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ようこそ、さくらんぼ組へ!〜チェリー・小宮〜
作者:卯月海人
 
拙作『おいしいチェリーのいただきかた☆』の続編です。
タイトルがチェリー2でないのは、これからこういう高校生恋愛モノを短編読みきりのシリーズ化していこうと考えてまして、そのまとめたタイトルを『ようこそ!さくらんぼ組へ!』にしようと思ってるからです。
今回は小宮視点で比奈とのデート風景を綴ってみました。
比奈の一人称とは違い、おとなしめですが、本編では語られなかった小宮の心情が分かって、くすぐったい気持ちになっていただけるかと。(笑)
どうぞお楽しみください♪
 
それと、ただいま、野いちご主催のケータイ小説大賞に、チェリーをエントリーしています。
読者投票が7月31日までなので、よければ投票してくださると嬉しいです♪
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よろしくお願いします。m(_ _)m
 
 一歩踏み出すと、世界は真夏日に切り替わった。
 
 それはもう、境界線でも引かれてたかのように。建物の影から出た瞬間、忽然と変わってしまった。
 思わず足を止め、頭上から降り注ぐ太陽の眩しさに目を細める。
 
 初夏はとっくに過ぎてたんだ――。そんなことをぼんやり思いながら、腕時計で時間を確認。待ち合わせ時間まであと15分ある。
 待ち合わせ場所は、この駅のすぐ傍。待ってる間は本でも読んでいようかな。
 僕は乾いた熱気の中を歩き出した。夏の日差しなんかに負ける気はしない。15分の立ちんぼも全く平気だと思えるほどに、僕は浮かれていたのだ。
 
 だけど。
 
 数歩進んだところで、僕の余裕はあっけなく消えてしまった。
 見慣れた水柱の向こう。噴水場の縁に腰掛け、元気良く足を振ってる女の子は、僕の待ち人になる予定の、その人だったのだ。
 
 早すぎるよ比奈さん――
 
 こんな炎天下で一体どれだけ待ってたんだろう。僕は慌てて走った。走りながら考える。
 
 やっぱり、喫茶店にすれば良かった、待ち合わせ場所……
 
 
 
 僕と比奈さんのデートは、これが初めてじゃない。だけど僕らは、今日を初デートと呼ぶことにした。
 理由は単純。僕らがいわゆる男女交際を始めてから、初めてのデートになるからだ。
 じゃあ、付き合う前のデートはなんだったのかというと、僕にもよく分からない。
 多分、『修行』って言い方に変わるんだと思う。比奈さんがその言葉を使うのが好きだから。
 今までは『修行』、これからは『デート』。今日は記念すべき初デート、ってわけなんだ。
 
 とはいえ、毎週の如く会ってた僕らなわけで。関係は変われど、実態は何も変わっちゃいない。『初デート』、ってほどのありがたみはないんだけど。
 それでも、僕らは盛り上がっていた。何故なら今日のデートで『初めて』をやり直すことに決めたから。
 今でも昨日のことのように思い出せる。僕らが初めて待ち合わせた場所は、この駅前の噴水広場だったのだ。
 
『いかにもデートっぽいっしょ?』
 
 人差し指を立てながら、その時彼女は解説してくれた。僕が呼び出した学校の屋上で。
 告白するつもりが、僕の初体験を手伝って欲しい、なんて言っちゃった後で。僕はとんでもない嘘に内心打ち震えてて、半分上の空で頷いたものだ。
 あの嘘さえなければ、その後あれほど告白を躊躇うこともなかっただろうに。何度思い返しても、穴に入りたい気持ちで一杯になる。
 だけどあの嘘がなければ、今の僕らはなかったんだ。多分、速攻で比奈さんにふられてた。良かったのやら悪かったのやら。
 比奈さん曰く、そういう時は『結果オーライ』、と言っとくものらしいけど。
 前向きな比奈さんだからこそ言える台詞だろうな。
 
