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第15話
 翌朝は、霧のような雨が降る、気だるい雰囲気の朝だった。
 今日一日の活動は制限され、鬱憤が溜まりそうかといえば、そうでもない。
 温かい雨が静かに降り注ぐ、休養を取れと言わんばかりに。

 食堂でティアは、笑顔こそないがすっきりとした表情のアービィと、どこか疲れたような、でも安心したような表情のルティと向き合っていた。
 気まずくはない沈黙の中で朝食を終えると、ルティは、ちょっと眠いから、と言って部屋に戻った。

 ティアはアービィを部屋に誘い、食後のお茶をゆっくり飲みながら、向き合ってアービィの言葉を待つ。
 さすがに人狼に関るであろう話は、他人の目のある食堂でするわけには行かない。
 
 やがて、アービィは、昨日ティアたちとはぐれてから朝までにあったことを、静かに語りだした。

 
 「何て言うか……
 朝っぱらからお酒が欲しくなるような話題ね」

 ティアが溜息を吐き出しながら感想を述べる。

 話すことは全て話し尽くしたとばかりに、アービィは黙っている。

 「ね、アービィ……
 あたしもね、ちょっと違うけど、似たようなことあったの。
 殺されかけるようなことは、なかったけどね。
 百年くらい前に、人化していた頃のことなんだけど。
 ちょっとした気の迷いだったのかなぁ、エサとして捕まえたはずなのに、ね。
 しばらく、一緒に住んでたのよ」

 
 この男の『精』なら、ずっと欲しい。いつまでもいて欲しい。
 普通なら搾り尽くして、一日で使い捨てるはずなのに。
 それがどうしたことか、もう何日も同じ宿にいる。

 いつの間にか、ティアは男に惚れていた。
 身勝手に、自らの欲望を吐き出しているだけの男ではなかった。
 精一杯慈しんでくれているのが、ティアに伝わっていた。
 行き擦りの男女であるはずなのに。

 男は商用の旅の途中だった。
 ティアは、男についていくことに決めた。

 男が住む村で、一緒に暮らし始めたティアは、ラミアであることを隠し、男の『精』を搾り尽くさないように気を使って生活していた。
 当然、他の男の『精』を欲することもなく、二人で穏やかに暮らしていたはずだった。

 ある日、男が所要で出かけていた際、神父がたまたま訪ねてきた。
 断る理由もないティアは、気軽に神父を家の中に招き、茶菓でもてなした。
 聖職者が淫らな真似をするはずもないという安心感が、ティアの警戒心を薄くさせていた。

 間違いなく、この神父は聖職者であり、自らを厳しく律することのできる人物だった。
 そう、男女の間違いを起こすような心配は、全くなかった。
 しかし、彼は悪魔祓いを志し、そのための努力も怠らないひとでもあった。

 男といる間は、決して着けることのなかったラミアのティアラ。
 たまには磨いておくかと思って、テーブルに置きっ放しになっていたのだった。

 急にそわそわし始めた神父が、その場を取り繕うように、用事を思い出した、と言って家を出たとき、ティアは全てが崩れ去ったことを理解した。

 入れ違いに戻ってきた男の前で、ティアはラミアのティアラを髪に飾り、獣化した。
 腰を抜かした男が後ずさり、壁に立てかけてあった護身用の剣に手を伸ばす。
 ようやく立ち上がった男は、剣を振りかざしたが、その剣はティアを掠めただけで床に突き刺さった。

