「仙台管区気象台は本日午前十時三十分、岩手県北上地方に豪雪暴風雪警報を発令しました」
防災無線放送が途切れ途切れに聞こえてくる。絶え間なく降り続ける細かな雪が強風に煽られ、地吹雪となり2m先も見えぬ。シベリアの猛烈な寒気団が張り出し、気温は既に零下二十度を下回っている。ごオうっ。ごォうっ。街から全く人影は途絶え、家家の雨戸は固く閉じられている。一弥は今日麗奈と街で逢おうと約束していたが、この猛烈な吹雪に恐れをなし、少し風邪気味なので寝床に入ったまま。
「この天気じゃ、身体の弱い麗奈もきっと休んでいるだろう。電車も動いていねえし・・」
麗奈の家では母親の怒鳴る声が聞こえる。
「麗ちゃん。ダメだ。外見てご覧。物凄い嵐だよ。出たら凍え死んじゃう寒さだ。五十年も生きてきたが、こんなひでえ吹雪は初めてだ」
「わたし行く。だって大好きな一弥と逢う約束だ。死んでも行く」
やめろ、やめろと必死に留める母親の手を振り切って麗奈は一歩外に出た。厚手のセーターを重ね着し、ゴアテックスの綿入れ防寒ヤッケ、フードを目深に被り、ストッキング、ズボン、防寒靴下、スノーブーツの重装備。強烈な冷気が二重に嵌めた手袋から全身に這い上がってくる。勇気を奮って一歩又一歩と歩を進める。吹き飛ばされそうだ。ブーツは深く雪に没し、必死で辺りの木や柵につかまり、這うように進む。一弥に逢いたい、一弥に逢いたい、その一心で何とか倒れず、懸命に歩く。この先は××峠の難所。今麗奈は両手を漕ぐように雪を掻き分けて、じりっ、じりっ、と僅かずつ峠を上って行く。顔を突き刺す雪つぶてで目が開けていられない。頑張れ、もう少し、もう少しだ。麗奈の身体は雪にまみれ、全身真っ白。何時間たったろう・・・まだ死んでいない。朦朧として、何とか一弥の家の門前に這い寄ったのは、出発の五時間後の午後四時。どさっというただならぬ音で、雨戸を全て締め切って、立てこもっていた一弥の父親も、そっと戸を開いて外を見る。門の前に赤いヤッケの少女が倒れている。
「た、タイヘンだぁ。行き倒れだぁ、みんな外に出ろ!助けるんだ!」
驚いて全員が吹雪の中に出、少女を抱きかかえて家の中まで運んだ。
「うわぁっ!!れ、れ、麗奈でねえか!おめ、なしてこんな豪雪の中やってきたんだぁ!」
麗奈は死んだように冷たく、動かない。
「一弥!医者だ!医者だぁ!半鐘ならせ!」
門前の望楼に決死の表情でよじ登った一弥は、狂ったように半鐘を打ち鳴らす。緊急を告げる早打ち。かん、かん、かん、かん。かん、かん、かん、かん。何があっても駆けつけなければならぬ、緊急半鐘が鳴っている。村人は急を聞き、次々と集まってくる。
「皆の衆。てえへんなことが起きた!隣村の麗奈がウチの門前で行き倒れた!医者が来られるよう、医院までの道、踏み固めてくれ!弥ェ門、一生のおねげえだぁ!!」
「よっしゃぁ!やるぞ!皆つかまって雪バ踏むんだぁ!」
「よいしょ、よいしょ、よいしょ!!」数十人の屈強な村人が闇雲に雪を踏み固め、踏み固めていく。三十分後、医者の家までの道がどうやらつけられ、一人が医者を負ぶって駈ける。次々おぶり手が交代。やっと医者が一弥宅にたどり着いたのは、麗奈発見の四十五分もたったころ。震える手で聴診器を麗奈にあてた医師は一言。
「いかん。肺炎を起こしとる。凍死寸前だ。とても俺の手にはおえん」
