オーロラの村
「な、僕の探知力は凄いだろ」
「凄いも何も大体、シャングリラってどこよ、ぽっかり穴でも空いてる訳? ひゃっ、何か落ちてきたよー、ラナ姉さーん」
「大げさね、ちょっと血を吸うだけだから」
「げーっ」
「里香、シャングリラはね、人魚そのものなのよ。特定の場所じゃないの」
ラナは里香にそう答えると、ジャングル用にテントウが出してくれた、新しいコマンドスーツのジッパーを上げた。そして岩に寄りかかり、茶色のブーツに付いた、吸血ヒルをナイフの背でそぎ落とした。こうしてひと休みする間でもキリトの事が彼女の頭から離れなかった。
オロス、あれからもう五年になる。北アメリカの果て、オロスの浜に奇妙な男が打ち上げられていた。男というのも怪しいが下半身を袋の中に入れられ、上半身は裸だった。胸の膨らみもないからそれを見つけたラナは男だと思ったのだ。髪は長く瞳はきれいな緑色をしていた。色が白く一目で異国のものと知れた。言葉は通じないが、とりあえず父を呼んで家に連れ帰った。どうやら人買い船から海に逃げたのだろうという事になった。オロスではとっくに人を奴隷として売るのが禁止されていたが、まだ他の国では行われているのだろう。体中の傷もかさぶたも数日のうちにはすっかりきれいになった。
「キリト、アガルタ、キタ」
意味の分からない単語だけだった会話も三日もすると、男はオロスの方言まで話せるようになった。
「キリトは驚くほど賢い、言葉だけでなく、漁も上手い。アガルタと言う国では、わしのように漁師だったのかも知れんな」
「まあ、すっかり気に入っちゃって、最初はラナに近づいたら殺すって言ってたくせに」
「ふん、お前こそ、護身の術をラナに使っていたのを、わしが知らんと思うのか?」
「そりゃそうよ、急に異人が現れて一つ屋根の下で暮らすのだもの。母親としてはね、心配でしょう?」
オロスの巫女は漁の安全を祈るだけでなく、災厄を祓い、天候を司る事ができる。ラナは十二歳でその腕前は母を越えた。遠いモンゴルに修行に行く日が近づいてきた。その村で二年間精神修行をするのが巫女の仕上げになる。いよいよモンゴル出発前夜の事だった。
「一番の酒を出して来い、今夜は飲むぞ!」
「はいはい、わかりましたよ」
大酒を飲んで父はさっさと酔いつぶれた。母は父を連れて奥の部屋に入ったきりだ。
(うーん、気まずいなぁ、まったくもう……)
キリトに酒をつぐだけで、胸の中が変に鳴り始めたように思え、キリトも酒をただ飲むばかりだ。
「何やっとる、がばっといかんかい、キリトのやつ」
「あなたとは違いますよ、キリトは」
隣の戸を少し開けて、二人が覗いていたのはいうまでもない。やがてキリトが立ち上がった。
「今日はオーロラがきれいだ…」
「ええ、きっとそうね」
ラナはキリトに、新しく別の感情が芽生え始めた。モンゴルはとても遠い国だと今更ながらラナは思った。
「清国まで飛べる飛行機に乗るのよ」
「飛行機、空を飛べるのか鳥の様に、凄いな」
「オロスからカナダまではそりと機関車で行くのよ」
「船には乗らないのか?」
「うん、キリトの舟にはモンゴルから戻ったら乗せてね。それまで舟には乗らないわ、約束よ」
「それまで、操縦覚えないとな。また遭難しないように」
「ふふっ、大げさねぇ」
会話が途切れた二人はどちらからともなく手を握り肩を寄せた。オロスの空を覆う見事なオーロラが、重なった二人の唇を虹色に染めた。