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豆腐屋「紅葉」繁盛記

作者:道草家守
 
 大きなビルが建ち並ぶようになった寿市の松竹駅前にある商店街。
 その一角に、俺の店「紅葉」はある。
 近頃の不況やら隣町の都市開発やらのせいで寂れちまった商店街で、今でも何とかやってる豆腐屋だ。
 そりゃあスーパーに比べればちいと高いが、何てったって味がいい。
 全国からより集めた新鮮な大豆を一昼夜戻しすり潰したもんをじっくり煮て、絶妙に絞った豆乳で、その日に売り切れる分だけを丁寧に作るんだ。
 天然のにがりで今流行りのとろけるようななめらかな食感にするには、そりゃあ技術がいるんだぜ?
 豆の香りたつ豆腐は冷や奴はもちろん、今の寒い季節なら湯豆腐だって最高だ。
 そんなもんパックに詰められた豆腐に負けるわけねえだろ?

 歴史をさかのぼれば江戸にまでたどり着くのが自慢の豆腐屋「紅葉」だが、数年前にぽっくり先代が逝っちまった。
 それでも十数年前に家出したきりだったどら息子、つまり俺が戻って継いだのだが、先祖代々受け継がれた豆腐作りも知らずに始めたのだ。
 そのせいで、商店街内で廃り知らずで頼みの綱だった紅葉屋さんもおしまいだねえと、挨拶に行ったときは商店街の会長どもにこれ見よがしにため息をつかれたもんだ。

 確かにはじめこそ客足が衰えたもんだが、先代の味そのままの豆腐が受け継がれてるってわかれば、俺んとこの豆腐に慣れた奥さんたちはちゃあんと戻って来てくれたさ。
 ついでに、若い兄ちゃんがやってるってことで、おばあちゃんにはかわいがってもらえるし、うちの製品を使ったスイーツを売り始めたら、若い高校生も立ち寄ってくれるようになってな。
 特に女子高生が、豆腐どうなっつやら、おからくっきーやらをきゃいきゃ言いながら食べていってくれんのは眼福だぜ?
 商店街のおっさんたちも、若者の発想力は良いもんだながっはっはと手のひら返した歓迎ぶりだ。
 その裏で俺に続けとばかりに女子メニューを開発しようとしてたが、のきなみ見向きもされなかったのには笑ったぜ。

 俺が、女子高生を呼び寄せるために、どれだけ苦労したと思ってんだ。
 豆腐の仕込みの合間を縫って女子高生の好みを調査し、女子受けする可愛くかつおしゃれなパッケージまで自分で作り上げたんだぜ?
 ほんと、パソコンってのは良いもんだ。
 絵師に頼まなくてもそれっぽい画像やイラストをいくらでもネットから引き出せるし、パッケージデザインもエクセルだのパワポだので簡単に作れる。便利な世の中だよ。
 おっさんじゃあ近寄らねえからって代替わりまでして行動に移したこの計画を、早々に真似できてたまるかっての。

「んー!やっぱ紅葉屋のおからくっきーもおいしー!」
「ね、豆腐どうなっつもいくらでも食べちゃうっ」
「またおいでな~」

 と、言うわけで、本日夕暮れ時の紅葉屋も、学校帰りのお嬢さんたちでにぎわい、用意していた豆腐どうなっつもおからくっきーも完売。ついでに俺の心もぽっかぽかってもんだ。
 夕飯時の買い出しの奥さんがたの混雑も終わり、あとはのんびりとした時間が流れる。
 その空隙を利用して、俺は店の作業場で水切りしてあった豆腐を切り始めた。

 豆腐屋は夜明け前からの重労働だ。朝昼と食ってもこの時間には腹が空く。夕飯まで持たせられりゃそっちの方がいいが、もう少しばかり店を開けなきゃなんねえんなら多少の腹ごしらえは必要だ。
 っといいつつ単に俺が食いたいだけなんだが。

 厚みは一寸、今は三センチに切った豆腐に串を打ち、コンロのガス火に網を渡し、煉瓦を二つ並べて作った即席の焼き場でじっくりあぶる。

 本当は炭火が一等うまいんだが、裏手に回んなきゃなんねえから、店番途中の今やるのはよろしくねえ。
 串を打った豆腐は、しっかり水切りしたおかげで崩れる気配もなく、いい感じに端っこが焦げ始める。
 程良いところで仕込んでおいた味噌を塗ってさらにあぶれば、味噌の焦げる香ばしいにおいが立ち上ってきた。

 いいねぇ昔っからこの香りがたまんねえ。

 ごくりとつばを飲み込んでいると、しゃり、と店の外から地面を擦るような足音がする。
 珍しい、このご時世に草履の摺り足の音なんか。

「もうし」
「へえただいま」

 あともう少しだったが、客ならば仕方がない。
 俺はこれ以上焦げないようにコンロの火を消し、頭に巻いてる手ぬぐいだけは確認して、急いで店に顔を出したのだが、目を丸くすることになる。
 そこにいたのは、ちんまい珍妙なお客だった。

 まず、服装があれだ。
 黄八丈、っていっても今の人にはわからねえか。
 よく時代劇で町娘と言えばこれって感じに着られている黄色地に赤の格子模様が入った着物を短めに着て、その上から浴衣を羽織って埃除けにし、ついでに手ぬぐいを姉さんかむりにして埃除けにしている。
 極めつけに脚絆を巻いた足には草履をはき、手には杖と風呂敷荷物だ。

 要するにあれだ、今じゃ時代劇でもお目にかかりづらい、お江戸時代の本格的な旅支度なのだ。

 そんな形を10をいくつかすぎたくらいの娘っこがしているのだ。
 俺だって仕事着にしてるのは藍色の作務衣だが、この娘にはかなわねえ。
 しかも全体的に埃まみれでよれていることからコスプレのたぐいと疑う余地もない、ごく自然な着姿である。
 だがここは江戸時代じゃない。平成も20年以上過ぎた鉄筋コンクリートの建物ばかりが立ち並ぶ商店街である。
 うちとしても火事を出しちゃいけねえと、作業場は先代の時に鉄筋に変えちまったくらいだ。
 案の定、商店街の寂れた町並みに、娘さんの時代劇めいた旅姿は浮きに浮きまくっていた。
 人通りがぽっかりととぎれているのが幸いだろうか。
 そのすさまじい違和感に俺が声をなくしていると、じっとガラス張りのショーウィンドウに並ぶ豆腐や豆腐製品を見ていた娘が、ぽつりと言った。

「油揚げを、一枚くださらぬか」

 妙にか細い声だったが、はっと我に返る。
 そうだ、客がどんな格好をしていようと、俺は豆腐屋だ。
 求められれば売るまでだ。

「へい、ただいま」

 と商売人らしく考えてみても、油揚げ一枚とは妙な注文だと思いつつ、素早く平たい紙袋を出し、そこに自家製の油揚げを入れる。
 うちの油揚げはちょいと違う、スーパーで売ってる油揚げより一回り大きい。
 そんなんじゃいなり寿司はできない? ちゃあんといなり用の小さい油揚げも用意してるぜ? 
 品ぞろえの良さも売りだからな。

