第5話〜棒の先に立つメイドさん〜
昔々、ある所に、船で旅をする魔法使いと猫少女がおりました。
魔法使いはハーリングという名前で、若く小柄で少し長い黒髪で冷ややかな青い目をしていました。
猫少女はルヨという名前で、すらっとした体つきで黒い髪に金色の瞳をしていて、猫のような三角耳と尻尾を持っていました。
二人は船に乗って当て所もなく、その日その日の気分で西へ東へふらふらと旅をしているのでした。
ある日のことです。
「ハリさん! ハリさん! あれ!」
「ええ、そうです」
魔法使いのハーリングの横で猫少女のルヨは興奮した様子で叫びます。
相変わらずハーリングは煩いのが苦手なのですが、彼女の叫び声には、そろそろ慣れ始めてきました。すぐ隣で叫ばれても一々耳を押さえなくても大丈夫です。
「わー! 凄い凄い!」
ルヨは嬉しそうに楽しそうに甲高く叫びながら、その場でぴょんぴょんと跳ねます。興奮するのもハーリングには分かります。彼も初めて見た時は驚いたものです。
しかし、これだけ騒がれると困ってしまいます。
「ルヨ。あんまり暴れないで下さい。舵が変な方向に向いてしまいます」
ハーリングは舵を操作しながら注意します。あまり船を揺らすとぶつけてしまうのです。
「う。ごめんなさい」
ルヨは静かになりました。
それでも、金色の瞳をキラキラと輝かせてそれを見つめています。うずうずするらしく、ばたばたと手と尻尾を振ります。
「ハリさんが言ってたのってあれだよね」
「ええ、あれです」
ルヨの言葉にハーリングは頷きます。
彼らの目の前には、もう見飽きたいつも通りの海が広がっています。今日の空模様はどんよりとした曇りで、今にも雨粒が降り始めそうです。
その中で見慣れない不自然な光景がそこにはあります。
海上に何本もの棒が天に向かって突っ立っているのです。色は赤、青、白、黒、灰とまちまちで、材質は石のようでコンクリートのようで硬い感じです。棒の下部は海中にあって見ることができない為、正確な長さは分からないのですが、海上に見えている部分だけでも高さは20mはあります。
それが何本も何本も海上に立っているのです。その数は目算でも100を下りません。多くが途中でぽっきりと折れたり、傾いていたりしています。
この棒たちは一体何の為に、これだけの数が、周辺に何も無い。大陸から数十マイルも離れた海上に立っているのか?
それはハーリングにも分かりませんし、彼よりも偉くて賢い考古学者や魔法使いにも分かっていません。誰が? 何の為に? いつ? どうやって? その全ての疑問は未だ不明であり、研究途中です。いつか分かったら論文が発表されるでしょう。
今、この棒たちは特に何の用途にも使われておらず、ただ、少しマイナーな観光名所としてだけ存在しています。
「わーわー凄い凄い!」
ルヨは相変わらず同じ台詞を繰り返します。
気に入ってくれたようで何よりだとハーリングは思いました。
彼は操舵室にある機器を操作して、船尾に付いている外輪の回転数を減らしました。船はじりじりと減速していきます。これで、ゆっくりと遺跡を見れるでしょう。
「甲板に出たらどうですか?」
「うん!」
ルヨは操舵室を飛び出して甲板に走っていきました。とは言ってても、小さな船ですから扉一枚外に出ただけですけどね。
ルヨが遺跡を見ている間に、ハーリングはお茶の支度をすることにしました。
あらかじめ操舵室に用意しておいたティーセットに向かいます。彼は甘党なのでお茶に角砂糖を三個入れます。ルヨは大変猫舌なのでお茶とミルクの比率を半々にします。
「うっ!」
突然、ルヨが変な声を出したのでハーリングはティーポットを落としそうになってしまいました。元々、彼には筋力がほとんどないのです。ティーポットを持ってるだけで腕がぷるぷるしてしまうのです。ですから、ちょっとしたことでモノを取り落としてしまうのです。
「ハリさん! ハリさん!」
ルヨが操舵室に飛び込んできてハーリングの両肩を掴んでがくがくさせます。お茶がこぼれてしまいます。こぼれています。
「あれ! あれ!」
ルヨは彼をがくがくさせながら耳元で叫びます。ハーリングは耳が痛くなってきました。
「な、何で、すか?」
「あれ! あれ!」
そんなに、あれあれ言われても分かりません。
「や、やめて、下さ、い」
