ったんだ、アイツは!)
 そのような事を考えていると、今度はスマートフォンのメール着信アラームが鳴りだした。発信者を見てみると、得体の知れないアドレスから匿名で送られたものであり、内容は『DV許すまじ』を謳った罵詈雑言がこれでもかと云う程に並べ立てられていた。それも、異なるアドレスから異なる文体で、同じ趣旨の内容が立て続けに送られて来るようになった。
(異なる捨てアドレスから、メールが多数……そうか、ネットで拡散されているのか!)
 和樹の勘は正しかった。複数のSNSで写真入りのプロフィールが実名で掲載され、無数に転送されている事が分かったのだ。無論、内容は彼を『DV男』として名指しで指摘し、批判するものであった。
(やられた……DVや子供の生み捨て、虐待なんかが批判されてる最中だからな。こういうエサにはよく食い付くってか!)
 メールはアドレス変更とフィルタ処理で捌けるが、SNSの拡散はもはや防ぎようが無い。しかも、顔写真が公開されているのが拙かった。これでは身を隠す事も出来ない。証人を集めて無罪を叫んでも、噂の拡散スピードの方が遥かに速いのだ。
 実際、和樹が得意先に赴いても、商談より先にネット記事の真偽を問う質問が出る始末であった。行く先々で噂を否定しても、聞く方は半信半疑……いや、噂の方が正しいと決めつけて掛かる態度の者が殆どだった。無論、商談は全て破談。然もありなん、このような噂を立てられる人間の話を、真剣に聞いてくれる者はまず居ない。
(全滅、か……社に戻るのが怖いなぁ、どうせ噂が拡散しているに決まってる)
 しかし、帰社せずに行方を晦ます訳にもいかない。託児所で待つ愛娘が居るからである。止む無く、和樹は帰社連絡を入れる為に、上司のデスクに電話を掛けた。
「もしもし、井原です」
「んー? もしかして、自分の伴侶を虐待し、外面だけを飾っている、鬼の井原君かね?」
「……えぇ、悪辣な素顔を笑顔の仮面で隠した、非道の男ですよ……そうなっているんでしょう? 噂では」
「噂? ほっ、そう言えば自己擁護になるとでも思っているのかね! 呆れて物も言えんな」
 酷いものだな……と、和樹は自虐の笑みを浮かべた。こうなってしまっては、真実を語っても言い訳にしか聞こえないだろうという事が良く分かるのだ。
「どうせ、帰っても僕のポストなぞ無いのでしょうけどね。託児所に用がありますから、戻らせて頂きますよ」
「あぁ、それにいま君が乗っているのは我が社の資産だ。返して貰わねば困る」
 その返答を聞いた和樹は、そのまま無言で通話を切った。そして、彼の乗ったライトバンが会社の駐車場に戻る事は、二度と無かった。

***

 翌日、父親である和樹の死亡が確認された為、託児所に居た初音は自宅へと送り返される事になった。折りしも、DV騒ぎの被害者として注目を集めていた恵美と初音の再会は、映像として茶の間に届けられ、更に物議を醸す事になった。
 最も多く寄せられた評価は『もう、貴女を傷付ける暴力男は居なくなりましたよ』と云うもので、噂を拡散して恵美を救った気になっていたネットユーザーたちは狂喜した。だが、真実は報道とは真逆であり、そこには唐突に『育児』と云う難題を押し付けられた無能主婦が居るだけであった。
「チっ……ちょっと会社での居心地を悪くしてやろうと思っただけなのに、案外とメンタル弱かったのね。その日のうちに断崖から飛び降りて自殺? 在り得ないわよ……どうしてくれんのよ、コレ」
 確かに、悪評が拡散してから自害に至るまで半日余りと云うスピードに着目すれば、和樹のメンタルが弱いと指摘されるのも尤もだと感ずるかも知れない。しかし、それ以前に彼は本業と育児を一手に賄いながら、自らの財布を当てにして豪遊を続ける妻の悪業に耐えていたのだ。つまり、噂を耳にする直前までで既にダメージは限界近くなっており、最後のトドメとなったのが恵美がネットとマスコミに流布した虚偽の噂だったのである。これは、彼女にとって思わぬ誤算となった。
 だが、幾ら誤算を悔いても、目の前に居るお荷物……初音の存在は消えて無くなる訳ではない。恵美には既に複数の『男』が居り、彼らを頼れば彼女自身の生活は何とかなるという目論見があった。しかし、その為には初音の存在が非常に邪魔になる。
「……邪魔者は消すに限る、か……」
 泣き疲れたのか、やつれた感じでスゥスゥと寝息を立てる初音をギロリと睨み、恵美の表情は大きく、醜く歪むのだった。

