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遠くのガラシャ

作者:光太朗
 夢を見る。
 絢爛な着物に身を包み、無機質な能面を被った女の夢。
 漆黒の闇のなか、灯りの類は見当たらないのに、なぜか舞い散る桜が見える。
 女は、うつむきがちに、しかし確かにこちらを見つめている。
 ただじっと、見つめている。
 表情は読みとれない。深い悲しみを湛えているようにも、変わらない世を達観しているようにも、何か決意を秘めているようにも見える。
 桜が散る。
 空気が流れていくのに、女は微動だにしない。
 長い長い沈黙を経て、女がかすかに身じろぎする。そこでやっと、あたしはそれが作り物でなかったのだと知る。
 そうして、女の口が、告げる────


   *


 キーボードを六回叩いて、変換。
 自殺、と表れた二文字で、検索してみた。
 おびただしい数のページがずらりとヒットして、気分が悪くなってすぐに閉じた。 
 あたしは別に、馴れ合いたいわけじゃない。

「ねえ、愛菜」

 となりで、あたしと同じようにパソコンのディスプレイに向かっている奈津が、ごくさりげなく話しかけてきた。
 なんとなく、なにを聞かれるのかわかった。

「きた?」
「きた。一週間遅れたけど」

 予想どおりの会話。心配してくれてるのはわかってたから、すぐにいわなくちゃと思ってはいたけど。
 なんだか最近、いろんなことが、どうでもいい。
 あたしが立っている場所は、まるで柔らかな水面のようだ。その美しい外観からは魅力すら感じるのに、少しでも甘い顔を見せると、足下からあたしを取り込んでいく。少しずつ、少しずつ。身体も、心も、すべてを蝕んでいく。
 感覚が、にぶっていく。
 予定日よりもきっちり七日遅れてやって来た、女の子の定例行事は、いつものようにあたしを安心させるでもなく、もちろん、落胆させるわけでもなかった。
 そんなものか、とぼんやりと思った。
 結局、あたしが行動に出ないことには、思い知らせてやることはできないのだ。

「愛菜さ。もう、やめなよ」
「うん」
「望みないよ」
「うん」

 うなずく。反論する気などない。
 奈津の言葉は、正しい。あたしだって、わかっている。
 チャイムが鳴り響いて、続きはまた明日、と先生の声。形ばかりの挨拶をして、制服の群れがパソコンルームをあとにする。もう、授業はこれで最後だ。あたしは施錠を買って出て、引き続きこの部屋を貸してもらうことにした。

「熱心だねぇ。歴史の発表なんてさ、適当にやればいいじゃん。悪いけど、わたしは部活行くよ」
「どーぞ。ちょっといろいろ見てみたいだけだよ。心配しなくても、ひとりで発表の準備進めるような奇跡は起こらないから」
「……ちょっと期待したのに」

 おどけて、奈津が笑う。あたしも笑った。
 幸せ、だったのかもしれない、毎日。
 あたしはきっと、それを認識するべきだった。
 こんなうしろ向きの決意を、するのではなく。
 じゃあね、と手を振って、奈津が出て行く。
 さっきまでは、熱気さえ感じるほどの人口密度だったパソコンルームに、あたしひとり。
 いまどき、どこのご家庭にもないような、旧式のディスプレイ。検索ページと見つめ合って、あたしは、ぼんやりと考えた。
 いますぐに、ありとあらゆる掲示板に、彼のやったことすべてを暴露したらどうなるだろう。
 もっと手っ取り早く、教育委員会に電話してやるとか。ううん、校長先生にいったっていいのかもしれない。どうせ、あたしにはもう、関係なくなる。
 笑みが漏れた。
 なんて馬鹿馬鹿しい。
 オトナたちは、どうせ、コドモのいたずらで終わらせてしまうのだ。思い知らせるには、それ相応の代償が必要だ。
 恨んでいるから、ではない。
 たぶん、愛していたから。
 まだ、決行するには、早い。もっと遅く、生徒たちが帰ってしまったあとがいい。カバンに忍ばせてある遺書を置いて、屋上から飛び降りる。それだけだ。きっと、本当に、それだけのことだ。
 あたしは、目を閉じた。
 ごめんなさい、という気持ちは、ある。けれど、それももう、よくわからない。
 悲しいのかもしれない。泣きたいのかもしれない。憤っているのかもしれない。憎んでいるのかもしれない。あるいは、そのどれでもないのかもしれない。
 ひどく凪いでいた。
 きっと、あたしのなかのなにかを突き抜けてしまって、ゲージがフルを超えた状態になってしまって、気持ちが追いつかないのだろうと、そう思った。
 奥さん以外にはあたしだけなんて、そんなの、信じていたわけじゃない。そもそも、大前提がすでに二番手だ。笑い話にもならない。
 ほかの彼女に、あたしのことをおもしろおかしく吹聴していたことだって、それがいまさら、ダメージだったわけじゃない。しょせん、遊ばれていただけだ。わかっていたはずだ。
 そうだ。
 本当は、ぜんぶ、知っていた。
 わかっていた。
 何を期待していたんだろう。
 愚かなのは、彼じゃない。
 あたしだ。