 
 ともかく、駅前の噴水広場で待ち合わせ。『初めて』をやり直すために、これは絶対外せない、という比奈さんの主張を受け入れて今に至るわけだが、炎天下で比奈さんを待たせるくらいなら、そんなこだわりは却下しても良かった。
 僕にとっては、比奈さんの健康が第一だ。
 
「比奈さん!」
 
 噴水にまで駆け寄り、名前を呼ぶと、遠くを見やっていた横顔が振り向いた。
 やっぱり比奈さんだ。
 今日は髪を二つに分けて結んでる。緩くパーマがかかってるようだけど、本当にかかってるかは分からない。コテを使うんだよ、と以前比奈さんが言ってたような気もするし。
 僕はまったくファッションには疎いのだ。
 
「小宮!」
 
 それでも、比奈さんがオシャレだということは良く分かる。僕の声に立ち上がった比奈さんの服装は、女の子らしいフリルが散りばめられたタンクトップ――いや、キャミソールだったかな、それに、夏らしい短めのジーンズとサンダル、上には、シースルーの半袖カーディガンみたいなのを羽織っている。
 毎日思っていることだけど、今日も可愛い。
 噴水の水しぶきが陽の光に煌めいて、彼女の輪郭を一層、幻想的に輝かせている。透けて茶色く光る髪の毛がふわりと揺れて、肩に落ちる。
 
 妖精みたいだ――
  
 もっとも、これは僕にだけ映る効果なのかもしれないけれど。
 
「こんなに暑いのに、大丈夫? 待った?」
「ううん、さっき来たところだよ」
 比奈さんはいつもの、花が咲くような笑顔で僕を迎えてくれた。
 さっき来たところだなんて、嘘だ。少なくとも一本前の電車で来てるはずで、それでも10分の間隔があった気がする。
 彼女は周りに心配かけまいと、笑顔で嘘をつく癖があるのだ。
「遅れてごめんね」
「え〜? 別に遅れてないよ〜。まだ時間前じゃん。あたしが早く来すぎちゃったんだよね」
 はにかんで言う比奈さんがとても愛しくて、ここが公道でなければ抱き締めてしまったかもしれない。
「とりあえず、どこか涼しい場所に移動しようか。喉は乾いてない?」
「あ、コーラ飲みたいかな」
「じゃあ、そこの店に入ろう」
 駅前のファーストフード店を指差し、僕は先頭を歩き出した。でもたちまちシャツの裾を引っ張られて、歩みが滞る。
 振り返ると、少しすねた表情の比奈さんが僕をじとっと睨んでいた。
「今日は初デートだよ〜。なんか忘れもんしてない?」
 え? 忘れ物?
 なんだろう。プレゼントとか持ってきた方が良かったんだろうか。
 ああ、きっとそうだ。僕って気がきかない。
 慌てて謝ろうと比奈さんに向き直る。と、目の前に伸びてくる手――催促かと思ったけど、手の平が上じゃなく、横を向いている。
 
 そこでようやく僕は気が付いた。
 
 同時に、頬が熱くなってくる。
 そうか。そういうことか。
 いまだ僕は、こんなコトもすんなりできないんだ。まったく不甲斐ない。
 
 呆れられてないことを祈りつつ、僕は彼女の手をとり、歩き出したのだった。
 
 
 
 15分後。
 広場から繁華街に入る道の角にあるファーストフード店。昼前とはいえ、休日だからだろう、既に満席に近かった。
 幸いにも席を取ることができた僕らは、向かいあって今日のスケジュールを確認していた。
 話の途中で電子音が鳴った。
 比奈さんの携帯かららしい。ポシェットから二つ折りの携帯を取り出し、開く比奈さん。
「あ、ママからだ」
 それはメールだったようで、なにやら操作を始める比奈さんを、僕はぼんやりと見つめた。
 
 ピンク色の薄いボディが、比奈さんの指の動きにあわせて小刻みに揺れる。凄い速さで文字を打ってる様子だ。あんなに小さいキーなのに。よく打ち間違えないもんだなと素直に感心する。
 
