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その女、悪女です! いいえ、それは濡れ衣です。

作者:サディラ
「騙されちゃダメ! その人は悪女なんだから気をつけて!」

 この言葉によって場の空気は凍った。

「わたしは知ってるの! こんな清楚ぶってるけど、裏では気に入らない女には陰惨ないじめをして、男をもてあそんでは捨てる事を繰り返しているような性悪なんだって!」

 1人暴言を吐き続ける少女は周囲の様子など気にせず、なおも口を開き続けてとある少女を睨みつけながら貶める言葉をやめない。

「王の姪で特別扱いされているから誰も逆らえないだけで、人を人とも思わない冷酷で残虐なのがあなたの本性よ! 猫をかぶって上手く周りを騙しているようだけど、わたしは騙されないんですからね!」

 鼻をならして言い切った! とでもいわんばかりに得意げな表情をその少女は浮かべた。




(これは新手の虐めなのでしょうか? それとも前世の、怠惰な『私』への罰なのでしょうか?)

 エスメラルド・シェリス・ヴィア・セルリード。
 それが今生で授かったわたくしの名前であり、ただいま初対面の少女から悪女と罵られた本人です。

 現実逃避であるのは重々承知しておりますが、少しの間、わたくしのつまらぬ話を聞いていただけますか? と言いますか、お願いですから聞いて下さいまし。
 誰にも言えなかったわたくしの秘密なのです。誰にも言えません、わたくしは『前世』を持つ転生者であるなどとは……こんな事を口にしましたならば頭がおかしい、病んでいるのではないか? と疑われますもの……転生者の宿命ですね。

 まあ、それは脇に置いておきまして――。

 前世の『私』は大変お馬鹿な子でありました。
 考えるという発想がない、辛い事や苦しい事が嫌いで、楽な方へ、より楽な方へと逃げていく短慮で愚かな弱虫でした。優しい両親のおかげで前世の『私』はぬくぬくとした環境の中で、いい歳をして無職の『引きこもりニート』と呼ばれる者になっておりました。
 何より残念だったのはその状態が良くないと気付いていながら何もせず、親に甘え続けていた事でしょう。いつも、あの時こうしていれば、ああしていれば良かったと考えて、最終的には幼児の頃まで還って人生をやり直したいと思っていました。

 どうしようもありませんでしょう? 

 少しの勇気を出して手を伸ばせば、それだけで人生を変えられたかもしれない恵まれた世界に生まれながら、叶わぬ願いと知っていながらそれに縋るお馬鹿な子だったんです、私は。

 それ故なのでしょうか? 気がつきましたら、私は『わたくし』となって別の世界に生まれていたのです。それも、父は王弟にして王国軍元帥の要職に就くセルリード大公、今は亡き母は隣国の第二王女であったという由緒正しい家柄と血統の元に産まれてしまいした……この事を知った時、喜びではなく戦慄を覚えた『私』は間違っていないと思います。

 前世の『私』はとても人様に胸を張れるような生き方をしていなかったのです……警察のお世話になるような、世間様にご迷惑はかけない生き方でしたが、両親には多大な苦労をかけていた自覚はあったのです。そんな『私』がハイスペックなステータスの元に生まれたのですから、どんな罠があるのだと怯えるのは必然にございましょう? 弱虫だったのですから。

 世の中上手い話など無いのです。安易に信じては泣きをみるのが現実というもの。

 なのでわたくし考えました。

 今生ではきっと、前世で楽をして怠惰な人生を送った分の苦労をするのだろうと。そしてその苦労を厭ったが最期、わたくしの人生は終わりを告げるに違いないと思いました。

 わたくしが生まれました今生の世界は、記憶にある前世の世界とは異なり、命がとても安いのです。
 家格とあわせて考えますと没落・処刑ルートばかりが連想されます。

 幸いにも前世の記憶があると知ったのは3歳の終わり頃ですから、まだ何も始まっていませんでした。おかげさまで前世でパソコンにかじりついて読み漁っていた小説の、転生ものに描かれているような乳児期の羞恥プレイは体験せずに済んでおります。それだけは素直に喜びました。

 『私』は覚悟を決めました。

 やり直したいと願っていたのは『私』。それがどういう奇跡かは分かりませんが叶えられたのですから、前世を反面教師として今生は勤勉に生きようと。
 その日から一人称を『私』から『わたくし』に、言葉遣いも意識して変えて決意のあらわれとし、前世に別れを告げて大公令嬢エスメラルドとして人生を闘う準備をいたしました。

 その後に始まった、王家に連なる血筋の姫としての教育は『私』であった頃の怠け癖が強敵として立ちはだかりましたが、わたくし負けませんでした。怠けそうになったり挫けそうになったら「没落・処刑ルート」を合言葉にして危機感を煽り、常に抜身の刃を突きつけられていると思いなさい! と己を奮い立たせて乗り越えました。

 わたくし、この過程で学びましたわ。人間、死ぬ気でやれば結構なんでも出来る、と。

 周囲は「そんなに頑張らなくともいい」「もっと楽に生きてもいいんだ」「女の子なのだから、そこまでする必要はない」と、甘い言葉を囁きますが甘いのです。坂道を転がり落ちるのがあっという間であるように、少しでも自分を甘やかせばあっという間に前世の『怠惰の権化』と呼ばれていた頃の『私』に逆戻りするに違いないのです。
 わたくしはその点では自分を信じません。なにせ、わたくしの本性は怠ける事が大得意であった前世の『私』なのですから。信じられるはずがありません。

 その甲斐あってわたくしは、上の下には入れてもらえる程度の人間には成長いたしました。

 なのに何故、わたくしはこのような侮辱を受けなくてはならないのでしょう……?

 は! もしやわたくし、自分では出来た人間だと信じているけれども、周りからは道端に捨てられているゴミを見るかのような目を向けられていたのでしょうか!?
 わたくしって、実は気付かないだけで痛い人間でしたか!?

「――何を言っているんだ、君は…… 失礼だろう、すぐに謝罪するんだ!」

 あら、庇って下さるの? わたくしが大公家の娘だからですか? わたくしを罵ってくださった方が、ありえないわ! というような驚愕の表情を浮かべていますもの。

「――なんでよ! わたし、間違った事なんて言ってないわ! あなただって本当はそう思ってるでしょう!」
「思っていないから!」

 もし本心であったとしても、それを隠すのが貴族ですものね…………ああ、いけない。わたくしの騎士たちが怒ってますわ。1人は腰に帯びた剣を抜いて、今にも彼女に突きつけそうなほどです。
 仮病を使ってこの場から離れましょう。わたくしとしても、これ以上この場に居たくありませんもの。

「わたくし、少々気分が優れません。申し訳ありませんが下がらせていただきますわ」

 わたくしの騎士、剣を突きつけようとした騎士とは違う騎士がすぐに差し出してくれた手をとり、座っていた上等なイスから立ち上がってさっさと立ち去る事にいたしました。
 立場上の問題でわたくしはみだりに頭を下げられないのですが、その代わりにこういう時はいつも目礼をしています。ですが今回はいたしません、不快であるとの無言の訴えです。
 罵られて喜ぶような奇特な人間ではありませんから、わたくし。

「――エスメラルド姫!」

 焦ったように呼ばれたので立ち止ってさしあげます。わたくしが足を止めたので、なんだかホッとしてらっしゃるようですけど、甘いですわ。先手を打たせていただきますね。

「謝罪でしたら不要ですわ」

 今は亡き母上様直伝の《氷の微笑》を浮かべながら振り向いてそう言ってさしあげれば、わたくしの騎士たちは溜飲を下げてくれたみたいです。良かったですわ。わたくし、身内の方が大事ですもの。

「では、ごきげんよう」

 今度は呼び止められる事無く部屋を後にできました。
 早く宛がわれた部屋に帰って彼らと、帰りを待ってくれているはずの侍女と共に、お茶にいたしましょうと、そう思いましたのに。あの部屋から廊下に出てしばらく歩いておりますと、無意識に弱音をこぼしてしまいました。

「わたくし、ここでやっていけるのかしら?」
「向こうが態度を改めないのならば、早急に国へお帰りになればよろしいのです。閣下も、何かあればすぐに帰ってくるようにと仰せですし」

 そう即座に、怒りを押し殺したような固い声音で返してくれたのは黒髪に青い瞳の、先ほど剣を突きつけようとした騎士。

「そうね……けれども雨期が終わるまでは帰れませんわ。そのために、わたくしは来たのですもの」
「招いた国として、あの対応はいかがなものかと思いますが」

 これはわたくしの手をとって今もエスコートしてくれている騎士が述べた言葉。

「勘違いだと気付いて下されば嬉しいのですけどね」

 思わず重い溜め息を吐いてしまいますわ。


 **********


 今、エスメラルドが居る国は彼女が生まれ育った国であるロータスではなく、雨期の水害に悩む友好国ウォードだった。今年の雨期は特に酷い水害が起こるとウォードの神官が守り神からお告げを受け、水の大精霊からの守護を受けるエスメラルドの滞在をロータスに強く願ったために、彼女はここに居るのだった。

 この世界において精霊の守護を受ける人間は、その精霊の属性に関する事象を安定させる能力があり、大精霊ともなれば1国全体に影響をもたらし、エスメラルド1人が居れば水不足に悩む国には雨を、水害に悩む国には適切な雨量を、どちらでもなければ過不足のない雨の恵みが約束されるからだ。

「なんですの、その女は!? 一貴族の娘でしかない者が王家に連なる血筋の姫を侮辱するなど、正気を疑いますわ! エスメル様は国賓ですのよ!」

 下品にならないぎりぎりの声量で怒りの言葉を並べたてたのは、エスメラルドの友人であり侍女でもあるプリシラ。エスメラルドと同い年であるプリシラは、自分が傍を離れていた間に起こった信じがたい一連の出来事を聞かされて、普段は魅力的な笑顔で彩られている事の多い、どこか小動物的な愛らしさを彷彿とさせる美貌を、エスメラルドを罵った見知らぬ少女への怒りで目を吊り上げて憤りをあらわにしていた。

「それを理解していないからこその暴言だろう」

 そう言うのはエスメラルドの専任護衛騎士であり、プリシラの実兄であるジークフリート。こちらも静かな怒りによって理知的で整った容貌を固くさせている。
 彼はエスメラルドが先ほど挨拶に出向いた先へと同行した騎士の1人であり、エスメラルドがあと少し行動を起こすのが遅ければ、暴言を吐いた少女の喉元に剣先を突きつけようとした騎士でもある。
 剣を捧げた主であるエスメラルドへの謂われ無い言葉の数々は、彼にとって許しがたいものだった。

「この学校内において身分は意味がないそうですから、わたくしが大公家の娘である事も、ウォードの国賓として招かれ滞在する事も、意味のない事として考えているのではないかしら? あの方は」

 プリシラが淹れてくれた薫り高い紅茶を飲みながらエスメラルドは言う。

「……やっぱり、プリシラが淹れてくれるお茶は美味しいわね」

 色で目を、薫りで鼻を、味で舌を愉しませてくれる美味しく淹れられた紅茶は、初対面の少女から悪意ある言葉をぶつけられて沈んでいたエスメラルドの気分を見事に浮上させてくれた。
 安らいだ表情でエスメラルドから褒め言葉をかけられたプリシラは満面の笑みでその言葉を受け取るが、次の瞬間には顔をしかめて暴言少女へ向けて非難の言葉を吐く。

「光栄ですわ――ですが、エスメル様がこの学校の生徒となるのは休み明けである明後日からではございませんか。今はこの学校のルールは適用されませんし、適用後でも初対面の方にそんな言葉をぶつけるなど有り得ませんわ、品性を疑います」

