FILE02:『平和とけじめ』
「ただいまー」
「おかえり。って、コナン君顔赤いけど大丈夫?」
こっちを見るなり、突然駆け寄ってきた蘭に驚いた。額に触れた蘭の手が、冷たくて気持ちいい。
「やっぱり! 熱あるじゃない」
「へ? 熱? いや、顔が赤いのは……」
熱って急に言われてもな……確かに、言われて見れば、朝から調子悪かったのは認めるけど。でも、この不調は、告白騒ぎが大方の原因なんじゃねーのか?
「もしかして、気づいてなかったの? 結構熱いのに。朝からちょっと気になってたけど、今日に限って遅くなるなんて」
「そ、そうなの?」
「昨日のお迎えが原因でしょ? 私がちゃんと気づいてあげてれば……とにかく、着替えて早く寝て。体温計、判るよね?」
浮遊感。あまりにも蘭が軽々抱き上げるもんだから、一瞬宙に浮いたかと思った。なんで運び込まれたのが蘭のベッドなのかなんて事はこの際どうでもいい。ただ、てきぱきし過ぎてねーか? んな張り詰めてここまで手厚く看病してくれんのは、そりゃ嬉しいけど。蘭が責任感じる事ねーのによ。
「……ねえ。蘭姉ちゃんのせいじゃないからね? 僕が自分で撒いた種なんだ。今日は学校で、色々あったから」
「色々って、何があったの? 相談に乗るから、よかったら話して」
いつでも聞く準備は出来てるってか。んな事、言えるわけねーだろ。今ベッドの横にしゃがんで相談に乗ろうとしてる姿が、同い年の幼馴染じゃない、歳の離れた姉みたいに見えるその事が、一番の悩みだなんてよ。
「……大丈夫だよ。ちょっとした気持ちの問題なんだ。最近忙しくて疲れ気味だったから、吃驚して動揺してたら、知恵熱でもでたかなーなんて」
「そう? でも、それじゃあどっか特に具合悪いところとかはないのね?」
「うん、寝たらすぐ治ると思うよ」
実際、言われないと気づかない位大した事ねーんだからな。安心したように柔らかく笑って立ち上がる姿に、オレ自身ほっとした。
「そっか、明日学校行けるといいね。早く元気になるように、卵粥作ってあげるからね」
卵粥、灰原に作ってたアレか。うまそうだったし、たまには悪くねーな。蘭の奴、鼻歌歌いながら、随分楽しそうに料理してやがるみてーだし。
ここはどうにも落ち着かねーな。一年も経ってるっつーのに、机上の写真立ては、トロピカルランドのオレと蘭のワンシーン。オレも随分楽しそうに映ってるもんだな。あの日からずっと、こんな身体だってのに。
「そう。オレが待ってて欲しいって言ったから、あいつはふっきる事もしねーでずっと待ってんだ」
前より、蘭への電話も少なくなった。けど、蘭は前みたいに愚痴を零したりもしなくなった。ただたまに、寝静まった時間トイレにでも起きると蘭の部屋の電気がついてて、覗くと寂しい後姿がある。手に写真を持って、扉の隙間から聞こえるすすり泣く様が、オレにはどうにも辛くてならない。オレに変わらないのは、蘭の幸せを思う気持ちだけだ。
「でも、オレは、何も変わらずに居たかったんだ。裏切れねーよ、あんな別れをしたまま」
アイツがオレを忘れて吹っ切る時が来るまでは、例え何を犠牲にしても。オレのせいで泣いてる姿なんて、嫌なんだよ。
「コナン君、卵粥出来たけど、どうする?」
「あ、んー、もうちょっとしたら食べようかな」
「判った」
お、美味そうなニオイだな。今夜はたっぷり卵粥でも食べて、さっさと治さねーと。
蘭の奴、翌日学校だってのに、ずっとオレについてたのか? 明け方目が覚めた時、額にのったタオルが冷たいままだったのには驚きだ。
「しっかし、暑い日だな」
いや、熱は下がった。ただ、なんだよこのじりじり来る蒸し暑さ。室温計、と。はぁ!? 三十三度って、まだ七時だぞ? 今度は熱中症にでもなれば満足かよ。
「外はもっと暑いだろうな」
家を出たオレはつい顔を顰めた。うぜー暑さに、せみの声。やってらんねー。
合流した灰原は、いつもと変わらないみてーだ。そうだよな、んな言葉意識するタマじゃねーよ。灰原がそんなだから、オレもいつも通りでいれる。登校中も、授業中も。昼休みが終わるその時までは。
昼休みもそろそろ終わりって時、歩美がまた話しかけてきた。悪ぃけど、ほとぼりが冷めるまでほっといて欲しいんだがな。
「今日は何?」
ほら、つい口調が荒くなっちまう。しかも、言い辛そうに顔赤くして目泳がせたその反応、やっぱりまたあの事だろ?
