再会
父を送り、数日経った。明け方漁から戻ったアマトは楽しそうな笑い声に目が覚めた。
「あ、噂をしてたら、にいさんかぁ」
「何の話しだ、メシナ」
そう言って、ついでに、兄は皿に盛ったイカをつまんだ。
「まぁ、アマト、お行儀が悪い!」
ラミナがたしなめた。
「すまん。すまん、つい……」
「へーえ、しっかり操縦してるんだ。姉さん」
「コラッ!メシナ、前に言ったろ。ラミナは大切な人から頼まれて俺が預かっている人さ、気安く姉さんなんて呼ぶな、失礼だろ」
「ふうん、違うの。ラミナは兄さんのお嫁さんじゃないの?」
ラミナは何か訴えているように、青い瞳で彼を見上げた。アマトは話題を変えた。
「そうそう、ラミナ。いいものこしらえたぞ」
それは、古い犬ぞりを作り直したものだ。オロスから港まで冬の間は、氷の上を海まで出るのに、皆が使っていたものだった。
「乗ってみろ、ラミナ」
「はい」
ラミナを抱え上げたアマトをメシナが見上げて言った。
「誰が見たってねぇ……」
真冬だ、もう漁にも出られなくなった。氷が溶けるまでの長い白い季節だ。ラミナはそれでも天気のいい日には、海が見える辺りまでルシナを探しにでかけた。
「ルシナ、私は生きています。アマトのお陰です。オロスの人間は皆、優しくしてくれています。メイフに気をつけて、マオ様の力になって……」
その時、そりを引く犬が不意に激しく吠え始めた。白い岩の様な塊が見えた。
「あれはホッキョクグマ、こっちに気づいた」
ラミナは犬に引き返すようにムチをいれた。怯えた犬は急展開をし、そりを横倒しにさせラミナを放り出すと村に向かって空のそりを引いて見えなくなった。ラミナは氷岩を背にして息をひそめた。だが、熊は最初から彼女の方を狙っていた。一歩また一歩、こちらに近づいてくる。
(アマト、助けて……)
しかし、迫り来る恐怖でラミナは叫び声も出なかった。
「こんなところにいたとは、見つからないはずだ、ラミナ・エスメラーダ」
ホッキョクグマがそう言った。
「お前は、キリトの手下かっ!」
「キリト? はははっ、まあそんなとこさ」
クマの腕は一振りでラミナの背後の氷の上半分を削り取った。
「次で終わりだ、アガルタの人魚姫『ラミナ』よ」
大きく振り上げれた鋭い爪の腕を見て、彼女は覚悟を決めた。
「ズドーン」
その熊が視界から消えた、それよりも巨大な影が入れ替わり、ラミナの視界に入った。
「お前は、何者だ」
「お忘れですか、エスメラーダ」
ホッキョクグマも数倍の身体をもつセイウチには叶う訳がない。いつの間にか逃げ去っていた。
「お前はキリトだというのか? あのホッキョククジラの」
「はい、メイフはマオ様から『アクア・エスメラルダ(転生の石)』を奪い、都合の悪いカイリュウを次々と転生させたのです。しかも本体を質に取って」
「アクア・エスメラルダは遠い昔、シャングリラの一つ、時空のシャングリラからもたらされたものと聞いています」
「私は、人魚が氷に閉じ込められているのを救ったのです。あなたを捜し続けているルシナという人魚でした」
「ああ、ルシナは無事だったのですね」
「はい、アマトと言う若者にオルカから助けられたと、その男にエスメラーダ様を助けてくださるように頼んだのだと」
「お陰で、この通りです。私はオロスにいる、氷が溶けるまで無理をするなと、とルシナに伝えてください、キリト」
その口ぶりと、微妙な身体の変化にラミナの心も身体も別の男、アマトという男の元にある事をアガルタの三王子の一人は知ってしまった。キリトは気を引き締めて言った。
「お幸せに暮らしていらっしゃって安心しました。ああ、かけてくるお方がいらっしゃいます。私は立ち去りましょう、またアガルタでお会いしたいものです。ホッキョククジラのキリトとして……」
セイウチはその巨体を海に向けて振るわせると氷を割り沈んでいった。
「おーい、ラミナ!大丈夫か?」
「うっかり、急旋回して転んじゃった、アマト。ごめんなさい」
ラミナを抱きかかえてアマトが振り返った。メシナが新しい犬たちを使って大型のそりを引いてきたところが見えた。
「兄さん、なんでこの犬そりより早い訳?」
「ラミナは俺の大切な人だからさ……」
「やっと言ったわね、おめでとうお姉さん」
「ありがとう、でもアマト本当に私でいいの」
答えの代わりにアマトは腕に力を込めた。
「あーあ、やってられない」
長い冬が終わる頃の事だ。オロスに元気な産声が上がった。その声の主は緑色の髪をした女の子だった。不思議な事にラミナは退化していた卵包が子宮の代わりになり、胎児を育てたのだ。それはミドリアコヤガイの中で人魚が成長するのに似ていた。人間よりもひと月早くこの世に生まれてきただけだった。人魚は人と同じほ乳動物のため、母乳も出た。ただ授乳の期間はおよそ三ヶ月しかない。
「本当、まるまるとして丈夫そうね。姉さんのお乳って凄いわね、いくら飲んでも減らないみたい。いい名前を考えてね、姉さんみたいに美しくなるわ、きっとこの子は」
「メシナにも早く生まれるといいのにね」
ラミナは目立ち始めたメシナの腹をそっと撫でた。彼女が答えた。
「うん、任せといて。きっと生まれるのは丈夫な子よ」