 兄のジークフリート同様に、エスメルに生涯の忠誠を誓い大事な主として、また友として慕うプリシラには我慢ならない出来事である。

「助けを求めてエスメル様の来訪を願ったのはウォードの方々ではありませんか。この学び舎は王族の方もお通いになる所なのですから、エスメル様がいらした理由は周知されておりますでしょうに、そんな真似をなさるなんて……そしてそんな事をしでかす者がその場に居る事を許すなど、その場にいらした方々も信用できませんわ。お兄様、エスメル様をお守りくださいましね、わたしもエスメル様のお側を離れませんけれども」
「無論だ」

 そう、エスメラルドたちが居るのは迎賓館や王城の一室などではなく、ウォードが誇る王立学校の広大な敷地内に併設された寮の部屋だった。

 寮といってもエスメラルドに宛がわれたのは大多数の生徒が共同生活を送る一般寮ではなく、王族クラスや特殊な事情で護衛を必要とする特別な生徒が住まう特別寮。
 複数あるその特別寮は貴族の感覚でいうと小さいが、庶民の感覚でいえば充分に大きい、それぞれ趣の異なる一戸建ての瀟洒な洋館であり、そこへプリシラとジークフリート、もう1人の専任護衛騎士に、エスメラルドの父である大公が傍仕えとして選んだエスメラルドと同年代の少年少女数名が一緒に住まえる館である。

 3人はプリシラがエスメラルドの傍を離れていた間に整えた、館の中で1番上等な部屋であるエスメラルドの私室にて同じテーブルについて紅茶を味わっていた。
 人目のある場所では主と従者の姿勢を崩さない3人であるが、私的な空間ではこうして気安くお茶を楽しむ関係である。ただ、兄妹のエスメラルドへ向ける敬愛の念が深いために「エスメル」と愛称で呼んではくれても、様付けと敬語が取れないのはエスメラルドのささやかな不満であった。

「そういえばあの方、生徒会の方ではないようでしたけど、なぜいらしたのかしら?」
「補佐の方ではありませんの?」

 ウォードへの滞在が決まってから、エスメラルドたちはウォードの国内情勢や滞在先となる王立学校の情報を集めて頭に入れてあるのだが、現生徒会は男性だけで組織されており、エスメラルドが今日赴いた生徒会室には一般生徒は立ち入れないはずなので、生徒会の仕事を補佐する者だと思うのが普通である。

 だがプリシラのこの考えは彼女の兄によって否定される。

「補佐の証である徽章きしょうが無かったから違う。一般生徒だ」
「……あちらには、エスメル様がご挨拶に赴くと前もってお伝えしていましたよね?」
「ええ。なのでわたくし、お伝えした時間を間違えたのかと思いましたわね」
「時間に間違えはございません。もちろんエスメル様の来訪が早すぎたのでも、遅すぎたのでもありません。常識と照らし合わせて考えますと、丁度いい時間で訪ねました」

 主であるエスメラルドが恥をかく事のないようにと、プリシラたち仕える者がその辺は念入りに確認しているので万が一にも間違う事はない。

「それなのに、その女は居ましたの?」
「居た。ついでに言うならエスメル様が入室されて用件を告げたにもかかわらず、その女は一向に立ち去る様子がなく、それとなく生徒会の人間に退室を促されたのにも気付かない様子だった」

 見かねたエスメラルドが助け舟を出して少女の在室を許したのだが、その結果があの暴言である。

「……一応、生徒会の方はその女を外に出そうとなさいましたのね……」
「本気かは分からないが」
「どういう事ですの?」
「生徒会の人間はその女に対して強く出なかった。その気があれば命じてでも退室させるだろう」

 それなのにしなかったのだ。
 これを聞いたプリシラは、兄と揃いの青い瞳を冷たく温度のないものに変え、見た者に鳥肌を立たせるような寒々しい笑顔を浮かべた。初めて見る者は必ず凍りつくと評されるこの笑みは、彼女の温かみのある淡いゴールドベージュの髪が冷気に見えてくるという。

「……それがウォードの、ロータスに対する扱いですのね……馬鹿にしてらっしゃるわ」

 最後の一言は普段の声よりも数段低くて温度のない声で吐かれた。心の中にあるプリシラの敵リストに、まだ見ぬ生徒会の人間が記入された瞬間である。なお、暴言少女はとっくに記入済みだ。

「そう思ったのはお前だけではないよ……今ラルフが理事長の元へ抗議に行っている」

 宥めるようにジークフリートから言われた内容に、それまで浮かべていた氷点下の笑みから一転、キラキラと目を輝かせ、抑えているが興奮した様子でプリシラはエスメラルドのもう1人の専任護衛騎士であるラルフォードを称賛する。

「さすがですわ! ラルフ様でしたら、わたしやお兄様の分まで言葉を並べてこの無念さを晴らして下さいますわね!」

 ラルフォードという騎士は、見た目温和で穏やかそうな人物で普段はそのままの人柄ではあるが、兄妹同様に生涯の忠誠をエスメラルドに誓うラルフォードは、ことエスメラルドに関する事には容赦がない。虫も殺さぬような顔で相手を徹底的に追い詰めて地に這いつくばらせるのがラルフォードであり、それゆえにプリシラとジークフリートから絶大な信頼をされている。
 それゆえにジークフリートはエスメラルドの護衛の途中でありながら、生徒会室からの帰路で別れたラルフォードを実にイイ笑顔で見送ったのだ、彼が何のために離れたのか聞かなくても分かっていたから。

 エスメラルドは『気高き孤高の花』とたとえられる所以である隙のない、凛とした麗しい顔を柔和に笑み崩して兄妹に「ありがとう」と告げる。

「……本当に、あなた達が共に来てくれて良かったわ。心強いもの」
「わたしたち兄妹は、エスメル様の赴かれる場所でしたら何処へでもご一緒しますわ」
「何処へなりとでもお連れ下さい。ラルフも同じ気持ちでしょう」

 兄妹がエスメラルドを見つめる目は綺麗に澄んでいて、力強い輝きを宿していた。
 兄妹は誓ったのだ。自らの命を危険にさらしながらも自分達を、自分達の故郷に住まう人々を救ってくれたエスメラルドに――。

 生涯の忠誠を。
 自分の命に変えても守り、仕える事を。

 そのために兄妹は血の滲むような努力をして、王家の血筋に連なる姫である上に大精霊の加護を受けた事によって、容易には手の届かぬ場所へと居る事となったエスメラルドの傍まで上がってきたのだから。

 兄妹はイスから立ち上がり、片手を胸に当ててエスメラルドの前に膝をつきこうべを垂れる。

「わたし、プリシラ・イルシェ・レザンの忠誠はエスメラルド様に。生涯の忠孝を我が君へ」
「私、ジークフリート・アルス・レザンの忠誠はエスメラルド様に。つるぎの誓いは生涯変わる事なく我が君へ」

 エスメラルドは腰かけていたイスから離れ、兄妹の前に立つ。

「顔をお上げなさいプリシラ、ジークフリート。2人の忠誠はわたくしの中に」

 しゃがみこんだエスメラルドは両手を、顔を上げた兄妹に差し出す。

「手を」

 促された兄妹は押し戴くようにしてエスメラルドの手をとった。

「わたくしの信頼をあなた方に。あなた方の誇れる主として、わたくしはあり続けましょう」

 それは在りし日の再現。
 侍女として、騎士として、その主として再び出会った日の誓い。立場ゆえに孤独だったエスメラルドが、かけがえのない友を得た日である。

 誰からともなく3人は声を出して笑い出した。何か明確な理由がある訳ではないのだが、おかしくて堪らなかったのだ。
 ひとしきり笑った3人はおもむろに立ち上がる。

「わたしはおもてなしの準備をしてまいります」
「いらっしゃるかしら?」
「これで来ないのならばそれまでです。都から離れた離宮を借り受けて、そこへ移りましょう? もともとこの学校への短期留学はウォードの方々が強く勧めたのですもの、あちらに落ち度がありますのにそれを詫びず、非礼を改めないのならば遠慮はいりませんし、文句も言わせませんわ。ねえ、お兄様?」

 プリシラが自身よりも頭2つ分、背の高いジークフリートを見上げながら問いかければ、彼は頷いてプリシラに同意する。

「ですが、ラルフの非難を無視できるような胆力のある御仁がそうそう居るとも思えませんので、間違いなく来るでしょう」

 その言葉を受けてエスメラルドはここにいない、月光を凝縮したような淡い金髪に、ヘイゼル色の瞳をした騎士の姿を思い浮かべる。それは笑顔でばっちり相手を追い詰めている姿だった。

「……そうね、そうよね。ラルフですものね」

 それだけでなく、外交的な事も考えれば形だけでも謝罪しに来ないと色々とマズい事になりかねないのでまともな思考回路を持っていれば来るだろう。

「私は他の騎士たちから、あの女についての情報を聞いてきます。そろそろ集め終わったでしょうから」

 普段エスメラルドについている専任の護衛騎士はジークフリードとラルフォードだけだが、今回は友好国とはいえ他国に赴くエスメラルドのために、父親にして王国軍元帥のセルリード大公が自身直属から学校という場所柄にいてもおかしくない年頃の精鋭たちをつけられていて、その指揮権が2人に与えられており、ジークフリートは彼らに頼んでエスメラルドへ暴言を吐いた少女と、生徒会の人間についてのより詳しい調査をすぐさましてもらっていたのだ。

「あとでわたくしにも教えて下さいね」
「はい。少しの間お傍を離れますが、扉の前にはジェイクが控えておりますので」
「こちらもメイリ―が居てくれますわ。何かありましたらお呼び下さいませ」

 一礼して兄妹は下がっていった。

 その後、ラルフォードによる笑顔の苦情によって精神力をガリガリと削られた気の弱そうな理事長が、顔面蒼白になりながら予想通り謝罪に訪れたが、そこで出迎えたプリシラの刺々しい笑みによって心をザクザクと突き刺され、現れたエスメラルドの背後に控えるジークフリートから絶対零度の視線を向けられて大いに胃を痛めた所で、エスメラルドからかけられた寛大な言葉を、天の助けと言わんばかりに感謝して帰っていった。
 最後には泣きが入っていて、女神を崇めるがごとき様相になっていた事に、エスメラルドは心の中でドン引きしていた。

「……ラルフ」
「何でしょう、我が君」
「どれだけ脅かして(おどかして)きたのです?」
「いえいえ、私は脅してなどおりません。ただ思いの丈を言葉にしてご説明して差し上げただけです」

 清々しいほど爽やかな笑みを浮かべてのたまう騎士であった。


 **********


「ごきげんよう、エスメラルド様、プリシラ様、ジークフリート様、ラルフォード様」
「ごきげんよう、皆様」
「ごきげんよう」

 道行くわたくし達に気付いた皆様が、午後の陽気にふさわしい穏やかな笑顔を浮かべて挨拶をして下さいます。
  皆様ごきげんよう、転生者のエスメラルドです。

 あの暴言少女事件から早くも1か月ほどが経ちましたが、わたくし達ロータス王国一行は今も王立学校に滞在しております。と言いますのも、この学校の方々はわたくし達の来訪、留学と表現すべきでしょうか? 留学を歓迎して下さっているのです。
 あの日、あの生徒会室に居た少女だけが例外だったようです。今も――。

「何よ、あんなにぞろぞろと取り巻きを連れて感じ悪い。みんなも媚びる事ないのに」

 とまあ、こんな風に聞こえよがしに悪口を言ってこられるのですけど……ご本人がスタスタと早足で歩き去ると決まって――。

「も、申し訳ありません!」
「せっかく来ていただいていますのに、ユリエラさんが御不快な事ばかりおっしゃって……」
「いつも、いつも本当に申し訳ありません」

 こうして傍にいらっしゃる方々が、わたくし達が可哀想に思えるほど懸命に頭を下げて謝ってこられるのです。
 最初は静かに怒りの炎を燃やしていたプリシラ達も今では、いちいち相手にするのが馬鹿らしくなったのか、表面上は軽蔑の眼差しを向けるだけで、あの方がなさる言動の尻拭いに奔走する生徒の方々に同情的になっています。