「えっ、と……その。コナン君、今日はやたら哀ちゃんの事見てたよね」
「そうか?」
そら来た。判るような態度見せたっけな。意識しねー様にむしろ気遣ってたつもりだったけど。
「うん。だから、もしかして、何かあったのかなーって」
……コイツにぎこちなく映ったなら、そうかもな。全く、ガキのくせに無駄に鋭いとこ、何とかなんねーのかね。もういいや。
「灰原に、告白してみた。オレは、お前の事が好きだってはっきりと」
これがコイツへの誠意。はっ、驚いてるって事は、そこまでは予想してなかったか? そりゃそうか、オレも信じられねーしな。こんなにズバッと言っちまった事も、歩美より何故か冷静なオレ自身も。
「歩美ちゃんが、アイツとオレが両思い、みたいな事言うからさ」
「……そっか、言っちゃったんだ。ついに、言ったんだね、コナン君」
……随分、動揺させちまったか? 当たり前か。はっきり頷いたオレ自身、まだ気持ちの整理がついてねーんだ。窓を開けてそこに寄りかかると、わーわーはしゃぐ声がそんな動揺を解いた。
数秒、沈黙。
「歩美の想像、やっぱり当たってたんだよね……」
ああ。悪いな、歩美。確かにオメーは、鋭さがなければ傷つく事も少ない部分に、よく気がつくヤツだ。
「ホント、歩美ちゃんの鋭さには、たまに凄く驚かされるよ」
苦笑して、肩をすくめた。ゆっくり俯く歩美の表情は、上手く読めねー。
「驚いてたでしょ?」
「そうだな……」
いつもからじゃ到底想像できねーような反応だっけ。驚いてるっつーか、困惑してるっつーか。あぁ、くそ。あんまりはっきり思い出せねーな。
「けど、冗談って事にしたから」
そうだよな。どうせ、告白っつっても昨日限りのもんか。
「ど、どうして!?」
「色々あって、簡単にはいかねーんだ。……冗談で済ませたかった」
「そんなのないよ! だって、コナン君は歩美の事……っ」
え、ちょ。泣く? 目が潤ん……ダメだ、ここで手を差し伸べたら、逆に傷つけちまう。約束してたんだもんな。本当はもっと、素直になれればよかったんだ。
「ごめんね、歩美ちゃん。オレだって思うよ。もしもって」
「何で? 怖いの!? 伝えた後の事が?」
「ちょっと違うけど、それもあるかな? もし、アイツがそういう態度見せていたら……オレには、何があっても、裏切れない人が居るんだ。だから」
蘭の事がなければ、冗談になんかしねーよ。でも、守りたい笑顔の方が伝えたい気持ちよりでかかったんだ。それに、蘭への思いを捨てたと同時に、工藤新一を忘れちまう事も、怖かった。そんな根性なしなんだよ。
「裏切れない人……それって、歩美よりも大切な人? 誰よりも?」
「そうだね」
けど。それでも、もし灰原があの時、オレの事が好きな素振りを見せたりしたら、冗談にはしなかったかもしれねーけど。
「それがコナン君の、けじめなの?」
んな張り裂けそうな顔すんな。もう、どうしようもねーのに。
「……けじめか。そんな言葉も当て嵌まるな。こうやって、歩美ちゃんにそれを話しているのも」
つけなきゃいけねーけじめは沢山あるんだ。蘭には、待ってて欲しいって言った。でも帰れずに、ずっと泣かせ続けて来た。そして、目の前の歩美は、こんなに傷つける事になった。全部、オレのけじめだ。だから、オメーが泣く事じゃねーよ。
「歩美はそんなのやだよ。そしたら、歩美の告白はなんだったの?」
「ごめん。それでもダメなんだ。どうしても、オレは……」
丁度よくチャイムが鳴って、会話を折られた。沈黙したまま数十秒。
……気まずいな。本鈴が鳴るまでまさかこうやって二人で向き合ってんのか? どうやって会話再会すりゃいいんだよ?
オレの考えが杞憂に終わったのは、それからすぐ灰原がトイレから帰って来たからだ。けど、よりによって最初に来たのが灰原とはな。尚更気まずさが増したが、クラスの中が騒がしくなるまで、さほど時間はかからなかった。
いつもは穏やかな筈の下校時だってのに、こんな思いはオレだけ。後ろに居る灰原と歩美の会話が気になってしょうがねー! あーっ、なんで聞こえねえんだ。余計な事言ってねーだろな。ぴりぴりした雰囲気は気のせいか?
