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第3話 狭間の世界
 ユウはいつもと違う寝心地に一晩中違和感を強いられ、ロクに眠れぬまま朝を迎えた。

 まだ夜も明けていない。

 寝床から出て、場所を確認するように、何度も首を左右に回してあたりを見る。

「……そっか。昨日からミサギさんの家に……」

 広すぎる部屋。広すぎるベッド。
 しかも隣の扉を開けば、専用の風呂やらクローゼットやらがある。

 昔、部屋の広さを表すのに『畳』という単位があった。
 タタミという敷物が何枚敷けるかによって、一畳、二畳としていたらしい。

 さらに、二畳分を一坪という単位で呼ばれていたようだが、今ではほとんど使われていない。

 タタミという一つの文化が消えた結果であった。

「絶対に、ありえん広さだこの屋敷。この部屋だけで六十畳はありそうだし……」

 実際に兄からタタミを見せられ、教えられたユウは、その方法で広さを表すことが習慣付いていた。

 そして、昨日見たこの屋敷の外観を思い出す。

 古びたレンガが積み上げられてできた壁、ひびの入った窓に、屋敷を隠すように生い茂る蔦。

 これで森の中に建っていれば、小さい頃に絵本で読んだ幽霊屋敷そのまんまだ。

 ユウは、その雰囲気が特に苦手だった。暗く深い森というのが、方向オンチのユウには怖くて仕方がないのだ。

 幸運なのかどうかわからないが、この屋敷はだだっ広い平原の中にある。
 しかし、これもある意味不思議な光景だった。

 この国のどこに、こんな広大な土地があったのだろう。

 だだっ広い野原があって、青い空があり、地平線が延々と続いている。それ以外は、文字通り何もない。

「ここ、本当にニッポンなのか……?」

 ユウは、くもり一つないきれいな窓から外を覗く。

 じっとしていると、くしゃみが出てしまった。パジャマから、いつもの服へと早々に着替える。

 と、小さな、音がした。

 ミシリ、という何かがきしんだ音。

「?」
 ズボンに足を通したとき、床が不自然に盛り上がっている事に気付いた。

挿絵(By みてみん)

「なんだ……これ?」
 近付き、覗き込んでみる。

めりっみしぃ……ずっ……どおぉおぉぉおおぉぉん

 奇妙な床の盛り上がりは、巨大な爆発音を立てて吹っ飛んだ。

「ぬぁあ!?」
 ユウは爆風で転げ飛ぶ。
 そして、煙立ち上る中からは黒い影が姿を見せた。

「みっちゃん参上ナリよぉ〜う!」

「!」
 噴煙止まぬ中から現れたのは、金髪をポニーテールにしたサングラス男だった。

「ミッサギどーん♪ おヌシの好っきな肉まん買ってきたなりぃ〜♪」

「うわっわ!?」
 間一髪、ユウは身を反らして迫りくる頭突きを避けた。
 その反動で、再び仰向きにこける。

 金髪の男は、肉まんの袋を片手で振り回しながら部屋中を走り回る。

「んぬっ、おぬしは?」
 散々走り回った後、男は転げたユウに初めて気が付く。

 いきなり床を突き破って出てきた変な……いや、ものすごく不審な男に応える必要はないのだが、ユウは思わず応えてしまった。

「ボ、ボクは春日ユウだけど」
「春日? て、ことは……フム!」
 きっと気のせいだろう、金髪頭の真上に豆電球が出現し、ピコンと光った。

「ヌシ! 新しくここに来た魔法士かいな♪」

「は?」

「いーやいやいや♪ みなまで言うなや。そうかそうか」
 さっきから何を言っているのかわからない。

 ユウが目を瞬かせていると、金髪サングラスはその手をいきなり引っ張った。

「わたっ!? ちょ、何なん……うわあっ!」

 バランスを崩して、彼の開けた穴に落っこちた。暗く、狭い床下へ頭をぶつけるはずだったのだが――ぶつからない。

 思わず閉じた目をうっすらと開く。

「……え? えっ!?」
 ぽっかり空いた床の下には、あるべきものがなかった。

 一瞬、無重力感がユウの体を包む。そして、急に襲ってくる引力と抵抗の風。

 それを知るのに、ユウの脳では数秒を要した。

「お、落ち……!? 落ちっつて落ちぁああああああああ!」

 ユウは底なしの闇の中を落ちていた。
 上を見ると、落ちてきた穴がなくなっている。

「な、何でぇえええぇぇええ!?」
「お♪ ヌシも来たか!」

 人を穴に引っ張りこんだ張本人も一緒に落下していた。
 空中を掻き泳ぎながらユウに近づく。

「『来たか』じゃ……なく、て! どっどどこっ……ここっ?」

 落下の影響か、ものすごい風圧でうまく声が出せない。

「おお! この状況で冷静なるそのツッコミ! なかなかやるのぅ!」
 そう言って親指を立ててニカリと笑う。

「つ、突っ込んでる、わけじゃ……!」

「そういや、どこぞの童話にもこれと似たようなのがあったのう〜」
 金髪サングラスは懐かしげに明後日の方を見上げる。

 ユウはその顔をじっと見た。

――何でだ!? 何であのサングラスはこの風圧ではずれたりしないんだっ!?