 目を開けると、スクリーンセーバーに切り替わった画面に、あたしの顔が映っていた。
 ひどい顔だ。能面のような、感情のない顔。
 ──ふと、思い出した。
 夢に見る、あの女。
 去年だっただろうか。やはり、今日のように、発表のための題材を探そうと、こうしてパソコンに向かっていた。そのとき、偶然見つけた画像だ。

「ガラシャ」

 ぽつり、と呟いた。
 そうだ、ガラシャだ。もうほとんど忘れてしまったけれど、たしか、明智光秀の娘、細川ガラシャ。不遇のなか、自ら死を選んだという。
 あたしはとりつかれたように、キーボードを叩いた。検索結果の上から順に、ひとつひとつ、ページを開いていく。もしかしたら、もう、見つからないかもしれないけれど。
 思い残すことがあるとしたら、これしかないという気分だった。

「あった……」

 信じられない思いで、あたしはディスプレイに見入った。
 それは、夢に出てくるのとまったく同じ、女の姿だった。
 夢よりも鮮明に、こちらを見つめている。いまにも、動き出しそうだ。
 画像の下には、辞世の句が記されていた。
 死を直前にして、詠んだ歌。
 あたしは、息を飲んだ。




 携帯電話を取り出した。ロックを解除して、ためらわずに発信。三度目で、やっと彼が出た。
 十数分、そのまま待つ。やがてパソコンルームのドアが開いて、彼が入ってきた。
 スーツにネクタイ、それに眼鏡。外見だけなら真面目を絵に描いたような、ひょろりと背の高い数学教師。

「なにか、質問か?」

 白々しいにも程がある。二人きりだというのに。
 けれど、ここは校内だ。あたしも、のってやることにした。

「ねえ、先生。昨日の夕食って、覚えてる?」
「……夕食? それが質問か?」
「答えてよ」

 彼は、ちょっと不機嫌そうな顔をした。それはそうだろう、わざわざ呼び出して、する話ではない。そんなことは、重々承知だ。

「なんだったかな。ああ、ラーメンだ。遅くなったから、出前で」
「じゃあ、一昨日は?」
「……トンカツかな」
「その前」
「中華」
「その前は」
「勘弁してくれ。もう限界だ」

 彼は両手をあげた。そもそも、本気で思い出そうという気がないのだろう。
 あたしは、思わず笑ってしまった。
 四日前の夕食で、もうお手上げなのだ。
 数多のなかの一人の女、しかも乳臭いガキなど、たとえそれが命を絶ったところで、彼の心にいつまでとどまっていられるというのか。
 しょせん、ささやかな痛みにしかならないのなら。やがて、癒えてしまうというのなら。
 命を賭すことでは、決して、ない。
 あたしは、水面にたゆたう葉ではないのだ。
 生きている、歩いている、考えている。
 死するときを、自分で決めてこそ。

「先生」

 あたしは、カバンを肩から提げた。とん、とイスから降りて、背だけは妙に高い彼を見上げる。
 どこか清々しい気持ちで、きっぱりと告げた。

「あたし、もう先生と、会いません」



 パソコンルームをあとにするあたしのうしろ姿を、パソコンのディスプレイが見ている。
 まだまだずっと、遠くのガラシャが、静かにあたしに、告げている。




 ──ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ









  
読んでいただき、ありがとうございました。

これは、乙麻呂先生にいただいたイラストに物語を加えさせていただいたものです。
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・HP・ 小説、イラスト、blog等々。
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