FILE01:『動揺と変化』
鳴り響く電話の音に、半ば強引に起こされた。
あれ、いつの間に眠ってたんだ……? もう、六時か。蘭、買い物からまだ帰って来てねーんだな。
「ふぁい、毛利探偵事務所です」
「あっ、コナン君?」
「蘭姉ちゃん。どうしたの? 買い物に行ってるんでしょ?」
夕飯の買い物だよな、一時間も何やってんだよ。
「うん……お父さん居るかな? 雨降って来ちゃったみたいだし、私傘持ってないから車でお迎え頼もうと思ったの」
雨。降ってんのか? カーテンを開けてみれば、確かにザーザー降りだ。なるほど。蘭の奴、買い物帰りに雨に降られてどっかで雨宿りしてんな?
「んー、ごめん。おじさん今居ないんだ。でも、僕やる事ないし、傘二つ持ってそっち行くよ」
「え、いいの? 悪いけど、頼んじゃおっかな」
「うん。準備する時間は待たせちゃうけど。だから、今居る場所教えてくれる?」
杯戸商店街……って、歩いて行くには遠いなぁオイ。安売りスーパーに行くとは言ってたけど、何も夕飯の買い物に隣町まで行かなくてもいいじゃねーか。受話器を置いて、そのままオレと蘭の傘を持って行く。
外、随分暗いじゃねーか。ったく、蘭の奴、雨が降らなきゃここを一人で帰るつもりだったのかよ。相変わらず、女としての自覚が薄いっつーか、なんていうか。幾ら空手が強くたって、怖がりなクセによー。お、雷も出始めたな、早く行ってやらねーと。
雨の中、濡れた地面を走る音が、バシャバシャうるさく耳に響いていた。
「あっ、コナンくーん!」
すぐに呼び止められたから、探す手間は省けた。申し訳なさそうに手を振っている蘭に、笑って駆け寄る。
「蘭姉ちゃん、遅くなってごめんね。待たせたかな?」
「ううん、来てくれるだけで嬉しいのに、そんな事全然ないわよ……ちょっと濡れちゃったね」
乾いたハンカチで顔拭いてくれる蘭の肩が濡れて服とひっついてやがる。……なんだよ、濡れてるのは、オメーもじゃねーか。待ってる間も雨に打たれてたんだろ?
「ねえ! 自分の身体拭かなきゃ、風邪引いちゃうよ?」
「私、身体強いから平気よ! 今更私の身体拭いたら、湿ったハンカチで折角来てくれたコナン君迎える事になるんだから」
「そんなの、別にいいのに。蘭姉ちゃんは、もうちょっと僕に頼ってくれていいんだよ」
いつも、周りに心配かけまいとして、平気だと強がってても本当は影で泣いてんの、オレは知ってるんだよ。悲しい思いしかさせてない歯がゆい気持ち、分かってんのか? それでも、工藤新一はそんなお前が好きだったんだ。
工藤新一は、なんて言い方変かもな。けど、最近はオレもどうにも……
「蘭姉ちゃん! さっさと帰ろう。僕お腹すいちゃったよ〜」
「そうだね。じゃあ、今日は腕を振るっちゃうわよー。今日は、コナン君の大好きなハンバーグなんだから!」
「わーい! 大きくて美味しいハンバーグ、期待してるからね、蘭姉ちゃん!」
子供っぽく大げさに喜んで見せると、蘭が嬉しそうに笑った。新一だった時に向けられた笑みとは、種類の違うものだ。ま、違くても構わねーけど。今でも変わらず、蘭の笑顔は好きだ。ずっと笑ってて欲しいって、そう思ってんだぜ?
