会員制喫茶ASTRE
改訂・加筆・再構成の上で再投稿です。
一見さんは大歓迎。
二度目なら幸運。
三度目で常連。
武器は持ち込みOK
兵器は持ち込みNG
喧嘩はご法度。
※店への危害が加えられたと判断した瞬間に退出を願い、今後の来店を拒否いたします。
再度ご来店の際は、店員の指示に従ってください。お客様の来店資格は当店が判断いたします。
当店では、絶対的な御身と精神の安全をお約束いたします。
※※※※
客を店側が選ぶのか。ふざけた店だ。
店の入り口横の小さな黒板に描かれた宣伝のチョークアートパネルには、その規約が手書きのゴシック体で色とりどりに記されていた。
オレンジの照明とキャメルブラウンの壁で彩られた店内は落ち着いており、雰囲気だけならば申し分ない。奥にはチラリとソファやテーブルが見える。私が立っている入り口すぐにカーブを描くカウンターの端。そこに打ち張られた、控えめな木製の看板にはこう書いてあった。
『軽食・休憩所・情報交換に 会員制喫茶ASTER』印象通り喫茶店のようだ。
第一印象を頭の中で呟き終わるかと同時に、ぱたぱたと店員らしき人物が駆け寄ってきて「いらっしゃいませ」とお辞儀した。
その店員はずいぶんと小柄な人物である。私の腰ほどしかない身長で、よく見える頭は幼児の様に艶々した黒い髪をしていて、黒目勝ちの顔もまた幼い。巻いている深緑のエプロンが、ワンピースに見える。
小さな控えめの鼻も、黒々した大きな目も、童顔の美人と言えなくもないが、どうも土産物屋のマスコットの様な愛嬌が勝る顔立ちと雰囲気をしていた。
流行りの『ゆるきゃら』というやつか。あれが三次元にリアル等身大で出現した感じだ。
いやしかし…わたしはなぜこの店に来たのだろうか?
こんな店に立ち寄るなんて、自分にはそんな金も時間も余裕はないはずなのに。
※※※※
地元で就職した私は、土地勘を買われて外回りに回されてしまった哀れな営業担当社員である。
会社は各地に支部を持つ大手。一応のところ、ここも『支部』と名のつく築二十年のビル一角。しかし事務所は、冷えすぎるクーラーとボロデスク、メーカー対応が終わりかけで修理にも出せないパソコン、穴の開いた人工皮のソファという名ばかりの支部だ。
私は見知った町内を練り歩き、見知った家々の方々に、高額の緊急医療機器やらサプリメントやらを売り歩かなければならない苦行を背負っている。
この仕事に良いことなんて何もない。いや、この土地でさえなければ、まだマシだったのかもしれない。
尋ねられる向こうからしてみれば、セールスなんて時間を食われるだけの邪魔な存在だ。さらには、顔見知りの家だった場合なんて、知人のよしみといえども●●サンちの××くん程度の顔見知りで、親は知っていてども、子の私のことなんてほとんど知らない連中ばかり。自分のなけなしの評判を落とすだけである。
ほとんどが同情で無料の試作品は貰ってくれるが、財布の紐は固く、易々とは緩めない。
お愛想も苦手な私は、入社半年にして早くも転職を考え始めていた。いや、せめてこの営業からは外してはもらわないと。
汗をぬぐい、重い鞄を持ち直して、えっちらおっちら坂を登る。この辺は道々もアスファルトで固められていたが、すこし脇道に入るとまだ田園が広がるのである。
また、そこから少し歩けば、びゅんびゅん車が途絶えない国道やコンビニ、家電量販店やスーパーが見えたりもするのだから、わが故郷ながらこの町は謎である。
照り返しの酷い道を重い鞄片手に長く歩くのは骨が折れる。私は田園の方向に足向きを変え、小学生のころに通学路を外れて近道をした、砂利道の私有地を通ることにした。
※※※※
「お客さん?」
幼い顔が私を見上げて不思議そうにしているのを見て、私は我に返った。
そう…確かそうだ、あの私有地を近道しようと思って足を踏み入れて、そうしたらこの店にいたのだ。
背後には閉じたキャメルブラウンの扉。――――――さて、私はいつこの扉を開けて入ったのか…
狂い掛けた事務所のクーラーとは比べ物にならない、心地よい空調が体を癒す。
「お客さん、一見様ですね」
「こ、ここは会員制って書いてあるけど、いいのかい?」
「ええ、一見様ですから。代金もいただきません」
店員は無邪気に笑って、『お好きな席へどうぞ』と中に私を招き入れた。
「メニューお決まりになったら、カウンターの方に言ってくださいね」
跳ねるような足取りで、店員は離れていった。
ニスで黒光りする年代物らしいカウンター席には、大学生らしい二人組がいる。
一人は絵具で汚れたパーカー、一人は白の細身のジャケットを羽織っていた。男二人組かと思ったら、よくよく見ればジャケットの方はショートカットの女である。薄暗い店内で、後ろ毛のかかる白いうなじが眩しい。
ふと、男の方が振り向いて睨んできた。
――――驚いた。カップルかと思ったら、これは男女の双子である。
姉か妹か、女の方が短い髪をしているのも余計にだが、良く似た細面の色の白い青年だった。
私はあわてて目を逸らして、メニューを顔の前に立てる。気の強い女のような顔が、あまりに強い視線が、頭を焼いて離れなかった。
他に店内に座しているのは、これもまた奇妙な二人組だった。
一人は悪趣味と洒落とを行き来する、派手なスーツを着た金髪の小男だ。柄シャツの襟元を開き、鎖骨にぶら下げた金の鎖を見せつけている。
