くまちゃんと星たち
僕のかあさんは星になったって、とうさんが言ってたんだ。
でも、僕には優しいとうさんと、すてきな友だちがいるから、さみしくなんかないんだ。
「とうさん、これなあに?」
それは、ある日曜日の朝でした。
幼稚園がお休みで、退屈だったユウくんが、押し入れのすみっこである物を見つけたのです。
「ああ、それはね…」
朝ごはんのしたくをしながら、とうさんは目を細めます。
「…お前のかあさんが、作ったんだよ」
茶色くて、ふわふわの毛がたくさんついた、ぬいぐるみ。でもその顔には目も口もなく、ただ二つの耳だけがぴょこんととびでているのでした。
「お前の初めての友だちになるように、ってね」
「でも、目も口もなくちゃ、友だちになれないよ」
ユウくんは、口を尖らせます。
とうさんはクスクスと笑って、そして少しまじめになって、いいました。
「本当に、そうかな?もしかして、ユウと友だちになりたい、って思っているかもしれないよ。いっしょに遊ぼうって。よく見てごらん」
そう言われてみると、顔のないその人形が、ふざけていないいないばあをしているような、不思議な気持ちになって、ユウくんは思わずにっこりしてしまいました。
「気に入ったのかい?」
つられてとうさんもにっこりします。
「うん、僕の友だちにするよ。名前は…」
ユウくんは少し考えて、その人形に呼びかけるように言いました。
「くまちゃん…、でいいかな?」
確かめるようにそう言うと、ユウくんは少し緊張しながら言いました。
「よろしくね、くまちゃん」
それからしばらくして、ユウくんととうさんが、朝ごはんを食べています。窓からは朝の光がさして、戸棚の上の一枚の写真を照らしています。
若い、やさしそうな女の人が、小さな赤ん坊を抱いた写真。眠っている子どもを、笑顔で見守っています。
「かあさんと、ぼく?」
いつかユウくんがたずねたことがあります。
「ねえ、とうさんはどこにいるの?」
すると、とうさんはニコッとして、カメラを構えるしぐさをしました。
「とうさんが撮ったんだ。このときは、大変だったんだぞ!ユウが泣き止まなくって…」
かあさんが今でも見守ってくれているようで、ユウくんはこの写真が好きでした。
ユウくんのおうちは小さな病院で、ユウくんが幼稚園から帰ると、いつも医者のとうさんがむかえてくれました。
「ユウ、おかえり」
「ただいま、とうさん」
とうさんは忙しい仕事の合間に、遊んでくれたり、ごはんを作ったりしてくれます。でも、ときどき、お医者さんですから、急な用事が入る事もありました。
「ユウ、いまから診なくちゃいけない患者さんがいるんだ。すぐ帰るから、おまえは先に寝ていなさい」
天気のわるい、冬の夜でした。厚い雲が空を覆って、星ひとつ見えません。
「うん、わかったよ、とうさん。おしごとがんばってね」
「ユウ、ひとりにしてすまない」
「大丈夫だよ、とうさん」
とうさんが出かけるのを見送って、ユウくんはドアにカギをかけます。
「さあ、とうさんの言うとおり、先に寝なくっちゃ…」
とぼとぼとベッドにむかい、ふとんにくるまると、ユウくんは目を閉じました。
いつもならそのままぐっすりなのですが、今日は勝手がちがいます。小さな病院はみょうにだだっ広くて、外では風がごうごう吹いています。
「大丈夫って言ったけど、本当は…」
いつもなら、ユウくんが眠るまでとうさんがそばにいてくれます。でも、今日はひとり。
「…本当は、さみしいけど、とうさんに心配かけちゃいけないから…」
その時です。なにげなくのばした手の先に、フワッと柔らかいものがふれました。
「んっ、なんだろう?」
ユウくんがそれをグイッとひっぱると、
『ちよっと、アイタタタっ!』
という声が聞こえました。
