誤解されるのはタイトルが悪い
ちょっと前にはやった「勉強しろ」エッセイを見て、目についたセリフ。
「本文をちゃんと読めばわかる」
「私はそんなこと言っていない」
「そんな意図は無かったのですが」
こういった言葉を見て、思った事。
それ、君らの「タイトル」が悪いよ。
私はエッセイはタイトルで9割のイメージが決まる物だと思っているのですよ。
タイトルと、内容と、感想返信や反論を見て、読者に対し理解を求めているように見えましたが、まず、君らが努力する事じゃないかなぁと考えました。
これは私の昔話ですが、とあるエッセイに対し「んなわけねーだろ」といった趣旨の感想を書いたら「そんな枝葉末節に拘るなよ。本文ちゃんと読め低脳」といった趣旨で言い返しをされ、更にブロックユーザーにされました。
その感想はもう削除しましたが、私の感想は相手のエッセイのタイトルを絡めた意見だったのですね。
それを「枝葉末節」と言い切ったのですよ。その作者は。
私も温厚なタイプではありませんから、追加で言い返したかったのですけど、それも叶わないのでここで一言。
「タイトルは作品の顔だ!」
タイトルを軽視するなと言いたい。
タイトルこそ作品の印象を決める最も重要な要素なのだと言いたい。
それを枝葉末節とは、頭がおかしいんじゃないか?
今回の「勉強しろエッセイ」関連作者さん達はタイトル関連でそんなことを言ってませんので、そちらへの感想ではありませんよ。念のため。
ただ、今回の「勉強しろエッセイ」騒動の問題も、やはりタイトルに原因があると思うのですよ。
だって、ほぼ「勉強しろ」って単語を入れているでしょう?
この単語のインパクトが強すぎて、最初のイメージが固まり、その後に続いたと思うのですよ。本文や結論と関わりなく。
……いや、本文もアレでしたけどね? やっぱり「勉強しろ」という言葉が読者のイメージの中で最上位になっていると考えています。
その後に続いた作品について、最初の作品の作者さんへの感想ではないと言った方々。
だったらタイトルに「勉強しろ」と何故入れました? タイトルを似せた方もいましたよね? 更にまえがきや本文で「感想欄が閉じてあったので~」と書き加えた理由は?
作者本人にその気が無くとも、最初のエッセイに対する感想・反論に見えるのは間違いないです。そうでないなら出来るだけ似ない様に配慮し、「勉強しろ」とタイトルに書かない方が良かったでしょう。
私もあのエッセイに対する反論や何かかなと思いましたし。
じゃあ、どうすれば良かったのか。
結論とか、問題点の最初の一つとか、伝えたい言葉とか、一番重要な要素をタイトルにすれば良かったんじゃないですかね。
本文で言うなら、最初の方か、最後の方とか。
自作で例を出すならこのエッセイなんてそのままです。「誤解されるのはタイトルが悪い」 ですし。結論そのままがタイトルですよ。
それでも拘りたいなら、そこからひねったりする程度に留めておくべきじゃないかな、と。
少なくとも、「たいして重要じゃない事ならタイトルにしない」のが無難です。
理解してほしいなら、もっと分かりやすいタイトルをと、一介の読者から言わさせてもらいます。
追記:
このエッセイに従ってタイトル付けたとしても、今と同じだけ評価される可能性は低くなります。
だって、タイトルで誤解された分を含めての評価だと思いますし。