第一章 (2)
「おいザッハン、何してる!? はやく出てこなければ今すぐ埋めてしまうぞ!」
しびれを切らして苛立ち、オルハーは抜け穴を覗き込んで叫んだ。
「い、今出ますからっ!」
いつもは難なく城を抜け出すオルハーが今日に限って手こずっているのも、ザッハンがいたからであった。
オルハーにしてみれば、脱走は日常的な行動であったため不慣れなザッハンに息巻くのも無理はない。
「はぁ…、ここに出るというわけですか。でもいつの間にこんなものを掘っていたのですか? 結構な距離ですよこれ」
城を取り囲む分厚い城壁の一角に、大人一人がようやく通り抜けることができる小さな穴が見えていた。
当初は、崩れかけた小さな穴に過ぎなかったが、目ざとくそこに目をつけたオルハーが、
その真下に穴を掘って城外まで道を作ったようである。
シスカ国の王城でもあるシスカ城は、広大な黒い森・シェルドによってぐるりと周囲を取り囲まれている。
誰に侵入されてもおかしくはない危険性を孕んでいたが、その抜け穴は、岩や草木に隠れていたし、
城の中庭からは、至る所に配置されてある銅像やアンティーク物の陰にあるので、
未だ誰にも見つかった形跡はなかった。
「ここの城の輩は、実にドン臭い間抜けな集団だな。この穴から侵入者が入って来たらどうする?」
「侵入し易くしているのは王子でしょうが! 後でこの抜け穴は埋めさせていただきますからね!
全く悪知恵だけは働くんだから…」
衣服についた土ぼこりを、両手で払い落としながら呆れるザッハンには見向きせず、
オルハーは抜け穴を岩でふさいだ。
「ドン臭い間抜けな輩がここにもいたか。俺を甘く見くびり過ぎだぞお前。
抜け穴候補は他にもあり、以後も続々計画中だ。心配には及ばん!」
「自分の城を崩壊させる気ですか!?」
オルハー王子は新たに何かを企んでいるのか、ニヤニヤしていた。
第十一代シスカ国王アンモスの嫡子にして、次代の王に君臨すべく運命に投ぜられるであろうオルハーこと、
オルハルト・二トゥワイレ・プロツェロワーツェス。
度々城を抜け出しては、臣下に心配をかける迷惑極まりない王子。
大した問題を抱えてこないためまだ救われるものの、仮にも王子なのである。
そんな軽率な行動が許されるはずもなく、それでも、
「城にいたくない。王位継承権も欲しけりゃくれてやる」
などと躊躇なく目前で告げられてしまえば、誰もがひるんでしまう。
しかもこのわがまま王子は、本心から口にするから質が悪い。
「護衛も不要。但しザッハンだけは構わない」
という勝手な条件にも呆れたアンモス王は、
もはや好きにさせておけと匙を投げているのだった。
----この国の将来は、一体どうなってしまうのだろうか…?
ザッハンの苦悩は続いていた。
*
今から五年前の、十三歳になってちょうど半年が過ぎた頃、ザッハンは使用人としてこの城にやって来た。
馬の世話係となった彼は、生まれつき片足が弱く、びっこを引いて歩きはするものの、仕事に支障はなかった。
周囲から、同い年のわがまま王子にちょっかいを出されないよう気をつけろと忠告されていたものの、
一週間が経って、二週間が過ぎても、王子と会うことは元より見かけることすら全くなかった。
おかしいと思い、ザッハンは同じ馬番の一人に聞けば、「王子は只今、家出中並びに消息不明」と返されてきた。
それを耳にし、開いた口がふさがらないザッハンだったが、長年城に仕える者から見れば、
珍しくもないいつものことだと言われて更に驚いた。
…というよりも脱力した。
しかしある日、ザッハンの不注意で、ぶつかった勢いで馬を興奮させ、
城の重鎮の一人・パロウ老に軽い怪我をさせてしまった。
良くて追放、悪くて死罪となってもおかしくなかったのだが、
どこからともなく飄々と現れた王子の一言によってザッハンは救われることとなる。
「実は俺がそいつに頼んでやったことだ。一度パロウ老を、馬に蹴ってもらいたかったからな」
「----え…」
思わぬ事態に、ザッハンは下げていた顔を上げた。
「パロウ老は、一々勉学に励め励めとうるさくてかなわん。馬に蹴られて何とやらだ」
「なっ…何たることをー!!」
オルハー王子の悪戯はしょっちゅうだったので、執拗に問われなかったザッハンは、一日だけの謹慎で済んだ。
しかし王子は、一週間、こってりパロウ老の授業を毎日十時間受けるという罰が与えられてしまった。
