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ホームレスの息子
作:庵田氏


「よくやるよな、あいつら」
光一は呟いた。一月の夜の寒さは呟きで出る息さえ白く濁らせた。夜空は冬の澄んだ空気のせいか、満点の星達が煌びやかに輝いていた。光一はその優美な星達の佇まいと、目の前の荒んだ光景とに一種のコントラストを見出した。

「でも、まあ、いい気味だ」
光一の瞳に意地悪い輝きが帯びた。それは頭上の星の輝きとは異なる、不純なものを含んだ輝き。くすんだ輝き、だった。
 光一の視線の先にあるもの、それは大人と三人の中学生だった。彼らは何も、この寒い公園で仲良く一緒にいたのではない。三人の中学生は一人の大人を見下ろしていた。彼らの罵る声が光一のいるところまで聞こえた。
「こいつしぶといな」
「ルンペンの癖に偉そうなんだよ」
「くたばれ、蛆虫」
一人の少年がその大人に蹴りを喰らわす。大人は蹴りを腹部に入れられて地べたにかがみこんだ。大人はホームレスだった。色あせたダウンジャケットは寒さを凌ぐためか、中に着込んだ洋服のためにパンパンに張っていた。そして頭には天辺にフサフサした毛の固まりがある赤い毛糸の帽子を被っていた。彼はこの公園に住んでいるホームレスだった。
「虫は虫らしく這いつくばってろ!」
そう言いながら別な少年が脇から蹴り上げた。
「どうだ、参ったか?」
「参ったんならあやまれよ」
「そうだ! 仕事をしねえ奴は社会に謝れ!」
別にホームレスが少年達に何かをした、と言う訳ではない。優越感の魅惑と、いまだに残っている子供の持つ無邪気な残虐性、少年達はその捌け口を求め、運悪くその対象にこのホームレスが選ばれた。ホームレスは謝らなかった。光一は、さっさと謝ってしまえばいいのに、と思いながら苛々した。一人の少年がそのホームレスを足で踏みつける。見下しながら彼は言った。
「さっさと謝れよ、おっさん」

『おっさん』。その単語は光一の中で、何か熱いものを駆け巡らせた。それは憎しみと悲しみ、寂しさ、孤独感、哀愁などといった感情で構成された、複雑なものだった。
 おっさん……。光一は心の中で呟く。そういえばそんな奴もいたな。光一の中である大人の面影が浮かぼうとする。その面影には光一に暖かい懐かしさを思い起こさせる反面、強い苛立ちを伴った不憫さが、一対のものとして想起された。光一はその面影のことを『おっさん』と呼んだ。

 光一の父親はどこかの企業の社員だった。それがどこだったのか、光一は知らなかった。また、特に知りたいと思うこともなかった。優しいけれど人見知りをする人だった。人付き合いの下手な大人だった。それでも光一が幼いときは、彼はよく光一を可愛がってくれた。父はよく幼い光一に肩車をしてくれた。近くの公園へ行ったとき、家族で買い物にデパートへ行ったとき、そして遊園地へ行ったときは移動は常に父の肩の上だった。光一もその場所が大のお気に入りだった。
 一方ですでに母とはギクシャクし初めていたらしいことを、後々母から聞いた。父は自分の感情をよく出せる人ではなかったらしい。それ故、父は母の言いなりになった。そしてそのことは逆に、母のフラストレーションをためることとなり、しっかりしてよ、と事あるごとに母の鬱憤は爆発した。
 いつの頃からだったろうか、光一が大人になるにつれ、光一と父の関係も悪化し始めた。成長した光一は不甲斐ない父よりも、母を慕った。
 およそ仕事でも人間関係がうまくいってなかったであろう父の最後の拠りどころはこうして無くなってしまった。心を癒す場所、または逃げ場所を失った父は元々ない気力をますます失っていった。ある日、彼は蒸発した。
 父が消えてから、母はめげることなく女手一つで光一を養ってくれた。朝、早く起きると朝食と光一の弁当を作ってから仕事に行った。夜遅に仕事を終えて家に帰ってくるとまた二人分の夕食を作った。光一は自分のできる範囲で母を支えた。掃除、洗濯、食器洗い。二人の頑張りでいなくなった父の穴を埋めようとした。
 しかし、三人で暮らしていた家からは、一人の欠員によって生じた影を消し得なかったように思われる。