 ……数分も経たずに、お返事を返せるんだもんなぁ……。
 
 携帯って、確かに便利だ。いつでも意志を伝えられる。さすが文明の利器だと思う。
 だけど、それを持つことで、日本人本来ののんびりさが損なわれてしまったように感じる――というのは気のせいだろうか。携帯電話が悪いとまでは言わないけど。
『想い』を伝えることを急ぎ、性急な答えを要求する。それが当たり前になりつつある昨今。のんびり屋の僕としては、少々生きにくい世の中になった感がある。
 
「ん? なに? 小宮」
 
 なんて思ってたら、じっと見つめすぎてしまったらしい。比奈さんの顔がこちらを向き、僕は慌てて「なんでもないよ」と取り繕った。
 でも比奈さんにしては珍しく、僕の視線の先に気付いたようで(比奈さんには失礼な言い方だけど、彼女はかなり鈍感なところがある)、
「あ、ケータイ気になる? ゴメンね、デート中に。今夜の店の状況が分かったらメールして、って言ってあったんだ」
 と、すまなさそうに謝ってきたので、僕は咄嗟に適当な言い訳を述べた。
「気にしないで。ストラップが可愛いなぁ、って思って見てたんだ。比奈さんらしいな、って」
 それもまんざら嘘じゃない。比奈さんの携帯ストラップは、音符と、比奈さんの好きなサクランボのアクセサリーが着いていた。
 サクランボ柄のノートも持ってたし、よっぽど好きなんだな。そう思うと、自然と口元が綻ぶ。
「えへ♪ でしょでしょー? ストラップって、凝り始めると色んなの着けたくなるんだよー。小宮も携帯持ったら……って、あ、ごめん。ダメだって言われたんだっけ。お父さんに」
「うん……」
 途端に歯切れが悪くなるのを自覚する。僕の悪い癖だ。はっきりしない。
 
 付き合うことになってすぐに、比奈さんは僕にある提案をしてきた。
 携帯を持ったらどうか、というものだ。
 いつでも連絡が取れるし、家の電話だとかけにくい、加えて、僕が周囲を気にせず会話できるようになる。
 そういう利点を力説されては、頷かないわけにはいかず、僕は両親に相談した。
『携帯を買ってもいいですか』
 答えはNOだった。
 それを伝えた時の、比奈さんの落胆した顔――胸にズキリときたのを思い出す。
 
「残念だけど、仕方ないもんね。電話代、タダじゃないし。気にしなくていいよ、小宮」
 僕を気遣ってか、笑顔で携帯をしまう比奈さん。
 彼女の笑顔が曇ることはできれば避けたい。
 彼女の望みは、できるだけ叶えてあげたい。
 
 とは思うんだけど――――
 
 いまいち、そこまで携帯が必要だとは思えない僕なのだ。
 
 ……文通じゃダメなのかな?
 
 
 
 店を出た僕と比奈さんは、繁華街をぶらぶらと歩いた。
 あてどもない散歩は僕ら共通の娯楽だ。
 といっても、まったくあてどもない訳じゃないけど……。この後の予定は『映画を観る』となっている。
 映画館のあるショッピングモールまでの道のりを、散歩がてらゆっくり歩くのが楽しいのだ。
 
「あっ! あいつわっ!」
 
 綺麗に舗装された並木通りを歩いてる途中、比奈さんが突然叫んだ。
 お洒落なブティックや、雑貨屋、家具屋など多種多様な店が並び、若者からご年配の方まで楽しめるところだ。僕らの行きつけのデートコースでもある。
 目の前のペットショップの入り口を指差して、比奈さんは身を震わせている。
 いや、正確には、今まさに店から出てきたご婦人を差してるようだ。人を指差しちゃいけないよ、なんて注意できる雰囲気じゃない。
 口を挟めないほどの気迫がその目にこもっていて、僕はごくりと喉を鳴らした。
 ……ちなみに、彼女の気合を入れるポイントは時々ずれている。
 
「あの犬、ここで会ったが百年目っ! 積年の恨みを今こそ晴らしてくれてやるぅ!」
 
 あ、ご婦人じゃないんだ。
 比奈さんの怒りの矛先は、どうやらご婦人が連れてる犬のようだった。真っ白いプードル。くりっとしてつぶらな瞳が可愛い。トリミング後なのか、毛がツヤツヤしてる。どう見ても普通の犬だけど積年の恨みってなんだろう?
 