そのことがあってからというもの、すっかり王子に目を付けられたザッハンは、
王子の恨みとも嫌がらせとも受け取れる、『私は一生王子に仕えます契約書』なるものに、
有無を言わさず署名する羽目になる。
そして王子に一番近い側近の従者となって今に至るのであるが、
無論、どこの馬の骨ともわからぬ者を…と反対された。
だがそんなことを全く気にしないオルハーにとって周囲の野次は、馬の耳に念仏だった。
「お前もたまには城を抜け出し、自由の身となれ! じゃなきゃその内、パロウ老のように禿げるぞ」
昔の記憶を辿っていた自分の心を読んだかのようにオルハーが言ってきたので、焦ったザッハンだったが、
目の前で草をはむ二頭の馬を目にしてギョッとした。
「なな何でこんな所に、王子と私の馬がいるんですかっ!?」
「なーに、俺の気持ちを察してくれる優しい理解者がちゃんといるんだ。
お前にはおおよそ『二頭の馬、木陰で仲良く草をはむ』くらいにしか映らないであろうが、
あれは俺たちを牢獄から自由の国へ繰り出さんとする、言わば天の御使いなのだ!」
「またわけのわからない御託を…。それよりもちょっと待って下さい王子! 私まで家出の共犯者にするおつもりですか! あなたが珍しく家出に使っている抜け穴を教えると言うから私は 付いて来たまでですよ!」
「ふっ、つべこべ言わず素直になれ。『私も王子のように城を抜け出し、気兼ねなくどこへなりとも行ってみたい』と言っていたのはお前ではないか」
「あれは皮肉を込めた警告ですよ!」
ザッハンが顔を引きつらせてため息をついていると、何やら後ろの方から騒がしい声が聞こえてきた。
「王子が逃げ出すぞ-----っ!! 王子お戻りを-----っ!!」
「ちっ! ほれ見ろ! ドン臭いお前のせいで見つかったじゃないか! 早くお前の馬に乗れ!」
「えー!? そんなー!?」
「王子お待ち下さ----い!! ザッハン王子をお止めしろ-----っ!!」
衛兵が何人も走ってくる。
「敵に待てと言われて待つ奴があるか!」
オルハーは自分の馬・ガテリスに乗って、黒い森の中へと駆けて行った。
どちらに従えばいいか迷ったザッハンも、取り敢えず馬に乗って王子の後を追うことにした。
*
どのくらいの時間が過ぎたであろうか…。
初めから追う気がなかったのかそれともあきらめたのか、後を追ってくる衛兵の姿は影も形もない。
黒い森を抜けると、辺り一面には広大な平原とブドウ畑が広がっていた。
ここは、メレクシール男爵のブドウ畑だった。ブドウの甘い香りが風に乗って運ばれてくる。
しかし、葉は黄色く枯れ、実もしぼんで干からびているように見えた。
「---これは一体…今年のブドウは不作なのでしょうか?
シスカ城にも毎年献上されているので、私も楽しみにしているのですが…」
「リーゲル家の貧しさは年々増しているようにうかがえるな。ブドウ酒との交換物資を分け与えているつもりだが…。
それともあの親父に何かあったか…」
二人は馬上から、しばし枯れたブドウ畑を見渡していた。
オルハーの金の髪が、陽に当たって白金に輝きながら風になびく。
彼の端正な顔立ちに、同性ながらザッハンは惚れ惚れする。
オルハー自身は、自分のその甘く見られがちな容貌を疎ましがってはいたが…。
「ところで、これからどちらへ赴くおつもりですか? 確か先日は、酒場兼宿場の『隠れ家亭』に、
丸一週間お世話になったと伺っておりますが…。一体何をしているんですか!?」
「飲んでしゃべってその他諸々だ。金だって払ってあるし、何を遠慮することがある?」
「あなたは庶民ではなく一国の王子、王の後継者ですよ!! もし危険な目に遭いでもしたらどうするんですか!?
心配する我々の気持ちをお察しにはならないのですか!?」
ザッハンが声を張り上げる。
すると、オルハーの気落ちしたような寂しげな声が返されてきた。
「----お前は、俺の気持ちを察してはくれないのか?」
「え……?」
オルハーの吸い込まれそうな青い双眸が悲しげに向けられる。
ザッハンはたじろぐ。
しかしそれはほんの一瞬のできごと。
「さーてと、ここに来たついでに、あの凶暴じゃじゃ馬娘に挨拶でもしに行くか」
いつもの何かをもくろむ顔の彼に戻っていた。
ザッハンも胸をなでおろす。
「またですかー? 後が怖いですよ!」
「何だお前、怖いのか? そんなへっぴり腰じゃ、俺の護衛は務まらぬぞ」
「これ以上、くだらない茶番に付き合わされるのはごめんです!