 光一は消えた父のことを『おっさん』と呼ぶようになっていた。父さんでもなく、親父でもなく、年配の男性をぞんざいに呼ぶ『おっさん』と。あのおっさん、何やってるんだろうな、と光一が言うと母は、さあ、と素っ気無く返事をして顔を曇らせた。光一は母の前で『おっさん』のことを口にしないようになった。

 父が蒸発してから約一年ほどたったある日、警察からの電話で光一と母は父の死を知っ
た。父は公園で暮らすホームレスとして死んでいた。父の財布から出てきた免許証で身元が分かったらしい。
 1月の寒さの厳しい夜、父は家からかなり離れたある公園のテントの中で死んでいた。
テントといっても青いビニールシートで作られただけの、微塵も寒さを拒むことのできな
いテントだった。寒さによる凍死、それが父を死に追いやった原因。空腹と孤独と後悔と
に打ちひしがれた弱い人間の命を、冬の寒さは奪って行った。
 母は父の葬式をしなかった。

「さっさと謝れって言ってるだろ、おっさん!」
そう言いながら少年が起き上がろうとするホームレスの背中を蹴り下ろした。
 そのとき、光一にはホームレスと自分の父が重なって見えた。同時に光一の胸の中で、吠えながら昇天する龍のように炎が燃え上がり、頭の天辺まで達した。上半身がかっかっと熱くなり、体中の血液が煮えたぎった。光一は歩き出していた。まっすぐに。ぎらぎらと怪しく輝く両眼は、暗い公園の闇に浮かんだ。光一はいつの間にか走りだしていた。
 光一は足が届く距離に達するなり、一番近かった少年の背中を蹴飛ばした。体重の乗った蹴りはその対象を海老反りにしてすっ飛ばした。バランスを失った光一はようやくこらえながら、なにすんだこの野郎! と叫んだ少年を殴り倒した。
 その後のことを光一はよく覚えていない。兎に角、夢中になってひっ捕まえられ殴り返されながら次々と年下の少年達を殴り、蹴りあげた。少年達もかわるがわる反撃し、光一の顔や腹や背中に拳や蹴りを入れる。が、激昂し怒りに支配されていた光一は痛みを感じなかった。ただ、殴られても避けずに殴り返し、捕まえようとされるとすぐさま振り払い殴りつけるか、蹴り上げた。
 光一が気づくと、少年達は悪態をつき罵りながら逃げて行った。光一の呼吸は激しく乱れ、肩で息をしながら肺が悲鳴を上げているのを感じた。そして冷静さを取り戻すのと反比例して、体のあちらこちらで痛みが滲み出した。相手を殴った拳の骨、拳を握り殴るのに使った前腕内側の筋肉と背筋、打撃を受けた顔・腹・背中・股・脛、また打撃を堪えた腹筋、切れた唇。それらの部位が激痛、鈍痛に呻きだした。
「クソ。いてえ……」
 痛みに堪える光一の手に触れるものがあった。ホームレスの手だった。ホームレスはがさついた手で、痛む光一の手を引っ張り両手で包んだ。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう……」
彼はボロボロと泣いていた。鼻水も両方の穴から出ていた。光一は痛みを堪えながら彼の肩に手を置いて言った。
「頑張ったな、『おっさん』」

 光一にとって気づくすべもなかった。彼の頭上に広がる満点の星空。その中のたった一つの星が一瞬、微笑むようにきらめいたことを。


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