「任せて! コナン君こそ、こういう事は沢山甘えてくれていいんだからね? 可愛い弟の喜ぶ顔が見れるなら、頑張っちゃう。って、心理が働くの。何だかこんなに長く一緒に居ると、本当の姉弟になれたみたいだね」
明るく言われた言葉が、少し悲しく感じた。”姉と弟”ね……最近では、蘭もオレでさえも、よくそんな態度と感覚で話す。今もずっと工藤新一を待ち続けている蘭がいて、けど反対にその本人は、どんどん工藤新一を忘れて別人になっていくなんて。んなもん、理不尽以外の何者でもねーよ。
「コナン君?」
「うん、そうだね。蘭姉ちゃんが本当に僕のお姉さんならって、そう思うと凄く嬉しいよ!」
本当に僕のお姉さんなら、だなんて、工藤新一の台詞じゃねーな。オレは、江戸川コナンに、いつの間にこんなに慣れちまったんだ? いつの間にこんなに、馴染んじまったんだ。
こんな事実は、周りが見ればあまりに滑稽な喜劇だろうけど。オレにとっては本気で辛い。今も、蘭の家までの道を、まるで姉弟のように歩いているんだ。見かけだけじゃない、心まで江戸川コナンに支配されてくオレが。
すぐそこに探偵事務所が見えて来た。今となっては、オレの家である事に何の不思議も違和感も無い。たまらず、歩を早めて彼女の前に出た。
「ねえ、蘭姉ちゃん……」
「え? 何、どうしたの」
不思議そうな声が後ろから返ってくる。そうだな、オメーは、何も知らずに問いかける術しかもてない。だから、間違っても上から表情を見られる事がないように、傘で深く顔を覆った。
「大好きだよ。ずっと、ずーっと……」
いつまでも、工藤新一は蘭に永遠の恋心を抱いていればいいんだ。だって、嘘じゃなくて、本当に好きだったんだ。待ち続けている間泣かせていた彼女が、ずっと幸せな笑顔に包まれ続ければいいって、何度願ったと思う? それほどまでに、”彼”は後ろの健気な女が、大好きなんだ。
「……だから、早く帰ってくるといいね! 蘭姉ちゃんの、好きな人も」
「う、うん……」
「さ。早く、ハンバーグ作って! 蘭姉ちゃん」
戸惑う表情と、悲しい声は気づかないフリ。江戸川コナンには、それは癒せないから。オレは目一杯の元気な顔を見せて事務所の階段を駆け上がった。そこから後は、ハンバーグを楽しみに机に座る、無邪気な子供を徹底した。
もう、オレが江戸川コナンになってから、一年と……もうすぐ半年ほど経つんだ。前に灰原にも言われた通り、時間の流れには逆らえねーもんだな。オレがどう頑張っても、色んな事が歯止めが利かずに変わっていくんだ。
翌朝の学校は、昨夜の雨で風邪でも引いたのか、四時間目まではぼーっと過ごしていた。事件も立て続いていたから、気持ち的な疲れもあったのかもしれねーけど。
「コナン君、大丈夫? 何か、調子悪そうだよ」
顔を上げると、歩美が心配そうに立っていた。
「あー、うん。平気だよ。ちょっと用が立て込んでて、疲れ気味なだけだから」
「ホント? 哀ちゃんも、心配してたよ?」
「なんで今ここに居ない灰原の名前が出てくんだよ」
先ほど、給食当番だった灰原は、割烹着に着替えて教室を出ていった。光彦も元太も、気づけば教室に居ない。
「判るもん。哀ちゃんがコナン君の事気にしてるの。歩美も……いつもずっとコナン君の事見てるから」
「え?」
「だって、歩美はコナン君の事なら判っちゃうの。この一年間で、変わった事も」
おいおい、何言い出すんだ? んな真剣な顔、他の奴等がいねえ時に突然されたら対応に困るっての。まさか……これから告白でもしようってんじゃ?
……変わった事なんて、んなもんねーよ。ない筈だ。
「オレの、何が変わったってんだ?」
「知ってるもん、歩美。コナン君の視線が、いつだって歩美以外に向かってる事。前は蘭お姉さんだった。いつもコナン君上を見てた。でも今は、違うんだよね」
違わない! オレは今も蘭の事を……くそっ、否定してえのに、首も口も動かねー。今だって、オレは上にいる蘭をいつも見てるだろ?
例え、なぁ? 今頭に浮かんだヤツが、蘭じゃなくて、灰原だったとしたって。オレが好きなのは……
「両思いだもん、歩美敵わないよ。大切なお友達だけど、気づいた時凄く悔しかった。コナン君、どうやったら振り向いてくれるのかな? 言えば、何か変わる?」
「お、おいおい……」
両思いって何だよ。バーロ、どんどん話進めんな。っつーか、何を言うって?
「あのね、コナン君が誰を好きでも、歩美はコナン君が好き!」
「歩美ちゃん……」
ズルイ考えは、この告白さえスルーしたくなった事。オレは歩美の気持ちを知っているつもりだったから、面と向かって言われたくない気持ちがあったんだ。
実際は、んな事出来るわけねーけどな。歩美の気持ちを知っているつもりだったから、目の前で頬を染めて、涙を浮かべられちゃな。
「いいよ、覚悟出来てるもん。歩美の真剣な気持ち、ちゃんと伝わったなら、コナン君も本当の事言って! コナン君は、誰が好き?」
オレが誰を好きか、ね。真剣な言葉には、真剣に答える。探偵としても、人間としても義務だよな。
「ごめん。オレが好きな人は……」
蘭……? いや、確かに好きだけど。一番浮かんでるヤツの名前が言えねーって、どういう事だよ。でも、もし口にしたら、不変が壊れちまう。工藤新一は、まだ消したくねーんだ。オレが好きな人は、
「哀ちゃん、でしょ?」
――っ! 灰原……? なんで、だからここにアイツが出て来るんだよ。なんで、そんなに確信めいてんだよ。
歩美がなんで、オレの気持ちを、んな簡単に肯定するんだよ。違う、何か言い返さねーと。くそっ、考えが上手くまとまらねー。
次第に、廊下が騒がしくなってきた。もう、給食が運ばれて来る頃か。
「皆、戻って来ちゃったね。……ま、いいや! 歩美の事ふったんだから、絶対素直になってね?」
何も言えないなんて、なんて情けねー事だろうな。少なくとも歩美は、壊れるのを覚悟で告白してくれたんだってのに。あんなに、泣きそうな顔で、声を震わせて。それでも素直になれって言ってくれてんのに。オレは、素直になれんのか?