 ユウの感じる限り、今までにない速度で落ちているにも関わらず、まったくずれさえしない男のサングラス。
 そこだけ冷静にツッコんでいる場合ではないとわかってはいたが、つい考えてしまう。

 男は、ユウの視線に気付いたのか、赤く染めた頬にてをあてて恥ずかしげな仕草を見せる。

 その動作だけでもドン引きなのに、付け加えたセリフが、
「いややわぁ〜、そげん見つめんといて〜。みっちゃん、恥っずかすぃ〜」

「……キショい」

 ユウは器用に空中を泳いで男から遠ざかった。

 その間にもどんどん下へ落ちていく。
「なあなあ、この状況のついでじゃ、自己紹介でもしよ〜やぁ♪」

「何がついで……つか、なんで二階部屋の床下が底なしなんだ?」

 男はその言葉に衝撃を受けた顔をする。

「ぬぁっ! よいツッコミ!! おヌシさてはプロを目指しちょるやろ♪」

「いや、だから突っ込んでない……って、もうどーでもいいや」

「わっしはなあ、みっちゃんっちゅうんよ」
 ユウが諦めたところでみっちゃんは一人、自己紹介を始めた。

 ■ ■ ■

 果てない闇に落ちてから、もうどれくらい経っているのだろう。

 暗闇とは不思議なもので、真っ黒というわけでなく、黒い中にも、何かが蠢いて絶えず形を変えている。
 それは、鼓動のように見え、水の流れのように見え、生きているもののように見えた。

 そして、もっと不思議なのが、そんな闇の中だというのに、自分の四肢がはっきり見えるということ。まるで、上から明かりでも照らされているように、手に手を翳すと影ができた。

 もちろん、上を見上げてもそんなものはない。それは彼――みっちゃんも同様だった。

 そういえば、彼はさっきから余裕でもあるのか妙な動きばかりしている。そのどれもがユウに向けられていて、笑わかそうとしているのがかろうじてわかる。

 もしかしたら、この余裕は彼が行き着く先を知っているからなのかもしれない。

「あのー!」
「……なんじゃーい?」

 返事が聞こえるのに多少の時間がかかっている。
 距離では、両手を伸ばしたほどにしか離れていないのだが、落下の影響から起こる風で会話に支障を来しているのだ。
 それでも、叫べば声は届くようで、返事はちゃんと返ってきた。

「この動きがおもろかったんかー?」
「いや、全然」
 ユウ即答。

 みっちゃんが喋ってる途中からユウは答えていた。
 みっちゃんはショッキングな顔になったが、すぐまた表情が元に戻る。対して気にしていないようだ。

「そんなことより、ここって、どこに続いてるんですかー?」
「さーあ、ワシにもわっからんぜよー」
「…………」
 会話が終了してしまった。

 てっきり知っているものとたかを括っていたユウは、頭の中が真っ白になる。
 その後に続く疑問があったのに、それらは全て彼方へと消え去ってしまった。

 ユウに新たな不安が沸き上がる。

 このまま落ちていったらどうなってしまうのだろう。

 通常なら、着地すべき地面があるが、仮にあったとしても、この高さ、速さで落下すれば即死だ。

 では、地面がなかったら。

 延々と落ち続けるだけで終わりがない。身動きが取れないうえに何かと厄介な状況に陥ることは必至だ。
 どちらにしても解決しないことは同じだった。

 ユウがあれこれ考え込んでいると、今度は、みっちゃんの方から質問が飛んできた。

「なぁ、ユウどんはどうしてミサギ殿のとこへ来たんじゃあ?」
「え?」

 聞こえなかったのではない。確認の意味で、だ。

「ミサギ殿のとこへ来たのはなんでじゃあ?」
「なんでって……」
 答えようとして、少し考えた。アヤカシを呼び寄せる体質のことを話したところで、恐らく理解されないだろう。今までがそうだったから。

