〃 (3)
「ちょっと!!」
少女が一喝する。
「一体どういうつもりだ!? こんな遠くまで連れてきて何が目的だ!?」
「しがみついていないと、振り落とされるぜ?」
「こんな所に乗っているより、振り落とされた方がマシだ!」
「減らず口の多いお嬢様だ。遠乗りは趣味の一環だって言ってたじゃないか。最高だろう?」
「馬鹿か?」
「そうか、そんなに嬉しいか。光栄だ」
「ふざけるなっ! 今すぐ降ろせっ! お嬢様って言うなっ! 女扱いするなっ!」
「注文の多い奴だな…わかったよ」
突然オルハーが手綱を引いて、愛馬を止める。
そして、トゥインガの腕を引っ張って、馬からずり落とした。
「うわ…わわっ!!」
バシャ----ン……!!
「馬鹿野郎----っっ!! 本当に降ろすことないだろ!! 何でよりによって水たまりなんだ!?」
お陰で尻餅をついた下半身はびしょぬれになってしまった。
「お前、女扱いするなと言ったよな?」
「あ、ああ、言ったが…それがどうした?」
「じゃあ、服を脱げ」
「はぁっ!?」
「男同士だと言うのなら、別に構わんだろう?」
トゥインガの開いた口がふさがらない。そして徐々に顔に熱が上昇してくる。
「なな何でわざわざ脱がなければならないんだ!?」
「そのままでいれば風邪をひくぞ。まぁ、今ここで脱げないと言うのであれば、
やはりお前は男になり切れていない、口だけの中途半端な奴だと受け取るがな」
「う……」
動揺する少女は、言葉に詰まった。
オルハーは真顔で、しかし内心ニヤニヤしながら彼女の返答を待った。
「い、いいだろう! べっ、別にっ、み、見られるくらいならっ、か、構わ…ない」
「----ほぉ、いい心がけだ。但し、後ろ向きではなくちゃんと前を向いて脱げよ」
「ううるさいっ! わかったから黙ってろっ!」
ドクンドクン……。鼓動が高鳴る。
生まれてからこの十六年、まさかこんな形で、しかもこんな男の前で肌をさらすことになろうとは…。
腹が立つが、今はプライドの方が強い。たかが体を見られるくらい何ともないはずだ。
だが、何故か泣きたくなった。手が急に震え出す。しかし負けたくない。
トゥインガはとにかく負けず嫌いだった。
オルハーは、馬上から見下ろす形で片手でほお杖をついて見つめている。
何故か、胸がズキンと痛む。
「くっ……」
----もしこれが王子ではなく他の男だったら、自分はこんなことを自らしたであろうか…?
そんなことを考えながら、甲冑をはずしにかかるが、
そう考えると急に恥ずかしくなり、ためらってしまう。
それでも何とか震える手でそれを地面に置くと、そこには甲冑の上からはわかり兼ねる、
小柄で華奢な少女が現れた。
鎖帷子を身にまとっていたが、男物とは異なり明らかに小さめで軽そうだった。
しかしそれを肌に直接着ていたのか、少女の体のラインがうっすら形を成していた。
トゥインガは覚悟を決めて、最後の一枚を両手でめくり上げようと手をかけた。
その時----
「----もういい……俺はガキを陵辱する趣味はない」
「もうしてる!! ガキ扱いもするな!!」
無意識で涙目になっていた少女に罪悪感を感じたのか、オルハーは視線を反らした。
そして自分の肩からマントをはずして、トゥインガに放り投げたが、彼女はすぐに投げ返してきた。
「お前な…、脱ぐならもうちょっと胸肉を付けてからにしろ。そんな貧相な体を見せられて、
相手は興醒めするだけだ----俺の身にもなってみろ、全く」
「あんたってばやっぱり底なしの最低だわっ!! この大馬鹿最低ドスケベ王子!!」
トゥインガはプッツンと切れて叫んだ。彼女は切れると、女言葉に戻ってしまう。
その他にも父親の前では、素に戻って女言葉になるらしい。
本人はそのことを自覚していない。
「意思だけは普通の女以上にあることは認めよう。
だが、いくらこのご時世とは言え、無理に心まで武装して強がらなくてもいいだろうに」
オルハーが意外に優しく呟くが、トゥインガは何も言い返してこなかった。
「王子!! どこ行ってたのですか!?」
ザッハンが先程と同じ場所で待っていた。
だが、暗い顔でうつむいたままの下半身が濡れた状態の公女を見て、ザッハンはうろたえた。
「トゥインガ様!! 申し訳ありません!! 王子の失態は私が謝ります!!」
そう言って、馬上の無言の少女に手を差し伸べるが、トゥインガはザッハンの手でさえも払いのける。
そして馬から自分で降りると、ズカズカと大股でリーゲル低の方へ歩いて行く。
「風邪をひかないようにな。男爵にも宜しく」
楽しげにオルハーが言うと、トゥインガの足が止まった。
「大馬鹿最低ドスケベ王子に宜しくされたくないわっ!!」
「最低だの馬鹿だのと言う言葉は、俺にとっては最高の誉め言葉だ」
「馬鹿じゃない!?」
「----光栄だ」
「あんた、一度医者に頭ん中見てもらいなさいよ!