「アイツ、以前、あたしを鼻で笑ったんだよっ!」
 
 その一回で積年の恨みとまでは言えないんじゃ……。
 
「行くよ、小宮っ! ストリート・ファイトだよっ!」
 
 決闘? 記念となる初デートで、彼女の流血を見ることになるんだろうか、僕は。この場合の彼氏としての行動は、やはり止めるのが最上だろう。
 
「落ち着いて比奈さん。あの犬がその時のプードルって保証もないでしょ?」
「ううん! あたしには分かるもん! あの人を小馬鹿にした目はまさしくあの時のプードルだよ!」
 愛があってもお互いを理解するのは難しい、とこういう時つくづく思う。
 ごめん、比奈さん。僕には人を小馬鹿にする犬の目ってのがどんな目なのか分からない。
 
「なぁに? アナタ、うちのコに文句でもあるの?」
 突撃しようとする比奈さんを必死に宥めていると、当のご婦人が声をかけてきた。金色の眼鏡をかけた中年の女性だ。口紅の色が少々濃い気がする。
 触発されたのか、プードルを指差しながら一歩身を乗り出す比奈さん。
「その犬があたしを鼻で笑ったの、しっかとこの目で見たんだから! 謝れ犬ぅぅぅ!!」
 今にも掴みかからん勢いの肩を、腕で制する僕。僕の彼女はパワフルです、おじいちゃん。僕は彼女に勝てるのでしょうか。
「言いがかりはよしてちょうだい! 最近の若いコは教育がなってないわね、まったく!」
 ご婦人は鼻息も荒く言い捨てて、くるりと背中を向けた。
 謝ろうかと思ってたけど、今の言葉には納得がいかないので口を閉ざす。言いがかりと決め付け、教育不足のレッテルを貼るなんて一方的すぎると思う。
 比奈さんのお母さんは、とても子供思いのいい人だ。
 キッとその後ろ姿を睨みつける。その時、見た。
 ご婦人の後に続くプードルがこちらを振り返り、笑ってるとしか思えない目で「フンッ」と鼻を鳴らすのを。
 
 あ。なるほど。ああいう目なんだ。
 
「ムキィィィ! またバカにされたぁぁぁ!!」
 
 これは慰めようもない。確かに鼻で笑われた。
 比奈さんの頭をヨシヨシと撫で、怒りの鎮火に努める。通行人の視線が痛い。比奈さんは人の注目を集めるという特技があるのだ。
 たまにちょっぴり恥ずかしかったり……。
 でも、その恥ずかしさ以上に、喚いてる比奈さんも可愛いな、なんて思ってる僕はもっと恥ずかしい奴なのかもしれない。
 
「やっぱウチにあるプードルのぬいぐるみはしまっちゃおっかな〜。アイツを思い出すんだよね」
 なかなか怒りの冷めやらぬ比奈さんは、不機嫌も顕に腕組みして言った。
 ふと、彼女のぬいぐるみだらけの部屋が脳裏に浮かぶ。
「ぬいぐるみと本物は違うでしょ? 気にしないようにすればいいんじゃないかな?」
「う〜〜っ。そうなんだけど……プードルめぇぇ!! ホンモノ飼う時は絶対ダックスにするっ!!」
「本物の犬、飼いたいんだ?」
「うん、ペット、ずっと欲しかったから。犬ってなつきやすいでしょ?」
「世話が大変だよ。寿命も長いし」
「そこがいいの! いっぱいスキンシップできるじゃん!」
 比奈さんの言葉は、どことなく影を帯びていた。僕が勝手に感じてる影なんだけど。比奈さんに自覚はない。
「……今も、欲しいと思う?」
「うん! もっちろんだよ〜!」
 そう答える比奈さんの明るい笑顔が、僕の胸を疼かせる。
 