 アヤカシが他の人には見えないのだから当然だろう。

 ユウは少し考えてから答えた。
「勉強だよ。ボクの兄ちゃんがミサギさんと友人で、紹介されてきたんだ」

 半分嘘で半分本当。ありきたりな理由を装う。
 だが、みっちゃんを驚きの表情にするのには十分すぎたようだ。

――何かまずったかな

 ユウは緊張した。

「ゆ、ゆゆ……友人やと……!?」

「……?」

「あ、あああのミサギ殿に友人がおるやって!?」

「? 普通でしょ、友達なんて……?」
 今度はユウの方が驚く。

「ふ、ふっつーに友人なんて! 天変地異もええとこやわ! あの……あのミサギ殿にとっととともともと……」
「『友達』?」
「ありえへ〜ん!!」

 頭を抱えて叫ぶ。

「なんで!? ユウどんの兄ちゃんってどんな大物やねん! あの唯我独尊、傍若無人、恐怖の大王すら平伏すといわれる……食物連鎖ならぬ人類のピラミッドの頂点におるようなミサギ殿と対等地位かいなー!!」

 ものすごい言われようである。

「ミサギさんと友達だっていうのは、そんなすごいことなの?」
「すごいどころか未知の世界やで! ヌシ、大丈夫か……!?」

「……何が?」

「いくら紹介とはいえ、あのミサギ殿の下で魔法士の修業なんぞ? 死ぬより辛いで絶対」
「マホウシ?」
 ユウの脳裏に疑問譜が浮かぶ。

 いつの間にか、落下速度は緩やかになり、辺りもずいぶんと明るくなっていた。

「何じゃ、おヌシ魔法士を知らんかったんか?」
「だ、だから勉強しにきたんじゃないか」
「あー、そうじゃったな」
 自分の額を軽く打ち、
「ならば! 魔法士に関しちゃペカイチの拙者がお教えしんぜよう!」
 大見得を切った。

「で……魔法士って何?」
「うぬっ! 簡単にいえば魔法使いやがな」

「ま、魔法使い……」

 予想はしていたが、やはりその通りの答えだった。

 ユウの冷めた目を見たみっちゃんは、
「あ、おヌシ馬鹿にしちょるじゃろ。ヌシの考えとるのんよりちい〜っとばかしすごいやつなんやで」
 そう言われても、にわかには信じ難かった。

 魔法使いなんていう類は儀式やら生け贄やら呪文やらで、魔力がどうのこうのというやつだとユウは記憶していた。

 昔話で聞けば楽しい夢物語だが、現実のものとなると話は別だ。

「すごいって、例えばどんなことがてきるの?」
「そうさな、一瞬で空間の移動ができる!」
「そんなの、今の科学技術でだってできるじゃん」
「あれは空間の移動に時間がかかるじゃろーが。魔法士は一瞬やで♪」

「ふ〜ん」

「水金地火木――つまり、この世界にある物質の属性魔法ができる! 攻撃も回復も、使う者の意志一つでな!」

「昔話にでてくる、お菓子や鳥を出したりするのは?」

「ん〜、そりゃ召喚の類やな。それは無理なんよ」
「召喚って、昔話でよくあるやつじゃん。精霊を召喚とか。なんでできないんだ?」
「うぬ。ミサギ殿がいうには、ここが閉じた世界やからじゃと」

「ふ〜ん…………なんでもできるってイメージだったんだけど、結構不便なんだな」

「いやぁ、世の中そう都合良くはなかろう」

「つか、全然すごかない。余計胡散臭い」

「ぬっ! まだ言うか。じゃあ聞くが、ヌシの結界やアヤカシを封じるあの力はなんじゃっつーの。あれこそ魔法じゃろ」
「あれは一種の気合いだって兄ちゃんが――って、なんでそんなこと知ってるんだ!? 初対面のはずっ……」
「ふっふっふっ、わっしは世界の全てを知ってるんじゃあ〜」

「うわっ、ストーカー!?」
 ユウは鳥肌の立った両腕をさする。

「ちなみに、ヌシがさっき嘘こいたのもお見通しやで。勉強やのうて、アヤカシを寄せる体質を治したいんやろ?」

「うっ……」
「ぬっふっふ。情報通のみっちゃんをあまくみちゃあかんぜよ」
 みっちゃんはユウとは別の方を指差して言った。

「……どこ向いて言ってるの?」
「んぁ、ちいと読者の皆様にの」

「は?」

「そりゃええとして、そろそろここを出ようや」
 みっちゃんは、のろのろとゆっくりと落ちる体をバレリーナのように回転させながら言った。もう落下とはいえないくらいの速度になっている。

「あんたっ――!」
 言おうとして、言葉を飲み込む。

 平静を装って無理に笑顔をつくるが、怒りによる体の震えが止まらない。

「こっ……どこにいくか知らないって言ったくせに……!」

 みっちゃんは、サングラス越しに困った顔をする。
「ああ、わっしじゃここがどこかわからんし、抜け出すのは無理なんよ。じゃけんど、どうやったら出られるかって方法はわかるわな」
「?」