「手提げ袋はいりますかい?」
「いや、そのまままでけっこうだ」

 ならばと袋の口を折り返し、片端だけちょいと折って渡してやる。

「ほい、60円だ」
「……これで足りるか」

 差し出されたずいぶん古びた10円玉6枚と引き替えに、油のしみかけた袋を渡すと、娘はごくりとつばを飲み込んでいた。
 袋に伸ばす手も震えてる。

「恩に着る。主人」
「お、おう」

 異様に真剣な娘に、ちょいと気圧されていた俺だが、娘が油揚げの袋をつかむ寸前。
 ぐう~~~~っと、すばらしく良い腹の音が聞こえた。

「……」
「……」

 俺も小腹はすいてるが、俺のじゃねえ。
 みれば、娘の顔は真っ赤だ。うんだろうな。盛大だったもんな。
 思わず、声をかけてしまった。

「お狐様ってのも大変なんだな。油揚げ、一枚で足りるかい?」

 あんまりにも盛大な音だったもんで、一枚サービスでもしてやろうかと思っての言葉だったが。
 とたん娘の瞳がすうっとすがめられた。
 周辺の空気までひんやりとするような、警戒心ばりばりの表情である。

「なぜ、わしを狐と表すか」
「いや、だって……」

 耳、出てるし。

 姉さんかぶりにしてる手ぬぐいが落ち、そこからにょっきりと現れている三角形のふっくらとした金色の耳は、俺が指摘したとたん、毛が逆立った。

「……おのれ、」

 羞恥から驚きに、そして、般若の形相に変わった娘の周囲に、ぽわりと炎の玉が出現した。
 青々とした怪しげな狐火の乱舞は幽艶だが、どう考えても剣呑だ。
 一転して完全なる臨戦態勢に俺はたらりと冷や汗が滴るのを感じる。

「えちょ、お客さん?」
「唯人に神使(しんし)たるわしの姿を見破られたとあれば、末代までの恥となる。口を封じるしか、ない……」
「いやちょっと落ち着いてマジで落ち着いて!!」

 もはや殺す気満々の娘に、俺は大慌てで意味もなく手を振る。
 ここは、原野でもなく山中でもなくふつうの商店街!
 しかも俺の店の前!
 このままぶっ放されでもしたら恐ろしくヤバいっ!!!

「いやいや待て落ち着けほれよく見ろ!!」

 高まる妖力に冷や汗をかきつつ娘が狐火を投げようと手を振りかぶる前に、大慌てで目深にかぶっていた手ぬぐいをむしり取り、額を指し示す。
 そこでやっと娘の視線が上がる。
 辺りが黄昏に染まる中、青い炎に照らされて、俺は青ざめた娘の顔を初めてまともに見た。
 つんとした鼻に、達人の絵師によって精緻にはかれたような切れ長の瞳は清楚とさえいえる。
 なのにぽってりとした唇からは滴るような色香を感じて、10にもいくつか越えたばかりの娘なのに、俺は思わず見惚れた。
 だが、俺のそんな視線には目も入っていないかのように、娘の黒々とした瞳は俺の額にある、三ツ目(・・・)に注目していた。

「みつ、め?」

 急に空気に触れた刺激で、俺が額の目をぱちぱちと瞬きすれば、娘は驚いたようにびくりと震えた。
 とりあえず狐火が止まったことにほっと息をつく。

「俺も妖なんだよ。おまえさんみてえに神の使いなんてお役目なんてもんはねえ、平妖怪だけどな」
「同じあや、かし……」

 気の抜けた顔で脱力したとたん、狐火が霧散する。
 ほう、と息をついた娘の後ろで、着物の裾が落ちた。
 着物の裾を持ち上げていたのは狐の尻尾だったのか。
 だが娘がふらりと体を揺らめかせたのを見て、俺は慌ててショーウィンドウの傍らにもうけている通用口から飛び出した。
 とたん、商店街の喧噪が響いてきて、娘が何かの術をかけていたことがわかる。
 倒れるすんでのところで娘を抱えた俺は、その軽さに驚き、狐火で青いと思ってた顔が本当に青ざめていることに気づいた。

「お、おいどうしたよ、おまえさん……」

 娘はそれだけは手放さなかった油揚げの入った紙袋を握りしめ、か細い声で、訴えた。

「おなか、すいた……」

 ぐうっと、返事をするように腹の虫が主張した。




 **********




 豆腐屋の店舗と作業場スペースと俺が寝泊まりする住居スペースはガラスの引き戸ひとつで通じている。
 家の方はほとんど改築してねえから、大空襲の時も生き残った日本家屋のまんまだ。
 店舗を改築するときにこっちもやらねえかと業者からは言われたもんだが、この畳と木と漆喰の家は気に入っていて、耐震補強以外はそのままにしている。

「ほれ、食え」

 狐娘の術が解けたせいで人通りの戻った商店街に、耳と尻尾を丸出しの娘をおいておくわけにも行かず、俺は作業場から引き戸一枚で続く茶の間にぐったりとした狐娘を運び込んだ。
 そうして、ちゃぶ台に俺のおやつ用にと作っていた味噌田楽の皿をおいてやる。
 先ほどの狐火で体力を全部使い果たしたらしい娘は、さめかけでも香ばしい味噌の香りに惹かれたか、ひくりと狐耳を動かして顔を上げる。

「なんだ、これは……」
「味噌田楽だよ。豆腐に甘辛い味噌塗って焼いた。江戸じゃ屋台が並ぶくらいふつうの食いもんだったが、今じゃ全く見ねえよな」
「だが、金銭と交換しておらぬ物を無償でもらうわけにはいかぬ。そ、そうだわしのあがなった油揚げが……」

 ぐうぐう腹を鳴らして食い入るように見つめていても、手を出さねえその気概は敬服を通り越してあきれるけどな。

「絶食の最中にあぶらもんなんざ体に悪いって」
「じゃが……」
「なら俺からお前さんにお供えだ。うちは豆腐屋の商売だからな。おいなりさんっていったら商売の神様だろ? うちだって商売人だからお供えだと思えよ」
「そ、供え物かわしに……」

 めちゃくちゃ驚いた顔をして俺の顔見ていた娘は、味噌田楽に向けてひどく真剣に手を合わせた。

「では、いただきます」

 震える手で竹の串を持ち、若干冷めた田楽をそっとかじる。
 ぷちり、と(あぶ)られて乾いた表面を白く小さい八重歯が破るのが見えた。
 いま、娘の口の中では、温もりの残る豆腐と香ばしい香りの味噌の甘みが絶妙に絡み合っていることだろう。

「おい、しい……」

 当然だ。手前味噌を独自に調合し、自家製の木綿豆腐を俺が長年研究した絶妙な加減で水切りをしている。見た目よりも手間暇をかけてる一品だ。
 だが、娘のしみじみとした声がおいしさの感動だけではなく、少し湿り気を帯びている気がした。

 一体どれだけ食っていなかったんだと思いつつ無心に田楽をかじりだした娘を茶の間に残して、俺は頭を掻きつつ台所に立つ。
 この腹へらしの狐に、何を食わせてやるか。



 その後、絶食の後だからと、土鍋に一丁分の湯豆腐を出してやり、水物だけではあれだと、よく泡立てた卵とくずした豆腐を混ぜ澄まし汁に入れて煮立てた物を白飯に乗っけた「ふわふわ豆腐丼」もつければあっという間にぺろりと平らげた。
 せっかくだからと娘の買った油揚げをさっとあぶり、生醤油と大根を添えて出してやれば、それはもう幸せそうな顔でかみしめていた。