「皆様のお気持ちはこのエスメラルド、充分に分かっているつもりです。お気になさらないで下さいまし」

 毎日毎日、飽きもせずにああして嫌味を言われるのは気が滅入りますけれど、あの方の言葉は心に響きませんから気にしていないのです。騒音と同じ扱いですから、皆様がお顔を曇らせる必要はないのですよ。

「ありがとうございます、エスメラルド様」
「エスメラルド様がこのようにお優しい方で、わたしたち生徒一同、感謝の念がたえません。ですけれど、ああしたユリエラさんの姿をお見かけする度に、わたしたち、恥ずかしくて……」
「表だって注意する事も出来ず、こうして謝罪する他にありませんし……」

 罪悪感と羞恥心で彼女たちは顔を赤くしていたり、目尻に涙を溜めていたり、悔しさに歯を食いしばっていたりと様々ですけど、本当に気の毒でなりません。

「そのお気持ちだけで、わたくしはとても嬉しいですわ」
「わたし共としましても、あの方だけが例外であると認識しておりますもの。気に病み過ぎて危ない橋を渡るような事は控えて下さいね。あなた方に何かありましたら、エスメル様もわたしも、哀しいですわ」

 初対面のわたくしに暴言を吐かれたあの方、ユリエラ・ハノンスイール・ラジエルスというお名前だとジークが教えてくれたのですが、お立場が特殊でいらっしゃるから下手に騒ぎますと彼女たちが危険になりそうなのです。

「さあ、憂い顔は終わりにいたしましょう。笑顔のほうが皆様にはお似合いですわ」
「……はい、エスメラルド様」
「あの、厚かましいのですけど、またサロンにお邪魔させて頂いても構いませんか?」

 こちらの学校では、校内の有力な生徒はサロンをひらくのが伝統なのだそうです。社交の場として交友関係を広めるのが目的なのだとか。なのでわたくしもサロンをひらいて多くの生徒と交友を持つようにと、理事長先生から言われましたので、週に1日だけひらいてます……あれは懇願に近かったような気もしますけれど。

「ええ、どうぞいらして下さいな。わたくし、こうして学校に通うのは初めてですから、皆様とお話しできますのは楽しみですの」
「エスメル様は今までご自由にお外へ出るのもままなりませんでしたものね」

 そうなのです。わたくしは大公令嬢として護られる側でしたし、王家に連なる姫としての教育に大精霊の守護を受ける人間としての修行も積まねばならなくて、忙しい日々を送っていましたから気にする暇もありませんでしたが、プリシラが傍仕えとして上がってくる13歳まで友のいない孤独な人間でした。

 それにも気付かず修行と勉強に明け暮れていた昔を振り返りますと、視界が滲んできますわ……。

「次にサロンをひらくのは明後日だったかしら?」
「そうですわ」
「楽しみですこと。いろいろとお話しを聞かせて下さいね?」
「はい!」

 笑顔になってくれた彼女たちを見送り、わたくしたちも止めてしまった足を再び動かします。

「……こうした他愛無い日々も、もうすぐ終わってしまいますのね」
「そうですわね。最初はどうなる事かと思いましたけど、時間が経つのは早いものですね」

 こうしてわたくしが学校に通えるのも、あと少しだけです。もうすぐウォードの雨期は終わりますから、わたくしが滞在する理由も無くなるのです。

 前世の記憶があるからか、わたくしの精神年齢は同年代の方よりも高いようで、話しが合うか心配でしたけれど、こちらの世界の方は早熟でしっかりなさってる方が多く、わたくしの心配は杞憂に終わりましたし、今生では初めて通う学校は王侯貴族の子女たちが通う学び舎ですから、記憶にある前世の学校とは違う所も多くて驚かされる事も多々ありましたけれど、新鮮でありながらも懐かしく、毎日を楽しく過ごさせていただいております。

「ウォード上層部の思惑は台無しになったようですけどね」

 あらあら、声が嬉しそうですわね、ラルフ。

「すでに『ハノンスイール』の名を与えられている者がいるのに欲を出すからだ」

 ジークの声は呆れが混ざっていますわね、それも仕方の無い事ですけど。
 わたくしに暴言を吐かれたあの方が名に持つ、『ハノンスイール』は未来の王妃候補に贈られる名なのです。

 初代ウォード国王から数えて5代目になる王の時代に国が傾きかけた事があったそうで、その時の王妃様が難題を抱える国王陛下を影に日向に支え続け、時には助け、そうでありながら出しゃばらず、常に夫たる国王陛下をたてて国を持ち直させる事に成功させたという、今もウォード国内で語り継がれる賢王妃として名高い才女、ハノンスイール妃殿下にあやかり、代々の王太子殿下が心に決めた女性に贈る慣わしが生まれたのだとか。

 『未来の王妃よ、彼女のようであれ』との願いが込められているんでしょうね。

 わたくしが今回この学校に滞在する事になったのは簡単に言ってしまいますと、ウォード上層部が『自国の王太子とわたくしの仲を深めて嫁いできてもらおう作戦』なるものを考えたせいなのです。

 雨期の水害に悩むウォードとしては、水の大精霊からの守護を受けるわたくしは喉から手が出るほど欲しいのでしょう。自分で言うのもアレですが、わたくしは身分も血統も最高クラスでありながら未だに婚約者を持たず、守護持ちでありながら、国内での王位争いが起きぬようにと、産まれる前から他国に出される事が決まっていた優良物件ですから。

 そこへ父上様が「せっかくだからこれを利用して普通の令嬢らしい体験をしてきなさい」とおっしゃて下さったのです。わたくしの行動範囲は防犯上の都合で狭いものでしたし、たまに国内で水害が起こりそうな場所へは、民の不安を取り除いて心を慰める為に大勢の護衛付きで赴く事もございましたけど、そこでも自由に歩き回る事は出来ませんでしたから、父上様は気に病んでおられたようなのです。

 前世のわたくしは『引きこもりニート』でしたから、行動範囲が狭くとも全く気にならなかったのですけど、父上様の優しい親心には感謝いたします。ありがとうございます、父上様。おかげ様でエスメラルドは日々を楽しんでおりますわ。

 そうそう、父上様はこうもおっしゃっていました。「そのついでに婚姻を結ぶ相手に相応しいか見てきなさい」と。わたくしの婚姻は立場上の理由から国の利益が絡んだものとなりますが、父上様も陛下であらせられる伯父上様も、候補を何人か挙げられましたけど、その方々の中からわたくしが気に入った方の元へ嫁げばいいと、最終的な決定権はわたくしに与えて下さっいるのです。

 ウォードの王太子殿下も候補の1人でしたが、すでに『ハノンスイール』の名を持つ方がいらっしゃるのですから割って入るような無粋な真似はいたしたくありませんし、いたそうとも思いませんから選択肢から即刻除外いたしました。なので王太子殿下が所属していらっしゃる生徒会の方々とも距離を置かせていただいております。ウォード上層部の「王太子がダメならそっちで!」という考えが透けて見えるように、高位貴族の跡取り方ばかりが生徒会に名を連ねておいでですし、何より『あの方』が近くにおいでなのですもの。『仲良く』は無理です。

 そのような理由から目下の所、わたくしは学校生活を楽しむだけになっております。
 今日はある方のサロンに招かれておりまして、プリシラたちを連れて向かっている最中でしたの。その方のサロンは何種類もの薔薇を育てている温室にてひらかれていらっしゃるそうで、今が見頃だからとお誘いいただいたのですが……ああ、見えてまいりましたわ。

 全面ガラス張りの16角形をした温室はそれなりの大きさがあります。屋根は錘状になっていて先端には鳥を模した飾りがついており、使われているガラスには魔法で特殊な加工が施されているそうで、衝撃にも強くて汚れにくいのだとか。それに透明度の高いガラスですから、中で咲き誇っている色とりどりの薔薇たちが少し離れたこの場所からでも見る事ができ、それが目隠しにもなっております。

 温室に近付きますと、辺り一面に優雅な薔薇の香りが漂っています。見れば温室上部のガラスが開閉できるようになっていて、開けられたそこから外へと香りが流れ出てきているようです。ここまで香りが広がるのならば、温室の中には強い香りが充満しているのでは? と心配になってしまいましたわ。強すぎる香りは気分を悪くさせてしまいますから……。

 中へ入るためにジークが温室の入り口を開けてくれますと、その瞬間は濃厚な薔薇の芳香が広がりましたが、それは予想に反してすぐに落ち着きました。中に足を踏み入れてみれば、そこは懸念したほど強い香りはせず、逆にほど良く香ってくる上品な匂いが気分を安らげてくれます。不思議に思って薔薇たちに目を向けてみますと、香りがきつくならないように考慮されているのか、植えられている薔薇たちは香りが強くない品種の物が多いと気付きました。

「……なるほど、風魔法で空気を循環させているのですね」

 感心した風情で呟くラルフが、温室内で目のつきにくい場所に魔法陣が描かれているのだと教えてくれました。薔薇をより楽しむための趣向が施されている温室のようです。
 そして何より、眼前に咲き誇る薔薇たちの美しさが格別なのです!

「見事な薔薇たちですわね! エスメル様」
「ええ、本当に」

 とても丁寧にお世話されているのがよく分かります。目に見える範囲の薔薇たちはどれも瑞々しく生気に満ちていて、型崩れや、萎れていたり変色していたりするものは1輪もありません。葉の緑との対比も美しいですわ。

「エスメル様、あちらにアイリーン嬢がおいでです」

 花に見惚れていたわたくしにジークがそっと教えてくれました。教えられた方向に目を向けますと、わたくしを招いて下さったアイリーン様、わたくしは愛称であるアイリー様とお呼びしていますが、そのお姿が見えます。ジークに短く礼を告げてから、気持ち早足でアイリー様の元へと向かいますと、途中でわたくし達に気がつかれたアイリー様も笑顔でこちらに歩み寄ってきて出迎えて下さいました。

「ごきげんよう、アイリー様」
「ごきげんよう、エスメル様、皆様。いらして下さって嬉しいですわ」

 ウォード王国貴族、公爵令嬢アイリーン様。
 大輪の赤い薔薇が誰よりもお似合いになる方で、豪奢な金の巻き毛は長く、自信に満ちた華やかな美貌は見る者を圧倒させてしまう迫力がございますが、お話ししてみますと存外にも親しみやすい方です。
 歯に衣着せぬ物言いをなさるので苦手に思われる方も多いようですけど、喜怒哀楽を隠すことなくコロコロ表情を変化させながら、森の色を宿した瞳を輝かせてわたくし相手にも物怖じせずに接して下さるアイリー様とは得がたい友人になれましたの。なのでわたくし達はお互いを愛称で呼び合っています。

「こちらこそ、お招きありがとう。これほど見事な薔薇たちを目に出来て眼福ですわ。おもわず見惚れてしまいましたもの」
「それは良かったわ! ここの薔薇たちは、あたくしが育てておりますのよ。皆さんに手伝ってもらいながら」

 眩い笑顔を浮かべていらっしゃるアイリー様の後ろには、いつの間にか、サロンに集まっていた10人に満たない方々がお揃いになられていて、ご挨拶いただきました。ごきげんよう。

「皆様でこれだけの薔薇を?」
「ええ。大変ですけれど、やってみますと楽しいんですの。特に美しく花を咲かせてくれた時の達成感はやみつきですわ」
「フフ、本当ですよね。愛情をかけて育てますと、その分だけ美しく咲いてくれますの」
「それを見ますと今までの苦労が報われたようで、次はもっと綺麗に咲かせたくなるんです」
「あたくし達は薔薇栽培の虜ですの」

 心からそう思っているのが伝わってきますわ。皆様のお顔は充足感に満ちて、非常にイキイキとされていますもの。

「今日はエスメル様たちと、ここに居る普段からあたくしと親しい皆さんだけですから、ごゆっくりなさってね」
「まあ! この素敵な薔薇たちを独占させていただけますの?」
「もちろんですわ! そのために今日はお招きしたんですもの。エスメル様にあたくし達自慢の薔薇たちを是非とも観ていただきたかったんですの。さあ、こちらに来てくださいな」