 みっちゃんはピッと立てた指でビシィッとユウを指す。
「これはおヌシの役目なんじゃ!」
「はあ!?」

「あのな、ここは――この屋敷は魔力に反応するんだで。
 確かに、床ぶち抜いてしもうたんはワシやけんども、ワシにゃあ魔力がないけん、こげんことできんのよ。なら、考えられるんは、ヌシの魔力に反応しちまったってこった」

「じゃ……これ、ボクのせい?」

「多分、全部がってわけじゃないんよ。フツーなら、どこか別の部屋に出るんじゃが。屋敷がちと悩んだようじゃのう」
「ここ、どう考えても部屋じゃないんだけど。ゆっくりだけど、まだ落ち続けてるし。どうやったらこっから――」
 遮って、みっちゃんが言い返す。
「じゃから、それはおヌシがやるんじゃって!」

「……ボクは、こんなとこ出る方法なんて……」

 半ばふてくされるように視線を落とすと、みっちゃんはあからさまにため息をつく。

「ほれ、そういうこと言うからここから出られんのやで? ヌシはどうすれば良いか、もうわかっとるはずじゃ。わからんなんて言うとる間は出られんで」
 言われて、ユウは肩越しに周りの闇を見る。

 落ちているとわかるのも、重力が働いているからだ。他には何もない。

 何もない闇は、それだけで人の不安を煽り、心にたやすく入り込む。


 突然、心臓がドクンと大きく脈打つのを感じた。


 遥か彼方から、黒い波が音を立てて押し寄せてくるのがわかる。じわじわと、確実にユウを飲み込もうと見つめている。

「う……うぁ……」

 闇の中から無数の手が姿を現した。いや、波に見えたのがこの無数の手だったのだ。

 ユウを捕まえようと誘い、惑わし、蠢いている。

「や、だ……く、くるな……! ……いやだぁっ!」

 突然、風が下から吹き出した。かと思うと、今度は引っ張られるように二人の体は落下する。声をあげる間もなくズシリと体が重くなり、目の前が真っ白になった。

「――?」

 目が、白くなった視野に慣れて視界が広がっていくと、そこには草原が横たわっていた。

 なだらかな丘が続き、その遥か先に青い空とつながって、どこまでも横へ伸びている。

 ぐるうりと見回し、背後にたたずむ屋敷を確認した。

「外……だ」

 のそりと立ち上がり、屋敷を見上げようとして体を少し仰け反らせ、

「ふぶぎゅ」

「……?」

 みっちゃんを踏んづけた。
 しかも頭を。

 気付いてすぐ足を退けたが、彼の後頭部に、土と草でできた足跡がくっきりと残った。

「ご、ごめんみっちゃん」
「へい……平気じゃて」

 サングラスをかけ直しながら、みっちゃんもユウに並んで立つ。

 ユウを見てにかりと笑う。

「な? ちゃんと出れたじゃろ?」
「うん」
 ユウは頭がボーっとしたように返事をする。その頭を、みっちゃんの大きな手がくしゃりと撫でる。

「ヌシが『出たい』と思えばいつでも好きなとこへ行けるんよ。初めてやったから混乱させちまったのう。すまんこって」

「いいよ。ボクも悪かったみたいだし」
「むう……」

 ユウはパッと顔を上げる。彼の真似をしてにかりと笑い、
「少しだけどおもしろかった。危ない目には何度か遭ったことあるけど、あんなの初めてだったよ」
「うぬっ! この屋敷は、魔力を完全にコントロールできるようになれば、すごい便利なんじゃ!」

「ボクの力って魔力だったんだ。」

 ユウが感心すると、みっちゃんがチッチッと指を振る。

「いんや〜、それだけじゃないかもよん。確認できてるんが魔力だけやけん。人にはいろんな力があるからのう♪
 ヌシも、これからミサギ殿がいろいろ教えてくれると思うけんがんばってみぃ。もちろん、ワッシも手伝うよってに。
 改めて、よろしゅうな、ユウ殿」

「うん。よろしく」

 二人してにかりと笑う。

 空は、今まさに朝の目覚めを知らせるように眩しい陽の光を覗かせる。

「日の出? あんまり時間経ってなかったのか……」
「うぬ。ああいう空間は時間っちゅう定義がないからの」
「……ふ〜ん」

 みっちゃんの言うことがいまいち理解できていないユウ。

「さて、と。ミサギ殿に会いに行くかのう。これを渡さにゃ」

 みっちゃんは肉まんの紙袋を持ち上げ、ユウもそのあとをついて歩き出した。


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