「あー! わー! うー!」
ハーリングが振り返りると、ルヨはわけの分からないことを騒ぎながら窓の向こうを指差していました。
「あうわ! ひ! ふ! う!」
意味不明です。ルヨは混乱と興奮をしてぴょんぴょん飛び跳ねています。ああー、船が揺れます。
「えーと、とりあえず、落ち着いて下さい」
まず、ハーリングは彼女の肩を押さえて飛び跳ねるのを止めさせます。それから、甲板に出て、彼女の指差す方向を見ました。
「ん?」
何かが見えました。
しかし、そんなものが見えるはずがありません。ありえないのです。目を凝らします。
彼は魔法使いにしては、そんなに目が悪くないです。良い方です。毎日、きちんと夜寝てたからかもしれません。そのせいで宿題の提出率は学年で最低でしたけど。その彼自慢の視力ですから、見間違いなどということはないと思います。
「うーん」
ハーリングは首を傾げます。おかしいですね。
「あれ! ほら! 人!」
ルヨが彼の横で叫びます。
「ええ、そうですね。人ですね」
彼も頷きます。そこには人がいました。人がいるからどうしたと言われるかもしれません。確かに世界には数億も人がいます。ハーリングだって人ですし、ルヨだって、猫耳猫尻尾ですけど、たぶん、人です。
しかし、彼らは船に乗っています。海の真ん中にある棒だらけの遺跡にいても不可思議ではありません。
しかししかし、その人は船に乗っていません。気球にも、飛行機にも、飛行船にも乗っていないのです。
「何やってるんだろ?」
ようやく、混乱と興奮が収まったルヨが心底不思議そうに呟きます。そんなことハーリングにも分かりません。
その人は棒だらけの遺跡の中でも低めの棒に立っているのです。
それでも高さは海面から5m以上あります。棒の太さだって直径50cmくらいしかないんです。よく立っていられるものだと感心してしまいますね。
船はじりじりふらふらと止まるか止まらないかくらいの速度で進んでいて、少しずつその人に近付いていきます。そのお陰でその人の姿が段々と見えてきました。
その人は、シックな黒く長いスカートに白いエプロン、白いヘッドセッド、首には不自然なほどボロボロの灰色のマフラー、大きな黒い革鞄を持ち、腰にサーベルを提げています。
「メイドさん?」
その人は所謂、メイドさんの服を着ています。ボロボロマフラーとサーベルはおもっくそ違いますけど。
しかし、メイドさんが海の真ん中にある棒の上に立ってるとは、どういうことでしょうか?
「あの人、めいどって言う名前なの? 知ってる人?」
「いや、そういうことではありません。メイドというのは、ああいう格好をして家事などをやってくれる職業の人のことです」
「へー」
ルヨ納得。
「めいどさんって凄いね。あんな高い棒の上に立てるんだー」
「いや、違う」
ハーリングは暫くの間、メイドさんは普通の人間であり、あんな凄いことができるメイドは普通いないということをルヨに説明しました。
「じゃあ、あの人、何?」
「さあ?」
ハーリングとルヨは二人でメイドさんを見上げます。船はメイドさんの立っている棒の10mほど前まで近付きました。
二人は目がいいので結構高い所にいる彼女の顔も見ることができます。棒の上に立ったメイドさんは全くの不動で腕を組んで目を瞑って何やら瞑想しているように見えます。その肌は陶器のように白く、唇は薄く、顎は細め、鼻筋が通っていて、人形のように整った顔です。
「何やってるんだろう?」
「何やってるんでしょうね」
二人はぼんやりと彼女を見上げます。そろそろ、首が疲れてきました。
おもむろにルヨは甲板を走って、メイドさんに最も近い場所から身を乗り出しました。ハーリングはさりげなくルヨの後ろに待機します。
「落ちないで下さいよ」
「うん!」
いつも返事はいいんですけどね。落ちそうになったら掴まえないといけません。
じーっとメイドさんを見つめるルヨ。
しかし、メイドさんは全く動きません。腕を組んでめいもく瞑目したままです。
「おーい、メイドさーん!」
ルヨは両手を筒のようにして手に当てて叫びました。
しかし、メイドさんは不動のままです。この人は生きているんだろうか? などとハーリングが考え出した頃、不意にメイドさんは瞼を開け、こちらを見下ろしました。
「はうっ!」
