第5話 封印
暖かい陽気が空を青く澄み渡らせる。やわらかな木漏れ日の間から、小鳥がさえずり、屋敷に静かな昼下がりを知らせていた。
その一室、電灯のない資料室は天井に近いところで窓を並べ、陽の光を少しずつ注ぐ。
妖魅呼【ヨミコ】――『黄泉子』トモ云イ、妖シキ存在ヲ纏イシ稀ナル質有リ。
ソノ者、異ナル力ヲ持チテ魔ニ近シ瞳ヲ授リ給フ
「とも、い……しき、を、いし、なる…………えぇー……っと」
苦しそうに声を絞り出したところで、漢字のふりがなが浮き出てくるわけでもなし。
資料室に連なる本の山、その頂で、ユウは呻きながら本とにらめっこをしていた。
読もうとしていた本の、最初の一文字から苦戦しているのである。
広大というより巨大なという言葉が見合う資料室は、驚くことに、見渡す限り本で埋め尽くされている。文字通り足の踏み場がない。しかも、そのすべてが一般的な電子書籍ではなく、紙製の書籍である。
ペーパーレスが社会に浸透して久しい今の世で、これほど大量の紙製書籍を見れるのは、恐らくここを置いて他にないだろう。第一、電子書籍ならこんな部屋など不要なのだ。
そして紙製書籍には、それゆえの不便な点があった。
例えばふりがな。
電子書籍であれば、ボタン一つで表示されるルビ機能も紙製書籍には存在しない。
当然、ページ送りも自分の手で行う。しかし、ところどころ紙同士がくっついていて、無理に剥がそうとすると破れてしまいそうで、触るのも恐ろしいほどであった。
そして、紙に書かれた文字というのは、紙とともに劣化していくもので、かすれていたり、反対に滲んでしまっていたりして、文字を認識できないものもあった。
今では考えられないトラブルが、紙製の本には満載であった。
「うぬあー!」
あまりの不便さに、ユウは爆発の声を上げた。
「漢字読めん! 紙が破れそう! なんで紙の本はこんな不便なんだよおう!」
すると、それを嘲笑うかのように本の山脈は雪崩を起こし、ユウを呑み込んで下敷きにした。
「―――おーい、ユウどーん?」
みっちゃんがユウを呼びにきたのは、ちょうどその時だった。
声はこだまし、どこかで本の山が崩れる音がする。
しばらく、動きがないか耳を澄ませていたが、気配がしないことを確認すると、鼻息を荒くして顔をしかめる。
「ここでもないか……」
みっちゃんは本の山に登り、どっかと座り込む。
「いっくら、この屋敷が特殊空間じゃというてものぉ…………人捜しにこの広さはちと不便じゃのー」
海原を思わせる空間を眺めて愚痴をこぼしていると、
「……むぅ……」
足下から声が聞こえてきた。
「ん?」
「ど……ちょ、どい、て……潰れ……」
「ぬぅわわわ!? おったんかい?」
慌てて山を下りると、その頂からにょっきりと手が生える。
「っふうー、死ぬかと思った。本が急に崩れてきてさ…………見てよコレ、すげータンコブができてるし」
指を差した後頭部には、なるほど見ただけでわかるくらい大きな腫れがある。ユウは涙をこらえながら、分厚い本を手にする。
角が全て金属で補強されている。
「くっそー。よりによってこんな本が……」
「まあ、そりゃ……災難やったのぉ。そりゃそうと、ミサギどんが捜しとったで。ユウどんの修行見てくれるってよ」
「ミサギさんが?」
みっちゃんに教えられ、ユウはミサギの待つ屋敷の庭へと向かった。
■ ■ ■
今日も変わらず、視界いっぱいに広がる草原。これが庭だという。
初めて見たときは、日本にこんな場所があったのかと目を丸くしたものだ。あり得ない広さに驚きもしたが、空間の歪みを利用した庭だとわかった時になんとか納得した。
屋敷を出て、小高い丘に向かって少し歩くと、ミサギが背を向ける形で座っていた。