あっけにとられたユウくんをよそに、声の主は続けます。
『そんなにひっぱらないの!』
真っ暗な部屋の中で、なぜだかその姿が、ハッキリと見えるのでした。
「くまちゃん?」
ユウくんは驚きの声を上げます。
『そうだよ、キミの初めての友だち、くまちゃんだよっ!だからもっと優しくあつかってくれたまえよ!』
ユウくんはうれしくなって、それを自分のそばに引き寄せました。
「うふふふふ、くまちゃん!へええ、きみ、しゃべれるんだね!」
『ひっぱらないの!…ああそうだよ、口はないけどしゃべれるし、お目目がなくてもよく見えるのさ』
まるまるとした茶色いからだをそりかえらせて、エッヘンと大いばりして、それから静かにユウくんに向き直りました。
『ひとりぼっちで、さみしいのかい?』
突然まじめになるので、ユウくんはびっくりしました。でもその言い方は、ユウくんをきづかうような、そう、まるでとうさんのような言い方でしたので、ユウくんは安心して、ほんとの気持ちをうちあけました。
「うん、ときどきね。でも、とうさんに心配かけちゃ、いけないから…」
言いかけたユウくんのおでこを、フワフワしたものが撫でていました。
『そういう時は、言ってもいいんだよ。ガマンしなくっていいんだ。心配かけていい。とうさんは…きっと、心配するのもとうさんの仕事だ、って思ってるはずさ』
ユウくんは、鼻の奥がツーンとするような、へんな感じがしました。悲しいのでも悔しいのでもないのに、なぜか、がんばっていないと、涙がでそうになるのでした。
「うん、本当はさみしい時もあるんだ。ひとりぼっちで」
ユウくんがそう言ってだまると、くまちゃんが、少し明るい口調で言いました。
『…そうだ、いいことがある!目を閉じてごらん、そう、そして僕の手を取って…』
ユウくんは言われたままにします。何が始まるんだろう?
『僕が合図したら、目を開けてごらん。いいかい、3、2、1、ハイ!』
天井のある場所に、空がありました。厚く重い雲におおわれた、冬の夜空。
「えっ、すごい、くまちゃん!これって…」
天井の上の屋根のそのまた上の、ここにあるはずのない景色に、ユウくんはびっくりしていました。
『ふふふ、驚くのはまだ早い。目を閉じて…そう…3、2、1、ハイ!』
ユウくんが再び目を開けると、あたりは一面の星空でした。
「すごい!くまちゃん!雲はどこに行ったの!」
『キミは今雲の上を見ているんだ。どうやったかって?…ふふふ、僕には目がないけど、キミが見える。キミにだって雲の上が見えても、不思議じゃないさ!』
ユウくんは首をかしげます。
「ぜんぜんわからないよ…」
くまちゃんは大げさな身ぶりで星空に手を広げます。
『ふふふ、ごらん!厚い雲の上でも、星たちは輝いているんだ。誰にも知られずに、静かに』
ユウくんは思います。見えなくても、雲の上、空の上で光っている星たちがいる。そう思うと、まるで星空の中にいるような、星をちりばめた夜空の毛布に包まれているような、不思議なあたたかい気持ちになりました。
『空が暗い夜にも、光る星たちの事を忘れないでいてくれたまえ。そうすれば、キミはもう、ひとりぼっちじゃない…』
「ただいま、…ユウは寝たか…」
ユウくんの部屋のドアを開けて、とうさんがつぶやきます。
「ふふっ、よく寝てるじゃないか…」
居間の薄明かりが差し込んで、暗い部屋のようすがうかがえました。
ベッドの上では、ぶかっこうなぬいぐるみを抱いて、ユウくんが寝息を立てています。
「初めての友だち、か…」
とうさんは小さな声で言うと、ユウくんのはだけたふとんをそっとかけ直します。とうさんは薄暗いへやで、椅子に腰掛けて、ユウくんの楽しそうな寝顔を飽きずにずっと眺めていました。