「じ、自衛隊だ!自衛隊に頼むしかねえ!」
自衛隊東北方面部八戸航空隊長、秋山大佐はけたたましくなる電話はうるさそうにとった。
「閣下。江釣子の伊藤殿から緊急要請がありました」
「なにっ!元師団長の伊藤閣下からか?」
「そうであります。病人の搬送要請であります」
「秋山大佐である。伊藤閣下でありますか?」
「左様。ワシの息子の恋人が凍死寸前だ。至急ヘリを寄越し、東北大学病院まで運んでくれ」
「イヤ、いくら閣下のたっての願いでありましても、この気象条件ではヘリは飛ばせません」
「ばかものっ!貴様はいつも特攻隊生き残りの命知らずの隊員がいると自慢していたではないかっ!レンジャー部隊を出すんだ。死ぬ気でやれっ!」
「は、はっ!ただちに飛ばせます」
いきなりレンジャー部隊航空機要員隊舎に総員集合のラッパが吹き鳴らされる。
「げっ!団長大佐殿のお出ましだ。なにごとだんべ?」
「総員!整列!頭右っ!」
「これより名前を挙げるもの、直ちに飛行準備にかかれっ!反論は一切無用である。石原大尉。勝又中尉。石山軍曹。マイケル二等兵。それと大坂看護士長。以上!」
「じ、自分には妻も子供もいるのであります。斯様な悪天候でヘリは飛ばせません」
「元師団長閣下の厳命である。特攻精神でいけ!かかれっ!」
格納庫では整備員の手で既にLR-1が暖機運転を開始、シャッターが開けられると、猛烈な吹雪が舞い込んでくる。完全武装で身を固めた特命を受けた五名の隊員がヘリに搭乗。皆レンジャーバッジをつけたつわもの揃い。嵐の中ヘリはふらつきながら飛び立って一路江釣子村、伊藤閣下宅前の田圃に向かう。嵐の影響を極力避ける驚くべき超低空飛行だ。何度も失速し墜落寸前となるが、荒天飛行の達人、マイケル二等兵の素晴らしい操縦で十五分後、無事田圃に降り立てる。
「やったぁ!すごいぜ!」
「は、早く病人と付き添いの一弥を運び込め」
「病人は担架に乗せろ。看護士長。ヴァイタルチェック!」
「心拍半停止!体温二十五度、脈拍二十三.危険な状態であります。カンフル打ちます。中尉。ぼさっとしてないで心臓マッサージ!カルーテル挿入!デリブリン20ミリグラム!」
ブルン、ブルンブルン。ごわ〜っ!轟音と吹き上げる雪煙、真っ白になったヘリは飛び上がる。
「管制塔。こちらLR-1只今、和賀岳上空!これより東北大学病院に向かう」
「自衛隊管制塔了解。注意して飛行せよ。荒天がひどい」
「LR-1了解」
ブーブーブー。緊急警報が鳴る。突風に煽られ、機体が急速に傾き、失速。
「メーデー、メーデー、メーデー、LR-1失速!墜落する」
「後発機を救援に向かわせる。乗員乗客は無事か?」
・ ・・・・、・・・・・
「連絡が途絶えた・・・」
機体は激しく和賀岳中腹の山林に突っ込む。雪のため大破を免れる。
「勝又ぁ!石山ぁ!マイケルウ!大坂ぁ!伊藤殿ォ!皆無事なのかぁ?」
「大丈夫であります。二名が骨折した他、全員無事であります。病人も奇跡的に生きております!」
「さぶつ!さぶいっ!皆凍え死んじまうぞ。固まって暖を取れ!歌歌え!」
全員が一塊となって、大声で江釣子音頭を歌う。がさっ!がさっ!がさっ!目の前の笹薮が雪を払って、姿を表すと同時に、体長3・5メートルにも達する獰猛な羆がのそっと、餌の人間を見つけて、立ち上がって咆哮する。がおっ!がおっ!