「あの、ミサギさん」
「やあ」
ユウに気づいて、ミサギはゆっくりと振り向く。伸びを一つして立ち上がり、
「今日は運良く休みが取れてね。明日からはまた数日屋敷には帰らないから、今のうちに教えられるだけ教えようと思って。君にも早く仕事を手伝ってほしいしね」
そう言いながらあくびをした。
「は、はい。え、あれ? ミサギさん、寝てないんですか?」
「ん? どうして?」
「だって、ずっと働き詰めじゃないですか。休めるときに休まないと、体に疲れが溜まっちゃいますよ」
ユウの言葉にミサギはにっこりと笑った。
「ありがとう、大丈夫だよ。君の言うとおり、休めるときに休んでいるから。君の方こそやるべき事はやっているかい?」
逆に訊ねられて、ギクリとわかりやすい表情を返すユウ。ミサギもすぐに悟って、笑顔から一転、眉を寄せる。
「まさか、また終わらなかったのかい?」
「え、えーとー……」
ユウの視線が犬かき並の早さで泳いでく。
やるべき事。
ライセンスを取りに魔法省へ行ったときにもらった紙のことである。
あの日、やっとのことでライセンスを取得し、ご飯を食べに行こうとしたユウとみっちゃん。その矢先、二人は偶然にもある人物を見つけてしまった。
「あっ……!?」
「……っとぉー!? ミッミミミサギどん!?」
月の光のような煌めきを含んだ銀髪、見覚えのあるスーツに赤い縦襟のブラウス。そして、サングラスをしても抑え切れない美しい顔立ち。そう、二人揃って驚く先にミサギが歩いていたのだ。
向こうも二人に気づいたらしく、一瞬だけきょとんとしたが、何が不満か、表情と歩き方が急に荒くなって二人に向かってくる。
サングラスのおかげで、人々の視線を釘付けするに留まっていたが、これが素顔だったら、うっとりと表情の溶けた屍の山が築かれていただろう。
「あわわわっ! ユウどん逃げるで!」
「え? あ?」
みっちゃんは、ユウを連れて再び魔法省の中へ逃げようとしたが、一足遅かった。
「どうしてんなところにいるんだい?」
怒り混じりの声に呼び止められる。
「ああ〜……いや、ちょっと登録に手こずって――」
「ライセンスなんて、五分もあれば取れただろう? 君がいながら――」
「ミサギさん、ライセンス取れましたー」
みっちゃんとミサギの間を、ユウが割って入る。
ユウの笑顔に、ミサギも笑顔で返す。
「そう、よかった」
ミサギの怒りをみっちゃんから逸らすつもりでしたのだが、それが裏目に出たと気づいた頃には、後悔しても遅かった。
「それじゃあ、今度は屋敷で魔法士の基礎をやろっか」
「はい!」
「はいこれ」
渡されたのは、幾重にも折りたたまれた紙。
「わあ、紙だ。すっげー……っげ?」
広げてみると、中は真っ黒に塗りつぶされていた。
「そこに書いてあるメニューをこなしていくんだよ」
「へっ?」
よくよく見ると、黒く塗りつぶされていると思ったのは、米粒よりも小さな文字だった。目を細めたり、紙を遠ざけて解読を試みるユウ。
「よ、読めない…………ミサギさん、これ一体何年先まで書いてあるんですか?」
「一日分だよ」
「いっ!?」
危うくメモを破ってしまうところだった。
「今日はこの半分でいいから、屋敷に戻ってちゃんとやっておくんだよ」
「え、えと……?」
「じゃ、僕は仕事の途中だから。早くこのメニューに慣れて、僕の仕事を手伝ってくれよ。それから君はちゃんとユウ君についててあげるんだよ、わかったね」
「は、はひっ!」
みっちゃんが背筋を伸ばして敬礼する。
「それじゃーね、ユウ君」
「あのー!?」
にこやかに去り行くミサギに、空腹も忘れ棒立ちのユウ。
そして――。
