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知恵の実の毒

作者:武倉悠樹
 二〇一三年、マダガスカルから西北西に百キロほど行った名もない孤島で新種の類人猿が発見された。

 チンパンジー属に分類されたその新種のサルは発見した学者の名を取りパン・パトリクシウスという学名が付けられた。

 大きな頭部と発達した手指、長い尾が特徴的なパン・パトリクシウス、通称リルブロと名付けられたその存在はヒト科に属する新種の生物として、その発見を大きく取りざたされる事となる。

 チンパンジー属は高い知能を持つことが知らされている。同属のチンパンジーやボノボは道具を使い、独自の社会通念を持っているだけでなく、人間の教育によっては火を扱うほどの知能を持っている。リルブロもその生態から高い知能が伺えた。

 リルブロの生育する島では雨季と乾季の環境差が激しく、特に環境が劣悪となるのは乾季でなく雨季で、数ヶ月にも渡って止むことのないスコールが森のすべての可食物を腐らせ流してしまう。そういった環境でリルブロはある生態を淘汰の過程で手に入れていた。彼らは乾季のうちに腐った朽木の皮を集め温床を造り蝶や蛾の養殖を行う事によって雨季の食糧不足を行うのだ。

 この事実は彼らの高い知能を証明しており、動物学者達を大きく驚かせることになった。

 しかし、彼らの高い知能はそれだけに留まらなかった。この稚虫の養殖を彼らは群れで管理。高いシステム性の下で行っており、その管理維持に言語を介していたのである。

 そもそも言葉のようなものを使う動物は少なくない。犬でさえ鳴き声で感情を表現するし、イルカやコウモリなどは人間の可聴域を超えた周波の音で意思の疎通や情報の伝達を行っている。しかしそれは言葉ではなくあくまで鳴き声であり、より高度な存在の言語であるとはいえない。

 では、リルブロが操る物が鳴き声でなく言語であると何故言えるのか。それは彼らが日々の中で用いる言語が、彼らが構成する群れ単位では異なることが判明したからだ。

 生態観察を重ねる内に彼らが言葉のようなもので意思の疎通を図っているらしいことはすぐにわかった。そして研究を続けるうちに同じリルブロでも生まれ育った群れの違いで同じシチュエーションでも異なる響きの音を使っていることがわかったのだ。これはすなわち彼らの言葉が、先天的つまり本能に基づくものでなく、後天的に習得されるものであることを意味している。

 言語と鳴き声の違いは何か。それは紡がれる音ないしは文字と意味するものの間に明確な文法が存在するか否かである。

 例えば「猿」という言葉がある。これが「猿」を意味する言葉として機能するためには発し手と受け手に「猿である」という共通の認識が無ければいけない。

 その認識が為されていない外国人にはその「猿」という言葉は機能せず「saru」という音にしかならない。

 「saru」という音を「猿」たらしめる言葉の意味の共通認識こそ「言語」の本質なのである。

 対し、イルカなどが用いる鳴き声はその文法を本能に依拠している。彼らは音がなにを意味してるかを考えるまでも無く、直感的にその意味を感じることが出来るのだ。

 鳴き声と言語は意味を伝えるという機能においては大きな差はない。しかし文法を理解できる知能を持った存在同士が用いるという前提があれば言語の汎用性というものは大きな可能性を見せることなる。

 異なる言語体系に生きるもの同士でも互いの言語の文法を解し、共に意思の疎通を図ることが出来る。

 その証拠に我々は異なる言葉を話す外国の人間と意思の疎通が図れる。

 これは人類が操る言語が他者にも理解できるような論理的構築で作られているからで、人類は後天的にそれを学び取っていく。

 リルブロが行うコミュニケーションのツールもこの言語の特性が色濃く伺えた。

 まず、もっとも特徴的なのは同種のリルブロでも群によって使う言葉が異なるという点である。これは種としての本能がなせる範疇の外側に彼らの言葉が置かれている証拠であり、その論を裏付けるように、リルブロの子供は周囲の大人たちが使う言葉を自分の使うべき言葉として、習得する事がわかった。

 同じ親から生まれたリルブロの子供を親元で育てた個体と親元から離した個体で観察したところ、著しい言語能力の乖離が認められたためだ。

 これはさらに、リルブロが後天的に、成育の過程で言語を習得するだけでなく、成熟した個体による言語教育が行われていることも明らかにした。

 この様なレベルで言葉を解し運用するのは、自然界広しと言えども人類だけで、その常識をリルブロの発見は覆したのである。

 例えばチンパンジーなども図や簡単な文字の書かれたカードを使って言葉を教えることができるし、それを使って人と意志の疎通を交わすことも可能ではある。しかし、それはパターンの記憶であり、発話ができるわけでもなく、真に言語体系を理解できているとはいえないのである。

 とにかくリルブロの高い知能と言語能力は多くの人間の注目を浴びた。生物学や進化学だけでなく、生態行動学、社会学や言語学の分野でもリルブロの研究の進捗に期待の目が向けられる事になる。 

 リルブロが発見されて、十五年後。リルブロの人工飼育や人工繁殖の技術の確立を待って、オーストリアの言語学者ハシュルムはリルブロの子どもを使ったある実験を始める。その実験はリルブロに人間の言葉を教え、そのリルブロを通してヒト以外の知性とのコンタクトを図ろうというものである。

 ハシュルムは手始めに、五つの表音文字と四つの表意文字によってすべてを表すベルコム言語という人工の言語体系を疑似的に構築。群から切り離した十二匹のリルブロにこの言語をつかって人間の世界の言葉を教えていった。