 男は、逃げよう、とだけ言い、ティアの手を握った。

 嬉しかった。
 もう、ここで命尽き果てても悔やまないと、ティアは思った。

 しかし、思い直す。
 自分は、ここで姿を消して行方を晦ませることはできる。
 その後、人里を離れ、一人で暮らすことも可能だ。

 この男にそれを求めていいのだろうか。
 自分ひとりのために、この男の輝くかもしれない未来や、出会うはずのひととの縁を全て断ち切る権利は、あるのだろうか。

 もともと寿命が違うのだ。
 この男と永遠に別れなければならない日が来ることは、解っていたではないか。
 それが、今、来ただけのことだ。

 ティアは、毅然とした態度で男に言った。

 「お願い。あなたは、ここにいて。
 化け物は、あなたを殺そうとして、そのまま逃げたって言っておいてね」

 男の返答を待たず、尻尾を男の首に巻きつけ、息を止めないようにして頚動脈を一気に絞めあげる。
 瞬時に意識を手放した男をそのままに、ティアは姿を消した。
 
 翌日、姿を変え、二人で暮らした家をティアは見に行った。
 未練と言っていいだろう。やはり、男のことが心配だったのだ。
 もし、男が悪魔憑きとして迫害されるようなことがあれば、どうしようと思っていた。
 ティアに男を助ける術はない。
 助けてしまえば、悪魔憑きどころか、悪魔そのものにされてしまうだろう。

 しかし、ティアは見に来ないではいられなかった。

 そして、ティアが見たものは、周囲をマ教の札を下げた注連縄で囲い、劫火に包まれる家を項垂れて見つめる男の姿だった。
 幸い、神父が男に励ます言葉を言い、村人たちも男に寄り添っていた。

 それから数ヶ月の間、ティアは姿を変えたり、消したりしながら男の様子を見守った。
 男が迫害されるようなことは無いと確信したティアは、未練を抱きつつも安堵して村を去った。

 
 ここまで話したティアは、なぜかエールを飲んでいた。
 ちょっと呂律が怪しくなり始めてる。

 「だ~か~らぁ~。
 あたしは後悔してないって言ったら嘘になるからさぁ~。
 アービィには後悔して欲しくないのよぉ~。
 あなたはぁ~、あたしと違ってぇ~、ルティを守れるだけの『力』があるからぁ~。
 自分の~、気持ちにさぁ~、素直にぃ~、ね」

 最後の「ね」だけは力強く言い切り、今日はこの天気だし、あたしも寝るね、とティアはベッドに潜り込んでしまう。
 アービィは自分の部屋に戻る途中、ふとルティの部屋の前で立ち止まった。

 ドアを叩こうとして、鍵が掛かっていないことに気付く。
 
 そっと部屋に入ると、ルティはベッドで気持ちよさそうに眠っていた。
 やはり、徹夜でアービィを膝枕していたため、寝不足なのだろう。

 「自分の気持ちに素直に、か……」
 ティアの言葉を口の中で繰り返し、アービィは寝ているルティに顔を寄せる。
 今なら、このまま唇を重ねても、気付かないかな。
 
 そう思ったとき、ルティが寝返りを打つ。
 アービィの心臓が、破裂しそうな勢いで拍動を始めた。

 自分の感情に戸惑うアービィは、うっかり獣化してしまった。

 狼の体重がベッドに伝わり、ルティの頭が大きく沈む。
 急に落下するような感覚に、ルティが目を覚ました。

 ルティは目を開けるが、焦点が合わず、何度か目を擦る。
 しばらくして、ようやく世界が形を成し、ルティは目の前に何があるか把握した。
 ルティがそこに見たものは、照れくさそうに自分を見下ろす巨大な狼の顔だった。

 
 隣の部屋から聞こえてきた怒声と破壊音に、慌ててティアが部屋に飛び込んでくる。
 ティアの眼前に広がっていた光景は、鼻面を押さえ、ピスピス鼻を鳴らす巨大な狼と、手を腰に当て、轟然と立ちはだかる少女の姿だった。

 さっさとしちゃいなさいよ、と怒鳴る少女の声を、ティアは聞かなかったとことにする。
 足元には、枕元にあるはずの銀の燭台が、無残に変形して転がっていた。
 
 翌日、討伐の仕事に出て行く三人組のうち、少年の鼻梁には一筋の傷があった。
 そして、レイたちの護衛としてこの町を出る前日まで、平穏な日が続いていた。