ロビーの雑踏に紛れ、これからの地獄のような厳しいメニューだけがむなしく残された。
「あ、あのメニューを一日でこなすってのは、ちょっと……」
「そんなに大変なものかい?」
ユウにとって問題だったのは、字が小さい事ではない。視力は、人並みはずれて良い方なので、書かれた文字は一字一句はっきりと見えるのだ。
そうではなく、メニューに漢字が含まれていて、トレーニング内容そのものがわからなかったのだ。
みっちゃんに頼んで、なんとか解読して内容を把握するのに丸一週間、トレーニングメニューを半分こなすのに、さらに一週間を要していた。
「僕がやっていた基礎トレーニングなんだが」
ミサギは不思議そうに訊ねる。
その時点で、彼が一般人の身体能力を遥かに上回っている事に本人は気づいているかどうか。
懐に入れていた基礎メニューを改めて眺めるユウ。
「多分、これ全部を一日で終わらせられるの、ミサギさんだけだと思います……」
「そうかい? 慣れれば誰でもできると思うんだけど」
――その前に死ぬ気がする
心で呟く。ユウは表情に出てしまわないうちに、話を切り替える。
「ミサギさん、修行を見てくれるって聞いたんですけど、何をするんですか?」
「ああ、そうそう。忘れるところだったね」
ミサギは思い出すように立ち上がる。
「君は、アヤカシと戦う時、いつもどうしてる?」
「えと、弱点の『目』を攻撃して……」
「そのまま破壊しているんだろう? あれじゃあ、アヤカシを倒した事にはならないんだよ」
「えっ?」
「目に砂をかけられた程度、と言えばわかるかい。これじゃあ、アヤカシは復活して君を狙ってくる。しかも、仲間を呼び寄せるから倒しても意味がない上、君は自分で窮地に追いやっているようなものなんだよ。身に覚えがあるんじゃないかな」
「……そういえば、最初は一匹だけだったのに、どんどん増えてったような……」
クスリと笑ってミサギは腕を組む。
「アヤカシの『目』っていうのはね……」
ミサギの、口もとに手を当てる姿が妖艶に、表情が冴えるほど冷酷に、瞳が全てを魅了する魔眼に変わる。雰囲気に呑まれたか、ユウは身震いした。
「弱点なんかじゃないんだよ。『目』は『芽』であり『召』でもある。破壊をすればたちまち自らの新たな命を生み、生まれた命は同じ命を喚ぶ。
アヤカシの『目』は、破壊するんじゃなく、封印してしまうのがいいんだよ」
「封印って、そんな簡単に――」
ユウの言葉を遮るようにミサギは両の手のひらを広げる。
淡紅色の花びらがふわりと現れ、ひとひら舞い上がり、それは幾十、幾千、万の吹雪となってミサギとユウを取り巻いて吹き乱れる。
薄紅色に染められた世界。
美しさに魅入っていると、ユウの後ろから木戸が現れた。何かを手にしている。
「?」
彼は黙って、手のものをユウに見せた。それは、黒い麻紐で二重に結んだアヤカシの『目』だ。
真っ赤な目は、もがくようにギョロギョロしながらも、なぜかアヤカシの形を成そうとしない。どうやら、麻紐がアヤカシの復元を抑えつけているようだ。
「離れていてください」
木戸はミサギの立つ向こう側へ行き、結んでいた麻紐を解いた。
その瞬間に『目』は黒い煙を吹き上げ、木戸が高く放った先で黒い翼が広がる。
「あれはボクが街で倒した……!」
ユウが街中で塵にしたはずのアヤカシは、その目の前で再び黒く、今度はミサギの前に立ちはだかった。
木戸が、アヤカシとミサギの邪魔にならぬよう、ユウのもとへ戻ってくる。
「ユウ君、これから見せる封印の技を、魔力の流れを意識して見てごらん」
周囲では花びらを打ち消さんと死を呼ぶ風が吹き荒れているというのに、ミサギの声はユウの耳まで響いた。
