第6話 魔眼
空が白んできた。
夜の支配が終わり、見渡す限りの平原は太陽とともに目覚めの時を迎えようとしていた。
じわじわと鮮やかな緑へと変わりゆく地平線。
そこに、ぽつんと影一つ。
それは力もなく手をだらりとさせて立っている。
水晶のような紫の瞳は、上空にある漆黒の凶鳥へと向かっていた。
影の数倍はある凶鳥は、無数の翼を呼吸に合わせて上下させ、地上の様子を伺っている。
震えながら。
怯えるように。
影は全く動こうとしない。
いや、瞳が挑発的に光った。
途端、本能よりも早く、凶鳥は影に向かって急下降する。
対して、陽に照らされた影は、鮮やかな蒼い髪を揺らして空中へと躍り出た。
■ ■ ■
「――お、ユウどん見ーっけ♪」
無限の草原に茂る一本の木。
その頂上付近の細い枝には、みっちゃんがナマケモノのようにぶら下がっている。
どうやらユウを探しているようだ。
ユウは、最初の頃より遥かにレベルの高そうなアヤカシを封じよう迎え撃つところであった。が、足を滑らせたらしい。
勢いよく仰向けに転倒した。
その隙を突いて、アヤカシは火の玉を連続で放ち、あっという間に一面火の海と化した。
「…………」
火球によって起きた爆発の瞬間、なんとなく、ユウの断末魔が聞こえたような気がした。
一部始終に、ぽかんと口を開けてアホ面をするみっちゃん。
「……ぬぁっ!?」
ハッと我に返り、慌てて木を降りる。みっちゃんはユウのもとへと走った。
「ユウどーん! おーい、ユウどーん! だーいじょーぶかぁー!?」
ユウのいた場所は、もうもうと煙が立ち込めるものの、火はほとんど収まっていた。
だが、そこにはユウどころかアヤカシの姿さえない。
辺りに陰になるものなどないのに、一体どこへ消えたのか。
「あれ、みっちゃん?」
突然、足元から声が湧いてきた。
視線を落とすと、焼けた土に体を埋もれさせたユウがいた。
「うぉう!? ユウどん、なして埋まっとるがな?」
「あっはは……」
みっちゃんの手を借りて、ユウはようやく地面から抜け出す。
「あの爆発から逃げ切れないと思ったからさ、みっちゃんの十八番を真似してみたんだ」
「おお、なるほど♪」
みっちゃんは納得して掌を打つが、真似して、そう簡単にできるものなのか。
そもそも、あれほどすごい爆発を土に埋まったくらいで避けられるものなのか。
クレーターができた辺り一帯を見て、ユウは事の大きさに驚く。
「ぉお〜、派手にやった〜」
「ユウどん、アヤカシはどうなったん?」
「うん? 封印は失敗しちゃったから……」
「ぬ! じゃあまだ近くに!?」
みっちゃんは咄嗟に身構えた。しかし、ユウはのんびりと手をひらひらさせる。
「それは大丈夫。『目』が壊れるのを見たから。あのアヤカシは復活するのにかなり時間かかるし、しばらくはゆっくりできるよ」
「へ〜、そうなんか」
みっちゃんは感嘆の声を出す。
「アヤカシは強いほど復活に時間がかかるっていうからのう。ユウどんはそれだけ強くなったっちゅうこっちゃな♪」
ユウは照れ隠しに笑う。が、すぐにため息へと変わった。
「でも、ミサギさんみたいにできないんだ。あれはどうやってやったんだろ?」
「ぬ? あれとは?」
「ミサギさんが初めて封印を教えてくれたとき、アヤカシが一瞬で動きを止めたんだ。それをどうやったのかがわからなくって」
「ふぅむ……」
みっちゃんは、顎に手を当てて考える。
「そりゃ、恐らく魔眼じゃの」
「マガン?」
「そうじゃ。しかしあれはちょっと特殊――」
みっちゃんがユウをみると、そこにはもうユウの姿はなかった。
「お、およ!? ユウどん?」
止める間もなく、ユウは彼方屋敷の中へ消えていった。
広間を駆け廊下を抜け、ユウは執務室の扉を力任せに開く。
「ミサギさん、ボクに魔眼を教えてください!」
「無理」
にべもない一言。ユウは、勢いに任せてそのままこけた。
「な……なんでですか?」
「なんでって、君は魔眼を持っていないだろう?
