地球・リュトスト財団編 交流100周年記念総覧 過去・現在・未来
ある1日に
朝方街がけむるのは、ここが海に近いからだ。なだらかな丘陵にまもられた都市に彼女は暮らしている。
あと少しで日が昇る。未だ活動を始めぬ街に耳を澄ましながら、彼女は再び睡眠に入る。
穀類をふんだんに使った朝食は彼女の好みである。蛋白質を補給するため地物のサカナに塩をふってさっと焼いて食べる。
彼女は外出用の衣服に身を包んで家を出る。先日両親から贈られた情報端末で、気に入った文章を読みながら歩く。正直危なっかしいのだが、何故か周りにぶつかったりはしない。よくみると、似たような端末を持っている人が何人もいる。このタイプの端末は最近流行っているが、彼女と同型のものはあまり見受けられなかった。
彼女は窓に肌を圧しあてて、線路の上を走る車体のゆれを感じている。窓の外をみやれば、朝靄は完全に晴れて、すっきりとした空から強い日差しが降り注いでいる。
彼女は学校に到着する。大部屋での講義は途中休みは入るものの、日が沈む少し前まで続いた。
万物を統べる法則に、物質の組み合わせの規則、そして数を操る術。きっと宇宙の果てでも通用するのだろう。それとも宇宙の彼方ではこれらが異なる場所が存在するのだろうか。
彼女は少し憂鬱になる。彼女の好む生命の神秘を解き明かすための学問は、宇宙の彼方にあっても本当に役にたつのだろうか?
何種類もの生物が時に食いあい、時に支えあって生きている。澄んだ空気や水の循環にも生命が深く関わっている。それはとても喜ばしいことだ。その秘密に迫れるのは誇らしい。しかし教師が彼方の世界を、普遍をかたるたびかすかに切ない想いがする。
僻んでいるわけではない。ただどうなのか知りたいだけ。……嘘だ。本当は少しばかり羨ましい。
もし仮に遠く離れた宇宙に生命がいたとして、どうやって見つけ出す?どうやって連絡をとる?
連絡をとれたとして、相手が友好的とは限らない。見つけ出した相手がこちらと交流できる存在なのかもわからない。
敵対的な異星の生命体、理解の範疇外にある生命体の話など腐るほど読んだ。
そんなに都合良くこちらと同じような思考形態を持つ生命体などあるものか。
しかしいないかも知れない生命体に、彼女は一瞬夢をみた。
……実も蓋も無い話を言えば、思考形態が違いすぎて互いに理解しあえないのなら、無視するしか無いかもしれない。
理解しあえないのなら知性の有無の判別さえ怪しいだろう。だからこの星で知性無しと思われている生き物だって、本当はどうだかわからないのだ。
どんな生命体に出逢うにしろ、襲われたら、こちらの生存が脅かされたら反撃する。生きるため必要だったらこちらが食べる側に回るかもしれない。しかし、もし会えたのなら、なるべく敬意をもって共存できたら、と彼女は思う。
同じ経路を逆にたどるだけの帰り道。赤色の光が家々を照らす。
帰宅して少し豪華に茹で肉と炒めた青菜、穀類の夕食をとる。
趣味の時間である。
彼女の趣味は読書に料理など多岐にわたる。その一つに無線放送を聴くことがある。
先日手にいれたばかりの端末で投稿した内容が放送されることになったのだ。聞かない訳にもいくまい。
投稿の内容はだいたい今日考えていたようなこと、つまり異なる星の生命体に会いたいという願い。
というかずっと同じようなことを考えていたのだな、と彼女は自分に若干呆れる。
放送が終わる。そのままだらだらと次のも聞く。そう言えばこの電波は大気を貫いて宇宙にも届くのだな、と気づく。
今日の教師の話を思い出す。珍しく彼女の好みの真んまん中な講義だった。何十光年か離れたところから電波が出ていて、その電波の強度や周波数が目まぐるしく変動しているのがわかったらしい。
いるかもしれない。教師の言葉か彼女自身の独言か。
高出力のレーザー、電波に、合金に刻んで宇宙へ送り出す絵。教師はそんな計画も告げた。
研究はあの教師のもとで行おうか。楽しそうだ。
彼女は想像する。
水も炭素も扱い易い、蛋白質と核酸は便利だ。
これが全てとは言わない。けれどこの広い宇宙に同じような代謝をする生命体がいるという仮定には、それなりの蓋然性があるのではないか。
知的生命体が生まれて、こちらと同じような文明を持つかまではわからない。しかし本当に偶然が重なれば……!
やや興奮しながらも、眠気には逆らえず彼女は眠りにおちた。
※本稿は地球と惑星リュトストとの交流30周年を記念して、コンタクト前夜の惑星リュトストの様子をインタビューにより再現、再構成したものの抜粋である。都合により全編地球語置換、ならびに固有名詞のマスキングを行っている。
リュトスト人は驚くべきことに心性、文明レベルともに我々にかなりちかかった。(外見的特徴のいくつかは大きく異なるが)
今は通信でしか結ばれていない彼らと私たちだが、いつか直接手を取り合えるといい。
心性が近いゆえの軋轢も生じるだろうが、まさに始まったばかりの交流に幸あれと祈るばかりである。