腰までなびく銀の髪に、すらりと細く白い肌の女性だった。
白のスーツから覗く赤い立て襟のブラウスが印象に残る。背の高さはユウよりも頭二つほど高いが、大男のせいで小柄に見えてしまう。
そして、ユウが最も惹かれたのは彼女の瞳であった。
漆黒を閉じ込めたような黒い瞳を見ただけで、力が抜けるような、脳が溶けてしまいそうになる。
それがまたなんとも心地よい感覚であった。
「……誰?」
ユウの問いに、女性はクス……と笑みを見せる。
しかし、その口から出てきたのは、
「ごあいさつだね。三日三晩昏睡状態になってた人の、起きた第一声がそれ?」
「……は?」
「気を失って、危うく墜落死しそうな君を、間一髪のところで助けたうえ、手厚く看病までしたっていうのに、命の恩人への一言目がそれか、と訊いたんだ」
先程までの笑顔はどこへやら、驚くほどの早口でまくし立てられた。
美しい顔は口の端を引き下げ、不機嫌な表情になってユウを見下ろす。
「なるほど、それが君流の礼儀というわけ。なんとも世間知らずな礼儀だ。君なんて助けなければよかったよ。ああ、僕はなんて愚かなことをしてしまったんだろう。ねぇ、木戸?」
女性は、後ろに控えた大男を木戸と呼んで見上げた。木戸は、頷くこともなくただ立っている。
口に針ありとはこのことである。初対面にもかかわらず棘のある言葉。見た目の美しさと違い、かなり性悪だった。
「んなっ……」
ユウはカッとなって真っ向から女性を睨みあげる。
「こ、こっちだって助けてと頼んだ覚えはないよっ! ボク一人でだって――!」
「ついでに気の荒い子のようだ」
女性はチョン、とユウの額を小突く。
「うわっ!?」
軽く押されただけなのに、強い力で押されたようにベッドに戻された。
「怪我人は怪我人らしく、静かにしていたまえ」
「あ、あんた何者なんだ? どうして……痛っ!」
体に激痛が走る。
彼女の言っていることは本当らしく、ユウは背中を押さえてうずくまる。
包帯を巻かれている感触から、意外にも深手を負っているようだ。
「あ、あんた……ど……して……ボクを助けたんだ?」
「僕は世間知らずに答える気はないよ。相手に名を訊くならまずは自分から名乗るんだね」
つんとそっぽを向く彼女。
正論なのだが態度がムカつく。
ユウは落ち着こうと、うずくまったまま深呼吸を繰り返す。
それでも、ようやく搾り出した声は震えが止まらなかった。
「……春日、ユウです……助けてくれてありがとう……ござい、ます」
「なんだ、ちゃんと言えるじゃないか」
彼女はにっこり微笑んだ。
手のひらを返したような笑顔で、ぽんぽんと頭を撫でる。
正しいことができた子供を褒めるような仕草だ。
彼女はユウの正面に立ち、優雅な礼をする。
「それじゃ、はじめまして」
やわらかい微笑みは、彼女の持つ美貌をさらに強調させた。
口の悪さすら忘れ、ユウも顔を赤くしながら礼をする。
「は、はじめまして」
「僕の名は東条ミサギ。君のことは君の兄上から聞いて知っているよ、春日ユウ君」
「………………え?」
名を聞くなり、ユウは目を見開いた。
「え、東じょ、え? 兄ちゃ……じゃ、え?」
確か、兄に言われて会いに行く人の名も東条ミサギであったと思い出す。その人は男だと聞いていた。
目の前にいるのは、どう見ても女性なのだが――。
「お……おお男……?」
「僕は、自分が女だなんて言った覚えはないよ。あと、人を指差さない」
東条は悪びれもせずに言う。
「あの……じゃあ、あなたが兄ちゃんの言ってたポリハムの――」
周りの空気が、一気に五度下がったように冷えわたる。
「ユウ君」
「!?」
ユウの背中がぞくりとする。
いつの間に近付いたのか、東条の顔が触れるほど間近にあった。
温かい指先がユウの頬を伝う。
「その通り名はヒスイだけが使っていい呼び名だ。彼は親友だからね。だけれどね、だからといって君が使っていいという道理はこれっぽっちもないよ」
瞳が凍るように冷たい。
しかも、瞳を見ているだけなのに、全ての感覚がどんどん失われていく気がする。
遠くから、朧げに声が聞こえる。
「――聞いてるかい、ユウ君?」
「は……はいっ!」
突然、耳元から声がして、ユウは驚いて跳び上がった。
「うん、よし」
ぱっと、無邪気な笑顔になる東条。
「それじゃ、自己紹介はこのくらいにして、ひとつ、問題に入ろうか」
「問題?」
ユウは、何のことかと首を傾げた。
「君の連れていた女の子だよ。どうして背負っていたんだい?」