腐り切ったその脳ミソに、絶対ハエがブンブブンたかっているから!」
トゥインガは、「ふん!」とふん反り返って歩き出すと、もう相手にはしなかった。
「面白い奴だ」
「王子…あなたって人は…。一体何をなさったんですか? まさか、本当にお戯れを…?」
「ああ、お陰であんなに機嫌がいい。馬より元気だった」
それ以上ザッハンも、トゥインガ同様オルハーを相手にすることはなかった。
*
自分の部屋に戻り、着替えを済ませたトゥインガは、すぐさまメレクシールのいるであろう貯蔵庫へ向かった。
八つ当たりとも言うが、自分の父親にオルハーの文句をぶつけるためである。
彼女の怒りはおさまらなかった。むしろ時間が経つに連れ、煮え繰り返していた。
「お父様!! この屈辱をどこでどう晴らせばいい!?」
勢いよく貯蔵庫の古い扉を開いたために、腐りかけたその扉がはずれそうになったが、
間一髪、トゥインガが支え直した。
奥で、メレクシールがブドウ酒の瓶を手に取って肩を落としていた。
思わず、トゥインガの怒りも静まり、彼女は父親の隣りに歩を進めた。
「ブドウ酒が…、どうかしたの?」
怪訝そうにトゥインガが訊くが、メレクシールはため息をついて首を横に振った。
「----これは、ここ数年の不作と人手不足が続いた時のブドウ酒だ。
味も見た目も数年前と比べてまるで駄目だ。ブドウ酒造りももう終わりかもしれん…。
皇帝から屋敷と土地を戴いたお礼としてブドウ酒を造ってきたが…、もう限界だ」
「そんな! 皇帝にお願いして何とかしてもらいましょうよ。
それが駄目なら、シスカ城に行って----ううん、あの馬鹿王子の所はいいわ」
実は今まで酒場や城や貴族たちに、売ったり献上して礼賛されてきたブドウ酒は、
数年前に造られたブドウ酒ばかりだった。ここ数年のは、全くといっていいほど味が落ちていて、
それはほとんど出回らずにこの貯蔵庫に保管したままでいた。
酒に疎いトゥインガでさえ、味が落ちていることは何となくわかっていた。
最下位とは言えメレクシールは、男爵の称号を得た貴族であったが、力のない彼はどんどん落ちぶれていった。
オルハーの言っていた『タヌキ親父』とは、数年前までの男爵の姿を指してもいて、当時はでっぷりとした体躯であった。
今ではかつての半分に痩せ細り、その異名に似つかわしくないまでに様変わりしてしまった。
トゥインガの母であり、男爵の妻である夫人はトゥインガが小さい頃に病死しており、何人かいた使用人や侍女たちも、今や侍女が一人だけとなってしまった。
「----冷酷だが私には優しかった以前の皇帝は、もうとっくに亡くなられてしまわれた。
史上最も冷酷だと早くもささやかれている現皇帝には、とても私からは頼めない……」
ベモンドル皇帝が逝去してはや半年が過ぎていた。
今は、第一皇子のガイン皇帝が跡を継いでいるが、傍若無人で強行的な態度と政治のやり方に、
非難の声も既に挙がっていた。
「やはり呪われているのかしら…? ここは昔、伝説の女神ジブエが降り立った地とされているけれど、
同時に不可解なことが起きるって噂も誰かに聞いたことがあるの。
だから修道院もうちも廃れて行ったのよ。きっとそうよ、呪われているんだわ!」
その昔、ここにはこの周辺一帯で信仰されているジブエ神が降り立った伝説の地であると言われていた。