 アイリー様に案内された先にはお茶の準備がされたテーブルがございました。
 それぞれが席につきますと、給仕役を務めて下さる方たちがすぐに、紅茶のそそがれたティーカップを運んできて下さり、テーブルの上にはスコーンやクッキー、数種類のケーキにサンドイッチなどが並び、その中でも薔薇の花を模した焼き菓子がわたくしの目を惹きました。

「アイリー様、こちらのお菓子は何ですの? とても可愛らしいですわ」
「そちらは薔薇の花びらを混ぜて焼いたマドレーヌですのよ、召し上がってみて下さいな。まるで香りを食べているように感じますの。せっかくですから型も特別に作っていただいて、形にもこだわってみたんですの」

 すすめられるままに一口分を口に運んで咀嚼しますと、薔薇の華やかな香りが鼻からぬけていき、アイリー様がおっしゃった「香りを食べる」という意味がよく分かりましたわ。ストレートの紅茶に合うお菓子です。

「――まあ! 薔薇そのものを食べているみたいですわ」
「ウフフ、狙い通りですわ。薔薇をジャムにするのはありきたりですから、違う物をと考えて出来たお菓子ですの」

 そこからしばらくは他愛無いお喋りが続きましたが、唐突にアイリー様がそれまでの楽しそうな雰囲気を変えて、悄然とした様子で謝られてきました。

「なぜアイリー様がお謝りになりますの?」
「また今日もユリエラさんが失礼な事を言いましたでしょう?」

 あら、先ほどの事ですか? ここへ来る少し前の事ですのに、どうやってお耳に入れられたのでしょうか? 相変わらず、アイリー様の情報収集能力は素晴らしくていらっしゃいます。

「もうご存知ですの? 気にしていませんから大丈夫ですし、アイリー様がお謝りになる事でもありませんわ」
「いいえ、ウォードの人間としてお詫びしなくては気が済みませんわ。ユリエラさんの態度は限度を超えていますもの、エスメル様が寛大な方だから国の友好に深い溝が出来ずに済んでいますけど、普通だったら即戦争になってましてよ」

 首を左右に振りながらおっしゃるアイリー様は実に悩ましげな表情です。他の皆様も。

「ユリエラさんは『ハノンスイール』の名を持つ者としての自覚が無さすぎるのです」

 もう、どうしようもないという感じのアイリー様が気の毒ですわ。プリシラたちもそう思うのでしょう、向ける眼差しに労わりが籠っています。

 『ハノンスイール』は王妃候補の方に与えられる名です。候補とはいえ9割以上、王太子殿下が王位に就かれる前に急逝されたりといった不測の事態が起きない限り、王妃となる事が確定しているのです。
 あの方がしている事は、国に認められている未来の王妃が友好国の大公令嬢を不当に貶めているという事、ウォードがロータスに喧嘩を売っている事と同義なのです。
 あの方の振る舞いはジークやラルフ、父上様がわたくしにつけて下さった方々を通してロータスも知る所となっており、不愉快さをあらわにしていると聞いております。『友好国』という言葉にはすでに亀裂が生じており、ウォードの対応次第ではその亀裂が大きく、深くなる事でしょう。
 戦争になるのはわたくしも嫌ですから、そうなるのだけは避けて下さるようにと手紙でお願いしておりますけれど、ロータスは今後、ウォードとは距離を取るやもしれません。
 水の大精霊からの守護を受けるわたくしは、国内で大事にされていますから。

「確かに、あの方の言動は軽率であると言わざるをえませんわね……サロンもひらかれていないのでしょう? あの方は」

 ジークが頼んで『あの方』についての情報を騎士たちが集めてきて下ったのですけど、これもその内の1つです。『ハノンスイール』の名を持つ者でありながら、あの方は1度もサロンをひらいた事がないのだそうです。

「そうなんですのよ。学校側からも言われていますのに、いっこうに聞く耳を持ってくれませんの。逆にサロンをひらく者に対して批判されますし」
「学校から出されている費用はどうされているんです?」

 サロンをひらく方に対して学校は一定額の資金を与えるのです。基本的にはそれを使って準備をするのですけど……あの方は、サロンをひらいていらっしゃらないにもかかわらず、資金を学校側に返還しているご様子も無いのだとか。

「孤児院などに全額寄付されていますのよ」
「…………ご立派なお心がけですわね……」

 ちらりとプリシラたちを見てみましたら、上手に隠していますけど、笑顔が引き攣っていますわ。

 寄付が悪いのではありません、その行為は尊いものでしょう。なれど、それにサロンの資金をあてているのが褒められた事ではないのです。サロンをひらく事は教育の一環であり、そのために学校側が捻出している支度金をそれ以外の用途に使うなど許されない行為だからです。
 それにこの事から、あの方がサロンの重要性を全く理解しておられない事を示しています……。

 サロンは社交の場です。

 人が多く集えば、そこには色んな話題が飛び交うのです。どこの誰と誰が婚約したのかで貴族の派閥関係が、何が流行しているかなどで市場価格の変動を、その家のご婦人や令嬢の機嫌の良し悪しからでもある程度のお家事情を知れますのに。
 この世界は自分から行動しなくては情報を得られません。記憶にある前世の世界は何もせずとも、その場に居るだけで様々な情報が簡単に入手できましたけど、この世界でその姿勢でいましたら、あっという間に世間知らずになってしまうのです。
 なのでわたくしも回数は少ないですが、父上様が同伴して下さる陛下主催の夜会や、祖母にあたる王太后様、伯母上様でもある王妃様、最近では従兄いとこが結婚したので王太子妃となられた方も招いて下さるお茶会には出席していましたし、プリシラたちが情報を集めてわたくしに持ってきてくれているので、いざという時に困らずにすんでいます。

「あの方、何か特別な情報網をお持ちですの?」
「いいえ、まったく」
「……という事は、エスメル様に対する暴言は何の根拠もない、ただの思い込みですか……」

 絶対零度の微笑みでラルフが放ったこの言葉でプリシラも寒気のする笑顔になりますし、ジークは視線が鋭くなってしまいした。アイリー様のご友人方が怯えていらっしゃるからお控えなさい、と眼だけで伝えますと、すぐに抑え込んでくれます。

「本当にごめんなさいね……ですからあたくし達、いいえ、学校の全生徒が申し訳なさでいっぱいですの。何度謝っても足りないくらいですわ」

 それが理由で皆様のお顔が日を追うごとに、沈痛な面持ちになっていたのですか……。

「だいたいユリエラさんは、ご自分でお立場を悪くされていますのに、それにも気付いていらっしゃらないんですのよ!」
「……ご自分が子爵令嬢だから、そうお思いなのですよね」

 これも騎士たちが集めてくれた情報なのですが、あの方、あまり評判が良くないのです。
 本来、王太子の正妃となる方は最低でもご実家が伯爵位をお持ちの方が望ましいのですが、あの方のご実家は子爵位で、政からも遠のいて久しいお家だそうです。それ故に周囲から認められないのだと考えておいでのようですが、真実は違います。

「ラジエルスのお家は今でこそ落ちぶれて子爵位ですけど、建国時から現存する数少ない貴族ですのよ!
かつては侯爵位を賜っていましたし、ユリエラさん自身は風の高位精霊の加護を受けておいでなのですもの、正しい振る舞いをなさっていれば祝福されたでしょうにっ!」

 アイリー様の憤りも尤もですわ。
 精霊の序列は下位、中位、高位、大とあり、その上に人間界へ一切干渉しない精霊王が存在しますが、あの方は人と接触する精霊の中で2番目に強い力を持つ精霊からの『加護』を受けておいでなのです。

 『加護』と『守護』の違いですが、わたくしが受ける『守護』とは精霊が常に傍近くにおり、わたくしを守るための力を常時張り巡らせてくれているもので、願えば自然界の事象に干渉して安定させてくれます。
 『加護』とは精霊が傍におらず、力の一部を貸し与えられる事によって、威力は精霊の位に依存しますが、強力な属性魔法を行使できるようになるものです。事象に干渉する力はありませんけれど、加護持ちの方は魔力の強い子供を産めますので、身分の貴賤を問わず歓迎されるのです。

 あの方の家格は低いですが、お家には伝統があり血筋も問題にはならないでしょう。建国時には侯爵位を賜っていたお家なのですから。そこへ風の高位精霊からの加護持ちであるという事が加味されれば、周囲から反対の声はそれほど上がらなかったはずなのです。

「長く政から離れていたラジエルスのユリエラさんが王室での立場を盤石なものとする為には、有力貴族からの後見を受けるのが1番ですのよ。その為にもサロンをひらいて人脈を作るべき時ですのに、それをご本人が理解せず、否定しているんですもの。評価が良くなるはずがありませんわ!」

 よほど溜め込んでいらしたのか、アイリー様の鬱憤とも言える嘆きは続きます。

「しかも! ユリエラさん、寄付といってもお金をそのまま渡すだけなんですのよ! 信じられます!?」
「着服するのも馬鹿馬鹿しい額……では無いようですね」

 ジーク、声に呆れが滲んでおりますわ。気持ちは分かりますが、堪えて下さいな。
 大金をそのまま寄付しますと、心無い者が自分の懐に入れて金額を誤魔化そうとするのです。それを防ぐ為にも少額をこまめに寄付するか、物に変えて贈る方が良いのです。我が大公家では食糧や衣服、勉強道具か本などを贈っておりますもの。

「まさかとは思いますが、アイリーン様。寄付をしている孤児院は決まった所にだけだったりします?」
「そのまさかですわ、プリシラさん。ウォード国内に何か所の孤児院があると思っているのでしょうね、ユリエラさんは……」

 はからずとも全員が揃って溜め息を吐いてしまいました。こういった理由から不満が高まり、あの方の評判を悪くしているのです。

「アイリー様。あの方は王妃……いえ、その前に王太子妃となる為の教育は始まっていないのですか?」

 受けていれば行動は改善されていくはずなのですけど……。

「それが……ユリエラさんに『ハノンスイール』の名が与えられたのは、王太子殿下、シャルル様の独断なんですの」
「独断?」
「我が国の上層部がシャルル様とエスメル様の仲を近づけようとした事は、分かっておいでですよね?」
「ええ、まあ」

 あからさまでしたからね。

「それを知ったシャルル様が焦られたようで、勝手に与えてしまいましたの。ユリエラさんの言動は学校を通して王室にも伝わっていましたから、王太后様が強固に反対されていましたし」

 聞く所によりますと、あの方は王太后様が催されるお茶会にも出席せず、長期休暇を利用して離宮に滞在するよう言われても断ったのだとか。王太后様はその機会に少しずつ王家のしきたりや、王太子妃としての相応しい振る舞いをご教授されようとしたのでしょうね……その思いは無駄になってしまいましたけど。その後、学校から報告されるあの方の言動から「王族の一員になるのは難しい」と判断されて、反対されるようになったそうです。

 『ハノンスイール』の名は国王夫妻の許可を得てから贈るべきものだそうですが、王妃様は王太子殿下が幼い頃に若くしてお亡くなりになられたので、かわりに王太后様の許可を得なくてはならなかったそうですが、王太后様はもとより、国王陛下からもお許しいただけなかったようです。

「シャルル様は、お母様であらせられる王妃様を亡くされた時の悲しみを癒してくれたユリエラさんを失いたくなかったみたいなんですの」

 王太子殿下が心に決めた人はその言動によって国から認められず、そこへ水の大精霊からの守護を受けるわたくしとの仲を深めようとした上層部の企みをお知りになって、浅慮にも『ハノンスイール』名を勝手に与えてしまわれたのですね。
 慣例を破り、立場よりも私情を優先されたその結果が『ハノンスイール』の名を持つ者からの、わたくしに対する暴言になった訳ですから、王太子殿下のお立場も非常に悪くなっているのだとか。
 今回の事は下手をすれば戦争です。国の安全を脅かす原因をお作りになったのですから、当然ですので同情はいたしませんわ。