でも王子が、本当はトゥインガ様に会いに来たと言うことでしたなら、話は別ですが…」
「何が別なんだ? それよりそういう名前だったかあの男女は…?
レヴィータっていう名前じゃなかったか? …いや、あれはガーヌで出逢った踊り子だ。
妖艶なあの舞はジェインにも引けをとらなかった」
「誰と誰の話ですかそれは…?」
ザッハンの冷たい視線が向けられる。
「エキラ…は村長の孫娘か。別れ際に泣き付かれてな。大きな瞳が愛くるしかった。
セインネスは…、酒場で飲んだ娼婦だな。ブドウ酒よりも赤い唇が妖しかった…。
ラーミヤは…」
「もういいですか王子。あなたの家出の真の目的がわかった気がします。そういうことだったんですか。
えーえー、あなたも一人の王子である前に、一人の男ですからね」
「アホ! 一人の男である前に、一人の人間であるということを付け忘れるな!」
「はいはい。それにしても…、数年前に男爵に招待された際の肉詰めも美味でしたが、
さすがにブドウ酒は一段と格別でしたね。醸造技術からきっと他とは違うんでしょうね」
感心してザッハンは口にするが、オルハーは鼻で笑って反論する。
「元々ここはセッツェン帝国の辺境領地…とは言え、見放されているだけでまだ領地に入っているのかも知れんが、
歴代皇帝を出しているスモンジェルダン派の修道院があった場所だ。
リーゲル邸は、その当時の修道院を改築した屋敷だと聞く。
大方このブドウ畑もかつての修道士たちが栽培していたものだろう。
つまりメレクシール男爵は、まるごと全てをぶんどったというわけだ。
ぬけぬけとよくも自慢できたものだ、あの落ちぶれ貴族のタヌキ親父めが」
「お、王子! そんな聞き捨てならぬことを大声で言わないで下さい!
誰かに聞かれたりでもしたら……」
「ぬけぬけとよくも言ってくれたな馬鹿王子!」
「うわっ!!」
驚いて馬からずり落ちそうになったのは、ザッハンである。
騎士のように武装した少年…いや、少女が背後から二人を睨んで立っていた。
メレクシール男爵の一人娘トゥインガである。
驚いた様子は微塵も見せないオルハーが、微笑みながらゆっくり馬ごと振り返った。
実はオルハーは、とうに少女の気配に気づいていてわざと声を張り上げて言ったのだった。
「ぶんどったんじゃなく、皇帝から譲り受けたんだ! そこを間違えるな!」
「…ほう、廃れて要らなくなった修道院を、土地ごと貧乏貴族に恵んでやったということか。
何とも慈悲深い皇帝だな」
「この放浪病王子!! 何しに来た!? 人の領地に無断で入ってくるな!!」
「何やら会う度に勇ましくなって行くが、騎士にでもなるおつもりですかな、お嬢様?」
語尾を強調し、馬ごとトゥインガの側に寄るオルハー。
顔を真っ赤にした少女は、腰にしていた剣を鞘から引き抜き、馬上の彼に突き出した。
「これが私の普段着です王子。女の服も捨てました。ですから、今おっしゃったことを撤回なさって下さい!」
急にかしこまった口調で、しかし剣を向けたまま、
トゥインガの灰色の目が真っ直ぐオルハーの青い目に突き刺さる。
「これはこれは…とんだご無礼を。しかし、こうも貧乏だと兵を雇う金さえないとあって、
その家の令嬢が代行を務めるとは…泣かせる話じゃないか」
同情し、爽やかに立ち去ろうとするが、トゥインガの剣が更に突き付けられた。
「貴殿は、リーゲル家をよほど侮辱したいようにお見受け致しますが、いつ敵や泥棒が襲って来てもいいように、
私は大切なブドウ園と屋敷を守りたいのです! 私は人形ではありません。
着飾ることしか能のない、その辺のご婦人と一緒にしないで下さい!
私は剣を振るうこともできれば、馬に乗って遠乗りすることだってできます!」
「遠乗り…? リーゲル邸で馬を見かけたことはなかったが…?」
「う、馬はとうの昔に売り払いました! 遠乗りは昔、趣味の一環にしておりました」
「昔って、お前がハイハイしていた頃か?」
憤怒をあらわにする少女に、思わずオルハーも噴き出す。
そして、隙を見て彼女の剣を素手で地面に叩き落した。
「あっ!!」
トゥインガの体が、オルハーにすくい上げられ彼の目の前に座らせられる。
「な、何するっ!?」
「ザッハン! 俺はちょいとこちらの騎士様とひととき戯れてくる」
オルハーが手綱を引くと、ガテリスが嘶いて駆け出した。
「た、戯れ!? って、ちょちょ、王子----っ!?」
ザッハンは青ざめて途方にくれた-------。
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