「幸せなひとときであった。主人には感謝の言葉もない」

 若干生気の戻った顔で、かちりと箸をおくと、畳の上で膝をそろえて三つ指をついた狐娘に、ついでに夕飯をすませた俺は食器を片づける手を止めて座り直した。

「ああ、まあいいんだよ。このご時世、妖怪が生きていくのも大変だからな」
「まさか、100年ほどでこれほど世相が変わっていようとは思わなんだ。つい最近、総本山より社守(やしろまも)りに任じられたのだが、任地が遠くてな。その前は小さな分社で御使いをしておったのだが、支度金としていただいた賽銭では汽車にも乗れず、京からここまで東海道をたどって歩き詰めたのだ」
「じゃあ、さっきの油揚げの代金は」
「……わしの、全財産だった」

 切なく微笑する狐娘に対し、俺はひきつり笑いを浮かべるしかない。
 今じゃどこにもコンクリで道が舗装されているとはいえ、狐の本山がある京都からここまで半月以上はかかるはず。
 そんな遠くに大した支度金もなしにほっぽりだすって、ずいぶん世知辛いな、神の使いって。

「じゃが、良いこともあったのだぞ! 公園とやらに行けばたいてい安全な飲み水が手に入るし、新聞とはまことに温かいのう……あれにくるまればたいていの寒さはしのげた。ときどき紺色の軍服のような物を着た者共に連れ去られかけたが、飯が手には入らぬ以外はなんとかなっていたのだ」
 ……いっぺん警察のお世話になった方が身の振り方とかいろいろ教えてもらえたんじゃなかろうかとそこはかとなく思った。

「汽車を知っているってことは、お前さん明治生まれかい」
「うむ。これでもおばあちゃんなのだ。まあ、素質ありと認められ、すぐに御山に入ったから、人界のことはとんと分からぬがな。この服装で歩いていると、ずいぶん人の子に見られたものよ。じゃがな、それに気づいたときにはすでに腹が減りすぎて変化の術も使えなかったのだ」

 一応服装が変だと自覚はあったらしい。
 ちょっぴり苦笑する娘は狐とはいえどう見ても100年も年を重ねているようには見えない。
 世間ズレしてないと言うか、浮き世離れしているというか。
 そんな奴に分社を任せようって、どれだけ稲荷んところは人手不足なんだか。
 ポリポリと頬を掻いていると、狐娘は身を乗り出してくる。

「で、主人はどんな妖なのだ」
「そんなわくわくされても、たいしたもんじゃねえぞ。”豆腐小僧”ってわかるか? ただ豆腐を持って歩くだけの毒にもならなきゃ薬にもならねえ弱小の妖怪だよ。ああ、そういえば、自己紹介が遅れた。俺は紅吉って言うんだ」
「小僧……?」

 案の定というか、狐娘は、俺を上から下まで眺めて妙な顔になっった。
 まあそうだよな。今の俺の姿は人の年で言えば二十代後半の男だ。
 ガキを意味する”小僧”というのにはちょっと薹が立っちまってる。

「小僧っていうのは曖昧な定義だからな。未熟な若造という意味で使われたりするだろ? 俺はそこを過大解釈してこの姿を保ってんだよ。まあそれができるのも、豆腐屋を続けることで妖としての存在を維持しているからなんだが」

 妖は人を化かすことでおそれや驚きといった感情を自分の力とする。
 多くの人を化かせばそれだけ自分の力になるわけだが、それぞれの妖怪ににあった化かし方がある。
 俺なら道ばたにたち、道行く人に盆の上の豆腐を勧める。といった所だ。
 はっきり言ってしょぼい。
 しょうがねえ。”豆腐小僧”ってのは人に描かれたことで生まれた新興の妖怪だからな。
 妖怪には厳しいこのご時世。
 強い感情を引き出しにくい権能では、生まれたとしてもまず消えるのが落ちだ。
 自分の存在が、豆腐を売ることでも維持される、と気づいたのはいつだったか。
 前々から豆腐屋に奉公したりはしていたが、明治の改元のどさくさに紛れて、豆腐屋を初めて百年とちょっと。
 人の寿命がくるたびに、新しく倅に成り代わって豆腐屋家業を続ければ、それなりに権能も強化されたようで、外見をいじることぐらいはなんてことはない。

 説明すると、娘は素直に目を見張った。

「紅吉どのはすごいな。人の中にとけ込んで百年とは。わしは百年たってやっと人型をとることができるようになっただけだ。狐火も出すだけで手一杯だぞ」

 気恥ずかしげに言うのに、ん?と思ったが、その前に娘は言葉を続けた。

「申し訳ない。わしは、尾花(おばな)ともうす。一応地狐(ちこ)の身分。そうか、豆腐小僧であったか。だからこのように出す豆腐もお揚げも美味なのだな」

 結構自虐的に言ったのに、狐娘、尾花はこちらを侮るでもなくさげすむでもなく、ただひたすら素直に感心していた。
 もしかしたら、あんまりにも世間知らずすぎて、上魔と下魔の区別も薄いのかもしれねえ。
 だが油揚げにはうるさい狐の眷属に幸せそうに頬を染められれば、嬉しくないわけがない。

「ありがとよ。ま、逆に妖としちゃ毒にも薬にもならねえ豆腐って権能があったおかげで、こうして何とか人に紛れて過ごせてるけどよ。お前さん、これからどうするんだい?」
「むろん、任地の社へ向かう。地図ではこのあたりであるから、行き倒れることもあるまい」

 いや、行き倒れを前提に考えられても困るんだが。
 どうしてそこはたくましい。
 で、尾花が懐から取り出しちゃぶ台に広げた地図を脇からのぞく。
 荒い和紙に、墨で適当に書かれていたが、確かにこのあたりの地図だった。
 と、言うか、このあたりでウカノミタマノ神がまつられている場所は一つしかねえと知っている俺は、珍妙な顔をせざるを得ない。

「雨風をしのげる社さえあれば、何とかなるだろう」
「おい、尾花。そこは確か御神体だけ納めた小さな社だ。雨風はしのげねえぞ」
「なん、だと……」

 とたん絶望に染まる尾花に、俺は頭を掻きつつ、三ツ目をしかめた。
 拾っちまったもんは、しかたねえか。

「うちに、下宿するか」
「……なんと、申されるか」

 今にもさらさらと砂になっていきそうな尾花の耳がぴくりと動いた。

「あいている4畳半の部屋がある。うちにいる間は豆腐店も手伝ってもらうが、朝昼晩飯付きだ。どうだ」

 尾花は涙ぐみながら、正座のまま姿勢を正すと、きれいに三つ指をついて頭を下げた。

「よろしくお頼みもうします」

 妙なもんを拾っちまったと思いつつ、こうして豆腐屋「紅葉屋」に狐の看板娘がやってきたのだった。



 **********




 こうして増えた豆腐屋の看板娘は、なかなかの拾いもんだった。
 そりゃ、はじめのころはひどかったさ。
 現代の常識がごっそり抜けてる尾花は、時代遅れの俺の家でも驚きの連続だった。
 つまみをひねれば火はつくし、蛇口をひねれば水がでる。

「紅吉はすごい妖術つかいなのだな!!」

 と、尾花は本気で目をきらきら輝かせるもんだから、説明するのにも苦労した。
 はじめてテレビをつけた時は、尻尾をぶわりと膨らませて威嚇してたのには腹を抱えて笑ったね。
 当分の間からかうネタにしてやった。
 やり過ぎて、ぴしぴし狐の尻尾でぶっ叩かれたのにはまいったが。

