オロスの村の最後
ラナはあの人魚の顔を片時も忘れてはいない。それはモンゴルで知り合った巫女のメレナ(実はシャングリラの人魚)に頼み込んで、オロスの様子を透視していた時だ。
「ラナ、結構悪趣味ね。いけないわ、他人の覗き見なんて」
「ね、一回だけ。浮気してないかちょっと見るだけだから」
メレナもそれほど透視力は上手くなかったが、なんとか立体映像が現れた。
「うーん、画面が粗いなぁ、まっ仕方ないか」
「文句言うなら止めてもいいけど」
「いえいえ、十分でございますよ。メレナ様」
それはメレナも知っている娘だった。彼女はその娘の言葉を口伝した。
「キリト、本気ですか。ここで暮らすというのは、アガルタは狙われているのです。それなのに」
「済まないが、その役目は僕にはもうできない。ここの暮らしを、大切な人を捨てる事はできない」
「どうあっても、アガルタには戻らないというのですか?」
「ああ、マオ様に伝えてくれ、僕はもうこの国の人間なんだ。その裁きを下すのなら甘んじて受ける」
彼の決意はどうあっても揺るぎようがなかった。しばらく後、その娘は静かに浜を立ち去った。
「ねえねえ、聞いた? 大切な人って誰のことかなァ」
「あー、やってられない。気は済んだ、さあ修行の続きよ」
味をしめて、翌日も二人は覗き見をした。しかしそれは口伝する必要のないものだった。
「ひ、ひどい、オロスの村が、私の家が……」
それは、真新しい煙と血、血、血の海だった。ラナの故郷はもうそこにはなかった。
「……そうだ、浜、浜を見せて。メレナ!」
浜にはうずくまった人影がひとつあった。粗い息の男は既に生気のない顔だった。
「キリト、ああ、そんな」
キリトの前に立つのは昨日の女だった。女はこう言った。
「キリト、もうあなたの居場所はどこにもないわ」
「そんなことがあるものか……」
立ち上がったキリトは、そう女に言うとそのまま、倒れ込んだ。女の持っていた短剣がその手を離れ、砂に深く突き刺さった。笑っているようにも泣いてみるようにも見える美しい顔の女は、キリトを抱いたまま海中に沈んだ。
身体を翻し潜行する時、その女には二本の足のかわりに『水色のひれ』が見えた。
その女こそラナが初めて見た人魚だった。