それ以上の詳細を知る者は、今ではほとんど皆無であったが、
小さいながらもそれを熱心に信仰するスモンジェルダン派の修道院がここに建てられていた。
そして、たった数年で修道士たちは原因不明で病死したりして激減し、その内無人となり廃墟と化した。
「でも実は、ここには凄いお宝が眠っていたりして。そして私は、さらわれた大金持ちの娘だったとか……」
「私にさらわれてきたとでも言うのかね? あはは、残念だったな。お前は間違いなく私の子だ。
それに私はそういう迷信は信じないよ。昔は疫病がはやって何万人もの人が死ぬのも珍しくなかったからね。
----ところで、何か用でもあったのかい? さっき扉がはずれるほど勢いよく開けて入ってきたようだったが…」
ふさぎこんでいたメレクシールが、ようやく想像力逞しい娘に意識を向けたので、
トゥインガもハッとして再び怒りを再燃させる。
「そうよお父様!! あのオルハーって王子は、一体全体どういう教育をしてきたの!?
何であんなろくでなしの最低馬鹿王子とこの私が婚約なんてしているの!?
一体誰が決めたの!?」
憤慨する娘を見て、父親はキョトンとする。
彼女は尚も言い続ける。
「そりゃ確かに、私がお金持ちの家に嫁げばお父様だって苦労しなくて済むけど、
だからと言って、何で隣りの馬鹿王子となの!?
ガイン皇帝との方が、同国だし面識もあってふさわしいじゃない!!」
「トゥインガ、お前…、さっきから何を恐れ多いことを言っているんだ?
オルハー王子の婚約者はお前ではないし、他にちゃんといるぞ?」
「----え……?」
トゥインガの心と体は、一瞬で凍りついた。
「だ、だって、昔お父様が私に、隣りのオルハー王子は婚約者だって言ってたじゃない!?」
「それはお前の聞き違いだ。うちも金持ちだったら、お前も花嫁候補に選ばれたかもしれんなと言ったまでだ。
こんな没落貴族のその娘が、王子や皇帝に相手にされると思っていたのか? されるわけがなかろう!
第一、そんな勇ましい暴力的な娘を、誰が妃にしたいと思う?
…お前も少しは女らしくするんだな----無駄だと思うがな」
最後の言葉に引っ掛かりを覚えたが、それよりもトゥインガは、信じられないといった顔になっていた。
そして、突然父親の胸倉を両手で掴んで揺さぶった。
「王子の婚約者って…、誰っ!? 誰なのっ!?」
物凄い形相に、父であるメレクシールもタジタジとなる。
「げ…現皇帝の妹君、ブロー二ア皇女だ…。く、苦し…、親を殺す気か!?」
トゥインガの顔が一気に蒼白し、父親をパッと放してよろめいた。
「----あ、あの美女で名高いブローニア様と……? あ、悪夢だわ……」
ショックを隠し切れないトゥインガは、頭の中が真っ白になっていたものの、何故かジワジワと怒りがこみ上げていた。
皇女がオルハーの婚約者にはふさわしくないと思ったのは確かだったのだが、
それ以上にこの五年、自分は、黒い森を挟んだ隣りの国の王子の婚約者だと、不本意ながらも信じ続けていた。
それが今では、自分だけが勝手に思いこんでいた勘違いだったと知り、
自分のあまりのふがいなさに恥ずかしいのと情けないのと悔しいのとがごっちゃになり、
多感な少女は、それから数日間寝込んでしまった------。
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