 ……今も、欲しいのか……。
 
 比奈さんの部屋のぬいぐるみ。
 部屋を覆い尽くすほどのそれらは、意味もなく集められたものじゃない。
 それは、比奈さんの心の淋しさを埋める役割を持っていた。
 
 小さい頃、比奈さんはお父さんを失った。離婚して家を出て行かれたのだ。
 まだ4歳だった女の子は、父親に置いていかれ、母親と二人きりの生活になった。
 それでもお母さんは優しい人で、比奈さんに沢山の愛情を注いだから。
 だから、彼女は明るくいい子に成長できたのだけど――
 お母さんのお仕事は、夜のお勤めだった。
 比奈さんは小学時代から、一人で夜を過ごすようになったのだ。
 淋しいと感じるのが当然の年齢、環境である。
 ぬいぐるみが彼女の淋しさを紛らわす夜の友達だったのは明白だ。
 それは、多少なりとも心を癒してくれただろう。
 
 でもぬいぐるみは愛情を返してはくれない。
 
 生き物の暖かさには及ばない。
 
 更なるふれあいを求めて、本物の犬を欲しがる比奈さん――
 
 その理由の裏にはそんな事情があり、僕には淋しさの顕れに見える。それが僕の胸を突く。
 
 ずっと傍にいる――と数日前、僕は言った。
 
 彼女の淋しさを埋めれる存在になりたかったから。
 
 彼女の”特別”になれるのが嬉しかった。
 
 彼女の傍にいたかった。
 
 今も思う。
 
 彼女の力になりたい――――
 
 心の底からそう思うのに。
 
 なのに。
 
 どうしたことだろう、この体たらくは。
 僕は、犬にさえ負けている。
 ちっとも比奈さんの力になれてないじゃないか。
 
 
「どうしたの、小宮? 早く行こうよ」
 道の先から呼ばれ、ハッと我に返る。
 そうだ。映画が始まってしまう。行かなきゃ。
 先行く比奈さんの後を慌てて追いかける。
 まずはデートに集中してから――。それから考えよう。
 
 
 
 4時間後、僕らはアイスクリームを食べていた。
 映画を観終わって、遅めの昼食を軽めに済ませて。
 そのままショッピングモールを探索。広すぎる建物の中をぶらついて疲れたので、アイスクリームショップで一息ついているところ。
 だけど休憩というよりは。
 
「小宮、はい、あ〜んして、あ〜ん!」
 
 ……これってもう、拷問に近い。
 
 クーラーのよく効いた店内で。冷たいものを食べているのに、僕はさっきから暑くて仕方なかった。
 周囲の視線を痛いほどに感じる。ごめんなさい。早く終わらせます。ごめんなさい。
 目の前に差し出されたアイスにも責められてる気がして、僕は心の底からいたたまれなかった。
 比奈さんは試すような目で僕を窺っている。「ノッてくれなきゃ愛を疑っちゃうぞ」と、はっきり声が聞こえてくる気がする。幻聴だけど、多分、幻聴じゃない。
 
 いけ。アイスを食べるだけだぞ。なにを躊躇ってるんだ、僕!
 
 己を奮い立たせるべく、握りこぶしの中で、親指を折れそうなほどに握り締める。
 さっさと済ませた方が楽になれるのに。そう分かってるのに。恥ずかしさが僕の身体機能を麻痺させる。脳も、心臓も、オーバーヒート状態で役立たずと化しているのはいつものことで。
 
 ……相変わらずだ、僕。
 
 深い自己嫌悪に囚われる。
 ガチガチ症――と比奈さんが呼んでるこの症状。緊張のあまり全身が硬直してしまうんだけど、僕の場合、女性に触れることでこれを発症する。
 
『ようは、女の子に慣れればいんだよ!』
 
 数ヶ月前。比奈さんはそう言って僕の特訓を開始した。
 手を繋ぐことから始まって。見つめ合うこと、肩を寄せ合うこと。デートみたいなことをして、経験値を積んでいき、キスや、高校生の交際ギリギリのところにまで踏み込んだ。
 僕のために、比奈さんは下着姿にまでなってくれたのだ。なるべく思い出さないように努めてるので、詳しい状況の説明は割愛させてもらうけど。
 