 店でもレジの打ち方がわからなかったり、人に声をかけられるのにいちいちビビっていたりしていたが、頭の出来は悪くないらしく、一週間もたてばすっかりなじんだ。

 尾花については、親戚の娘さんをこの近くの高校に通わせるために引き取った、ということになった。

 ずいぶん苦しい言い訳になったが、紅葉屋の先代(俺)の縁戚関係なんて商店街の奴は誰も知らん。元からないものがおかしいだなんて気づくはずもねえ。
 それに、そこは修行を積んだお狐様だ。
 尾花は人に尋ねられれば幻術で「親戚の娘」という設定を商店街の人間に納得させていった。

 一応学生という設定だから日中は店に出られないが、逆にその時間を利用して知行地を巡り(尾花の受け持ったのはこの商店街周辺だった)、放課後に当たる時刻には紅葉屋に戻ってきて店番を手伝うという流れができた。
 尾花が、ちっさい社でもめげず、こつこつ神狐としての役目を果たしているおかげか、最近商店街に活気が戻ってきたような、こないような。
 どちらにせよ、紅葉屋は尾花が来て以来、ずいぶんとにぎやかになった。

 洋服は落ち着かないと着物姿の尾花が、おぼつかない手付きながら一生懸命店番をする姿はすぐに周辺に広まり、ゆるゆると売り上げが伸びていったのだ。

 尾花の初々しい接客ぶりをほほえましく見ていく奥さんおばちゃん衆はもちろん、見た目中学生にしか見えない尾花をかわいいと言う女子高生が増えたのはうれしい限りだが、男子学生まで増えたのは予想外だ。

 部活帰りだと思われる、汗と土まみれの野郎どもが脂下がった顔で尾花と見ていくためだけに可愛らしいパッケージのどうなっつやらくっきーを買っていくのは何とも言い難く滑稽だ。
 尾花も一人一人にまじめに応対するもんだから、哀れ男子学生はリピーターになる。
 しょうがねえと、厚揚げを遠火であぶり田楽味噌を塗った「揚げ田楽」を売りに出したら、8割近くの男子学生がほっとした顔でそちらに流れていった。
 その姿はいじらしくて、ほろりときたね。
 ついでに売り上げもちょいと伸びたから、俺としちゃ、尾花様々だ。

「お、尾花ちゃん揚げ田楽二つ、いや、三つください!」
「はい、ただいま。ああ昨日も来てくれましたね。ありがとう」
「は、はひっ!」

 俺から揚げ田楽を三本受け取った尾花が、すいと袖のたもとを抑えて差し出し、ちょっぴり八重歯をのぞかせて笑めば、たちまち男子学生の頬は朱に染まった。
 男子学生は、俺が店番に立ったとたん寄ってこなくなるため、夕方は尾花の独壇場だ。
 おかげで翌日の仕込みやらこういう支度に集中できるんでいいんだが、釈然としねえ。

 今日も罪もなき男子校生を惑わせた尾花が受け取ったお金をレジにしまい、ふいと息を吐くと、俺を振り返る。

「紅吉殿、今日の夕飯は何かの」
「そうさな、ひりょう頭が余ってからそいつで煮物と、野菜と炒める炒り豆腐かね」
「そうか、紅吉殿のつくるひりょう頭は大好きだ」
「おまえ、俺の作る豆腐料理に全部言うよな」
「当然だ、全部好きだからな!」

 得意げに胸を張って言うその言葉に嘘がないことは、表情からしても明白だ。
 尾花の背から、ぴょこんと飛び出した尻尾がうれしげに揺れているのが何ともわかりやすい。
 俺の趣味で三食必ずなにかしらの豆腐料理が出てくるというのに、尾花は文句一つ言わないどころか、喜々として平らげるもんだから、作りがいがある。

「一番好きなのは、味噌田楽じゃな。あの程良く焼いてできた皮のところのかりっとしたのが何ともいえずうまい」
「お前、お狐様だろ? 油揚げはどうした」
「お揚げはな、お揚げで好きなのじゃが。紅吉殿の作る味噌田楽の方が好きになってしもうた」

 桃色に染まった頬に手を当てて言う尾花に、俺も思わず顔に血が上る。

「お、おう。そうか」
「そうなのじゃ。責任、とってくりゃれ?」

 いたずらっぽく笑った尾花の表情に、不意に影が差す。

「それは冗談としても。わしは、地狐になれたとはいえあんまり出来のよい方ではないのでの。紅吉殿には迷惑かけ通しで面目ないが、もうしばらくここにいさせてもらいたいのじゃ」

 その弱々しい言葉に、俺は思わず顔が険しくなるのを自覚する。
 はじめの途方にくれ方からして、家事などしたことはなさげだというのに、はじめは掃除、次は皿洗い、と、率先して覚えていこうとする姿勢は上等すぎるってもんだ。
 そろそろ給料とか出してやんなきゃいけないかねえと思うくらいには、なくてはならない従業員ぶりだ。

 だというのに、尾花はそれを当たり前だと思いこむ。
 たかが百年で、小さいとはいえ社の神使を任されるのはすげえ出世のはず。
 だが、尾花は全くと言っていいほど誇らず、卑下するいきおいだ。
 この自信のなさはどこからくる?
 この半年、ずっと暮らせばわかる。尾花が良い娘なことくらい。
 ……ここに来たほかの経緯も気になるし、今日という今日は、聞いてみるか。

「おい、尾花――」

 あらたまって俺が声をかけた矢先、尾花の耳の毛がすさまじい勢いで逆立った。
 着物の中に隠れてた尻尾がぶわりとふくらむのさえわかる。

「な、なぜあの方がここに来るのじゃ……!」

 真っ青な、出会ったとき以上に倒れそうな顔になった尾花が、転がるように店の外へでる。
 いつの間にか、通りの人影が絶えていた。
 俺は瞬時に悟った。これは尾花が使っていたのと同じ術だ。

 俺も尾花を追って外に出れば、藍色に染まる道の向こうから、ゆらり、ゆらりとおびただしい数の狐火を引き連れる集団が見えた。
 先頭に立つのは二本足で立つ狐達だった。
 揃って着ている狩衣の白がぷかりと浮かぶ狐火に照らされ、気味の悪い青に染まっている。
 その道行きが馬鹿にゆっくりと店前までやってくると、すい、と音もなく集団が割れ、やけに時代錯誤な直衣姿の、男が一人現れた。
 いや、時代錯誤と言えば、この仰々しい集団全体を言うのだが。
 その男は、なんちゅーか、そう。
 麻呂眉だった。
 しかもその麻呂眉ですらおしゃれなんでねーのと思わせる、切れ長の一重をした美男だった。
 だけど麻呂眉だ。 
 更に言えば、その自分は下界と一線を画していますよーてきな空気感がくっそ気に入らねえ。
 だが、尾花はその男を見るや否や、着物が汚れるのもかまわず地面に膝をついて頭を下げた。

