九十六. 1864年、南禅寺~新選組の影~
「1864年、南禅寺」
南禅寺は、阿波徳島藩および肥後熊本藩の本陣である。
文久の改革以後、参勤交代の形骸化が進んでおり、本陣も叉廃れ始めていた。とはいえ、藩専用の施設だ。藩の役人が普通に出入する。幕威の失墜に歯止めが掛らない中、唯一勢いがある幕府側の組織が新選組である。
新選組は之から全盛へと発展する時期で、気勢漲り、管轄を当然の如く破って何処にでも出現していた。そんな彼等の関心スポットがこの南禅寺であり、大名や藩役人専用の宿場であるにも拘らずずかずかと隊士が内部に上がり込んでいる。
「・・・・・・こ・・・っ、の・・・・・・!」
もう一度いうが、南禅寺は肥後熊本藩役人の宿泊処である。序でにいうと、京の肥後熊本藩邸と新選組壬生屯所は目と鼻の先の距離にある。沖田 総司・伊東 甲子太郎・武田観柳斎が慶応元年十月に肥後藩京都留守居役を訪ねたという記述も遺されており、肥後藩と新選組の関りが覗える。
が、平素余り仲は良くなかった様である。
「まったくもう!あっちでもこっちでも邪魔しよってこのみぶろう!」
「おやおや、誰かと思ったら朝も見た顔の方ではないですか。之は奇遇ですなあ」
新選組副長・土方 歳三が嫌味たっぷりに言う。悪いのは明らかに新選組の方なのだが、流石は土方、相当手練れている。
「ちっ」
肥後藩吏の男が其と分る様に舌打ちをする。永倉 新八と藤堂 平助が土方の後ろに隠れてにやにやしていた。本日南禅寺を張っているのは彼等の隊の様だ。
「な?斯ういうのは土方さん出せば一発なんだよ」
「いやぁーさすが土方さん!」
イラッ。藩吏の男だけでなく土方も振り返って二人を睨む。こんな事でいちいち俺を呼んでんじゃねぇよと土方の眼は言っていた。
「まぁまぁお互いに屯所も近いんですし、仲良くやりましょうよ。肥後藩も、政変時に河上 彦斎にやられて戦力がまだ戻っていないんでしょう?新選組隊士が警固って差し上げますよ」
そう言いながら買ったばかりの煙管を咥える土方。仲良くなる気持ちが毛ほども見えない。ぴきぴきと藩吏の顔に青筋が浮んだ。
この関係は少なくとも新選組が不動堂村へ屯所を移す迄続く。ざっとあと3年だな。
「新選組には肥後出身の隊士も居りますからなあ。肥後藩が大変なのをとても他人事として見てはいられない」
「ほう?なら先ず壬生浪の浪士を出して貰おうか。会津藩が如何あれ肥後藩にとっては脱藩した不忠の臣だからなあ」
土方は実は肥後を藩丸ごと疑っている。だから、壬生の肥後藩屋敷も監察方に張らせてあるし、この南禅寺もぶっちゃけ家宅捜索したいのだ。南禅寺の中に宮部 鼎蔵・松田 重助・河上 彦斎・その他諸々のテロリスト共を匿っていると踏んでいる。流石に目の前に居るこの男を捕って喰らう事は出来ないが、気分としてはそうしたい詰り、軽口を叩きつつも、土方はこの藩吏も仇敵同様に見ている。
(ちっ・・・長州といい、デケェ藩だけあって守りもかてェな)
監察方もなかなか捗らない様だし、この男もがみがみと感情的な割には隙が無い。というか藩に守られている感がかなりある。
南禅寺は決して離さない。近い内に藩ごと会津公の前に引きずり出してやる、と土方は想った。・・・・・・肥後守だけに。
冗談は扨て措いて。
こっちもこっちで新選組だ。
「松田 重助えぇぇーーー!!」
「おおおおおおぉぉぉぉ!?」
新選組副長助勤・原田 左之助が新しい玩具でも見つけたかの様な勢いで追い駆けて来る。松田は先程関所を掻い潜って来たばかりだというのに。やけに鼻の利く男である。
「へっ。流石は壬生“狼”だぜ・・・・・・!」
松田は挑発に軽蔑の言葉を投げ掛ける。が、悲しいかな負け惜しみにしか聞えない。自分よりでかくて若くて体力ある奴に言ったところで何の説得力も無いのだ。
んで
「うおおおーーっ!!俺達はみぶろじゃねえ!!新選組だああぁぁーーーー!!」
「オマエ清々しい位に単純だな!?」
松田が逃げながら思わずツッコんだ。原田が怒り狂い、槍をぐりんぐりん回しながら速度を増して来る。おい俟て、周りの隊士が槍に当って飛んでいっているではないか。そして此方に隊士を飛ばすのはやめろ。
併し
(とんでもねえ野郎だ!)