ルヨは悲鳴にも似た声を上げて、二、三歩後退りました。ハーリングも思わず背筋に寒気を感じました。それほど、そのメイドさんの目は恐ろしいものでした。
彼女の目は、端が吊り気味で、灰色の瞳孔は小さいのです。まるで竜のような、猛禽のような目です。目が合うだけで心を凍らせるような。睨むだけで相手を殺せるような目です。早い話。滅茶苦茶恐いです。
「……………」
メイドさんが目を開いて、こちらを見ただけで、空気が凍りつきました。何故か肌寒く感じ、鳥肌になっているのにハーリングは気付きました。
「……どうも」
メイドさんが口を開きました。見た目通りクールな印象のハスキーな声です。
「あー、どうも、こんにちは」
怯えて動けなくなっているルヨの代わりにハーリングが挨拶しました。
ルヨははっと気付いたように彼の方を振り向き、慌てた様子で彼の後ろに隠れてしまいました。
「良い船ですね」
メイドさんは二人の乗っている船を見て言いました。目だけを見ると、この船を沈没させようしているか強奪しようと狙っているようにしか見えません。
もしも、そうだとしても、ハーリングにはどうしようもありません。魔法使いは意外と無力なのです。
「……どうも」
ハーリングは何と返すべきか迷って、結局、それだけを言いました。他に何と言えばいいのでしょうか?
メイドさんはいきなり棒から飛び降りました。まるで朝起きてベッドから降りるような気軽さで棒から足を踏み出したのです。
普通なら、海にまっ逆さまな場面ですが、彼女は何でもないように、少しロングスカートをはためかせながらも、足から二人の乗っている船の甲板に着地したのでした。船の上の二人はびっくりして声もありません。
「教えて欲しいことがあります」
メイドさんはさっきのサーカス団でしか見れないような芸当の後だというのに、そんなことには全く触れず、何でもないように丁寧な口調で尋ねました。でも、相変わらず目は恐いです。そして、背が高いです。180cmはあるでしょう。よって、小柄な2人は棒から降りても見上げなければいけません。
「何でしょう?」
「今、何時ですか?」
「午後の3時頃です」
「お茶の時間ですか」
「ええ、そうですね」
何故か成り行きで普通な会話をしているハーリングとメイドさんですが、その状況は異常なものに変わりありません。
彼は思い切って尋ねてみることにしました。もし、彼女が襲ってきたとしても彼には身を守る術はないのですから、喋ってみても黙っていても変わりないのです。人はこれを開き直りと言うのでしょうか?
「あなたは、そこで何をしていていたのですか?」
メイドさんは少し沈黙した後、聞き返しました。
「私ですか?」
「ええ、あなたです」
ハーリングは頷きます。大体、他に誰がいるというのでしょうか。彼ら3人の他には、魚と鴎くらいしかいません。
「実は、私も、何故、自分がこうしているのか分からないのです」
何ですかそれは?
「どういうことですか?」
「そのままの意味です」
尋ね直しても、そう言われてしました。ハーリングは自分の頭の中で色々と整理してみました。
「つまり、あなたは、何故、そこで、そうしているのか、あなたにも分からない、と」
「ええ」
メイドさんは頷きます。
「じゃあ、質問を変えましょう。失礼ながら聞きます。あなたは誰ですか?」
本当に失礼な質問ですね。
しかし、メイドさんは気にした風もなく無表情で答えます。
「ヨノです。メイドをやっています」
それは見れば分かります。
「メイドということは、どこかの屋敷などで働いているのではないですか?」
「……そうなのですか?」
何で聞くんですか?
「そういうものです。そうでなければ、メイドではないでしょう」
「確かにそうですね」
なるほどと頷くヨノ。
「それで、あなたはどこかに勤めているんですか? それとも、誰かに仕えているのですか?」
「…………」
ヨノは遠くを見ながら考え込みます。ルヨが彼女の見ている方を見てみますが、当然、そこには何もありません。ただただ曇り空が広がっているだけです。
少ししてから、ヨノは視線をハーリングに向けて言いました。
「分かりません」
つまり、このメイドさんは何も分からないのでした。
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