 要約すると、そのおかげでかなり症状は改善された、ということだ。
 かなり――そう『かなり』であって、完全ではない。完全に克服はできていない。
 僕は今でも女性に触れるのは苦手だし、例えそれが比奈さんであっても、手を繋ぐのを一瞬躊躇ってしまう。情けないことに、オーバーヒートが怖いのだ。
 意識しすぎだよ。おかしいよ。何年も何年もそう叱咤してるうちに、ますます強張るようになった体は、そう簡単にはほぐれてくれない。
 どころか、比奈さんと公認の仲になってから(どういうわけだか僕と比奈さんの気持ちが通じ合った翌日、クラスの全員がそのことを知ってて、お祝いの言葉をもらった)、時々症状が悪化することさえある。
 
”カノジョとなった比奈さん”、を意識しすぎなんだろう、とまでは解っている。
 
 だけど、恥ずかしくて固まる体はどうしようもないわけで。
 
 なんとか。なんとか。なんとか開け、僕の口――――!
 
 冷や汗が背中を伝う。
 比奈さんの視線は、真っ直ぐ僕に注がれたまま、微動だにしない。
 すねちゃうぞ。すねちゃうぞ。すねちゃうぞ――――うわぁぁぁやっぱり拷問だよこれ!
 
「……食べたくないんなら、ムリして食べなくてもいいよ、もう」
 
 そうこうするうちに、一番怖れていた事態がやってきた。
 沈んだ声と共に、離れていくスプーン。
 僕は慌てて追いかけ、それに食いついた。思考は一時中断し、視界はシャットアウト。
 こういう一瞬だけ、僕の羞恥心は遠くに飛んでいってくれるのだ。
 無くなるのは困るけど、もう少し小さくなって帰ってきてくれるといいのにな。
 
「小宮……。嬉しいけど遅いよ。ぶう」
 
 ええええええええええっ!?
 
 早さも要求されてたのか。僕はまだまだ女の子の心が分かってない。
「比奈さん、ごめん! 今度は早く食べるから!」
「もういいよーだ」
「ホントにごめん!」
「小宮にらぶらぶシチュ求めたのがいけないんだよね、どうせ」
 どうしよう。完璧にすねてる。
 僕は土下座せん勢いで謝った。
「頑張るから! 僕、もっと頑張ってガチガチ症、克服するから!」
「スキンシップはダックスとするもん。よしよし、もっとご飯食べる? クッキー♪ なんつって」
 まずいっ! 既に名前まで決まってる!
「えっと。あのっ。も、もっとアイス食べたいな。なんて」
 僕はこういうのが本当に下手だ。
 すねた女の子へのフォローとか。イツキ君ならもっと上手なんだろうな。いや、そもそもこういうミスはしないんだろう。
 今度イツキ君に女心をご教授願わなきゃ。
 
「おかわりはカルカンにする? それとも銀のスプーン? もう、食いしん坊さん☆」
 
 ああああ! 比奈さんがどこか遠くに行ってしまった!
 
 戻ってきて比奈さぁぁん!! 
 
 カルカンも銀のスプーンもキャットフードだからっ!!
 
 
「やぁ〜〜ん、美味しい〜〜っ!」
 
 その時。ひとつ向こうの席から、ワンオクターブくらい跳ね上がった声が聞こえてきた。
 
「もう一口! ね、もう一口ちょうだぁ〜い☆」
「わかったよ。はい、あ〜んして、マユ」
 優しそうな男性の声が、女性の甘え声に続く。凄い。思わず首をそちらに回してしまった。
「ん〜〜〜〜っ! レモン、すっぱくてサイコォ〜〜ッ! トオルくん、あたしのも食べるぅ?」
「うん、一口欲しいな」
「いっくらでも食べていいよぉ〜♪ ハイ、あ〜〜ん☆」
「あ〜〜ん」
 