「もしかして、それが理由でわたくしは悪女と罵られ、現在も続けられているのでしょうか?」
「ありえますわ。あたくしがシャルル様の婚約者候補に挙げられていた頃も、ずいぶんと突っかかられましたもの」

 うんざりとしたご様子のアイリー様に同情いたします。アイリー様は現在、他家の次代公爵様と婚約されているのであの方の口撃から解放されたそうです。本当に良かったですわ。

「最初の頃は諌めようとしましたのよ、あたくしも。ですけれど、あたくしが口を出すと『意地が悪い』と捻くれた解釈をなさるし、シャルル様をはじめとした現生徒会の方々が必要以上にユリエラさんを庇われるから、ご自分の行動を間違ったものだと認識されないんですの。庇われている以上、ご自分は間違ってないと思われるしで、打つ手なしですわ」

 甘やかされたツケですのね……。

「シャルル様も今回が正念場でしょう。判断を間違えれば廃嫡もありえると、父は言っていましたから」




 そろそろ祈りの時間ですから、と暇を告げて帰っていったエスメラルドたちを見送ったアイリーンは、大輪の花のような美貌を物憂げなものに変え、片手を頬に添えて大きく溜め息をついた。

「アイリーン様、エスメラルド様方はご理解下さいましたかしら?」

 1人の少女が心配そうな声音で問いかけると、アイリーンは困ったように笑んだ。

「大丈夫でしょう。エスメル様たちはすでに、あの程度の情報は掴んでおいでのはずだもの。それをルヴェリ公爵家のあたくしから直接聞く事に意味があったのですから」

 アイリーンの父であるルヴェリ公爵は宰相を務めており、アイリーンがわざわざユリエラや王太子の話題を出したのは、ウォードがそれを問題視して深刻にとらえているとアピールするためだった。

 いくらエスメラルドが気にしていないと言っていても、いつまでもそれに甘えてウォードが何もしなければロータスは勿論のこと、他国からも白い眼で見られるだろう。
 エスメラルドが受ける水の大精霊からの守護を欲する国はウォードだけではなく、水不足に悩む国や農業が主産業の国からも同時期にエスメラルドの来訪を願う申し入れがロータスにあった中でウォードが選ばれたのは、ひとえに友好国としての付き合いが他国よりも長い大国だったからなのだ。

 それに胡坐あぐらをかいて、エスメラルドを蔑ろにしている仮の『ハノンスイール』と、彼女を選んだ王太子を放置していれば外交で格好の攻撃材料となる。今でさえ、エスメラルドの来訪を願いながらもウォードの存在によって断られた国からはチクチクと嫌味を言われ、ロータスからは冷たい目で睨まれているのがウォードの現状だった。

「……名誉を保つためにも、シャルル様には賢明なご決断をして欲しいものですわ」

 そのための時間を稼ぐためにアイリーンは、せっかくのエスメラルドとの楽しい時間の最中にあんな無粋な話題を出したのだから。それはルヴェリ公爵から命じられた訳ではない。
 ただ、かつての婚約者候補にして幼馴染への情ゆえであった。

 以前は将来をともにする相手として慕った事もあったが、王太子が母を亡くした事で自分が思うよりも深い悲しみを抱き、傷ついていた事にアイリーンは傍に居ながら気付けなかったのを知った。
 その時に思ったのだ。『自分ではこの王太子の支えになる事は出来ない』と。

 王太子の気持ちに気付いて癒したユリエラの存在を知り、また王太子が彼女に惹かれているのを知ったアイリーンは身を引く事に決め、それを公爵にも伝えて了承してもらったが、当時のユリエラは精霊の加護を受けておらず、立場が弱かった為に候補から降りる事は叶わなかった。
 それでもアイリーンは王太子に決意を伝え、陰ながらユリエラが王太子妃になる為の協力をする事を約束していたのだが、なぜかユリエラに毛嫌いされて敵視されたために、王太子妃として必要な教養を彼女に教授する事ができず、ユリエラの存在を快く思わない女子を抑え、時には諌める事しか出来なかったのはアイリーンにとって誤算だった。

 それでもいつかは、と思っていた。

 いつの日か、理解してくれるのではないかと思ってアイリーンは根気よく王太子妃としての心得を説いていたが、ユリエラはそれを煩わしいものとしか思ってくれず、それを諌めて必要性を説き、諭さなければならなかった王太子は嫌われるのを恐れたのか強く言う事が出来ず、逆にユリエラを庇う有り様で、とうとうアイリーンも匙を投げた。

 自分の行動がユリエラにとって為になっているのかを、よく考えるように忠告した上でアイリーンはこれ以上の協力は不可能だと王太子に告げ、その時にはユリエラが加護持ちになっていたので候補から降ろしてもらい、彼らから距離をとって今まで静観していた。

 だがもう、それも出来ない――ユリエラも王太子も、この2人を諌めず擁護して増長させる原因となっていた生徒会の面々も、許される限度を超えてしまったのだから……。

「――参りましょう」

 決意を宿した力強い瞳で前を見据えて歩くアイリーンの後ろに少女たちが続き、それを、場の後片付けを買って出てくれた3人の少女たちが見送った。

「いってらっしゃいませ、アイリーン様」

 沈黙を保っていた薔薇園ばらそのの主が、今、動き出した。

 『幻のハノンスイール』と陰で惜しまれていた彼女が目指すは、国の縮図ともいえるこの学校の最高権力者たちのもと――。

「せめて、あたくしから引導を渡して差し上げますわ」


 **********


《騎士たちが集めた情報通りでしたわね、お兄様、ラルフ様》

 アイリーンから「つまらない話を聞かせてしまったお詫びに」と、エスメラルドに贈られた白い薔薇の花束を腕に抱えたプリシラは、魔法による『念話』を用いて呆れを滲ませた言葉を、すぐ横に居るジークフリートとラルフォードに届けた。

 今、彼女たちの主であるエスメラルドは3人の背後に聳える教会の中で、ウォードに滞在している本来の目的である『水害を起こさせない』為に水の精霊たちに祈っている最中である。

 水害を発生させないために水を鎮めてくれるようにと、国中に存在する教会を媒介にして隅々までその祈りを行き渡らせているのだ。
 精霊は自分よりも上位の精霊には従う。水の大精霊からの守護を受けるエスメラルドの声に、彼女を護る大精霊の気配を感じ取り、その祈りを精霊たちが聞き届けるのを大精霊が望んでいるのだと判断されれば、国中に存在する水の精霊たちは水に働きかけるのだ。

 祈りの妨げにならないように外で控えている3人は、どこに人目があるか分からない外や、他者に気取られずに意思疎通をはかりたい時にはこうして『念話』を使っていた。

 大公が選び抜いた精鋭の騎士たちは実に優秀だった。先ほどアイリーンが話題にした内容は全て、そしてそれ以上の情報をエスメラルド側は把握していたのだから。

《情報通りすぎて笑えないが》
《王太子の独断専行、それによる非公認の『ハノンスイール』誕生、それ以前からされていた校内での横暴に近い独善的な振る舞い、咎めない生徒会によって崩壊した校内秩序……大多数の生徒には良識が有るのが唯一の救いですかね》

 よくこんな場所にエスメラルドを入れようなどと考えたものだと3人は思う。ウォードの恥部を他国の人間に思いっきり曝しただけであろうに。

《ここは外と隔絶された箱庭でしたから大目に見られていたのでしょうけど、今回の事で王太子の廃嫡は免れませんわ》
《そのせいで後手にまわり、エスメル様には不愉快な環境下に居ていただく破目になってしまいましたからねぇ》
《ああ。今までは醜聞が他国に出回らずに済んでいたから助かっていたものの、もう知れ渡ったからな》

 自国の恥となるような話は徹底的に隠すのが国家というものだ。弱みを見せるのと同義であるのだから。それでも他国が紛れ込ませている間諜(かんちょう=スパイ)によって多少は洩れるものなのだが、今回は学校という場所柄、外部の干渉を一切許さない箱庭世界の出来事であったがゆえに、ロータスは実際に足を踏み入れるまで実情を掴めなかった。

《陛下と閣下はウォードに対して大変ご立腹なさっているそうですから、容赦しないでしょうね》

 ラルフォードの眼がその刹那だけ剣呑なものとなったのに兄妹は気がついたが、何も言わない。

 今回のエスメラルドが滞在する場所としてこの学校が選ばれたのは、エスメラルドを遇し、もてなす事で王太子へ自分の立場と責任の自覚を促し、仮の『ハノンスイール』と距離をとらせて、あわよくば校内の秩序も回復させようとした強欲さゆえの事だろうとプリシラたちは推察していた。
 その目論見は国が思っていた以上に愚かだった仮の『ハノンスイール』と、情けなかった王太子によって破綻し、諸刃の剣となってウォードに返ってくる事になったが。

 ウォードはエスメラルドを利用したのである。
 もしかしたら違うのかもしれないが、ロータスから見ればそうとしか思えないのだ。ジークフリートたちから報告を受けたロータスが「どういうつもりなのか?」という文書を携えた使者を送るまで、ウォードは仮の『ハノンスイール』と王太子の非を国として詫びてこなかったのだから。いかに仮の『ハノンスイール』がウォード非公式の存在であるとはいえ、彼女はウォードの貴族であり、その名を与えた王太子はウォードが認めた国の世継ぎ。責任が無いなどとは言えないはずである。

 ウォードの対処が遅れたのは、王太子と生徒会の面々が権力をかざして学校に口止めさせていたのが原因である事も騎士たちの調べでラルフォードたちは知っていたが、同情するつもりは一切ない。その危険性は少し考えればすぐに分かる事。なのに気骨ある者を理事長職に就けず、秘密の監視役も送り込んでいなかったウォードの手落ちなのだから。

 ちなみに気弱そうだった理事長は過度な精神の負荷に耐えられなくなったのか、胃に穴が開いたとかで治療を受けており、現在はこれまた気弱そうな副理事長が代理として務めているが、理事長と同じ末路を辿るのは時間の問題だろうと言われている。

 ロータスが大事にしているエスメラルドを利用して、王太子の矯正をはかろうとした事はとても許せるものではなく、そして、そんな問題のある王太子を図々しくもエスメラルドの婚約者候補として推してきたウォードを許すつもりはロータスに無かった。

 特にエスメラルドを大事な孫娘と慈しむ王太后、我が子同然に思っている王妃、実妹のように可愛がっている王太子、可愛い妹が出来たようだと喜んで何かと構っている王太子妃の怒りは凄まじかった。その姿を見て、腸が煮えくり返りそうな様子だった国王とセルリード大公が冷静になったほどである。

 ロータスはウォードに比べると国土は狭いが国力にそれ程の差はなく、ウォードに軽んじられる謂われはない。それに、ロータス王家の血筋に連なる姫という事を差し引いても、300年に1人居るかいないかという大精霊の守護を受けるエスメラルドは丁重に扱われて然るべきなのだ。でなければエスメラルドを守護している大精霊の怒りを買いかねないのだから。

 礼を欠いたウォードにはそれ相応の報いを受けさせるべく、ロータスは王太子の醜聞をエスメラルドの来訪を願った国々に伝えている。

 曰く、『古くからの友好を重んじた結果、我が国の姫はかような扱いを受けている』と、そしてすかさず『民を憐れむ姫の願いで連れ戻す事も戦争を起こす事もせずにいるが、これを放置しているウォードは許しがたい』のだと。

 この伝聞にはエスメラルドの母、ロベリアの祖国も嬉々として手を貸していた。こちらの王にとってもエスメラルドは姪であり、歳の離れた妹であるロベリアを可愛がっていた現王にとってエスメラルドは妹の忘れ形見。そのエスメラルドを蔑ろにしている者がいながらウォードが放置していると聞かされては、額に青筋の1つも浮かぼうというもの。

 戦が起こらないよう加減しながら複数の国から着々と圧力をかけて、現在進行形でウォードの胃をロータスは痛めつけていた。

 それを知っていながらも、ラルフォードの怒りは治まらない。ジークフリートとプリシラも同様であり、大公からつけられた傍仕えたちも思いは同じである。
 直接その目で見て、その耳で聞いているからこそ、許せない。
 全員が1度は「こいつ、殴り飛ばしたい」という思いを抱いている。だが、エスメラルドは自分の存在が引き金となって誰かが処罰されたり、戦争が起こる事を酷く怖れる。だからこそエスメラルドは人一倍自分の言動に気を遣い、見ている側が心配になるほどの努力をしている姿を見知っているからこそ、それを台無しにしないためにも彼らは我慢をしているのだが……。


 気に入らない女に陰惨なイジメをしている? ――行動を制限されて自由の少ないエスメル様がどうやってよ!