幕府側にこんな骨のある奴がいたとは。・・・幕府もまだ捨てたものではないという事か。
足掛け10年、江戸・京・大坂そして九州と、幕吏から追われる日々を送ってきた松田だが、踏み込まれても大抵は赤子の手を捻るが如くあしらえた。
あの感覚で逃げていては確実に捕って喰われる。
「んなっ!?」
そんな事を考えながら走っていると、今度は進行方向にだんだら羽織の集団が現れる。挟まれる。
「はっはっは。応援に来てあげましたですよ原田君!」
武田観柳斎がででんと胸を張って立ちはだかる。その後ろには隊士というより家来みたいな浅葱色の男達が仁王立ちしていた。
松田はフッと哂う。
シャッ
胸倉より梢子棍を取り出し、速度を緩める事無く武田に突っ込んでゆく。てっきり止ると思っていた武田は急にあたふたし始めた。
「な、なななっ!?」
「武田先生!」
武田の襟首を掴んで後ろに退かせ、平隊士が前面に出て刀を抜く。武田の扱いがめちゃ雑。隊士の芯は確りしている様だ。
「よっ」
松田が其の侭平隊士に打撃を与える。刀は側面からの攻撃に弱い。コン,と棍棒を当てて慣れぬ音に隊士を驚かせると、梢子棍をもう一本取り出してその坊主頭をかち割った。
「蟻通!」
松田は迷い無く通行人に手を出し、人質に取る。梢子棍の連結部分を折って人質の首を棍棒部分で挟む。人質はひ、ひぃ!と引きつった声を上げた。
「おっと、動くなよ・・・動くとこの馬鹿の首は折れるぜ」
松田が完全に悪人面である。そう脅して道を開けさせ、碁盤の目の十字路に差し掛ると松田は人質を躊躇い無く捨てて逃げた。
人質にされた男は存外元気な様で、ひいひい悲鳴を上げながら自力でその場から捌けた。
「あっおい、追え追え!!」
原田が武田を無視して松田を追い駆ける。何気にちゃっかり武田の隊の隊士も動かしている。
「あの角を曲ったぞ!」
「あっちょっと原田君っ。彼等は僕の隊の者達ですますぞ!!」
「うっせえ仕事の邪魔すんな!」
「なっ、僕は応援に来てあげたのですますのに!」
二人が小競り合いながら角を曲ると、松田の姿は其処には無かった。だが背恰好のよく似た町人風の男が彼等の少し先を歩いている。
「おおっとちょっと止ってくれねえか兄ちゃん」
「・・・はい?」
原田と武田がその男に目を付ける。うわ、壬生浪や・・・・・・と、呼び止められた男は露骨に嫌な顔をした。武田が急にしおらしくなる。因みにその男は松田ではなかった。
「だから俺達はみぶろなんかじゃねえって。新選組だ!」
原田、そこの訂正は怠らない。だが松田ではないと分り、この通りにある店一軒一軒全部調べろ!とすぐ命令する。すると、男が人違いやったら先ず謝るんと違うんや!と怒り出し、原田と武田を引き止めた。
「な、何だよ急に」
たじろぐ原田とときめく武田の後ろを、腰を屈めた母と若い娘が身を寄せ合って通り過ぎ、通りを抜けて往った。
「・・・・・・・・・」
角を曲ると急に身長が高くなる。・・・・・・被衣を取り、女が後ろから着物を脱がせる。・・・その細い指の動きがぎこちない。
松田も頻りと瞬きをするだけで、その間、二人の間に会話は無かった。
「―――!無事だったか、松田さん」
門からではなく、ひょっこり塀を越えて長州藩邸に遣って来た松田に桂が声を掛ける。桂はほっと安堵の息を吐いた。
「随分派手な入京をした様だな、あなたは。物凄い騒ぎになっているぞ」
「そうする心算は無かったんだがな。ていさんと馬之助さん(ていの弟)が協力してくれて助かった」
「ああ、小川亭の。早速逢えたんだな」
桂の含みある台詞に、松田は咳払いをする。・・・てめえ。肥後の志士の隠れ処である小川亭には桂も頻繁に出入しており、其処の女将で未亡人のていの事をよく知っていた。
「・・・打って出る様な真似ばかりして、ていさんに心配を掛けるのは如何なものかと思うが」
「はっ?」
松田は素っ頓狂な声を上げる。桂が一歩大人の階段を上ったというか所帯じみた忠告をしてくる様になった。理由は・・・まぁ分るけれども。
「・・・・・・お前は何を言っているんだ?」
・・・・・・言いながら、松田は仄かに顔を紅らめた。ったく、長州人はと斯ういう時に思うのである。澄ました顔をしていながら、育む愛はきっちり育んでいる。
