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第29話
 インダミト王バイアブランカは、一通の報告書に目を通していた。
 穏やかな瞳が文字を追い、満足そうに頷き、報告書を燃やした。

 ラシアスに潜らせた間諜からの報告書には、痣を持つ少年がラシアスに確保されることなく、ビースマックに出たことが記されている。
 ラシアスが無為に彼を出国させたのではなく、幾度か確保を狙っていたことと、それを実力で阻止したことも記されていた。

 これで彼の国の宰相か摂政と事を構えることになるかもしれないというのに、王の瞳は穏やかなままである。
 現状でラシアスがインダミトに抗議や最後通牒などできるわけがないということを、王は良く解っている。
 もし、なんらかの抗議でもあれば、貿易や支援の停止や縮小、派遣軍の引き上げなど、いくらでも黙らせる手段を持っているからだ。

 しばらく机に向かってペンを走らせた王は、宰相を通さずに側に控える密偵に新たな指示書を手渡す。
 その内容は、ラシアスに潜った密偵に、ベルテロイにおいて少年の情報を集め、またラシアスに戻るようなら引き続き監視を続けろということだった。

 ベルテロイにいる商人が、何を探り歩いていても不自然ではないからな、と王は呟いた。


 昨日の戦闘で呪文を使い果たすほどに精神を削りきった三人は、それぞれに呪文の使用回数が思ったよりも増えていた。
 アービィとルティは、レベル1が10回に到達し、レベル2が3回に、ティアはレベル1が10回、レベル2が4回になった。

 この調子で経験を積めばレベル3もそう遠いことではないが、さすがに昨日のような戦闘を連日行うことは体力が持たない。
 できるだけ大きな仕事を優先はするが、連続ではなく軽めの仕事を挟んで請けることにした。

 エッシンフェルゲンに戻り、三人はギルドにヒドラの牙を提出して、報酬の金貨三枚を手に入れた。
 三人がギルドのドアを開けたとき、あまりに見窄らしい疲れ果てた様子から、ギルドの職員は失敗して帰ってきたものと思ったようだ。

 なにせルティもティアも衣服の彼方此方が破れ、アービィにいたっては、毛布を切り裂いたものを身に纏っていたのだ。
 誰がどう見ても、逃げ帰ってきた敗残の兵だ。

 失望と諦めの表情で対応に立ったギルド職員の前に、ヒドラの牙が差し出されたとき、彼は暫く呆然としてしまった。

 そしてその直後、歓喜が爆発した。
 このひと月、街を悩ませた凶獣の牙。

 これが意味することは、ひとつしかない。
 若い冒険者たちは、ヒドラの討伐に成功し、街を危機から救ったのだ。

 周りにいた冒険者たちに酒場に連行された彼らは、そこで手荒い歓待にあった。
 いつの間にか町長までが酒盛りの輪に加わっており、酒場は町長持ちの貸し切りとなっていた。

 さっさと宿に戻って寝ようと思っていたアービィたちは、状況の急展開に付いていけず、そのまま酒盛りに突入してしまい、浴びせられる酒と質問に四苦八苦していた。
 さすがにアービィは着替えさせてもらっていたが。

 ヒドラは、個体名ではなく種族名であり、倒したあの一個体だけというわけではない。
 そうそう何度もヒドラが水源の泉に巣くうことはないと考えられるが、アービィたちの戦術は、今後万が一のためにも学んでおく必要があった。

 ルティが戦闘の経過を事細かに説明すると、周囲からは感嘆の声が上がる。
 切り口を焼くなんてよく思い付きましたね、と言われたが、アービィにも直感としか説明ができなかった。
 夢の中で読んだ記憶が朧気にある物語をヒントにしたのだが、まさかそのような説明で納得してくれるとは思えなかった。噛み砕くなんてなかったけどね。

 結局その夜は、町長が解放してくれず、そのまま町長の屋敷に連れて行かれ、宴の第二ラウンドが始まった。
 入れ替わり立ち替わり人々が礼を言いに屋敷を訪れ、歓喜の酒宴はいつまでも終わる気配を見せなかった。

 翌朝、痛みが響きわたる頭を抱え、町長に良い武器屋の情報を聞く。
 ルティの剣が、使い物にならなくなっていたのだ。
 おそらく、腕の良い研ぎ師に任せても、もう再起不能と思われるほどに、刃は潰れ、刀身が歪んでいた。

 昨夜の歓待の礼を言って屋敷を辞するとき、町長はいかにも残念そうに送り出してくれた。
 町長は彼らを手放したくはなかった。

 ヒドラを倒せるような冒険者は、そうそういない。
 彼らがここに腰を落ち着けてくれるのであれば、街の安全を確保したも同然だった。

 もちろん、町としても異存はなく、住居も都合の良い空き家を改修して提供すると言いだした。
 三軒じゃなくて二軒が良いですよね、と言われ、ルティが浮かれまくっていたのはご愛敬だが。