「久しいな。地狐、尾花よ」
「ご、ご無沙汰しております。天狐御崎(みさき)様」

 天狐、という言葉に俺はぴくりと眉が動いた。
 確か、天狐って言うのは千年ぐらい生きて、修行を積んで初めてなれる位だ。
 神通力も思いのまま、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とも直接話ができてご用聞きもできるお偉いさんのはず。
 ということは、尾花の上司に当たるわけだ。
 ふつうに考えれば、上司自らが部下の仕事ぶりを視察ってことになるのだろうが、尾花のこの恐がりようは尋常じゃねえ。
 前掛けの裾をしわが寄るほど握りしめているし、今も見てわかるくらい、震えてる。
 一体どんな関係だ、その切れ長野郎をにらみつけていると、周りにいるお着きの狐たちが、俺をみながら騒ぎ出した。

「貴様、天狐たる御崎様の御前で頭が高いぞ!」
「汚らわしい妖怪の分際で! 控えおろう!」

 控えおろうなんて久しぶりに聞いたわ、と吹き出しかけるのを俺が震えつつ気合いでこらえていると、その御崎様とやらがすいと閉じた扇で狐どもを制した。

「よい。神狐たる我の霊威に恐れをなし動けぬのであろう。弱き妖によくあることぞ。捨て置け」
「はっ……」

 へーへーお優しいこって。
 しらーっとしている俺の様子には気づきもせず、その御崎様とやらは一歩踏み出すと、ひざまずく尾花をためすがめつ眺めるとぼそりとつぶやいた。

「……まだ野狐に下っておらぬのか。存外図太い狐よの」

 俺の耳にも届いたのだから、そばで投げつけられた尾花にも当然聞こえた。
 びくんっと肩を揺らす尾花に、御崎の能面のような顔にわずかに愉悦の色が乗る。
 ……決定。今全力でこいつを嫌いになったわ。

「高々百年修行しただけの地狐が、小さいとはいえ社守りの大役をいただいたのは、我の口添えのおかげであるのは、わかっていような」
「はい、御崎様」

 ねっとりとした御崎の言葉に、尾花が答えたとたん、扇が尾花の肩口に振りおろされた。

 バシンッ! と容赦なく打ち据えられたそれを、俺はとっさに理解できなかった。
 よけなかったのだ、尾花は。

「それをなんだ!! 半年もたっているというのに、手柄の一つも立てずにのうのうと市井なぞで暮らしおって!! 貴様はどれほど無能なのか!!」
「申し訳ありません、御崎様っ」
「前々からそうであった。どうせ我から離れたのをよいことに、遊びほうけておったのだろう? わしが監督せねばすぐに休みたがったからの。
 百年待たず狐火を出せるようになったというから我の傘下に引き入れてやったというのに、任せた仕事の半分もできずに修行の時間をもとめおって!」
「申し訳ありません! 御崎様のお仕事の代わりをできるようになるには、自分の霊力を高めるのが一番のちかみ……」
「言い訳など聞かぬわ!!!」

 般若の形相の御崎によってもう一度振り下ろされようとした扇を、俺は鷲掴みにして止めた。

 天狐だとか、神の使いとか関係あるか。
 平妖怪にだってな、譲れねえもんぐらいあるんだよ。

「おい、てめえ、うちの看板娘になにしやがんだ」
「紅吉、殿」

 驚く尾花の気配を背に感じつつ、麻呂眉野郎の顔にガン垂れれば、御崎はまるで今、初めて俺に気づいたように不思議そうにしていた。
 だが引き戻そうとした扇がびくともしないのを見て、初めて不快そうな表情をする。

「なんだ、妖怪。これは我ら師弟の問題。そなたの狭き了見で踏み入れてはならぬ境界ぞ」
「ごちゃごちゃうるせえんだよ。どう見てもてめえがかんしゃく起こしているようにしか思えねえんだよ、この陰険麻呂眉」
「麻呂眉っ!?」
「こいつはうちの大事な看板娘なんだ、傷物にされるの黙って見ていられるほど、俺の了見が狭くないんでね」
「なに、貴様御崎様に向かってなんたる暴言……!」

 ざわりとうごめくお供たちの怒りが行動になる前に、尾花が立ち上がって走る。
 そうして、俺と御崎の間に入るや否や、土下座の姿勢だ。
 驚き過ぎて思わず握っていた扇を放しちまった。

「申し訳ありません御崎様! この方には並々ならぬお世話になったのです! どうか、どうか、ご容赦ください!!」
「尾花……」

 俺はそれ以上なにもいえずに沈黙する。
 自分の時は抵抗しねえってのに、俺が危ないとなったとたん必死こくなんてちぐはぐだろ。
 そんな尾花の様子に、麻呂眉野郎はいやな笑みを浮かべた。

「このような、芥に等しい妖怪をかばうとは、……貴様、そこの妖に身を売ったか」
「なっ……」

 清廉が売りのはずの神狐にあるまじき下劣さで言いはなつ御崎に、顔を上げた尾花の頬が朱に染まる。

「そもそも着の身着のままで同然で放り出された貴様が任地にたどり着いているのがおかしいのだ。世間知らずで無能なお前が、人里で野孤に堕ちずに生きられるわけがないものな。低級な妖風情に身を売るとは……なんたる無様な姿だ」
「紅吉殿はなにも知らぬわしを拾ってくださったばかりか人里での暮らし方を伝授してくださったのに、なにも求めぬ高潔な方ですっ! わしが未だに地狐としての資格を有していられるのがその証拠でっ」

 必死で言い募る尾花の言葉を無視した麻呂眉野郎は、ばっと扇を広げるとさげすみの視線で言い放つ。

「そのような堕ちた狐が神使であるはずもない。貴様がそれ以上無様をさらす前に、我がこの場で滅してくれよう。その下劣な妖も一緒だ」

 とたんにお着きの狐が尾花と俺を取り囲み、腰の太刀に手をかける。

「さあ、醜く命乞いでもするが良い。さすれば多少なりとも生をつなげるかもしれぬぞ。なぶってなぶって。さあどんな舞を見せてくれるかのう」
「御崎様っ!!」

 愉悦に染まった麻呂眉野郎は完全に高みの見物をするつもりらしい。
 そんな豹変した奴を尾花は愕然と見つめていた。

「尾花」

 俺が名を呼ぶと絶望に染まる尾花はきっと立ち上がって、俺をかばうように両手を広げた。

「紅吉殿、世話になったというのに、このようなことに巻き込んでまことに申し訳ない。これは、私が至らぬ故のことであるから、咎は甘んじて受けよう。だが、紅吉殿だけはなんとしても守り通す」

 悲壮な覚悟で言い放つ尾花に、俺はため息をついてみせた。

「そんなくそ野郎に義理を通す必要はねえよ。あいつはな、元からお前さんを正当に評価する気なんざ更々ねえんだ」
「なにを、」
「そうだよな。御崎さんよ」

 呼びかければ、麻呂眉野郎の表情は変わらなかったが、ひくりとこめかみのあたりが動いた。
 黒だな。

「……なんのことやら」
「認めねえってんなら勝手に話すぜ。尾花はどうみたって優秀だ。生まれてすぐに修行に入ったからって、たかだか百年で地狐に上がって人化できるほどの霊力をえるなんざ、天才以外の何者でもねえ。
 それなのにこんなに自己評価が低いのはおめえが徹底的におとしめ貶し、こいつの自意識をひねりつぶしていたからだろ」
「……」
「その優秀さが目障りだったのか、別の理由があったのかは知らねえが、ともかくはじめは手元に置いていびることで満足していたお前だが、だんだん憎たらしくなっていったんだろう。限界に達したお前は、こいつを野孤、いや悪狐に落として、それを口実に殺すことにした」