 男をもてあそんでいる? ――大公令嬢として恥じない教養を身につける事と、大精霊の守護を受ける者としての修行に明け暮れていたエスメル様にそんな暇があるか!

 王の姪だから特別扱い? ――それの何が問題です? その他大勢と一緒にする方が間違っていますし、エスメル様はそれに甘えず誰よりも厳しく己を律していらっしゃいますが?

 冷酷で残虐? ――本当にそうなら今頃は貴様の首は繋がってないわ!

 ぞろぞろと取り巻きを連れている? ――お前みたいな危険人物が居るのにお独りに出来るか! 第一、精霊の守護を受ける者をお独りにする方が非常識だ!

 媚びる必要がない? ――貴様の無礼千万な振る舞いを代わりに詫びているんだろうが!

 勘違いをしているだけ? ――ならば早くそれを正されませ!

 本当は優しくていい子? ――王侯貴族にそんな言葉が通じるか! だいたい、どちらが上位者だと思っている!?

 自分達に免じて見逃してくれ? ――あなた方はエスメル様よりも自分達の方が上だとでも思っているのでしょうか? それに、あなた方にそれだけの価値がおありですか?

 すまない? ――そんな言葉と態度で謝ってるつもりか!? 貴様らは!


 とまあ、こんな感じで怒りは日々蓄積されていくのだ。
 ウォードの顔を立てる為に護衛としてではなく、学友としてエスメラルドの傍に控えている彼らが纏っているのはこの学校の学生服であるので帯剣しておらず、それゆえに「殴る」という選択肢になっているが、もしも剣を帯びていれば、剣先を突きつけての警告くらいはしていただろう。

 だがそれ以上に彼らは、今すぐにでもエスメラルドを国へ連れ帰りたくて仕方なかった。

 大公令嬢として大切に育てられたエスメラルドにとって、面と向かって暴言を吐かれたのは初めての経験であり、あんな見当違いの言葉ではエスメラルドの心が傷つかないのは重々承知しているが、嫌な思いは抱くものだし、毎日毎日、飽きもせずに言われ続けられれば辟易とする。
 精神的に疲れているはずなのだ。

 現にプリシラたち侍女は、エスメラルドの細い腰がさらに細くなって制服のスカートが緩くなってしまっている事を知っている。
 ジークフリートたち騎士はエスメラルドの顎や頬の線が前よりも鋭くなっている事に気付いていた。

 エスメラルドの意に反して強引に連れ帰る事は出来る。エスメラルドの守護を任じられている彼らには、そうする許しが与えられているし、そうする義務がある。そしてそうなった時、エスメラルドが彼らを怒る事はないだろう。ただ困ったように笑って「ごめんなさいね」と言うのだ。

 護ろうとしてくれているのに、決意を変えられなくて……。
 強制行動を取らせなくてはいけないほど、この身を案じさせてしまって……。

 それから「ありがとう」と言うのだ。

 真剣に考えて、護ってくれて『ありがとう』と。たとえ、それが彼女が嫌い、恐れている諍い(いさかい)を引き起こす事に繋がろうとも。

 争い事が嫌いでも、エスメラルドは自分を護ってくれた者を厭う事はしない。
 自分を守るためにその手を血で汚した者を怖がり、非難するような恥知らずな真似はしない。
 汚れてしまった手を、彼女は己の真っ白な両手で包み込み『護ってくれて、ありがとう』と感謝を告げるその姿を、彼らは直接知っているから。

《ウォードはアイリーン様のおかげで命拾いしましたわね》

 気取られぬよう普段通りに過ごしていたが、エスメラルドが今日、アイリーンと話す事が無ければ、彼らは明日にでもエスメラルドをロータスに連れ帰ってしまおうと考えて準備していた。
 これ以上、エスメラルドが疲弊してしまう前に……。

 ――日に日にエスメラルドの祈る時間が長くなってきているのだ。

 ただ祈るだけだと思うのは間違っている。
 守護している精霊と心を通わせて協力を願わなければ、呼びかける祈りの声に守護する精霊の意思がのらず、国中に存在している精霊たちは応えてくれないのだ。
 今、エスメラルドを守護している大精霊は、ウォードのために他の精霊たちに働きかける事を嫌がっている。理由は明白、この国の人間がエスメラルドを貶めて、彼女の憂いとなっているからだった。

 人間だって、自分が大事にしている者に対して否定的な言動をされていれば、その者の為に動きたいなどとは思わないだろう。

 精霊は自らが守護している人間だけが無事であれば、幸せであれば、それで良いと考えている。精霊が守護している者の望みを叶える為に他の精霊たちに働きかけるのは、そうすれば守護している者が喜ぶからという、ただそれだけの理由。
 守護している者に危険が迫れば、精霊は持てる力を総動員してその者を護り、その結果、周囲に甚大な被害が出ようとも、それは精霊にとってはどうでもいい事。
 精霊の『守護』を受けた人間は、精霊と繋がる為に魔力を使っているので、その瞬間から魔法が一切使えなくなり、無防備な状態になってしまうから精霊が護るのだ。

 だからこそ、大精霊の守護を受けているエスメラルドは厳重に護られる。
 大精霊が絶大な力をふるう前に、ジークフリートやラルフォードをはじめとする騎士たちが、彼女に迫る危険や障害を取り除く為に。
 誰もが使える力である魔法が使えないから、エスメラルドの生活を補助をする為にプリシラたち侍女が傍に侍る。

 精霊の守護持ちとなった者は精霊の位によって程度の差こそあるが、身分関係なくこのような待遇を受けるのだ。周囲がその者を大切にしていると精霊が理解すれば、無暗やたらと力をふるわないでくれるから。
 そのかわり、守護を受ける者は心を平穏に保つ特訓を受けて、自分の感情をある程度コントロールする修行が課される。感情を乱すと精霊がそれに呼応して力をふるってしまう事が有るからであり、過去にはそれによって国1つ、丸ごと滅んだという記録があるからだった。

 話を戻して、何故エスメラルドの憂いとなっている者たちの為に力を貸してやらねばならないのだ、とごねる大精霊をエスメラルドは必死に宥めて、訴えかけて、懇願しているから祈りの時間は長くなり、効果も薄くなるので日に1回で済む祈りが、2回、3回と増えてしまっていた。
 精霊との対話は酷く体力を消耗する行為であり、そのために祈りを終えたエスメラルドは疲労の色が濃く、ふらふらの状態になってしまい、それで大精霊の機嫌が悪くなって更にごね、それをエスメラルドが宥めるという悪循環に陥っているという状況もあり、プリシラたちはエスメラルドを連れ帰ろうとしたのだ。

 だが、ここでアイリーンが動いた。

 『幻のハノンスイール』と呼ばれ、今なおその権力が衰えていない彼女が、暗に「王太子は罰される」と告げてきた。

《はたしてウォードはどういう落とし前をつけてくるのでしょうか?》
《ラルフ、声が非常に楽しそうだぞ》
《純粋に楽しみですからね》
《それでこそラルフ様ですわ!》
《ありがとうプリシラ殿。それに、ウォードの動きが早いか、痺れを切らしたロータスが早いか、という所も楽しみなのですよ》
《お前が味方で頼もしい限りだ》


 **********


 わたしはユリエラ。ユリエラ・ハノンスイール・ラジエルス、未来のウォード王妃。
 今でこそラジエルスは子爵家だけど、建国時には侯爵位を賜っていた伝統ある家の娘よ。
 今日は王宮から呼び出されたの。きっと、わたしを認めてくれるっていう話のはずよ! 
 わたしは子爵家の娘だから、これまで王太子シャルルの婚約者として認めてもらえずにいたけれど、寄付とかいっぱいして、王妃として認められるようにしてきたんだもの。間違いないわ!
 だって、ゲームのユリエラは、そうした姿を評価されて婚約者になったんだものね!

 ここはね、前世でわたしが大好きだった乙女ゲームの世界なの!
 信じられないかもしれないけどね、この世界の女神様が事故で死んだわたしをヒロインとして転生させてくれたのよ。特に神様の存在を信じていた訳じゃなかったんだけど、人生そんなに捨てたもんじゃないわよね!

 わたしが覚醒したのは中等科の入学時。ゲームでもそこからスタートだったからちょうど良かったし、この世界の知識は何も知らずにユリエラとして育っていたわたしが蓄えていたのもがちゃんと有って、そこに前世の『わたし』が上書きされた感じだったから戸惑う事無くすんなりと変化を受け入れられたわ。死んだ後に女神様と会話をして転生した経緯も覚えていたからね。

 このゲームをやりこんだわたしにかかれば、攻略対象である生徒会メンバーの心を掴むのなんて簡単だったの。生身で会った生徒会メンバーはやっぱりイケメンでね、タイプが異なるイケメンたちはそれぞれ心に闇を抱えていて、それをヒロインであるユリエラ、つまりわたしが癒していくんだけど、闇を抱える事になった理由も解決法も知っているわたしにとっては問題にならなかったし、無事に風の高位精霊からの加護も得られたから全て順調。
 それでね、贅沢な事だけど相手を1人になんて選べないから逆ハ―ルートにしちゃったんだけど、それも無事に成功したの!

 ああ、でも悪役キャラのアイリーンが親切を装ってわたしに近づいてきたのにはビビッたなぁ。騙されないように精一杯の威嚇をして退けるのが大変だった。アイリーンって悪役だけど美人だから迫力あるし、取り巻きが背後を固めていると威圧感ハンパないんだもの。

 だけど続編である高等部に入ってから登場するもう1人の悪役、エスメラルドなんかもっと最悪なの! こっちはゲームみたいに権力を笠に着て学校に騎士を連れ込んできたし、それってウォードの警備体制が不十分だって言ってるようなものじゃない? なのに聖人面しててさ、我慢できなくて本性を言っちゃって怒られたけど、シャルルたちはわたしの気持ちを分かってくれて最後には許してくれたもの。

 そのエスメラルドは2日前だったかな? ようやくウォードからの非難を受けたロータスから迎えが来て、連れ帰られて行ったわ。その時ちらっと様子を見たけれど、青白い顔をしていたからゲーム通りに国から罰されて修道院に入れられるんだわ。いい気味!

 ゲーム通りと言えば、勝手にシャルルがわたしに『ハノンスイール』の名を与えたから一時期シャルルの立場は悪くなったんだけど、悪役エスメラルドと比較される事で王宮からのわたしの株は上がって、後日シャルルは王宮から呼び出されると、わたしを『ハノンスイール』にした英断を称賛されるの。それからわたしの公認が宣言される流れになるのよね。
 シャルルはエスメラルドが帰る前日から王宮に行ってるみたいで居なかったから、この呼び出しは間違いないはず!
 わたしはこの国の王妃になって、イケメンに傅かれる薔薇色人生の幕が上がるのよ!

 ――そう思ってたのに、なんでここなの?

