雨の夕方。
11月も半ばを過ぎたこの時期、日の暮れは早い。学会で四国へ行く、一応、保護者の阿笠博士を空港まで見送りに行った灰原哀は、日暮れの雨の中、最寄りの米花駅に着いた。
(かなりの雨ね)
傘を持ってはいるが、この激しい降りでは、濡れるのを覚悟しなければいけない。
阿笠は、小学4年生の哀を心配し、見送りはいい、と言ったのだが、日曜日でもあるし、たまには、阿笠に親孝行のようなこともしてみたいと思い、哀は、空港まで行って、阿笠が乗った飛行機が飛び立つところまで、見送っていた。
実際、阿笠は、大そうな喜びぶりだったが、空港から、ある人物への電話連絡も忘れなかった。
「新一君か?わしゃな、学会でこれから四国へ行くんじゃ。今、空港でな、哀君が見送ってくれとるんじゃが・・・わしが帰るのは、4日後じゃから、それまで、哀君、一人になるから、頼むぞ」
哀と同じように大人の心を持つ小学生、今は、江戸川コナンと名乗る探偵に、阿笠は、哀のことを頼み、笑顔で旅立って行った。
実年齢では、すでに20歳ぐらいになるコナンと哀。しかし、体は小学生そのもので、事実、帝丹小学校に通う4年生だった。
一応、コナンと哀は、恋人同士ではある。
しかし、彼らの事情・・・毒薬によって、体が幼児化してしまったという事実・・・を知る者以外は、マセた小学生だとしか思っていない。
しばらく雨の様子を覗っていた哀だが、小降りになる気配すらないので、激しい雨の中、傘を差して歩き出した。
歩き出して数分もしないうちに、足元はびしょびしょになり、靴の中にも容赦なく雨水が入ってくる。あっという間に腰から下も濡れてきた。傘は、頭や胸あたりを守ってはくれているが、激しい雨に、その下は、濡れるに任せる状態。
11月ともあって、気温も低く、より一層、雨の冷たさが応える。風邪を引きやすい自分のことを心配し、哀は、早足で歩いていた。
ニャー
傘を叩く雨の音が激しく、他の音がほとんど聞こえない中、哀の耳にかすかに鳴き声が聞こえ、足をとめた。
ニャー
あたりを見回す。
ニャー
今、通ってきた住宅街の狭い道が交わる交差点。その向こう側の角に、ダンボール箱が目に入った。声は、そこからするようだ。
(建物の陰で、見落としたのね)
戻ってみると、子供が一抱えできるほどのダンボール箱だった。中を覗くと、小さな子猫が3匹。激しい雨に打たれ、震えている。
(捨て猫・・・酷いことするわね)
とりあえず、猫たちに傘を差しかけたが、哀は、そこで困ってしまった。
子猫が入ったダンボール箱は、両手でなければ持てない。しかし、今は、激しい雨の中。傘を差していては、ダンボールは持てないし、子猫3匹を抱えることも無理だろう。
でも、哀には、この猫たちをこのままにできるわけがない。
(しかたない)
哀は、覚悟を決めた。傘を閉じ、その場に置くと、ダンボール箱を抱え、歩き出す。なるべく、子猫たちに雨が掛からないように、上からダンボールを抱えるようにして、上体をかがめで歩いた。
小さな体では、水を吸って重くなったダンボール箱を抱えるのは、堪えるものだった。しかも、濡れて脆くなったダンボール箱の中には、子猫が3匹いる。さらに、尿などの臭いが鼻につき、汚れが胸や腕についた。
おまけに冷たい雨。
(最悪・・・これ以上は、ないわね)
雨の冷たさで、こわばった顔を、哀は、少し歪めて自嘲した。
周りに人がいなくはないが、暗くなっているし、大雨の中、傘を差しているから、ずぶ濡れでダンボールを抱えて歩く少女に気づく人は少ない。気づいた人も、自ら濡れてまで、少女を庇おうという人はいなかった。