 ぎっと目がつり上がる麻呂眉野郎の前で、俺は作務衣のポケットに手を突っ込み続ける。

「優秀とはいえまだ足で歩くしか移動手段のない尾花を着の身着のままで放り出せば、十中八九路頭に迷う。
 空腹のあまり盗みを働けばそれでいい。もし任地にたどり着いたとしても、生活を成り立たせるので手一杯であれば、神使の役目なんぞ果たせるわけがないから、どちらにせよ殺す口実になるって寸法だ」

 実際は俺が拾って要領のよさで神使の役目を果たしていたわけだが、どれだけのことをすれば及第点かは、麻呂眉野郎の胸三寸だ。

「みさ、き様、真なのですか」

 真っ青に形ながらもすがるように問いかける尾花に、御崎は、にんやりと唇をつり上げた。

「愚かで憎らしい女狐よ、野狐上がりの分際で、血統正しい天狐の我と同じ位へ上がるかもしれないなぞ何かの間違いだ。間違いは、正さなければならぬだろう?」
「よーするに野郎の嫉妬かよ。見苦しい」

 心底あきれた俺が言えば、麻呂眉野郎の一重のまなじりはつり上がり口の端が裂けていく。

「お主……我を愚弄してからに、楽に死ねると思うなよ」

 さすがは天狐らしく、ゆらりと揺れる大量の狐火が、とっぷり暮れた夜の空に浮かび上がり周囲が照らされる。
 電灯よりも幽艶に、ガスの火よりも不気味に飛び回るそれらの中で、尾花が額に冷や汗を浮かばせつつも、対抗するように狐火を出した。

「紅吉殿!! わしが時間を稼ぐ、早く、遠くへ逃げ……」

 振り返った尾花は、作務衣のポケットからスマホを取り出し操作をし始めた俺を見て、呆気にとられたようだった。

「なにを、しているのだ?」
「電話だよ、ちょっとまってなー……」

 案の定、通話ボタンをタップしたとたんつながったことに苦笑しつつ、スマホを少し離れた位置で構えた。

「よう、おや―――」
『紅吉きゅうううううううん!! 最近ご無沙汰だったじゃないかあああああっ! パパはさびしすぎてしにそうだったぞおおおおおお!!! 』

 戦国生まれがなにがパパだくそおやじ。
 その野太い嬌声に、反射的に通話を切りかけたが、すんでで抑えて用件を言う。

「親父、実はよ。店の近くの神社に勝手に神使が派遣されてきてんだが。半年前から」

 一瞬で、電話の向こうの空気が変わった。

『……おい、俺は知らねえぞんなもん』
「まあそろそろあの社を空にしておくわけにはいかねえと俺も思ってたからいいんだけどよ。
 せっかく気に入ってたのに、今その上司だって言う天狐様とそのご一行が来ていてよ、せっかく来た神使を勝手に処分するって言ってんだ。神社の人事異動には土地の組に通達がいく手はずになってたよな。親父、なんか話は来てるか」

 瞬間ドスの利いた舌打ちが聞こえた。

『(……てめえら、今すぐ稲荷本山につなげ!! 最近はマシになってたって言うのに下の馬鹿狐どものしつけを怠りやがって!! 今日こそ文句言ってやらにゃ気が済まねえ!!!!)』

 電話の向こうで部下に怒鳴り散らしたあと、親父は戻ってきた。
 つなぎはじめと空気が違う、百鬼夜行をまとめる組の頭の声音だった。

『その馬鹿狐、そこにいんだろ。話させろ』
「ほいよ。……おい、御崎、お前と話がしたいとよ」
「な、なんだ。その四角い板は……」

 俺が通話をスピーカーモードにして、いきなり電話を始めた俺に虚を突かれたようで立ち尽くしていた麻呂眉野郎に向けてやる。

『おい、よくもまあ儂のシマで好き勝手してしてくれたもんだなあええ? この落とし前どうつけてくれるんだ?』
「……な、なぜ天狐たる我が妖怪風情の慣例を気にしなければならないのか。そもそもたかが妖怪風情のこと、我がいちいち覚えているはずもないだろう」

 スマホから声が聞こえてきたことに少々びくつきつつ、ふんぞり返る麻呂眉野郎に、俺は本気で呆れかえった。
 薄々そうじゃないかと思っていたが、マジで知らないで来ていたのかよ。
 ……いや、そういえば尾花もここがどう言うところか知らなかったな。
 この弟子にてこの師匠ありってことなのか、いやだなこの認識。

『……ほう、それはすまなかったな馬鹿狐』
「馬鹿っ!?」

 案の定、親父の声は額に青筋が立ったのがわかるようなドスの利いた低い声だった。
 うわあ、し向けたとはいえ、マジで怒ってるな。

『紹介がおくれた。手前は、見越し入道の紅助(こうすけ)ってえもんだ。以後お見知り置きを』

 その名乗りを聞いた瞬間、さすがに麻呂眉野郎の表情が驚きに染まった。
 ああ、さすがに妖怪の長の名前ぐらいは知っていたか。
 周囲のお供が不安げにざわめいていた。

「関東一円を傘下に入れる入道組の組長だと……!」
「荒くれの妖怪どもを束ねて闇を支配する、妖怪極道の長!」
「つまり、ここは入道組のシマなのか……」
「まずいぞ、御山は組とはことを構えるなと言う姿勢であったはず」

『ちなみにそこにいるのは、儂のきゃわゆい一人息子だ! かすり傷でも付けてみやがれ! 稲荷本山にカチコミかけててめえの毛皮はいで襟巻きにしやるか――――っ……』

 親父がヒートアップする前に通話を切った。
 親父は愛が重いんだよ、それが俺がなかなか実家に帰らねえ理由だってわかんないかねえ。
 内心グチりつつ、スマホを元の場所にしまっていると、茫然とした尾花に見上げられていた。

「紅吉どのは、何者なのだ」
「今話した以上のことはねえぞ、ただ親父がこのあたりの妖怪をまとめていて、ここらへんは俺が店を出すって時に親父から押しつけられたシマってだけだ」

 なんの通達もなく尾花が来たときは、任されて数百年いっこうにシマを広げようとしない俺にしびれを切らした親父が焚きつけるために、勝手に引き入れたのかと思ったもんだが。
 尾花はここいらに隠れ住む仲間には一切手を出さないばかりか、親身に話を聞いてたもんな。
 救いを求めるものに、区別はないからってよ。
 馬鹿みたいなまっすぐな尾花にそんな廻しもんみてえな役回りを演じられるわけがねえと、最近じゃ完全に看板娘扱いだったもんさ。

「と、言うわけでだ。馬鹿狐。尾花はうちの組で預かってる大事な神使だ。御山と相談せずに入道組とことを構えるのがまずいってことぐらいてめえにもわかるだろ。とっとと御山に帰りな」

 俺は、尾花の肩を抱いて引き寄せ言いはなつ。
 というか、できればこれで素直に帰ってほしいのが本音だ。
 だが、麻呂眉野郎はぶるぶるとふるえていたかと思うと、たががはずれたように笑い始めたのだ。

 どうやら、奴のプライドが自分の失態と屈辱に耐えきれずに崩壊したよらしい。
 不意に哄笑を納めた御崎は、憎悪に塗れた瞳で俺を射殺さんばかりににらみつけ、口から炎を漏らしていた。