 ここは謁見の間。それはイイんだけど、ここってゲームで使ってた祭典や他国のお客様を迎えた時に使う国中の貴族が集ってもまだ余裕のある広さを誇る豪華絢爛な方じゃなくて、国王が政務の最中に使ってるっていう、国王の執務室に繋がっているらしい簡素で小さな謁見の間だった。

 この謁見の間には国王と宰相の他に知らないおじさん、侍従と衛兵も最小限の人数しかいないし……わたしの王妃公認は国中の貴族が見守る中でされるはずなんだけど、ここで事前に伝えられるのかな?

 そう思ったわたしは、貴族として教え込まれた作法に則って礼をして頭を下げたままの態勢で、国王の言葉を待った。

「――ユリエラ・ラジエルス、そなたの言動はウォードの品位を著しく貶め、友好国ロータスの信頼を失わせ、我が国との間に深刻な亀裂を生じさせた。よって、そなたの貴族位を剥奪、および生涯を修道院にて過ごす事を命じる。むろん外出は許さん、王たる余の許可なく外部との接触も固く禁じる。家族との面会もだ」

 ありえないセリフを聞いて、わたしは勢いよく顔を上げた。
 王者の風格を漂わせて、正面の玉座に腰かけている国王から言われた言葉が信じられない……なんで? どうしてよ?! そんな設定無かったわよ!
 だいたい、このシャルルに似た……は違うか、父親だし。シャルルが似た優しげな風貌のナイスミドルな国王だって隠しキャラの攻略対象なのよ? 親子でわたしの取り合いになるとバッドエンド一直線だから攻略はしてないけど、ある程度のフラグは回収して好感度は上げてたから、愛娘のように可愛がってもらえるはずなの。
 だからこんなセリフ、言わないはずなのに……。

「……なんで?! どうしてそんな酷い事をおっしゃるのですか! わたしが何をしたっていうんですか?!」
「言わねば分からぬのか?」

 どうしてそんな呆れたような顔をするの? その目に宿っているのは、蔑み……?
 わたしは怯んだ。だって、こんな態度、今までとられた事ないんだもん。それに今は、庇ってくれるシャルルたちもいないし……。

「ハァ」

 大きな溜め息を吐かれて、身体がびくりと震える。こんなの国王じゃない、国王はいつも陽気で優しげな顔をしていたもん。フェニミストだから女には特に優しいのが国王なのに……。

「そなたの今までの言動を振り返ってみよ。特に、エスメラルド姫に対してのものをな」
「……! あの女がなに言ったの?! みんな騙されてるのよ!」

 怯えていたのも忘れて、わたしは国王に食って掛かった。絶対あの性悪エスメラルドがなんかしたのよ! ゲームでも陰湿な手段でユリエラをイジメてたし、絶対にそう! 目を覚ましてもらう為にも、あの女の本性をきっちり説明してあげようとしたけど、出来なかった。

「――キャア!」

 身体に衝撃がはしって、気がついたらわたしは衛兵によって床に押し付けられてたの。
 今日のわたしは珍しく学校の可愛い制服じゃなくて、清楚な印象を与えるドレス姿で髪もきちんと整えてきたのに! 何するのよ! って睨み付けたら、わたしを押さえていた衛兵がすっごく冷たい目でわたしを見ている事に気付いて、乱暴に扱われた事で血の昇っていた頭が急速に冷えていった。
 心臓が止まるかと思った、冷たすぎてショック死出来そうだよ……息も上手くできない。

「口のきき方に気をつけよ。余が宣言したその時から、そなたは貴族ではない。つい先ほどまで貴族であったのだ、礼儀を知らぬ訳がなかろう」
「――知らぬからウォードを窮地に陥れ、シャルルの未来すら奪ったのであろう……邪魔させて頂くぞ、陛下。この年寄りも話にまぜてたもれ」

 扉が開いて、そこから優雅に威風堂々とした姿で背後に女官を何人も従えた、年に応じた美しさを誇る年嵩の貴婦人が入室してきて国王に相槌を入れると、国王はまるで「そうだった」とでも言いたげな顔で頷いてる。

「勿論ですとも……いやはや、余も耄碌もうろくしましたな。母上に言われるまでそれを失念しておりました」

 王太后ルドヴィカ。わたしがシャルルの花嫁になる事を1番反対した人。ゲームでは悪役でこそ無かったけれど、ユリエラを茶会に招いては恥をかかせて身を引くように仕向けた人だ。それを知っていたわたしは、罠にかからないようにフラグは全て潰してきたけど。

 ルドヴィカの好感度は性悪女エスメラルドが出てくる事で上がるから問題無かったはずなのに……エスメラルドの酷い所業を知ったルドヴィカは、それに負けず、正しい振る舞いを貫いていたユリエラを知って認めるの。そこからは心強い味方になってくれるはずなのに、そうならなかった。

 ルドヴィカは国王の横に侍従が素早く用意した王太后に相応しいイスに悠々と腰かけて、床に押し付けられているわたしを見下ろした。

「のう、ユリエラよ。そなたは知っていたかえ? わらわは、そなたに期待していたという事に」
「……え?」

 期待? そんなはずないよ。ゲームであなたが認めるのは、苦境に挫けず耐え抜いたユリエラを知ってからだもん。

「わらわが辛うじて感づいていただけであったシャルルの闇。それを晴らしたそなたが、相応しい教養を身に着けてシャルルの隣に立ってくれれば、ウォードも安泰であろうと思っていた」

 シャルルの闇。それはお母さんである王妃様が亡くなって、喪が明けないうちから貴族たちが国王に後妻を娶るように勧め、それを諌める事無く真剣に吟味していた国王の姿を見た事から生まれたんだ。

 母を愛していなかったのか、だから自分に目を向けてくれないのか、そんなに早く次を考えらるほど情が薄い人なのか! って。

 国王の行動はね、過去にウォード王家が受けた呪いによって激減した王族、特に直系の血筋を絶やす訳にはいかなかったからの行動なの。子を成せる王族直系は国王だけになってて、子供はシャルルだけだったから王族直系の血筋を増やすために仕方の無い行為だったんだ。

 だって、国王がそうしなければシャルルがその役目を負う事になる。

 ウォード王家直系はその血に守護神との契約を宿しているの。その契約がある限りウォードには邪神が世界に放った妖魔は侵入出来ず、妖魔の脅威から守られているウォードは繁栄して、大国にまで成長したからその契約を失えなかった。国王がシャルル以外の子供を残さずに死ぬような事になれば、シャルルは複数の側室を抱えて子を産ませないといけなくなるから……シャルルは潔癖な所があって繊細な性質。それを知っていた国王は、愛する息子にそんな真似をさせなくて済むようにしたくて王妃様を愛していたけれど、すぐに後妻を娶ろうとしたの。

 血の秘密を知っているのは王家直系の血を持つ者だけ。それも『血の目覚め』という神秘的な体験によってでしか知る事が出来なくて、知ってからも契約によって他言出来ないようになってるから、ウォードは妖魔の侵入を許さない特別な土地だっていうのは周知の事実だけれど、その理由は謎とされてるの。
 だからシャルルは国王の行動が理解出来なくて、心に闇を作ってしまった。

 『血の目覚め』は守護神の声を聴く事によって体験できる。名も存在も知られていない守護神だけど、王家直系の血を持つ者は潜在的にその能力を持っているから、わたしはそれとなく声を聴けるように誘導してあげれば良かった。闇の晴れたシャルルは、そのきっかけを作ってくれたわたしを愛するようになるから。

「ルヴェリ公爵家のアイリーンも、わらわと同じ思いを抱いていた。傍に居ながらシャルルの闇に気付けなんだ自分では、シャルルの支えとはなれぬとな。闇を晴らしたそなたこそが、シャルルの妃に相応しいと」
「…………う、そ……」

 かすれた声で小さく零れた(こぼれた)わたしの声は、不思議とこの空間に響いた。

「嘘ではない。げんにアイリーンはその為に動いていたであろう。物心つく前からシャルルの妃候補とされていたアイリーンならば、そなたに妃として必要な教養を授けられた。それだけでなくアイリーンは、そなたの後見になってくれるようにと、わらわやルヴェリ公にも頼んでいたのだぞ」

 それが本当なら、アイリーンの行動は本当に善意からだったの?
 ルヴェリ公爵である宰相に目を向ければ、重々しく頷かれた。
 国王に促されて口を開いた宰相の声は沈んでる。

「……自分が妃として相応しい立ち振る舞いを教えるから、妃として恥じないほどに成長したら認めてやって欲しい、王太子の為にも味方になってくれと言っていた」
「わらわも協力すべく、王家のしきたりや習慣を教えるために茶会に呼んだ。離宮に滞在するように誘いもした。……だが、そなたは全て拒んだ」
「それだけでなく、なぜか娘を嫌って遠ざけたな」

 ……だって仕方ないじゃん、罠だと思ってたんだもん……ゲームじゃ最初から親切になんてされなかったから、絶対裏が有るんだと思ってた。

「そして息子はそなたを嗜めるどころか庇うだけで、成長を促さなかった。王太子として、そなたに妃として必要な事を教え諭さなければならなかったというのに」

 そんなに落胆した声で言わなくたっていいじゃない。

「今となっては、わらわがそなたを妃とする事を反対していて良かった」

 なんだ、やっぱり反対してたんじゃないのさ。味方しようとしたのだって見せかけだったんじゃないの? 不満そうなわたしに気付いたのか、王太后は小さな子供に言い聞かせるように話し出した。

「最初は反対しておらなんだ、それは間違うでないぞ。そなたはシャルルだけでなく、有力貴族の跡継ぎたちの闇も晴らしてくれたからの、彼らの親も支持する側にいたのじゃ。だが、そのわらわと彼らが反対するようになったのは、そなたの言動を知ったからじゃ。そなたはシャルルの寵愛を受けている者として、サロンをひらくよう言われたはずであろう? だが、ひらかなかったな」
「……だってあんなの……ッ、……あれは、あの行為はお金の無駄遣いじゃないですか。力をひけらかしているようで、わたしは嫌だったんです」

 心の中で喋っていた言葉から切り替えられなくてタメ口で声を出してしまったら、未だにわたしを押さえつけている衛兵が、それを咎めるように押さえつける力を強くしてきたから言い直した。っていうか、いつまでこうされてなきゃいけないのよ!

「ああ、ユリエラ。そなたは加護持ちだからな、拘束を弛めるわけにはいかぬ。そなたが感情に任せて力をふるうと厄介だ」
「……ッ!」

 わたしは猛獣じゃないのに! そう国王に言いたかったのに、絶妙なタイミングで衛兵が力を込めて、今度は強い痛みまで与えてきたから言えなかった。

「そなたには、そうとしか思えなかったのだな……そう思う者が多いゆえに、王族の花嫁には最低でも伯爵家の者が望ましいのだ。王族としての考えを理解し、在り方に馴染めるゆえな。サロンは社交の場、そこで情報を集めて世の動きを知り、時にはそこで築いた人脈を活かして実家や配偶者の助けとなるべく動くのだ」

 そんなの知らない。

「そなたは熱心に寄付をしていたが、やり方が良くなかった。大金をそのまま特定の所へやったら、そこの責任者は何か裏の繋がりあるのではないかと疑いの目で見られる。そなたは知らなかったであろうが、そなたが寄付し続けていた孤児院の院長は、そのせいであらぬ噂をたてられて孤立していたのじゃぞ。そなたが寄付にあてた金銭は学校がサロンをひらくために用意したもの、それを他の用途に使う事は犯罪であるし、職員の何人かは金を着服し、私腹を肥やしておった」

 サロンをひらいていれば、この程度の情報は簡単に知る事が出来るって……そんな事知らなかったもん! お金をくすねた人が悪いんじゃん! 院長だって困ってたなら言ってくれれば良かったじゃん!

「……その様子では分かっておらぬようじゃな……人の心には善と悪がある。善を貫くは難しく、悪に屈するは易しい(やさしい)。世の中、悪と知っていながらその誘惑に打ち勝てる者ばかりではない……特に悪の後ろに力があればな。人に悪の誘惑を呼び覚まさぬよう、屈させぬように気をつけた振る舞いをするのが上に立つ者の務めだ」

 それって、わたしが悪だって言ってるの?

