忍者、異国を駆ける 2
大人なんて皆バカばかりだ。
ブカブカに被った帽子を直し足早に路地裏を歩く。
さっきぶつかった際に盗んだ財布には大金とまではいかないが、数日は食料にこまらないだけの金額が入っていた。
この街では見ない顔だった。おそらくは旅行者なのだろう。あんなところをいい服着てボヤボヤ歩くヤツがいけないんだと呟きながら後方を注視し、誰もついて来ていない事を確認する。
無作為に立てられた建物が迷路のような複雑さを造り、土地に暮らす者でなければ下手をすれば警察だって迷いかねない迷宮にアジト、『ミノタウロス』はあった。
迷宮に住むとされる伝説上の怪物の名前で、強そうで迷宮のような場所に住む自分たちにぴったりだという事で決定した空き家の名前である。
深い街の裏側にある空き家は、大人たちから見放され教育もロクに受けられない少年少女たちが、家族の繋がりを求め、集まり寄り添い、温もりを確かめ合うそのアジトは同時に心のよりどころとなっていた。
木製の扉を開けると、自分よりも小さい『兄弟』たちが出迎えてくれた。親に捨てられ、虐げられ、また親をなくし行くあての無い者たちが、辛い過去を微塵も出さずに満面の笑みで、自分の無事を喜んでくれた。
永遠に続くかのように長い時間を生きる子供たちにとって、仲間との絆は何よりも尊い。そしてそれを象徴するかのように、壁には『ミノタウロスの誓い』という張り紙が貼られている。
一つ、食べ物は分け合え。
一つ、喧嘩は両成敗。
一つ、年上の言う事に従え。
一つ、年下を可愛がれ。
一つ、寝る場所は取り合うな。
その他にも『兄弟』たちが平和に暮らす為に書かれた誓いは最後に『一つ、兄弟を裏切るな』という文で締めくくられている。
「ただいま。みんな、喧嘩しなかった?」
『少年』の問い掛けに「そんな事よりお腹空いたよ」「ねぇ聞いて私……」などと思い思いの感情を顕わにするいつもの光景に、苦笑する。
サイズ違いの帽子を脱ぐと、ウェーブが掛かった綺麗な金髪が肩先まで現れた。
「ねぇお姉ちゃん。お客さんが居るよ?」
一番小さい妹が扉の方向を見て訊ねてきた。
いつのまにか扉に寄りかかっていた黒い髪の大人の女には見覚えがある。
「ふーん。男の子かと思ったら女の子だったんだ」
「そんな。どうして?」
つけられている雰囲気はなかった。迷宮に入る際も入念に後方をチェックし、誰も居ない事を確認しながらも、あえて入り組んだ道を選択したのに、どうしてこの女はここに居る?在り得ない光景に思わず目を疑う。
「盗んだ財布を返しなさい。人の物を取るなんていけない事だわ」
この街の実情も知らない、能天気な旅行者のくせに。華やかな街の裏側では食べる物も無く、泥水を啜り、それでも餓えで死にそうな人間がゴロゴロいる現実を目の当たりにしている彼女にとって、聖人君子のように、当然の事を平然と言い放つ黒髪の女に、恨めしい気持ちと苛立ちの感情が湧き上がる。
が、幼い兄弟たちの手前、言葉を荒立てまくしたてるのは得策ではない。
深いため息を付きながら冷静さを取り戻す。自分の手を強く握る妹が今にも泣きそうな顔でこちらを見上げている。そうだ。何よりも今現在ここを守る年長者として、兄弟たちが傷つくような事は絶対に避けねばならない。
「……判った。財布は返すから、警察には言わないで……」
大人しく観念し、素直に盗んだ物を差し出す金髪の少女の態度が以外だったのか、目を大きくしてこちらを見返している。
女が財布を受け取ろうとして手を伸ばそうとした時、
「いや、それはあげるよ」
後方で、見覚えのある男がいつの間にか立っていた。
黒に近いダークブラウンの仕立ての良いジャケットを羽織った青年。今少女が手にもつ財布の持ち主である。
晴れ渡った空のような青い眼に、太陽のような金髪が印象的な青年が、両の手をポケットに入れゆっくりとこちらに歩いてくる。
「バルゴ、いいの?」
バルゴと呼ばれた青年は肩を竦め、然もありなんといった表情で少女の前に立つ。
「大した金じゃないが有益に使ってくれ」
同情でもなく、侮蔑でもない、それは何気ない一言。だがしかし、少女にとって初めて触れた大人の優しさであった。少女の後ろに隠れている幼い兄弟は何が起きているか理解できずに今だに怯えている。
「行こう、ミゾレ」
そういって立ち去る青年の背中を追いかけようとするが、思い出したように振り返り、少女の鼻先に人差し指を突きつける。
「今後はこんな事は辞めなさい。でないと、いつか大切な人たちを巻き込む事になるわよ。……そうなってからじゃ、遅いんだから」
強い口調で、それでいて悲しそうな瞳で注意する女の忠告を、無言で頷く。
ミゾレと呼ばれた女は、突きつけた手を少女の頭に乗せ、華が咲くような笑みで微笑んだ。
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