言われて、自分が背負っていた少女の事を初めて思い出した。
「あ、あの子はなんていうか……成り行き……です。道を訊いてたらアヤカシに襲われて……気絶しちゃったから背負って逃げてたんだけど……」
ちらと東条を窺うと、彼はじいっとユウを睨んでいる。
「ほ、本当です!」
「君、自分がどういう立場の人間か理解できてないんだね」
「そんなことは――」
ない、とユウは否定しようとするが、言葉の最後はうまく出なかった。
「君みたいな子が無防備に街中をあるくなんてどうかしてるよ」
「だって、昼間っからアヤカシが出るなんて初めてで――!」
「理由になってない」
ミサギはぴしゃりと言う。
「君のように、無意識にアヤカシを呼び寄せてしまう人間が街を歩くだけで、どれだけの無関係な人を巻き込むことか」
ユウは落ち込みかけるが、ふと目を見開く。
「なんで……わかるんですか? ボクがアヤカシを寄せる体質だって」
「言ったろう、君の兄上から話を聞いたって。君は、もっと周りに気を配った方がいい」
ユウはゆっくり視線を落とす。そして、すがるように東条を見上げる。
「ボクは、この体質を治したいんです。あなたに会えばなんとかなるって兄ちゃんが言ってました。お願いします、助けてください」
ユウはベッド上で頭を下げた。
「……僕に君の体質を治せと?」
東条はキョトンとする。
「はい。東条さんは――」
「ミサギでいいよ」
「え、えと、ミサギさんは、ボクと同じ体質だって聞きました。兄ちゃんも、このことはミサギさんに頼めって。手紙、預かってます」
そう言って、懐からヨレヨレの手紙を差し出した。
アヤカシとの戦いで、激しく動き回ったせいだろう。
しわだらけの手紙を、ミサギは開封する。
ミサギの視線は文面をなぞるでもなく、一点を凝視していた。
「……ふぅん、ヒスイは相変わらずみたいだね」
しばらく手紙を見つめた後、彼はそう言った。
「?」
「君も見る?」
手紙の内容はいたってシンプルだった。と、いうより、一言だけだった。
『お好み焼きがヒロシマ風になってるから、うまいオオサカ風にしてほしい』
「に、兄ちゃん……?」
意味不明かつ兄らしい内容に、ユウの手紙を持つ手はなんともいえない震え方をする。
「ものの例えを食べ物でするクセは相変わらずだ」
ミサギには兄の言わんとしたことがわかったのか、納得するように手紙を懐へしまう。
「なるほどわかった。ヒスイもこう言っていることだし、君をしばらく僕のところで預かることにするよ」
「えっ!? その手紙の意味わかるんですか!?」
「君はわからないのかい? 『君の願いを聞き届けろ』という意味のほかにどう読めるっていうんだい?」
「いや、どうってか……」
さすがは兄の友人というか、類は友を呼ぶというか。ミサギが不思議そうな顔をしているのを見て、ユウは思わずため息をついた。
「あ、そうそう。話は変わるけど」
思い出したように、手の平を打つミサギ。
「君が助けたっていう女の子のことだけど、気をつけた方がいいよ」
「どうしてです?」
ユウは小首をかしげる。
「狙われているみたいだから。女は怖いねぇ」
「???」
助けた少女がなぜ自分を狙うのか、ユウは考えたがわからないという表情を見せる。
ミサギは腕を組んで、それを面白そうに眺める。
「まぁ、今日のところはなんとか帰ってもらったけど。なかなか諦めが悪くてね。苦労したよ」
ミサギのいうことは、いちいち遠回しでわかりづらい。ユウは眉間にしわを寄せる。
「あの、よくわからないんですが?」
「眠っている君を長いこと見つめていたなあ」
「へ?」
「彼女、君が好みのタイプのようだね。ずっとここにいると言って君から離れなかったものだから、半ば強引に帰ってもらったよ」
「は、はぁ……」
「さて、すぐに君の部屋を用意しなきゃいけないね。しばらくはここで待っていて」
そう言い残して、ミサギは出て行った。
彼のいなくなった後、彼女の謎の行動についてしばらく考え込んだが、ユウにはどうしてもわからなかった。
「うー……女ってよくわからん」
「一目惚れ、というものではないでしょうか?」
「うわびっくりした!」
文字通り飛び上がって驚くユウ。
壁際に、木戸が立っていたのだ。てっきりミサギについていったのかと思われた彼は、それだけ言うと、深く頭を下げて部屋から出て行った。
「い……いたんだ……」
本当に驚いた。
その後しばらく。ユウは木戸の言葉と意図せず驚かされた行動に、止まらない心臓のどきどきを味わうこととなった。