「そなたが悪とは言わぬ。だが、そなたは貴族であった。院長は貴族であるそなたの不興を買う事を怖れ、何も言えなんだ」
「意気地の無い院長が悪いんじゃない!」
「本当にそうか? 守るべき、無力な者たちを抱えているのじゃぞ? それでどうして危険をおかせる? そなたは寄付を断られても、笑ってそれを承諾出来たか? 責めずに理由を聞こうとしたか?」

 ……それは、………………答えられなくて、わたしは唇を噛みしめて俯くしかなかった。全てを見透かそうとする王太后の視線に耐えられなかった。

「院長は、そなたに苦言を呈しても大丈夫だとは思えなんだ。ゆえに言えぬ。なぜなら、そなたは人の話に耳を傾けようとはせず、勝手な思い込みだけで生きておる」

 だって、ここはゲームの世界だもん。知ってるんだから、そんなの必要ないじゃん。

「――強者が悪を勧めれば、それを断れる者は極めて少ない。シャルルはそうして理事長に悪を強要した」

 その言葉にわたしは顔を上げて、言葉を発した国王を見た。
 ……シャルルが、悪を強要した? 何を馬鹿な、って言いたかった。だけど、苦渋と悲哀に染まった国王の顔を見たら、言えなかった。

「シャルルは、そなたのエスメラルド姫に対する言動がまずい事を理解していた。だがそれを、エスメラルド姫が優しく、寛大な心でもって咎めないでいるのを知って、余たちに隠そうとしたのだ。王太子の立場と権力を利用して、学内での監視役たる理事長に報告するなと口止めを強要していた」

 なんで? エスメラルドは悪役……わたしを苦しめて楽しんでいる役割りなんだよ? わたしもシャルルも間違ってないよ?

「生徒会の者たちも一般生徒に圧力をかけて、否、脅迫して黙らせていた。それがどういう事か分かるか? ユリエラよ」

 知らない、わたしは何も知らない!

「反逆罪だ」

 ハンギャクザイ?

「シャルルたちは、どうにかしてそなたを守りたかっただけなのだろうが、それはウォードとロータスの友好に亀裂を生じさせ、国を混乱に陥れようとした事と同じなのだよ」

 だから?

「ロータスからの使者がきて、そなたらの所業を初めて知った……それ程までに愚かになっていたのかと、余は絶望した。思えば、一部の貴族たちが提案してきたエスメラルド姫の留学を認めたのが間違いであったよ。『姫君の中の姫君』と謳われている姫を間近にすれば、そなたとシャルルたちの認識も変わるのではないかと思って認めたが、すでに手遅れだったのだな」

 だって、悪役なんだもん。わたしとシャルルたちとの愛を深めるためには、エスメラルドは悪役でないといけないの!

「そして、シャルルたちを信じ続けて別の監視を送らなかった余も愚かだ。王として失格だ……根拠のない信頼の代償として、余は、息子を失う」

 ……どういうこと?

「――シャルルは自分が犯した罪の重さを自覚して、位の返上を願い出てきた。そして……罪を贖う(あがなう)ために自害を申し出て、それを陛下は許された」

 顔を手で覆い、言葉を詰まらせている国王のかわりに口を開いた王太后の言葉が、ゆっくり、ゆっくり、時間をかけてわたしの中に浸透していった。

「……っ……じ、が、……い?」

 声にしようとして失敗しながらやっとの思いで発した音は、1つの単語であるかも怪しかった。

「ウォードは大精霊の怒りを買った。……我慢の限界を超えたロータスから、エスメラルド姫の父君であるセルリード大公自らが迎えに来て、転移魔法で姫を連れ帰られる時、わらわも陛下も、国中のおもだった貴族が集えるだけ集い、床にぬかづいて詫び、許しを乞うたが、そうして赦される限度を超えていた……」

 どうして?

「大精霊の激憤は凄まじかった……エスメラルド姫が抑えて下さらなければ、顕現した大精霊に我ら一同は殺されていただろう。貴女とシャルル殿下たちが姫君になした事を考えれば、国ごと消滅させられても文句1つ言えない程のもの。秘密裏に呼び寄せ、話を聞いた学生の中には『死んでお詫び申し上げたい』という者も多かった」

 知らないおじさんのセリフ。

「私は国の外交を司っている。今回の件はすでに他の国々も知る所であり、非難と抗議が絶える事無くウォードに届いている。貴女は非公認の『ハノンスイール』であるが、貴女を選び、名を与えたシャルル殿下は国が認めた王太子。責任を負わなくてはなりません」

 ……わたしの、せい……?

「幸い、シャルルは気付いてくれた。自分が犯した許されない罪を……おかげで余は、シャルルを謀反を企てた反逆者として処刑せずに済んだ。……シャルルは王族のまま、王族として死ねる。贖罪のために自害すれば、最低限の名誉は保たれる」
「生徒会の者たちも、シャルルの供をすると言うてきた。家に類が及ばぬよう彼らは廃嫡を望み、当主たちはそれを認めた。彼らは貴族としての在り方を思い出したのだ、最後にな」

 ……わたしが、ゲームに囚われてたから? ……現実を見なかった、から?

「ただし、最後の願いとしてシャルルたちは同じ事を願った。――そなただけは、助けてくれと」

 ユリエラの罪は、自分達が責務を忘れたせいで犯したものだからと。
 続けられたその言葉に、わたしの心は決壊した。


 **********


 前世のわたしは、愛の無い家に産まれ、愛を与えられずに育った。
 物理的には満たされた生活を送っていても、心は空虚で、いつも何かに飢えていた。そしてある時、それが愛なのだと知った。

 ――愛が欲しかった。沢山の愛が。

 でもわたしは、容姿が特に良いわけでもなければ、明るい性格でもなかった。そんなわたしに愛を注いでくれる人なんて当然居なくて、想像の世界にそれを求めた。

 ――愛が欲しかった。溺れるほどの愛が。

 一時の仮初めの夢だと承知しながら、わたしは嵌まっていって抜け出せなくなり、ゲームはわたしの心を支えるものになっていた。

 ――愛が欲しかった。苦しいほどの愛が。

 そんなときに出会ったゲーム『苦しいほどの愛を君に』。タイトル通りにヒロインがひたすら愛されるそれ。わたしの願望が形になったようなそのゲームに、わたしは必然的にのめり込んだ。

 ――愛が欲しかった。受けきれないほどの愛を。

 事故に遭い、命が削れていくのを感じながら最期を待っていたわたしの傍には、誰もいなくて孤独だった。

 ――愛が欲しかった。本当の愛が。

 次は作り物ではなく、本物の愛に満たされた人生を願った。願って、願って、願い続けて、願ったまま死んだわたしの前に、女神様が現れてわたしの願いを叶えてくれた。

 ――愛が欲しかった。飢えたわたしを満たしてくれる愛が。

 愛だけあれば何もいらなかった。愛さえあれば良かった。病的なまでに愛を欲したわたしは、現実に適応できず、ううん、違う。この世界で生きる覚悟を持たなかったわたしは、生きてなんかいなかった。生きている気になってたわたしは、とても歪んだ存在になっていたんだ。
 その事に、今まで気付けなかった……。

 ――愛が欲しかった。愛が、愛を、愛だけでイイ! 愛を下さい……!

 泣いて、泣いて、泣き続けて……泣き疲れて顔を上げた時、国王様も、王太后様も、まだそこに居て下さった。

「……わたしも、死なせてください……シャルルたちが居ないのに、わたしが生きる意味はありません……わたしも、シャルルたちと逝きます……」
「よう言った。許す、共に逝くがよい」



 毒杯を呷るその日まで、数日の猶予があった。わたしたちの贖罪を見届けるために各国からの使者を迎えるための時間。その時間を利用して、わたしは謝罪の手紙を書いた。
 現実と向き合わなかったわたしが、勝手に悪役と決めつけて迷惑をかけてしまったアイリーン様と、不当に悪だと罵って憔悴させてしまったエスメラルド姫に。

 アイリーン様は多分、読んで下さると思う。だけど、エスメラルド姫は読んで下るか分からない。それ以前に手元に届くかすら怪しい。

 だけどそれは仕方の無い事。今なら分かるの、あの時、ロータスからの迎えが来た時に姫様の顔色が悪かったのは、わたしのせい。悪役だからと決めつけたわたしが暴言を吐いて煩わせ、姫様はそれが原因で戦争にならないようにと、あちこちに気を遣っていたんだって知った。
 お国で大事に、大切に育てられた生粋のお姫様にとって、わたしがぶつけた数々の言葉は耐え難いものだったに違いない。今思えば、やつれていた様にすら見えた。それでもあの方は耐えられた。

 その身分ゆえに、ご自分が黒と言ったら白いものでも黒になってしまう事をご存知だから。

 でも、わたしは謝りたかった。伝えたかった。姫様にとっては迷惑でしかないだろうけど、どれだけわたしが愚かで、その事を悔やんでいるのかを知ってほしかった。これは、わたしの自己満足でしかないんだけどね。せめて最後に、現実と向き合いたかったんだ。

 家族には書かない。

 ユリエラはね、わたしと同じで愛のない家に産まれ、愛を与えられずに育ったんだ。わたしと違うのは、ユリエラはそんな境遇だなんて微塵も感じさせないほど明るくて、美人で、人を思いやれる優しい子だった事。ゲームで描かれていたユリエラは、わたしの理想だった。

 そして愛を知らないユリエラに、闇を晴らしてもらった生徒会のメンバーが沢山の愛を注ぐの。花に水をやるように沢山の愛を。

 だからわたしは、あのゲームが大好きだった。ユリエラになれたら、人生はどんなに素敵なんだろうって考えるだけで、わたしは幸せになれたから。それが叶えられたのに、わたしはわたしの至らなさでユリエラの人生をここで終わらせてしまうけど……。

「――お時間でございます」

 その声は扉の外から聞こえてきた。

「今、参ります」

 今日は毒杯を呷る日。1度死んだわたしは怖くない。だって今回は独りじゃなく、シャルルたちも一緒だから。シャルルたちはわたしも毒杯を呷ると聞いて最初は難色を示したけど、わたしを愛してくれた貴方たちが居ない世界で生きていても意味が無いと言ったら、仕方なさそうに笑って受け入れてくれた。

 死んだように生きていたわたしだけど、唯一シャルルたちと接している時だけは、ちゃんと生きていた。偽りでない愛を欲したのはわたし。だからわたしも彼らに偽りのない愛を、感情を返していたから。
 彼らを愛する気持ちだけは本物だったの。


 **********


「今頃、驚いていらっしゃるかしら?」
「温情など、かけずともよろしかったのではありませんか? エスメル様」
「ユリエラさんたちの為ではないの。ウォードに倒れられてはロータスにまで影響が出てしまうから、秘密が宿された王族の血は失えないわ。守護持ちは、そういったモノに敏感だから知れたのだけど」
「ウォードの王位は、来年には正妃となられる側妃様がお産みになられた第一王女殿下が継がれるのですよね?」
「ええ、ウォードの継承権は男女の別なく長子優先ですから。けれども王族の血、特に直系の血は1人でも多い方が安心ですもの」

 使者たちが見守る中、シャルルたちが呷った毒は一時的に死をもたらすもので、その経緯ゆえに葬儀は密葬である。棺の中が空だと知っているのはごく一部の者のみ。

「死んだはずでありながら生きている。血を残すために……彼らにとって褒美であるような気がいたしますが……」
「子供が産まれても、すぐに引き離されるんだ。子供に情を持てない人格破綻者でない限り、充分な罰になるだろう」

 言葉を交わす彼らが囲んでいるテーブルには、見届け人として出向いたロータスの王太子が持ち帰り、むっすりとした表情でエスメラルドに渡された1通の手紙が開封されて置かれていた。

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