***

「おぉい、薪が足りねぇぞー?」
「OK、集めて来るから待っててくれー」
 普通なら誰も足を踏み入れない、密林と呼ぶに相応しい樹海の奥。そこに、アウトドアレジャーを楽しむ学生と思しき若者がキャンプを張っていた。
 テントからの声に呼応し、薪を探しに向かった若者が、妙に真新しい、しかも不自然に大きな包みがあるのを発見したのは、その直後の事だった。
「おーい! ちょっと来てくれぇ!」
「何だ、埋蔵金でも見付けたのか?」
「だったら良いんだけどよ。何かキナ臭いぜ?」
 それは、如何にも不法投棄されたような黒いビニール袋であった。用心の為、手では無くナイフで袋を切り裂くと、更に新聞紙で包まれた塊が中から出て来た。
「おいおい、まさかこれ……」
「あぁ、これ以上は手を付けない方が良いな。警察に通報しようぜ」
 彼らの、その判断は正解であった。
 ……そう、包みの中から出て来たのは、未だ乳飲み子と思しき女児の、冷たくなった体だったのだから。

***

「私はただ、幸せになりたかっただけ……それはいけない事なの?」
「やり方に問題がありすぎたんだよ。アンタが幸せになるのは勝手だし、何を以て幸せと定義するかも自由だ。だが、その為に、自分以外の人生を踏み台にする事だけは、してはならないんだよ」
 手錠を掛けられ、パトカーに乗せられるまでの間、恵美は警察官に疑問をぶつけていた。だが、返って来たのは彼女の求める答えとは違うものだった。
「あの男は、私の理想とは違っていた。子供だって欲しいとは思わなかった……私にとっては、二人とも邪魔だった……」
「ふぅ……あのね? 子供を作る事自体は、犬や猫にだって出来るんだよ。しかし親になるという事は、それとは遥かに次元の違う事なんだよ」
「だから言ってるでしょ! 私は、親になるつもりなんか無かったって! 全てあの男が悪いのよ! 私を手籠めにした挙句、孕ませたからあの子が出来た! そのお陰で、あんな甲斐性無しと結婚する羽目になったのよ!!」
 その雄叫びを聞いて、恵美を連行していた警察官が何かを言おうとした。だが、その発言は別の警察官によって遮られた。
「その男性は、自分が作ってしまった命に対して、精一杯の謝罪をしつつ、責任を果たそうとしていた。勤務先にある託児所の職員が証言してくれたよ。洗いざらい、全てをね」
「我が子を愛し、育てようとする点では……チンパンジーの方が遥かに優れているだろうな。アンタに比べたらね」
 最後の一言は、警察官としては褒められたものでは無かったかも知れない。しかし、警察官とて人間。ポロリと本音が出てしまう事も侭あるだろう。無論、その発言を咎める者は、誰一人として居なかった。
「教えて……幸せって、何なの?」
「少なくとも、これから先のアンタには縁遠い物だろうね」
 恵美が警察官に対して発した言葉は、それが最後となった。

 その後、彼女の姿を街で見掛けた者は誰一人として居なかった。
 ただ、獄中で独り、何がいけなかったのか、どうして自分は此処に居るのか……と問い続ける女性受刑者が居るだけであった。
 恵美が自分の犯した罪に対して正面から向き合う事は遂に無く、その命が尽きるまで恨み節を呟いていたという事を、遂に監獄の外へ出る事無く息を引き取った彼女の最後を看取った看守が遺族に漏らしたという。つまり、恵美は自らの命が尽きるまで、一度として反省する事は無かったのだ。
 ただ一言、最期に彼女はこう漏らしたそうだ。
「ねえ、私は悪い事をしたの? だとしたら、何がいけなかったの? お願い、教えて……」
 看守は、その願いに応える事が出来なかったという。

<了>

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