10分ほどの距離だったと思うが、随分遠く感じた。
やっと、阿笠邸の門にたどり着いた哀は、門を開けるのももどかしく、玄関の庇に飛び込み、ダンボールを足元に置いた。
*****
リビングで哀は、タオルを数枚用意し、子猫をその上に寝かせると、子猫たちの様子がただ事ではないことに気づいた。
(猫インフルエンザ・・・)
目ヤニと鼻水がひどく、膿も出ていて、弱り方が激しい。1匹は、時々鳴き声を上げていて、比較的元気だが、他の2匹は、ぐったりしている。
とりあえず、タオルで目や鼻を拭いてやるしかない。哀は、お湯を沸かし、暖房を入れ、3匹の子猫の顔をタオルで拭き続けた。
(この雨とこの時間じゃ、獣医さんのところへ連れていくのは無理だわね。それと、ミルクをなんとかしないと)
哀は、とりあえず、コナンへ連絡しようと立ち上がった。その時、玄関のチャイムが鳴る。
(いつも、困ったときに現れるわね)
哀は、こわばった顔を少しほころばせた。
一応、玄関のチャイムを鳴らし、合鍵で入ってくるのが、コナンのいつもの阿笠邸の訪ね方だった。
「哀。玄関のダンボールは、何・・・」
そこまで言って、コナンは絶句した。
服が汚れ、頭からずぶ濡れになった哀と目が合う。テーブルには、重ねたタオルの上に子猫が3匹。細い鳴き声がしている。それに、猫の尿などの臭い。
「どうしたんだ、おめえ、ずぶ濡れじゃねえか。それに、その猫」
「捨てられてたの。それに、病気で、意識もない子もいるし・・・でも、猫用のミルクもなくて・・・」
「おめえ・・・とりあえず、風呂入って、着替えて来い。猫のことは、俺が見ててやるから・・・」
「でも・・・早く、ミルクでも飲ませないと・・・顔も拭いてやらないと、膿でつらそうだし・・・」
哀は、子猫から離れるのが不安のようだった。
「いいから。猫は俺に任せろ。おめえが風邪ひいちまう、早く風呂入ってこい!」
「・・・うん。じゃ、お願い」
「ああ」
哀は、風呂へ走って行った。
コナンは、とりあえず、子猫たちの汚れを拭いてやると、哀が沸かしていたお湯を持ってきて、冷ましてから、飲ませてみた。
鳴いていた1匹は、少し飲んだが、他の2匹は、意識がなく、動かない。しかし、まだ生きていた。
哀が戻ってきた。シャワーを急いで浴び、着替えて飛んできたようだ。
「俺がミルクを買ってくるから、おめえ、この子ら、暖めてやっていてくれ。それと、できれば、動物病院を探して、連絡だ」
「ええ」
コナンは、大雨の中、スーパーへ行くべく、飛び出して行った。
*****
コナンがミルクを買って帰ってくると、ソファに哀が俯いて座っている。着替えたばかりの服は、袖や胸のあたりが汚れている。
テーブルの上には、汚れたタオルやティッシュペーパー。そして、タオルの上には、小さな猫が3匹。
「だめだったの・・・あなたが出て行ってから、すぐ・・・2匹が息しなくなって・・・一所懸命人口呼吸してやったけど・・・そしたら、もう1匹も・・・気づいたら、鳴かなくなってて・・・」
コナンも、スーパーの袋をその場に落とし、子猫たちの傍に行った。ぐったりした3匹の子猫は、すでに息がなかった。
ソファに座る哀は、手で顔を覆い、俯いて肩を震わせている。
「私・・・何もできなかった・・・まだ小さい・・・この子たちに、何もしてやれなかった・・・」
「哀・・・」
コナンは、ソファに座る哀の肩を抱き、隣に座った。
哀がコナンの胸に顔をうずめてくる。
「哀・・・」