「げっ!熊だ。羆だぁ!ナンマイダブ、ナンマイダブ。助けてけれっ!」
がばっと恐ろしい形相で羆に立ち向かったのは、勇猛な自衛隊員ではなく、なんと一弥だ!手には家から、もしもの時にと持ってきた鋭利な大鎌。
「がおォ!」
「くらえ!」
一弥は渾身の力を振り絞って、鍛えに鍛えた黄金の腕で、真っ向から大鎌を振り下ろす。
「一弥。頑張れ。頑張れ。頑張れ」
羆は簡単に仕留められはしない。激しく巨大な爪を振って、一弥を追い詰める。咆哮を繰り返す熊の口は真っ赤。がおっ、がおっ!負けじと一弥、振り下ろし、斜め上に、袈裟懸けに、眼暗滅法に次々に大鎌を振る。一弥の眼はランランと輝きまるで野獣のようだ。
「たぁー!」
「一弥。頑張れ。頑張れ。頑張れ」
一撃が見事、羆の喉笛を掻き切る。
「わぁっ!一弥勝った、勝った、勝った、勝った、勝った。一弥仕留めた。一弥勝った。勝った、勝った」
さしもの大羆も縦横無尽に振り回す大鎌に切り刻まれ、とうとう命を絶つ。皆泣いている。そう、助かったのだ。ヘリの爆音が近づいてくる。救援ヘリだ。どうやら吹雪も一段落。幾分小降りとなる。
「救援ヘリに向かい敬礼っ!ささげ銃っ!」
救援ヘリは上空でホバリングし、ロープで次々病人、一弥、大坂看護士長を吊り上げる。
「他のものはそこで待機。直ぐに別のヘリが到着する」
「おうっ。頑張れよォ。俺たちはあとから駆けつける。一弥。オメは真の勇者だ。今までチキンだ、ピータンだなどとからかって来た俺たちが恥ずかしい」
ものの30分もかからず救援ヘリは東北大学病院屋上ヘリポートに到着。急ぎ麗奈を緊急救命センターに移送。運良く当直の山口理恵医学部教授が当直で、自ら診察に当たる。
「まずいわ。チアノーゼ反応!瞳孔拡大。大坂看護士!付いてきてっ!緊急オペだ!オペ室確保!ノルアドレナリン1・5、プロミタール20!気道確保!急いで!」
「さすが当代一の外科医だ。やることが早い」
走りながらオペ室に入る。即座にオペ開始。輸血。人工心肺が取り付けられる。手術室の前では、一弥が落ち着かない様子で廊下を行ったり来たり。暫くすると新幹線が開通したのか、弥ェ門、おっかあ、おばば、自衛隊隊員達がやってくる。
「神様、仏様、キリスト様、アラーの神様、どうぞ麗奈の命を助けてください。お願いします。お願いします。お願いします。」
「ありゃっ!そちらにおられるのは秋山大佐ではありませんか?」
「いかにも、秋山である。自分の恋人理恵が執刀すると聞き及んで、急ぎやってまいった。一弥君とか申したな?安心せい。我が理恵は世界一の外科医だ。彼女の手がけた手術は全て成功しておる。それと大坂看護士は隊一番の優秀な隊員である。理恵と由貴江が組んでいる。もう大丈夫だ」
ジリジリと5時間が経過する。祈りながら待っている皆。その時手術室の赤ランプが消えた。手術が終了したのだ。山口教授が出てくる。
「ど、ど、どうでしたか?」
「一弥さん。手術は成功しました。胸の切開のあとは1月で完全に消えますよ」
「わあっ!」
大歓声があがる。拍手。拍手。
「理恵。良くやった。流石だ」
「あら、秋山大佐。来てくれたの?麗奈ちゃんは今、回復室ですが、明日には一般病棟に入れます。特別室を開けていますよ」
「有難いことでございます」
「伊藤閣下。このたびはご苦労様です。しかし、閣下の息子さんの一弥君は大した男ですな。隊員は皆驚いております。あの凶暴な羆に一人で立ち向かい、一撃で屠ったンですから。閣下のご嫡男だけのことはある」
「秋山。この度は世話をかけた。山口先生。有難うございます。大坂看護士、良く尽くしてくれました。隊員の皆様も」
次の日、特別室のベッドの傍らで、一弥が泣いている。
「麗奈ぁ!オメはなしてこんなに可愛いンだ。好きだよォもう絶対離さねえ」
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