「この、天狐たる我がたかだか数百年しか存在せぬ妖怪風情にこけにされるなどあってはならぬのだ、この汚辱、お前の首をしとめることで晴らしてくれようぞ!!」

 そうして奴は見る見るうちに姿を変え、本性なのだろう、白毛四尾の巨大な狐になった。

「御崎様がご乱心なされた――――!」
「我らでお止めするのは無理だ、早く離れるのじゃ!!」

 二階屋の紅葉屋ほどもでけえそいつに、お供の狐は散り散りになって逃げだす。
 その白狐の瞳に理性はかけらも見えない。
 本当に千年も生きてんのかよこいつ、了見狭すぎるだろ。
 ああもう、仕方ねえ。

「ったく、これは使いたくなかったんだがな」
「こ、紅吉殿!!」
「尾花、ちょっと離れてろ」

 真っ青な顔でそれでも師匠だった奴に立ち向かおうとする尾花を俺は背に隠し、頭に巻いてる手ぬぐいをとる。
 三ツ目は今日もよく見える。

「死ねええええい!! 木っ端妖があああ!!!」

 今や、巨大な四尾のでかい狐になった麻呂眉野郎が出現させた狐火が、俺に向けて一斉に襲いかかってきた。
 一気に燃え上がる。さすがに熱いな。

「紅吉殿おおおお!!!」

 尾花が悲痛に叫ぶ声が聞こえたから、俺は手ぬぐいを一振りして炎を振り払った。
 ちょっとすすまみれになってるが、ほぼ無傷と言っていい俺に、尾花が涙に塗れた顔をぽかんとさせていた。

「紅吉、殿?」
『な、なぜ雑魚妖程度が我の狐火を食らって平然としている!?』
「ったりめーだろ、何百年豆乳を煮る釜の前に立ってると思ってんだ。この程度の火なんざ蒸気に比べりゃたいしたことねえよ」
「大したことあるだろう!? 狐火は生気を食らう妖火だっ!! ましてや天狐の狐火は一つ喰らえばただの妖などすぐに消滅してしまうっ」

 尾花に怒鳴られてさすがの俺ものけぞった。
 ただの冗談だってのに、大まじめに返さないでくれよ……。

『おのれ雑魚の分際で、小賢しい!!!』

 怒り狂う白狐が、狐火を投げつつ四本のしっぽで襲いかかってくるのを素早くよけつつ言った。

「てめえは、さっきから木っ端だの、雑魚だの言うけどよ、生きた年数が何だってんだよ」
『なんだと!?』
「確かに俺は生まれて数百年ぐれえしかたってねえが、その間場所は変われどずっと豆腐屋をやってたんだぜ? そこでどれだけ権能を使い続けていたと思ってる」

 振り下ろされる白い尾をかいくぐった俺は、両手に黒塗りの盆に乗ったみるも艶やかな豆腐を出現させる。
 飾られた紅葉の赤が映えるようななめらかな豆腐は、我ながら見た目はめちゃくちゃうまそうだった。
 実際、尾花も目の前の狐もこんな時なのに目が離せないとでもいうように、俺の手にある豆腐を食い入るように見つめていた。
 当然だ、そういう豆腐だからな。

『なん、だ。人界の食べ物なぞに、どうして目が離せないのだ!!』
「豆腐だって平安ぐらいにさかのぼれば貴族しか食えなかったもんだぜ? まあ、一応お狐様だからな、油揚げの方がいいか」

 と、左手の盆をふっくらとした油揚げに変えると、とたん、狐の口から涎があふれ始めた。

「こ、うきちどの、わしに、わしにくりゃれ……」
「お前はだめだ」

 もはやろれつが回らない尾花がふらふらと近づいてくるのを無視し、俺は豆腐と油揚げしか見えていない白狐に向かって両手の盆を構えて走り出した。

『もはやどうでもよい、それを我によこせえええええ!!!』
「言われずともたっぷり食わせてやる、よっ!!」

 俺は軽く跳躍すると、飛びついてくる白狐の口に豆腐と油揚げを盆ごとつっこんでやった。
 だめ押しとばかりに顎を蹴り上げて口を強制的に閉じさせる。

「さっきの話の続きだが、俺にも人に危害を及ぼせる権能はあってな。盆で勧めた豆腐を食べた奴の全身に、かびを生やせるんだよ。ま、それでもしょぼいけど」
『な、なんだこのとろけるようななめらかな食感は!! 歯でかめば程良い弾力があるのに舌の上でほどける豆の甘みのなんと心地よい!! そしてこの油揚げの何とも心地よい歯触りよ!! かりっとした食感はもちろんかめばかむほど油のコクと豆のうまみがわき出てくるようではないかあっはっはっ! げふうっ!?』

 俺の言葉なんざ耳に入らないとばかりに、天にも昇るような至福の表情で豆腐と油揚げを味わっていた四尾の狐の白い体毛が、みるも毒々しい青錆色に変わった。

「だけどな。何百年も豆腐作って豆腐売って、何百人もの人間に豆腐を愛されればな、そんなしょぼい権能でも魔強化されて、神だって魅了する魅惑の豆腐になるし、魔神だって泡吹かせられる猛毒になるんだよ」

 ぐりゅうぎゅるぎゅると、白狐の腹からは異音が聞こえて来る。
 俺はもはやしゃべる余裕もない白狐に向けて、中指をおったててやった。

「雑魚妖怪、なめんじゃねえぞ」

 全身に青カビの生えた狐は、そのまま泡を吹いてその場に倒れ込んだ。
 白目をむいた白狐が気絶しているのをしっかりと確認した俺の横に、興奮した様子の尾花が駆け寄ってきた。

「こ、紅吉殿、すごいではないかっ。本当はこんなにも強い妖怪であったのだな!!」
「本当は使いたくなかったんだがな」

 俺が苦くため息をつくのに、尾花は不思議そうに耳をぱたりと動かした。

「なぜだ? これほど強ければ、妖怪として最高の栄華が望めるだろうに。実際お父上の跡を継ぐのではないのか」
「俺はあくまで豆腐屋なんだ。豆腐屋が食ってうまくとも、腹に当たるもんなんざ出しちゃいけねえだろ」
「そ、そうか」
「そもそも人に混じって豆腐屋やるって言う時点で、組とは縁を切ってっからな。親父も継がせる気はないだろうし、組のもんが許すはずねえし。俺はこれからも豆腐屋だ」
「妖でも男子であれば、父に頼るよりも己の力で打開したいと願うだろうに。変な男だな、紅吉殿は」
「そりゃそうだ。大事なのは豆腐屋を続けること、だからな。早く片が付くんならあの過保護な親父にでも頼るさ。自分の根っこが守れれば、ほかのところはどうだって良いのさ」
「そうか」

 ぼんやりと、泡を吹いている狐を眺める尾花は、ぽつりと言った。

「わしは、ずっと期待にはすべて応えなければと思っていた。もっとがんばれば、認めてくれるかも、と。だが、全部できて当然といわれるうちに、むしろできなければ価値がないと思いこんでいたのだな」
「そうだぞ、自分が自分をわかってやらずにどうするよ。お前さんは自分のことを言わなさすぎるんだ」
「ああ、そうだな。そうだった」