 もし、彼らが望むならこの辺り一帯を治める辺境伯に、騎士として取り立てるよう進言するつもりもあったのだ。

 町長は自分の影響下に彼らを置きたいのではなく、純粋に町の安全と彼らへの感謝から提案していた。
 しかし、昨夜の酒の席で聞いた彼らの話から、それを受けてもらえる可能性は皆無に等しいことも、また理解していた。

 それでも屋敷を出ていく彼らに、町長はもう一度聞かずにはいられなかった。


 アービィたちも、町長や町の人々の厚意は解っていた。
 それだけに無碍に断ることははばかられたのだが、アービィは獣化をコントロールできないうちは、一ヶ所に腰を据えるのは危険だと解っている。

 まさか、獣化を理由にはできないので、痣の件は言わずにいつもと同じことを話した。
 そういうことなら仕方ないですな、でもいつか気が向いたらここへお戻りになっていただきたいものです。
 心から町を案じ、三人を思いやる町長の言葉に心苦しさを感じつつ、屋敷を辞する三人だった。

 町長が紹介してくれた武器屋は、昨夜盛大に飲んだくれていた若い女性だった。

 目利きには自信があるから、好きなものを持って行けと言ってくれている。
 半ば自棄鉢であることに気付いたティアが聞いてみると、ヒドラ討伐はいい商売になっていたみたいだった。

 多数の冒険者がヒドラ討伐の名誉と報酬を求め、この街に集まってきていた。
 宿屋や武器防具屋は、そんな冒険者相手に活況を呈していたようだ。

 水不足の裏では、ささやかな好景気もあったが、街全体の苦境の中では喜ぶわけにもいかず、今その一部の好景気が去ったことを落ち込むわけにもいかなかった。

 彼女は親から受け継いだ店を大きくするために、問屋に頭を下げ、生産者に教えを請い、武芸の鍛錬も行っている。
 ひとえに客に合った武器を奨めるためであり、店を繁盛させるためであった。

 残念なことに、彼女は武芸の才が皆無であったため、自ら槍働きをする立場にはならなかったが、それでも他人の武芸の向き不向きを見極める目を養うことになった。
 幾つかの剣を手に取り、試し斬りをしたルティを見た彼女は、いかにも残念という表情をしていた。

 ルティは、未だ自分の剣技が良いものとは思っていない。
 武器屋主人の眼鏡に適わなかったのかと、落ち込みそうになった。

 彼女は、がっくりしているルティの剣技に驚愕している
 まだ荒削りだが、今後の鍛錬と良い「刀」があれば、この娘は化けると直感が言っていた。

 彼女が残念という顔をしたのは、ルティに見合う剣、もしくは刀が、在庫にないからだった。
 プロとして、客に合う剣を用意できなかった悔しさが、店で買ったら三割から四割は高くなるよと言わせ、直に鍛冶屋に行くべきだと利益度外視で奨める。

 そして、とりあえずこれでも使っておきな、と女主人が片刃のロングソードをルティに渡す。
 ちょいとばかりアンタにゃ長いから使いにくいかも知れない、だからお代は結構だよ、と彼女は笑った。


 マグシュテットという村に腕の良い鍛冶屋がいると言われた三人は、土の神殿に行く前にそちらに行くことにした。
 気に入った相手ならいろいろと相談に乗ってくれるが、気に入らなければいくら金を積もうが話もしないとの評判だという。

 エッシンフェルゲンからツェレンドルフに向かって、東に伸びるビースマック街道の中間地点から北上した山脈の中腹に、マグシュテットはある。
 神殿があるツェレンドルフへの行程からは外れるが、行く価値はありそうだ。

 途中は小さな集落があり、そこへ行くのに苦労はなさそうだ。
 ビースマック街道から往復4日間かかるが、それでも今後のことを考えるなら行っておくべきだろう。
 金貨三枚を、そっくり武器に変えるつもりの三人は、もうしばらくエッシンフェルゲンで仕事を探すことにした。


 再度ギルドのドアをくぐり、調整がてらの軽い仕事を請ける。
 ヒドラに冒険者が集中していたせいか、町の付近にオーガが出没していた。
 以前であればオーガは強敵であったが、ルティもティアも成長した今では、ゴブリンより少々手がかかる程度でしかない。

 新しい剣を担いで討伐に向かうルティが、ふと思いついたようにティアに聞く。
「あのヒドラって、誰かを喰ったのかしら。
 喰うためにあの泉に住み着いたのかな?
 違うよね、住みやすい場所で暮らしたかった。それだけだよね?」