「だって、歩美はこんなにコナン君の事好きなのに、かなわないんだよ? なのに、気持ちが通じ合える二人は、誤魔化してばっかり、気づかないふりしてばっかり!」
え、ちょっ……。はぁっ!? 待て、マジで何話してんだよ。
歩美が突然大声を上げたせいで、その台詞だけは聞こえちまった。落ち着け、冷静になって推理しろ。こういう話になる事が考えられる前後の会話の流れっつったら。おい、まさか歩美の奴、本当に灰原に!?
「珍しいですね、何があったんでしょう?」
「歩美があんな声ですごむの、初めて聞いたぞ」
耳打ちする元太と光彦に、曖昧な返事を返すしかない。なまじ、オレの話で口論になったのはよく判ったから、申し訳なさ半分って所だな。あー、くそっ。一体何の話だよ、後ろの二人!
いつの間に、二人きりになっちまったんだろ。歩美達が居たさっきまでと違って、前を歩く灰原の沈黙にビクビクさせられていた。せめて、リフティングでこの場を繕おう。灰原との別れ道も近いんだ。ほら、あとちょっと。そこの角を曲がれば……ようやくこの空気から逃げられるんだ。
逃げて、いいのか? 歩美とコイツが口論したのって、元を辿ればつまりは……
「なあ、オレのせいなのか?」
……あ、呼び止めちまった。前を歩いていた灰原の足がぴた、と止まる。これでもう、話を進める以外の道はねーんだな。くそ、こっち向け。後姿じゃ表情が読めねーんだよ! いや、落ち着けオレ。
「その……もしかして、オレが言った事、気にしてんのか?」
「えっ?」
大きく開かれた灰原の瞳が揺れてる。そっか、やっぱりオメー動揺してんだな。やっと判った。んな目されたらな。昨日の告白も、まさか顔や態度に出さないだけで、本当はコイツも。もし、そうだったとしたら。
「歩美から、何聞いたんだよ?」
「何でもないわよ。ただ、素直になれって言われたわ」
仕草は、少なからず気持ちの揺れを映している。なら、オレも本気になるしかねーのか? ……あー、くそ。昨日のオレって最悪だ。逃げたいあまり関係ない話しちまうオレも同じ位最悪だけどよ。
「突然あんな事言って悪かったな。どう思った?」
何だ? この下らねー質問。そら見ろ、灰原だって不快そうに顔しかめてる。
「どうって……」
「ないと思うんだけどよ、歩美が……オメーはオレの事好きなんだって」
まさか。いや、ありえねーよな。
「そう、なのか?」
すぐに、冷笑と一緒に「バカね」とか茶化してくれるもんだと思ってた。けど、十数秒程沈黙している様子は、茶化すにはかかり過ぎだ、よな? 早く、何とか言えよ。バーロ。
「バカね。小学生の女のカンを信じるの? 平成のシャーロックホームズさん」
「やっぱり、気のせいだよな……?」
ホラ、な。呆れ顔で溜め息混じりに、ちゃんと否定してくれた。
「そうだったら、どうするの? 私が、もしあなたを好きだったとしたら」
頭が真っ白になったのは、一瞬だ。……待てよ。さっきのは、否定だったんだよな? オレの事はそういう対象じゃない。そうだろ? あぁ、でも。
「……それならそれで、オレは別の答えを出さなきゃいけねーのかもな」
「どんな答え?」
「さあな。でも、どんな道に進む事になっても、無碍に出来ない存在が居るんだ」
例え、告白が冗談とは全く違った意味を持っちまったとしても。灰原がもし、オレの事を……なんて事があったとしても。自分自身に釘をささねーと、タガが外れそうだ。
「……知っているわ」
え? まさか、本当に歩美の言う通り? 灰原が、オレの事を? いや、そんな筈は……でも、そう思わないと、他にコイツの態度は説明できないよな。そうだとしたら、オレが今何か言わねーと。ダメだ、口を開く度に言う言葉が頭の中から消えてく。灰原がふっと微笑むまで、オレはただ金魚みてーに、ぱくぱく口を動かすだけしか出来なかった。
「悪いわね、いい加減立ち疲れたんだけど。そろそろ、帰らせてくれない?」
「あ? あ、ああ、そうだな。げ、悪い! 三十分もここに居たのか」
「そうよ。大した用でもないのにこんなに足止めされるなんて、驚いたわ」
あ? 大した用でもないだと? コイツ、人がどれだけ……
「そもそも、オメーが意味深な質問返さなきゃ一瞬で終わったんだよ」
「はいはい。話の続きはまたにしましょ? ……じゃあね、工藤君」
「お、おう」
灰、原……?
手を振るアイツが最後に見せた微笑。それは、まるで遠くに行っちまいそうな気にさせる。最後の別れの言葉も、何だかヤケに意味深だ。けど、オレは呼び止める理由も浮かばねーまま、見送る事しか出来ねー。自分の悪い予感を、信じてればよかった。
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