 こうして自然界から引き離された人工の飼育は成功し、人間との完全な意志の疎通が可能な動物の育成に成功した。この時点で実験は大きな成果を達成するのだが、ハシュルムはさらに先の段階を目論んでいた。

 ハシュルムは言語をさらに改良し、サルの口腔や声帯でも発話可能な音声を付加。加えてベルコム言語を使うようになったリルブロ達の子供達をリルブロ発見の島の生態系によく似た島へと放逐。限りなく自然に近い状態で生きるリルブロ達の群を観察できるようにした。

 こうしてヒトの言語を持ちながらヒトの文化から離れたリルブロ達の観察が始まった。

 ハシュルムはそれから我慢強く、人の言葉を持ち、伝えるリルブロ達への干渉を行わなかった。行ったのは最低限の生存観察だけである。リルブロ達がヒトから文化や価値観を、見て、学び、感じ、覚える事がないようにだ。

 いかに言葉を扱うとは言えリルブロの知能がヒトを凌駕するわけではない。ヒトと同じ思考の目線に立ってしまったヒトの劣化コピーの知性体とコンタクトを取ることはハシュルムの目的ではなかったのだ。

 ヒトとリルブロの共有している知識や文化が単に扱う言語だけである状態に浄化されていくまで、リルブロの世代交代で四代、実に六十年の時を要した。

 その間実験の陣頭指揮を担ったハシュルムは死んだ。リルブロ、すなわち自然の存在が語る言葉を聞くことはハシュルムには叶わなかった。

 その後ハシュルムの遺志を継いだ数人の研究者によって、実験は続けられ、六十年の歳月を経てもう一度リルブロの捕獲が試みられた。

 実験島から捕獲したリルブロの数十七頭。

 研究者の目論見が叶い、六十年の歳月は彼らからヒトの影響をすっかり消していた。そして、肝心の言語である。リルブロの生態に関係ないボキャブラリーこそ失われていたが、彼らの扱う言葉は紛れもなくベルコム言語、すなわちヒトの言葉だった。実験は成功したのである。

 研究者達は、喜々として今のリルブロの扱う言葉を研究し、同時にリルブロ達へといくつかの単語を教えた。種を越えたコミュニケーションへの下地を整えるためだ。

 捕獲から三ヶ月後、初めて人類の側から質問が投げかけられた。

 その言葉はハシュルムがリルブロ達に最初に問おうとしていた言葉でもある。

 「なんのために生きているのか?」

 研究者たちは一七頭のリルブロにそう問うた。

 ハシュルムは、ヒトという種が、言葉を操り突き詰めていく哲学でも、心を研ぎすませていく宗教でも、知恵を絞り続ける科学を以てしても未だに答えを見いだせぬ問いの答えを、種の向こう側に求めたのだ。

 もしかしたら、我々の概念では発想の出来ないような斬新な価値観をリルブロ達はもたらしてくれるかもしれない。ハシュルムはそう期待を抱いていたし、彼の遺志を継いだ研究者たちも同様だった。

 研究者が問いを投げ掛け、リルブロ達に思考の時間を与えた翌日。リルブロ達の檻は血の海と化していた。

 十六頭のリルブロ達が互いに互いの首を噛みちぎり、集団で自殺を図ったのだ。

 研究者たちは動揺し、一頭だけ残されたリルブロに何があったのかを聞いた。

 その一頭の開かれた口から何が語られたのかはわからない。なぜなら、研究者たちが次々と死体となって発見される事態となり、詳細な記録が残されていないからである。

 その後ハシュルムの研究は担い手を失い消滅する。一頭だけ残されたリルブロはアメリカの研究施設に引き取られることはなったが、生涯言葉を話すことはなかったという。
ご一読ありがとうございました。皆様の貴重な時間を拙作に割いていただき感謝の極みでございます。
これから、本文とちょっとテイストの違う後書きを書きます。
読後感を大事にしたい方は、読まずにご退席下さい。














ではいくつか解説と言い訳をば。
言語についての考察は「ソシュール」なる高名な言語学者のおっさんの論で、構造的言語学としては一般的な「言葉の本質はその言葉を規定する文法にある」と言うものごくごく薄っぺらく噛み砕いたものです。
そういう意味も込めて「言葉」を自発的に解し運用する賢いモンキーさんは現実には居ません。多分。今んとこ。嘘からでた真がないとも言い切れませんが。
とは言え、チンパンジーぐらいになると、言葉を使った簡単なコミュニケーションは可能なようです。勿論作中のように発話は無理ですけどね。
そうやって、コミュニケーションが取れるようになったチンパンジーに「死んだらどこに行くのか」と尋ねたところ上を指差したと言うエピソードを何処かで見聞きしたのがこの作品のアイディアの核となる部分です。

個人的な思想に人間が宗教やら哲学やらをこねくり回して、必至こいて探し回ってる「真理」とやらを言葉もわからぬアニマルさん達は「いや、そんなんいわれるまでも無くね」的に知ってるのかもなぁ、という考えがありまして、そんな感じのことも込めたつもりです。

最後、謎を読者の方々にブン投げる形になっているのは、申し訳ありません。
悪く言えば、答えを提示する事からの僕のランナウェイです。
良く言えば、その行間の寓意の答えをあなた自身が見つけてください、という素敵解釈でもあります。

なんかそんな感じです。読んでくださって本当にありがとうございます。引き続き他の作品をお楽しめ!ください。

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