 尾花はおかしげにクスクス笑った。
 憑き物が落ちたような朗らかな笑顔に、意味が分からないまでもドキリとする。

「ならば、言うぞ。わしは、知った後でも紅吉殿の作る豆腐を食べたいと思う。特に今は味噌田楽が食べたいぞ」

 満面の笑みで言い放たれた言葉に、俺はほうっと脱力して、笑顔を返した。

「そう、か。じゃあとびっきりの味噌田楽、作ってやるよ」
「真か! それは楽しみだ」

 そうして俺たちは、とっぷり暮れた宵闇の中、店へ戻って行ったのだった。




 **********





「あれー? 今日は着物の女の子いないんですかー?」
「おう、いまは春休み中だろ? 実家に帰ってんだよ」
「そうなんですかー。着物可愛いからいつも楽しみにしてたのに」
「わりいな。ほい、豆腐どうなっつお待ち」
「ありがとうございまーす♪」

 きゃらきゃらと去っていく女子高生たちの後ろ姿に、俺はぼそりとつぶやく。

「まあ、帰ってくるかもわからねえがな」

 馬鹿狐を伸してから、一ヶ月がたっていた。
 あの後、とびきりの味噌田楽で夕飯にした翌日には、稲荷本山側の使節がやってきて謝罪に来た。
 どうやら親父は本気で怒鳴り込みに行ったらしい。
 麻呂眉野郎と同じ天狐だという使節は終始土下座の平謝りで、これ以上文句を言う気も失せたほどだ。
 それがねらいだったんだろうが、まあ、元からそれほど文句を言う気もなかったから問題ねえ。

 気絶した麻呂眉野郎は、お供の狐たちがいそいそと回収に来ていたが、なかなか腹痛が治らなくてしばらく床と厠を往復していたらしい。
 逃げる気力もない間に処遇を協議した結果、一番下の位に降格さら千年修行をやり直し、だそうだ。
 身内に甘い狐がそこまで思い切った処分をするとは、組からの抗議が相当堪えたようだな。
 実際、稲荷本山の方も、以前から麻呂眉野郎の下についた狐が転属届けを出したり、ひどいのになると御山をやめていったりしていて、おかしいとは思っていたらしい。
 だが、尾花が我慢に我慢を重ねて麻呂眉野郎とつきあい百年も持っていたから、尾花とは相性がいいのだと思っていたそうな。
 いや、気付けよ稲荷本山。
 やはり今回の尾花の人事も麻呂眉野郎がねじ込んだ結果らしく、本来ならば御山の奥で大事に大事に育て上げ、いずれは最高位の空孤にしようという話になっていたらしい。
 そのように配置換えをしようとした矢先に麻呂眉野郎に先をこされ、行方不明扱いだったそうな。
 ともかく御山のお役所仕事体質が悪いのはよくわかったぜ。

 というわけで今回の人事は誤りだったから、ともかく帰ってきてくれ、と謝り役の天狐言われ、尾花はその翌日には稲荷本山に帰ることになった。
 尾花は最後まで渋りに渋っていたが、結局直接ではないとはいえ、上司に当たる天狐の言には逆らえず、ばたばたと荷物をまとめて去っていき、尾花が使っていた四畳半は空っぽになった。

 尾花と過ごしていたのは、たった半年。妖からすれば瞬きの間といっても良い。
 この家でだって一人で過ごしていた時期の方が断然長い。
 なのに、家の中も作業場もずいぶん広いように感じて、ずいぶん慣れていたもんだな、と店番をしながらぼんやりと思った。

 一人でほぼ一日店番をするのも、ずいぶん久し振りな気がした。
 尾花がいなくなって、男子学生は微妙に減ったが、思ったほどではなかった。
 揚げ田楽自体を気に入ってくれた証なのだろうが、それほどうれしさを感じなかった。
 理由はわかってる。
 揚げ田楽は、尾花がいたから生まれた商品だ。
 尾花がいなきゃ、意味がねえ。

「くっそ、ずいぶん慣れてたんだな。俺も」

 自分の湿っぽさにいらいらと頭を掻く。
 思わず、親父に借りを作っちまったじゃねえか。
 これから盆暮れ正月には実家に帰らなきゃなんなくなっちまった。

「ああもうしょうがねえ。ちいと早いが昼飯だ」

 今日の冷蔵庫には何が残っていたか、と思考を巡らせはじめる。

 さり、と草履を擦る音がした。

「もうし」

 涼やかな声音に、売場に背を向けていた俺は即座に戻った。
 まだ昼時の明るい日向にたたずむのは、春らしい桃柄の着物を着た尾花の姿だ。
 照れくさげにほほえむ尾花は、そのまますいっと頭を下げた。

「このたび、稲荷本山よりこの店近くの社へ神使として参りました、地狐、尾花ともうす。以後、よしなに」
「ずいぶん堅苦しい挨拶だな」

 喜びに踊る胸中を悟られたくなくて、ついぶっきらぼうになったが、尾花は気にした風もなく、茶目っ気たっぷりに言った。

「入道組の若頭直々の指名で配属されるのだから、くれぐれも粗相失礼のないようにと口を酸っぱくして言われたのでな。はじめはしっかりしようと思うたのだ」
「俺は若頭じゃねえよ」

 俺の訂正を無視し、尾花はしみじみと続けた。

「でも、紅吉殿も望んでくれて助かった。本山はわしを膝元で修行させたがったでな。わしが戻りたいと言うだけでは動いてくれなかったのだ」
「うっせえ、この商店街は不況まっただ中なんだよ。せっかくうまくやっていけそうな神使に巡り会えたってのに、早々にとられてたまるかっての」
「うむ。つまりわしがいなければ寂しいのだな」

 こうも裏を見通されちまうのは、気恥ずかしくてしょうがねえ。
 真っ赤になってるだろう顔を片手で隠しつつ窺えば、尾花はうれしげに笑ってる。

「……おい、尾花。宿はあるのか」
「うむ、それがの。任地の社は御神体だけの小さな社での寝泊まりはできないのだ」

 尾花の期待する瞳に、俺はこれ見よがしにため息をついて言ってやる。

「あいている4畳半の部屋がある。うちいる間は店も手伝ってもらうが、朝昼晩飯付きで、どうだ」

 尾花は、しっぽを振らんばかり……って着物の中でそれとなくもそもそしてるじゃねえか。
 まあともかく、尾花は頬を赤く染めながら再びすいと丁寧に頭を下げた。

「不束者ではありますが、よろしくおたのもうします」

 まるで結婚の挨拶みたいだな。
 と考えつつ、俺は尾花に声をかけてやる。

「んじゃ、昼飯にするぞ。今日は味噌田楽といなり寿司だ」
「なんと!味噌田楽に加え、おいなりさんまでつけてくれるとな!!」
「おまっ耳出てるぞ耳!!」

 喜色満面で顔を上げた尾花に俺は大慌てで指摘すれば、あわあわと頭に手を当てて隠しつつ、傍らの通用口から店中に避難してきた。

「す、すまぬ、ついうれしくてな。まさか来て早々、紅吉殿のおいなりさんまで食せるとは……」

 てれてれと言う尾花の上げ髪と襟の間からのぞくしろいうなじに少々鼓動が速まったが、それでも絶対言ってたまるか。
 尾花がいつ帰ってきても良いように、いなり寿司用の油揚げを常備し続けていたなんてよ。

 とにもかくにも、大きなビルが建ち並ぶようになった寿市の松竹駅前にある商店街。
 その一角で営業する俺の豆腐屋「紅葉」には、これからも狐の看板娘がいることになったのだった。


 終わり
ご愛読ありがとうございました!


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