 目のやり場に困る光景。っていうんだろうな、こういうの。
 なんていうか。天下無敵のカップルだ。
 あんなの、僕にはとても――
 と、ハッと気付いて前を向く。予想通り、比奈さんがジト、っと恨みがましい目でそのカップルを睨んでいた。
 強力な怨念オーラを漂わせて。チッとか舌打ちまで聞こえてきそうな気配だ。
 
 ……えっと。この顔はどういうことかというと……。
 
 羨ましい。
 
 だよな、きっと。羨ましいんだよな、やっぱり。
 
 はぁ……
 
 僕はため息を落とした。
 駄目だ。僕はまだまだ覚悟が足りない。
 彼女の望みに全力で応えてない。ちゃんと彼女と向き合えてない。
 そんな自分が情けないと、しみじみと感じる。
 
 しっかりしろ!
 
 彼女が一番望んでることは何だ?
 
 そんなの、分かりきったことじゃないか。
 
「……比奈さん」
「ん?」
 僕の呼びかけに振り返る比奈さんの前に、スプーンを差し出した。ライムのアイスとトッピングのチョコがのっている。
「はい、どうぞ。あ〜ん」
 顔から火が出るくらい恥ずかしいけど、なんとか羞恥心を乗り越えて言った。
「え……」
 一瞬、キョトンとする比奈さん。それからゆっくりと、嬉しそうに瞳を輝かせる。
「あ、ありがと小宮! えへ。えへへ〜〜♪ いっただきまぁ〜す。あ〜〜ん♪」
 比奈さんがぱくっとスプーンを咥える。その顔があんまり幸せそうで。可愛くて。
 比奈さんの口が離れた後も、手を引っ込めるのも忘れてぼーっと見惚れてしまった。
 
 ……僕は、思い違いをしてたのかもしれない。
 
 心が繋がっていれば大丈夫だと。
 それだけで、比奈さんは安心してくれると思い込んでいた。
 でもやっぱりそれだけじゃダメなんだ。
 繋がりが形にならないと、彼女の淋しさは埋まらない。愛情を態度で示さないと、不安は拭えないんだ。
 徐々に。徐々に、僕の決心は固まっていった。
 
「次はどこに行こっか〜?」
 アイスを食べ終えて店を出る比奈さんに声をかける。
「比奈さん。僕、行きたいところがあるんだけど。付き合ってもらってもいいかな?」
「ん? いいよ。どこ?」
 僕は振り返る比奈さんの手をぎゅっと握った。
 僅かに驚き、頬を赤く染める比奈さん。
 彼女の傍にいれたらいいな。
 あの笑顔を近くで見れたらいいな。
 ずっとそう思ってた。
 それが叶うなんて、本当に僕は幸せ者だ。
「すぐそこだから。行こうか」
 
 
 
 ショッピングモールの外に出て数分歩き。
「ここだよ」と僕が足を止めた場所。
 比奈さんはこれ以上ないってほど目を丸くし、ボカンと口を開けた。
 
「ここって……」
 
 微かに震える声で呟く。
 そんなに驚かれるとは思わなかった。
 表通りに面した、さして大きくもないお店。
 店の前には広告の旗が立てられ、見本品の陳列したワゴンが置かれている。
 僕が比奈さんを連れてきた場所は、携帯電話のショップだったのだ。比奈さんと同じDoCoMoの。
 
「僕、あんまり携帯のこと分からないから、比奈さんに選ぶの手伝って欲しいんだ」
 隣に立つ比奈さんの顔が僕を向く。
「え? 小宮、だってお父さんに反対されたって……」
「一度はね」
「大丈夫なの? 親の同意書がいるよ?」
「うん、だから今日すぐには買えないんだけど。機種を選んで、申し込み用紙をもらって帰るから」
「説得は……」
「実はもうしてあるんだ。僕が電話代を自分で払うってことで、なんとか許可をもらったんだよ」
「ええっ!? ホントに!? で、でも、電話代、どうやって払うの小宮!?」
「バイトで」
「バイト!? バイトするの!?」
「うん。もう働き先も決まってるんだ。新聞配達」
「なぁぁ〜〜〜〜っ!? いつ、いつ、いつのまにっ! 行動早すぎだよ小宮〜〜っ!」
 驚いた。比奈さんが勢いよく僕の胸に掴みかかってきたのだ。
 あれ? 責められてるのかな、僕?
 喜んでくれるかと思ったんだけど。
 