「そうね、あいつらは凶暴だけど人喰いじゃないわね。
 目の前にいれば喰うかもしれないけど、人を狙っているわけじゃないわ」

「そう考えると酷いことしたんだね、ヒドラにとっては。
 人間って我儘なんだね」

「違うわ、ルティ。
 生きているもの全てが、我儘なのよ。
 あのヒドラは自分が生き残るため、人間は多くの人が生き残るため戦うことになったのよ。
 あたしは、ヒドラは怖いし嫌いだけど、生きるのに必死なのは解るわ。
 人間が生きるのに必死なのも、ね。
 今回に限らず、我儘と我儘がぶつかり合って、たまたまそのときに強い方が勝っただけのことなの。
 人間だけが我儘ってわけじゃないのよ」
 ティアの言葉に何かが吹っ切れたルティは、新しい剣を振りかざし、オーガに突っ込んでいった。


 マグシュタットへの旅費に余裕ができたので、三人は町を出ることにした。
 町長を始め町の有力者は彼らを引き留めようとしていたが、この街に縁を感じたアービィは、またすぐ戻りますよ、と言ってマグシュテットへ向け旅立った。

 町の厚意で御者付きの馬車を仕立ててもらったので、行程は半分の日数で済みそうだった。
 御者は、経験を積んだ老齢に差し掛かろうとしている紳士で、ボルビデュス家の執事クリプトカリオンを思い出させた。


 適度に軽妙な話術と控え目な態度は、単調になりがちな行程を和ませるに充分だった。

 やがて、マグシュテットの村が見え、武器屋の女主人に聞いた鍛冶屋を探す。
 馬車には待ってもらって三人は、村人に鍛冶屋の場所を聞き、その仕事場を訪ねた。


 ドアをノックすると、若かりし頃はさぞやと思わせる、上品な老婆が対応に出た。
「こちらが、グロッソ・プテリスさんの工房と伺ってきたんですが」
 ルティか来訪の意を告げると、老婆は笑顔で彼らを迎え入れた。

 質素ながらも品の良い応接セットに案内され、茶菓でもてなされた。
 老婆は、剣を求めてここを訪れる客は、全て信頼置ける武器屋の紹介なので、人物に間違いはないからね、と笑う。
 そしてすぐに笑顔を消し、注文に応じるかどうかは別よ、と言った。

「では、どうすればいいのでしょうか?」
 焦燥感を抱いたルティが問う。

「簡単なことよ。
 試験を受けていただくわ」
 老婆、アルテナ・プテリスは答えた。


 アルテナは、若い頃はかなり名の知れた冒険者で、剣の達人と言われていた。

 南の大陸を渡り歩くうち、いつしか目的が良い剣を求めることにすり替わっていた。
 何軒もの鍛冶屋を訪ね、自分に合った剣を鍛えてもらったが、納得のいく剣にはなかなか出会えなかった。
 それはそうよ、一生モノだもの。どんな腕の良い鍛冶屋だって相性ってものがあるの。

 そして、この片田舎の村でグロッソに出会い、自分の剣技に合う業物と出会ったのだ。
 その後、旅の途中でできた刃毀れを、そのとき滞在していた村で研ぎに出そうとしたが、その研ぎ師には怖くて研げないと断られた。
 やむなくマグシュテットに戻り、グロッソに研いでもらうことを繰り返すうち、いつしか愛が芽生え、冒険者を引退し、この村に腰を落ち着けたのだった。

 アルテナは裏庭に三人を案内し、これを切ってと言った。

 木の枝から吊り下げられた、糸で吊るされた一枚の紙。

 まずティアが挑戦するが、紙は切れることなく糸の結び目から千切れ飛んだ。

 次いでアービィが挑戦する。
 友の父が鍛えた短刀を抜き、脚の位置を決め真横に構える。
 息を止め、一気に振り抜くと、真っ二つに切断されたが紙は糸から千切れ落ちている。

 アルテナが紙を拾い、切断された部位を見る。
「最初の子は、まだ力に頼りすぎね。
 男の子は、かなりいい線いってるけど、やっぱり力が入りすぎてるみたい。
 糸から紙が飛んでは駄目なのよ。
 あと、切り口がくしゃくしゃになってるでしょ?
 余計な力が入ってると、こうなっちゃうの」

 次はあなたやってごらんなさい、と言われ、ルティが新しい剣を構える。
 息を止め、一気に振り抜く。

 紙は糸から吊るされたまま、下半分がなくなっていた。

「上出来ね。
 まだ切り口が汚いけど、これから精進すれば、あなたは化けるわ。
 これならうちの人の剣を使ってもらえるわ」
 嬉しそうに言いながら、家の中に三人を連れて行く。