給食中も、五時間目も、小林先生の話なんか全く聞こえちゃいなかった。魂が抜けたみたいにぼーっと過ごしていた一時間半程。何やってんだろうな、オレは。
どれ位机に突っ伏していただろう。帰りの号令がかかり終えた教室に、ガタガタと椅子が動く音を聞いた。
もう、下校時間か。これから帰って蘭の前で普段どおりの江戸川コナンを……って、自信ねぇなー。なんでこういう事に弱気なんだろな、オレ。
帰りたくねーけど、何か寄り道する事無かったか? あ、そうだ、図書室。こないだの事件の被害者宅にあった本調べたかったんだよな。
「悪いけど、先帰っててくれねーか?」
お、予想通りの反応。がっかりしたような、むくれたような、そんな顔で反論する探偵団達を何とか宥めた。
オレが教室を出る前、灰原の声が「私も用事があるから」と奴らに伝えているのをぼんやり聞いた。けど、用ってなんだ? 程度の意識で図書室に直行した。
うげ。判ってはいたけど、随分本も棚も多いねぇ。自分ちの本か、推理小説なら一発で見つけられる自信あるけどな。ジャンルは知らねーし、タイトルもうろ覚えなんですけど。つまり、アレか。本棚の端っこからそれっぽいタイトルが目に映るまで歩く。
えーと。こっちの棚の上から。う。ダメだ、頭痛ぇ……やっぱり、帰りてーかも。今日はあんまり体調よくねーし、探偵団の奴らと素直に帰っときゃよかったな。でも、そもそも歩美が余計な事言うからいけねーんだよ。
「オレが、灰原を好き……ってか? 言いたい事いいやがって」
ああ、そうだよ。そうかもな。あまりに穏やか過ぎる変化で、自覚するには時間はかかったけどな。いつからだっただろうな。気づいて、オレはすぐに封印したんだ。
蘭を、泣かせたくない。それに、自分がコナンに染まりすぎた気がしたのがやたら怖かったんだ。
「もし封印したまま忘れる事が出来れば、またオレは蘭の所に帰れる筈なんだよ」
ずっと笑顔で居て欲しいと願う。ありきたりと言われようが、それが”オレ達”の願いだ。それだけは、何があっても不変なものだと、自信をもって言える。
あーっ、くそ。作業が捗らねー。頭がはっきりしない時にする作業じゃねーな、コレ。おっちゃんの声で、目暮警部に確認してみっか?
もう諦めて帰るか。そんな結論に達したオレに、突然後ろからクールな声が降った。灰原……噂をすればなんとやらってヤツか? でも、丁度いいかもな。
「事件に使う資料なんだ。オメーも一緒に探してくれたら助かるけど」
「はいはい。いいわよ、最近は名探偵さんの助手も楽しくなって来たし」
「助手じゃねーっつってんだろ。オメーは、恋人にでも昇格させてやりゃ満足か?」
あれ? 冗談言っただけだよな、オレ。口にして、心拍数がやけに激しくなったのも束の間だ。目の前で灰原が冷ややかな笑みで笑ってくれたから、すぐに冷静に戻れた。コレだ、オレと灰原の一番ベストな関係、ベストな距離感。……なんだ、ちゃんと判ってんじゃねーか、オレ。
最初から、灰原に手伝ってもらえばよかったんだな。涼しい顔して簡単に見つけやがって。いや、実際感謝したけどよ。これで、やっと事件も解けそうだし、ラッキーかもな。勝手に頭痛とめまいしただけ損か。校門でてもクラクラ……って、本にそんな拒絶反応は初めてだよ。
今、隣には灰原がいる。コイツから帰りを誘ってくるなんて、随分珍しい事があるもんだな。雪でも降るかと思ったけど、道の途中まで来て、灰原がらしくない事をしみじみ言い出した。コレが雪の代わりか。あー、調子狂う。オレ達の歯車も、どこか一つ狂った。
「一年も経てば、考え方も変わる」
何、言ってんだ? オレ。ついに体調不良と暑さでおかしくなったか。いや、灰原があんまりオレを不変だって言い張るから。変えたのは、オメーだってのに。
珍しく、動揺した顔なんかするから、オレだって止められなくなるんだよ。止められなく……
「オレは、お前の事が好きだ」
オレ、今勢い任せに何言った? しまった、なんてもう遅いだろ。あ、灰原が真っ白に固まってる。それとも、オレが固まってんのか? 最悪だ、感情に流されて自分から大切なもんぶっ壊しちまうなんて。今日は、大凶だな。朝、休んじまったらよかった。
いや、違う。これは冗談だ……オレが、最初に灰原にそう条件づけただろ? そうだ。まだ、リセットできる。
「…………友達として。仲間として。大好きだ」
絞り出した苦しい付け加えが、やけに掠れちまった事に、オレはまた一つ後悔した。
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