「バカ! あたし、もう諦めて……。でもやっぱり諦め切れなくて……。な、泣きそうだったんだから!」
「そんなに携帯を持って欲しかったの?」
「だ、だって。いつでも小宮と、すぐ繋がるって。携帯ならすぐ繋がるって。そ、そう思えば、夜も、安心できるから……」
 
 半分涙声で言う比奈さんの肩を、そっと抱き寄せた。
 ああ、やっぱり。比奈さんは我慢してたんだ。夜も傍にいて欲しい。ずっと言いたかっただろうに。僕の家に電話するのを遠慮して……。
 
 ごめんね、比奈さん。
 
 形あるものが全てじゃないけど。
 形のないものも大事だけど。
 僕らはまだ一緒に歩き出したばかり。
 足並みを揃えるまでは、ちぐはぐなのもしょうがない。
 君の不安が少しでも消えるのなら。
 繋がりをポケットに持ち歩こう。
 しっかり手を握って欲しい時は。
 いつでも鳴らしてくれるといい。
 必ず応えてみせるから――
 
「も、もうっ。泣いちゃったじゃん! ありがとって、タイミング、外しちゃったじゃん! うぅ〜〜っ。嬉しいんだよぅ。ホントに嬉しいんだよぅ〜」
「喜んでもらえて良かった。初デート記念になるかな?」
「なるっ! すんごいサプライズ・プレゼントだよ!」
「僕の買い物だからプレゼントには……」
「小宮があたしのために携帯持ってくれるコトがプレゼントなの!」
 そっか。そういうもんなのか。
「じゃあ入ろうか」
 僕は比奈さんを促して、店に入ろうと一歩を踏み出した。だけど大きく後ろに反り返る。
 比奈さんが背中から、僕の首に抱きついてきたからだ。
 
「小宮……大好きだよっ!」
  
 こ、この体勢で。耳元で。
 不意打ちだよ。平気でいられるはずがない。
 カーッと一気に体が熱くなる。
 頭が真っ白になって、力が抜けていく。
 ダメだ。
 比奈さんにはかなわないや。
 往来だと分かってるけど、どうしようもなくて、僕はへなへなと崩れ落ちる。
 だって。だって本当に可愛いんだ。
 わかっててやってるんだろうか、比奈さん。
 もう。
 
 そうして地面に座り込み、大いに通行の邪魔となるオブジェと化しながら、しみじみと幸せに浸ってしまう僕なのだった――
 
 
 ちなみにその後、回復した僕と比奈さんは、公園の散歩を最後に、無事、初デートを完了させた。
 比奈さんにねだられ、広葉樹の木陰でそっとキスもした。『ちゅーしたくてたまらないんだけど、いい?』なんて上目遣いに言われたら、ダメなんて言えるわけもないし。
 比奈さん曰く、これはファーストキスになるらしい。
 三回はしたと思うけど。
 
 携帯は次の週末に買いに行く。
 ストラップも選ぶ予定。
 しばらくは色々忙しい。
 ”初めて”はまだまだ沢山控えてるから。
 
 
 きっと。
 
 確かなものを手にしたい間は。
 
 そんなことを繰り返すんだろう。
 
 しばらくはそれでもいい。
 
 ちぐはぐな忙しさもまた楽しいんだ。
 
 だから比奈さん。
 
 なんでも言って。
 
 ついていけるように頑張るから。
 
 僕らの足並みが揃うまで。
 
 自然と歩けるようになるまで。
 
 僕が歩調を合わすから。
 
 
 だから。
 
 だから、あの花咲く笑顔を。
 
 僕が大好きな笑顔を。
 
 どうか。
 
 ずっと、絶やさないでいて欲しい――――
 
 
 
 それが、僕の幸せなんだ。
 
 比奈さん。
 
  
  
 
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