「あんな雨の中、冷たかったでしょうね・・・心細かったでしょうね・・・」
そうだ、哀が組織から逃げ出し、工藤新一を頼りにこの町に来て、その家の前で倒れていた日も、今日のようにひどく雨が降っていた。
哀は、阿笠に保護され、今、こうして生きている。
あの日のこと、哀は、何も言わないが、心細かっただろうし、体に当たる雨は、冷たく、痛かったに違いない。
哀を抱くコナンの腕に、いっそう力が入る。
肩を震わせている哀をコナンは、すっと、黙って優しく抱きしめていた。
*****
翌日、雨は上り、日差しが眩しい。コナンと哀は、タクシーを手配し、動物霊園に3匹の子猫を運んで弔ってやった。
帰りの車の中、コナンは、哀の様子がおかしいことに気づいた。
「ありがと、工藤君」
「うん」
「・・・あの子たち・・・少しでも、遊んであげたかったわ・・・」
「アイツら、少なくとも、おめえに看取られて、寂しくなかったと思うぜ。だから、おめえに感謝してるぜ、きっと」
コナンは、そう言いながら、哀の顔を見つめている。
俯いている哀は、少し、息が荒く、顔色も悪いようだ。
阿笠邸に着き、リビングまで入ると、コナンは、哀を抱き寄せ、自分の額を哀の額にくっつけた。
「おめえ、熱あるじゃねえか!」
「大丈夫よ」
「大丈夫じゃねえよ。ほら、早く着替えて寝ろよ」
「・・・わかったわ」
哀も、自分の体の変調には、当然、気づいていた。朝から、寒気もする。でも、コナンに心配をかけたくなかったし、猫達を早く葬ってやりたいこともあって、ずっと我慢していた。
少しふらつく体で、2階の自分の部屋へ上がり、着替えるとベッドに横になった。
しばらくして、コナンがドアをノックして声をかけてくる。
「哀。入っていいか?」
「ええ」
コナンがお盆にカップを載せて入ってくる。
「レモンティ、入れてきた。飲むか?」
「ええ。ありがとう、頂くわ」
コナンが哀の上体をゆっくり起し、手にカップを持たせる。哀が一口飲むと、体がじわりと、暖かくなるような気がした。
哀がカップを持っている間、コナンは、後から哀を支え、カップを持つ哀の手に自分の手を添えてやっていた。
熱のせいで、いつもより、熱く感じる哀の体。顔をくすぐる茶色の髪に、キスをしてから、レモンティを飲み終えた哀から体を離した。
「今日は、ずっとこの家にいるから・・・なんか作ってやるから・・・じゃ、ゆっくり寝てろ」
空になったカップをお盆に載せ、哀を寝かせて、毛布と布団をかけ、部屋を出て行こうとするコナンを哀が呼び止めた。
「待って」
「え?」
「・・・ね・・・もう少し、傍に居てくれない?」
コナンは、フッと微笑んだ。
「・・・ああ」
コナンがそう言って、哀の傍に座ると、哀がコナンの前に左手を出してきた。
その手をそっと、握ってやる。
「おめえにしちゃ、珍しいな」
「・・・いいじゃない・・・たまには」
哀の赤い顔は、熱のせいだけだろうか。
「ああ。でも、たまじゃなく、毎日でもいいぜ、俺は」
「・・・バカ」
コナンは、握った哀の手にキスすると、顔に掛かった哀の髪を優しくかき上げ、今度は額にキスをした。熱のせいもあるのだろうが、哀の潤んだ瞳に、コナンの動悸は高くなる。
哀は、落ち着いた表情で目を閉じた。体は、だるいが、気分は悪くない。
コナンは、その様子を愛おしげに見ている。
左手にコナンのぬくもりを感じながら、哀は、眠りに落ちていった。
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