三白眼を細めて、隣の相棒と何か話している様子は、“いかにも”なチンピラだった。
連れは逆にひょろりと大きい、眼鏡の男だ。エッジの効いたお洒落な眼鏡に、すっきりと切った短い黒髪、鋭い理知的な目つきに、高い鼻を薄い唇。
これが仕立てのいい、ぱりっと糊のきいたスーツを、汗ひとつかかずに着て。
こんなのが営業に出てちょっと笑えば、すぐに商品を買ってもらえるのだろう。私には無い社交性を感じた。社交性は、商売の安心感に辿り着くということを知ったのは、割と早い段階だった。
変な二人組。
チンピラと、デキるサラリーマン。
不穏である。不気味である。不健全である。
チンピラはケラケラ笑って、無表情のサラリーマンの肩を叩いている。見た目通り、女のようなやけに甲高い声だった。
「アンタはホンマあほやなぁ! んなもんチャッチャと終わらせといてさァ――――」
――――いかにもな関西弁が、雰囲気に胡散臭さを割り増した。
「……あんなぁ、ウチも難儀しとるんやで? せやかて、こないだのアレとソレで、ウチのオカンも仰天してもうて。お前んとこと違ぉて、こっちゃのオカンは細い神経しとんねんから」
男も関西弁で返す。
「あっほ、お前のオカンのどこが神経細ぉ言うんや。笑うでホンマ」
「お前のオカンの肝が太すぎんのや。人間吊るせるやないか。人命救助できるわ。店やめて、消防に就職せい。……あんなあ、世間的に見て、俺とお前でどう見えるっちゅう話なねん。そら、お前と俺じゃあオカンもひっくり返るわな」
「……ちっさい頃からの仲やないか。いまさら、いまさら」
チンピラは腕を振って、意に介さない。焦れたサラリーマンが椅子を蹴った。
「お前、わかっとんのか? お前のオカンなあ、俺のオカンに―――――俺とお前が、ツッコむ仲やと言うとんのやぞ! 」
チンピラも椅子を蹴って立ち上がる。
「いつ終わるかと聴いてりゃあ……どこに間違いがあるんや! ウチらがツッコまん日があるんかいな! それの何が不都合なんや! 」
『ツッコむ仲』?
私は思わずメニューを伏せて、パカーッと口を開けた。
これはアレか! うわさに聞くアレなのか!
始めて目にした光景に、私はまたメニューを立てて、じろじろ観察してしまう。
チンピラの胸は少年のように薄く、細い顎も女のようだ。目つきばかりが悪く、ぎょろぎょろしている。対してサラリーマンは何かスポーツでもしているのか、よくよく見れば体つきがしっかりしているのも分かる。これはモテるんだろうなぁ、と思った。
――――世の女性よ、これは残念でならないだろう。
騒がしい痴話げんかをバックミュージックに、カウンターの例の双子は会話が弾んでいるようだった。
そんな喧騒に割り込む声。
「お客さん、メニュー決まりましたか」
にこにこ笑って、あの店員がテーブルの側らに佇んでいた。
「あっ、ええ~と……」
慌ててばらばらとメニューをめくる。「こ、紅茶と、あとこの、サンドイッチ」
「はい。ホットですか? アイスですか? 」
「あ、アイスで……」
「かしこまりましたー」
店員はにこにこ笑って、カウンターに戻っていく。
「――――なんやてぇ! ウチがいつ、そないなこと言うたんや」
「ちゃうって言うとるやろ、ちゃんと話聞けや。あんなぁ――――」
「お、お前がそないなこと言うんやったら、ウチ、お前のオカンに直に聞くからな! 」
「そっ―――それだけはやめてくれや! お前もわかっとるやろが! 」
「いーや! そうせウチのオカンからも話は行くんや。どっちかて同じやろ! 」
「お前なぁ……」
幼馴染ホモカップルの痴話げんかは、熱さを増している。
「ちょっとちょっと。二人とも、ウチは喧嘩は駄目だって言ってるでしょうが」
やんわりと、男の声が割り込んでいく。
見てまたギョッとした。
そこにいたのは、和服の外国人だった。
黒髪に、落ち着いた黒い目をしているが、堀の深い顔立ちと、白い肌は見間違えようがない。
「店内の規定に書いてあるでしょう。喧嘩はご法度です。暴力が出たら、店から出てもらうからね」
「店長……」
「……ごめんなぁ店長」
男に叱られて、二人組はしょんもりと萎れた。
変な店だ。
ほどなく、注文したものが、店員の手で運ばれてきた。
店員の胸元の文字に目が行く。エプロンには、『虹』と書かれた名札がくっついていた。
「それ、なんて読むんだ」
指さして聞くと、少し驚いたように店員は笑って、
「“コウ”です。幸せの虹で、『コウ』なんですよ」
まさか本名じゃないだろうとも思ったのだが、言及するのはやめておいた。私にだって、空気は読める能はある。
甘い香りのする紅茶に、ツナとからしの利いたマヨネーズと、甘い卵焼きの挟んであるサンドイッチ。
味は実に良かった。
帰り際、店長が私を呼び止めた。
「これをどうぞ」
差し出されたのは、銀色の板みたいなものだ。ずいぶん薄くぺらぺらしているのに、手触りは確かに金属である。切り絵のようになっていて、菊の花のようなものが窺えた。
「……これは? 」
「栞ですよ。次の入店許可証になります。会員様の証です」
店長はにっこりとする。女のような顔をしていたが、近くで見ると親しみやすい男前の兄ちゃんに見えた。
のんびりとした笑顔に、ぼんやりとまた来ようかな、と思ったのだけれど、私はそれっきり、あの店を見失ってしまったようだ。
二度とあの店を訪れることは無かったし、あの目立つ客や従業員を、街で見かけるということも無かった。