「自分が落ち着いたからって一丁前に世話焼く様になりよって。俺にそういうのはいらん!・・・只、お前が山科の豪家から略奪う程惚れた女子というのは気になる。今度その幾松さんを紹介しろよ」
よっ、と松田が塀を飛び降りる。敷地の中に入って来た松田に、桂は
「あなたはもう少し落ち着いた方がいい」
と、言った。桂は稔麿や宮部、そしてこの松田が俄かに帯び始めてきた死の空気を敏感に捉えている。
・・・松田は桂の憂いに翳る秀麗な顔を、端正かつ鋭い目尻で見た。ふー・・・と溜息を吐く。
「・・・・・・お前、そうやってていさんを利用しようとするのはやめろよ」
はっと桂は視線を上げる。桂自身、気づかずにしていた事であった。自分と同様に恋人を持つ事で松田が自分を大切にし、軽挙妄動を慎んでくれれば、という真心から来ているものであったが・・・自分の心配にていを捲き込もうとしているだけなのか。
「・・・良好な関係を築けてはいるが、あの女は生涯の夫を美濃吉さん一人と決めているし、俺にその代りが出来よう筈が無い。
―――其に、俺の勤皇歴を舐めるなよ。12の頃に桜園先生の門下に入って以降、ずっとこの道しか知らんし―――・・・」
縁側から廊下に上がり、松田はス・・・と部屋に繋がる襖を開いた。
室内にはずらりと志士が勢揃いしており、
土佐藩。北添 佶摩・望月 亀弥太。土佐勤皇党加盟。武市 瑞山逮捕後は坂本 龍馬の下に付き、勝 海舟の神戸海軍操練所塾生となるが、武市の思想を捨て切れず尊攘派に回帰。
久留米藩。渕上 郁太郎。御癸丑以来・真木和泉の門人。のち、赤根 武人と共に新選組の長州入りに協力し、その廉で暗殺される。
鳥取藩。河田 佐久馬。京都留守居役として桂等と交流。八月十八日の政変および天誅組の変当時は鳥取藩の内部抗争である本圀寺事件に関与。
林田藩(兵庫県南西部)。大高 又次郎、忠兵衛兄弟・北村 義貞。大高兄弟は赤穂浪士四十七士の一人・大高 源五の子孫。『枡屋』の隣家に居を移し、古高に協力して武具・兵器の調達を担当する。北村は又次郎の門人。
沼田藩(群馬県沼田市)。南雲 平馬。元・浪士組所属。清河 八郎の同志で、現・新選組隊士や京都見廻組隊士と共に上京した。
上田藩(長野県上田市)。村上 俊平。南雲 平馬と同じく、清河の同志で元・浪士組。
糸魚川藩(新潟県糸魚川市)。松山 良造(越後 三郎)。元・新選組国事探偵方。間者として新選組に潜入するが、稔麿が忍ばせた間者が暗殺されたどさくさに紛れ脱走。
「この道ならば、代れる志士が沢山いる」
何れも第一等の志士、志を同じくした者だ。自分が囮になる事で彼等が藩邸に入り易くなったと考えればよかろう。
女には唯一人の男しかいない。だが、男には色んなものがある。
“代り”がいなければこの志士の活動は務まらない。
「―――松田さん・・・」
「桂。“約束”を忘れてはいないだろうな?」
松田は桂を振り返って言った。獣の様な瞳で桂を睨む。・・・・・・桂は
「・・・・・・“約束”を忘れる筈が無い」
と、暗い表情で、併しきっぱりと返す。・・・その返事を聞いて、松田は・・・なら、いいんだ。と微笑んだ。
「まぁ、大事な女と出来たなら無茶は出来んだろうからな。そこは心配していない」
水をくれ、と頼んで松田は腰を落ち着けた。この部屋に居る者は全員が池田屋事変に連座する。
水戸の志士がいないのは、並行して武田耕雲斎等の勢力が水戸藩内で盛り返し、天狗党の乱が勃発しているからだ。
・・・・・・何処に居ても、血が流れる。
「そういえば、稔麿は藩邸には顔を見せるのか」
水を一息に飲み干した後、訊いた。桂は首を横に振り、溜息混りに言う。
「・・・全く。宮部さんの従僕の忠蔵君が時折藩邸に報せに来る。宿を転々としていて、小川亭や枡屋にも来るそうだ。其で、私も忠蔵君に文を持たせるのだが・・・」
・・・・・・。松田は白けた顔をする。いい齢して何を仲違いしているのか。併しまぁ、稔麿が嫌悪する遣り方ではあるのかも知れない。
「早く仲直りしろ。肥後も其ほど暇じゃない。長州がここで割れて如何する」
・・・仕方が無い。松田はポリ・・・と頭を掻く。
「次に忠蔵さんが来た時には俺達も一緒に行くぞ。文ばかりでなく、後輩に其位の手間は掛けてやれ」
全く長州人は、である。手は早いくせに感情的に不器用だ。結局小川亭に行くのかと思うと松田の気は重くなった。