 うちの人はダガーやナイフは打てないの。もし紙を切れていたとしても注文は受けられないのよ、となんとなく落ち込むティアにフォローを入れている。

 硬い物を切るより、やわらかいものを切るほうが、格段に難しい。
 たとえ切れたとしても形が崩れているのは、余計な力が入っているだけで潰しているに過ぎない。

 グロッソの鍛える剣は日本刀に近い剣で、潰すより切り裂くための剣だ。
 アービィが使っている剣が、図らずも同じ思想で鍛えられている。
 それ故にアービィは、特に「刀」の修練をしていないにもかかわらず、不完全ながら切断することができた。

 ティアは「刀」の概念がないため、叩きつけるように切るか突き刺すという動作が主だ。
 無意識にダガーを紙に叩きつけてしまったため、紙は糸から千切れ、ぐしゃぐしゃになってしまったのだ。


 工房に案内されたアービィたちは、グロッソと初めて対面する。
 いかにも好々爺然とした風貌と、その雰囲気のままの人柄。


 アルテナから試験に合格したことを聞き、アービィとルティの注文を聞く。
 しばしの沈黙の後、グロッソが申し訳なさそうに口を開いた。

「済まんが、注文の分を打つだけの鉄がないのじゃ」


 グロッソが言うには、叩き潰すための剣は鉄鉱石から作るが、グロッソの剣は砂鉄から鍛えている。
 玉鋼の製法と、ほぼ同じだ。

 一本分の材料ならある。
 が、全員の剣を鍛えるためには、圧倒的に足りないのだ。

 良質な砂鉄が村の近くを流れる川原から取れるのだが、最近は魔獣が出没し、武芸は嗜み程度のグロッソや、引退して久しいアルテナの手に負えるものではない。
 一対一ならアルテナは滅多なことでは引けをとらないのだが、何分出没する魔獣の数が多すぎる。

 砂鉄を採取する間のボディガードをしてくれるなら、喜んで打たせてもらおう。
 代金は、依頼料を差っ引いて、金貨2枚で充分じゃ。
 グロッソからの逆依頼だった。

 暫くの間、マグシュテットの村に宿を取り、彼らは川原に出るグロッソのボディガードに行くことになった。
 川原に多い魔獣は、ゴブリンとオーガ、そしてスライムだった。

 ゴブリンは言うに及ばず、オーガも既にたいした脅威ではなくなっているが、スライムはまた別だった。
 スライムは、思考能力のない単細胞生物で、エサとなる動物の匂いに引かれ寄ってくる。

 エサを体全体で包み込み、体表から分泌される溶解毒で動けなくし、そのまま溶かし吸収する。
 切り裂こうが突き刺そうが、ほとんどダメージはないどころか、下手な切り方をすれば分裂し増殖してしまうのだ。

 悪いことに、飛び散った破片にも毒を残しており、これが皮膚に付着すればそこから毒が入り肉まで爛れ、酷いときには骨まで溶けてしまう。
 そして、完全に殺すには、焼き払うか凍らせるか、または核を切るしかない。

 叩き潰すような剣技では、うまく核に当たって殺せても、飛び散った破片で被害を受けてしまう。
 きれいに、核ごと切り裂かなければならないのだ。


 10日間、毎日川原に通いつめ、剣の修練を兼ねてスライムを狩る。
 敢えてアービィの呪文には頼らず、毒を受ければルティとティアが解毒する。
 核を切り、スライムが息絶えてから、アービィが消毒を兼ねて呪文で焼き払った。

「なぜ、そんな面倒をするのかの?
 呪文で焼くか凍らすほうが安全じゃないかの?」
「こうすればですね、剣と呪文と両方の鍛錬になりますし」
 ティアは、紙を切れなかったことが余程悔しかったのか、スライムを毎日切り刻み、「切る」コツを掴もうとしている。

「感心じゃのう、楽に走らんとは、な
 どれ、その心意気に免じて、そっちのお嬢さんが使える剣も考えてみようかの。
 本来なら、得意なものしかやらんが。
 不出来なものを出すわけにはいかんからの、あんたたちの心意気に感化されたようじゃ」
 ダガーやナイフではなく、アービィが使う短刀をさらに短くした小太刀のような剣を考えているらしい。

 これだけ集まれば充分じゃ。ひと月したらまた来てくれ。と言われ、一旦プテリス老夫妻に別れを告げた。
 マグシュテットからツェレンドルフへ移動し、土の神殿で精霊と契約し、その後暫くは討伐の仕事をしながら剣の出来上がりを待つことにした。

 グロッソの護衛依頼を受けた時点で、エッシンフェルゲン町長が付けてくれた馬車は帰してしまっていた。
 歩いてツェレンドルフまでは、十日間の行程だ。

 のんびり行こうか、そうアービィは言い、山を降り始めた。




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