魔眼は、練習すれば誰でもできるってものじゃあないんだよ。
君が生まれつき妖魅呼であるように、魔眼もまた生まれ持って備わっている能力なんだよ」
「そう……なんですか……」
ユウの中で過熱していたものが一気に消えていく。しょぼくれて部屋を出た。
「ユ……ユウど……!」
振り向くと、みっちゃんが息を切らせてそこに立っていた。
相当走ったのだろう、ヒュウヒュウと喉から苦しそうな呼吸音が漏れている。
「みっちゃん、いたの?」
「ひ、ひど…………つか、ユウどん、足……速過ぎじゃ……」
息も切れ切れに訴える。
「魔眼、ボクじゃできないんだって。生まれつきの能力なんだって……」
「じゃ、じゃから、わっしはそれを言おうとしたんに、ユウどんまっしぐらに行くから……」
「あ、ごめん」
「ふひぃ〜……」
みっちゃんは、大きくゆっくり息を整えた。
「しっかし、ユウどんはなぜに魔眼が必要なんじゃ?」
「え? だって、魔眼あった方が封印がやりやすくなって……」
「わっしから見たら、そんなんせんでもユウどんは十分にすごいんやけどなぁ」
「? なんで?」
「んー……ちょい聞くけど、ミサギ殿を見ただけでみんなぶっ倒れる理由、知っとる?」
その問いに、ユウはちょっと首を捻る。
「――魔眼の力?」
「正解! まあ、わっしは魔眼の力だけとは思っとらんのやけどな」
みっちゃんは、なにやら含みのある言い方をする。
それが、ミサギの傾国的美貌を指していることはいわずもがな。
「そんな力があるのに、ユウどんには効いてない。ミサギと平気で顔を合わせてるのがその証拠やねんで」
「ふーん……それが、ボクがすごいって理由?」
「そのたうり! 魔眼の威力を削るために眼を潰しとるのにあの威力やもん、反則やでほんま。それを――」
「えっ!? 眼を潰してっ……!?」
「なんや、ユウどん知っとるんやないの?」
「初めて聞いたよそんなこと!」
「な……なんやて!?」
青ざめるみっちゃん。廊下を右往左往し、おたおたと奇怪な行動を始めた。
「あ、あかん……まずいまずい」
「ミシェル!」
「のぁぁあああ!?」
あまりに奇妙な動きでおたつくものだから、突然の声にも文字通り心臓を跳ね上げる。
みっちゃんは、もうこの世に終わりがきたような顔だ。
「……ミサギさん?」
振り返ると、声の主は部屋の前に立って、不機嫌顔で二人を睨んでいる。
「ミシェル、余計なことを言ってたみたいだね」
「ミ、ミミッサギどん……! わわわっしのことははみっちゃんて――」
――みっちゃん、声、震え過ぎ……
「やかましい! 君が先に余計な事を言ったんだろ!」
『ひぃっ!』
思わずユウも一緒に縮こまる。
ミサギは落ち着かせた声音の裏に、怒りのオーラを出しまくっているようだ。
ミサギ相手でも怯まないあのみっちゃんさえ竦み上がっている。
「すっすまん〜。ミサギ殿がもう話したんかと思うてつい……」
逃げ惑うみっちゃんにゆっくりと追いかけるミサギ。
ユウは、その間に割り込んだ。
「何、ユウ君?」
「あ、あの……ミサギさん、眼、潰したって本当……ですか?」
「だったら何? 眼が見えないことに同情でもしてくれるってのかい?」
ミサギが卑屈そうに歪んだ笑顔を見せる。
ユウは、その瞳をじっと見た。
彼の黒く霞の宿る瞳は、すべての光を吸い込んでもなお黒く、それでも光を求めているように思えた。
「いいえ。ただ……」
吸い込まれそうな瞳に、思わず視線を逸らす。
やはり、みっちゃんの言った通り、ユウは他と違って、魔眼に意識を奪われることはなかった。
「ただ?」
「そんなに強い力なんですか、魔眼って……?」
ミサギは少し黙る。
そして、ゆっくりと頷いた。
「そうだね、とても強い力だ。本来、人が持たない力の制御が難しいのは、君にもわかるだろう?」
「はい。でも――」
「力を求めてしまうのは人の性だけど、むやみに強い力を持つことは、いつか身を滅ぼすよ」
遮るような言い方に反論も封じられ、ユウは仕方なく頷いた。
「……はい」
しばらく、重い沈黙がその場を支配する。
「ほいほいほ〜い」
軽快な手拍子が流れだす。
空気を変えたのは、手を叩きながら明るい声を振り撒くみっちゃんであった。
「暗い話はおっしまぁいにしようや。な?」
相変わらずのテンションが、ミサギの口元を綻ばせる。
「……そうだな。もとはといえば、君が悪いんだし」
「ぬぁ〜、それはすまんって。じゃからユウどんにからむのはもうおしまい、な♪」
「ミシェルが今後余計なことを言わなければね」
「なぅああぁああ! わっしはみっちゃぁぁぁああぁぁ!」
悶えるみっちゃんをよそに、ミサギは「仕事があるから」と執務室へ戻っていく。
ドアの閉まる音の直後、ユウの緊張の糸が切れた。
「っはぁ〜……なんか、どっと疲れた……」
ユウは腰が砕けてその場に座り込む。
「魔眼……かぁ」
「ぬ! ユウどんまだ言いよる。魔眼はできんのじゃろーが」
「うん。いや、それはもういいんだけど――」
ユウはみっちゃんをじぃっと見る。
「な、なんやのん……?」
「みっちゃんて『ミシェル』って名前だったんだ」
「あぁあああ! 言わんといてー!」
「なんで? 隠すほどのこと?」
「謎は多い方がかっこえぇやん♪ シブくてはぁどぼいるどでコードネームやぁん♪」
くねくねと体をひねるみっちゃん。
――『みっちゃん』てコードネームはシブいのか……?
いま一つ理解できないみっちゃんの思考に悩むユウ。
「謎っていえば……」
ふと、ユウはあることに気づく。
「ミサギさん盲目なのに、なんでぶつからないで歩けるんだろ?」
「知りたい?」
『っわわわぅ!?』
ユウとみっちゃんは、突然顔を出したミサギに思わず正座する。
「め、めめ滅相もないとんでもない!」
「ミミミサギ殿の秘密にはお触れいたしませぬがよろしでおますからによってご勘弁をぉー!」
二人の縮みように、ミサギはニッコリ笑顔を見せる。
「わかった。じゃ、想像にお任せするよ」
満足そうに執務室に戻った。
「………………」
室内なのに、一陣の風が通り過ぎる。
「……これでよかった……んだよ、ね?」
「う、うぬ……なんか、えぇ具合に操作された感じもするが……」
みっちゃんとユウは姿勢を正したまま、しばらくその場に固まっていた。
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