「え? 魔力の流れ?」
ユウは声を大にして訊ねる。
「今までアヤカシと戦ってきたならわかるはずだよ」
声が答えるのとほぼ同時、見覚えのある凶鳥が雄叫びを上げる。
「空・封・凝」
ミサギの澄んだ声が花びらを操る。ユウが創ったものより大きく、より強力な結界が辺りを包み込んだ。
アヤカシは、ユウを追いつめていったようにミサギへも攻撃を繰り出してきた。ミサギがステップを踏みながら軽く避けていく。と、黒い羽の攻撃が突然止んだ。
ミサギが見上げると、鋭いくちばしが襲ってくる。
「ミサギさっ……!」
思わず叫んだ瞬間、アヤカシが勢いに制動をかけた。必死に羽ばたいて、ミサギに当たる寸前でくちばしを止める。
ミサギは身じろぎもしない。
何が起きたのか。
固唾を呑んで見ていると、急に寒気が大地を走り抜け、ユウの体は総毛立った。
「な、何……?」
「ユウ君、これが封印するということだよ」
ユウを一瞥したミサギの顔を、悪魔と見るか天使と見るか。
空気まで凍らせる瞳が見た者の脳に恐怖を呼び起こさせ、うっとりするような美しさがそれを忘れさせた。
ゆっくりとミサギの手が上がる。その周りに、幾つもの花びらが淡い光を含んでどんどん手のひらへ集結し光度を増す。
煌めく光がアヤカシへ向いた。
刹那、無数の光条となって走り、核である『目』を貫く。
『目』が光に貫かれるたび、アヤカシは痙攣を起こし、やがて塵となって紅い正体を露にした。
ミサギは残る左手で印を結ぶ。それは黒い麻紐に変化して『目』に絡み付き、あっという間に封印してしまった。
『目』を回収し、ミサギは満足そうにユウのもとへ歩いてくる。
「ちゃんと見てたかい?」
ユウは声も出ず、ただコクコクと頷く。
「魔力の使い道は定められたものじゃないからね。使う人間の意思一つで何にでもなる。君が今までアヤカシに向けていた破壊の力を、意識してちょっと別の方向へ変えてごらん」
「は、はあ」
生返事をするユウに、ミサギは封印したアヤカシを放る。
「うわあっ……とと?」
落としそうになりながらも『目』を受け取るユウ。
「しばらくはそれで練習してごらん」
「ええっ!? だってこれ、アヤカシ……」
「ゴムボールなんぞで練習しようとでも思ったのかい? 基礎さえ満足にやっていないのだから、否が応でも実践で身につけてもらうよ」
「う……」
ミサギはにこりと笑ったが、ユウにはそれが悪魔の微笑みに見えた。背筋にぞくっとするものを感じ、無意識に震え上がった。
と、その隙を突かれ、アヤカシを封じている紐をミサギに解かれてしまった。
「あ、ああああああ!?」
ユウが叫ぶも、時既に遅し。無情にも、ミサギは木戸と屋敷へ戻ろうとしている。
「課題だよ。そのアヤカシを自力で封じてごらん。それができるようになったら仕事を手伝ってもらうからね」
「そんないきなり!?」
「ああ、ついでに言っておくけど、今日は誰も助けは来ないよ。封印できなきゃ、君の方がアヤカシに返り討ちにされてしまうから気をつけてね」
「か、返り討ちって……封印できなかったら……」
「うん、死ぬね。だから死ぬ気でがんばってねー」
「そ、そそんな――」
拒否権のない課題に、途方もくれる暇もないままアヤカシの攻撃が始まる。
一人残されたユウは、慌てて距離を取り、アヤカシをキッと睨む。
「これでザコってか……?」
チョーカーから外して身長ほどに大きくした十字架を構える。
「やるよ! やればいいんだろっ、封印!」
ユウは十字架を握りしめ、自身に気を込めるが如く凶鳥に吠えた。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。