序 章 (1)
聡明なのは、涼しげな表情からもすぐにわかった。
穏やかなその瞳が向けられ、目が合った瞬間、彼女の全身に電流が走った。
あの人は誰----------?
一体どなたなの---------?
遠い国から来たというその男は、魔法師だった。
皇帝である父に紹介され、彼女の胸は高鳴った。
生まれて十四年、未だ恋も知らない一国の姫にとって、初めて抱く淡い恋心であった…。
*
セッツェン大帝国第三十四代べモンドルは、歴代の覇王を輩出したスモンジェルダン家の血を、
色濃く鮮明に受け継ぐ帝王として君臨してきた。
代々、スモンジェルダン出身の皇帝たちは皆、冷酷・残虐・頑固の三拍子で名を馳せ、
べモンドルもまた、気性の激しい帝王として恐れられてきた。
彼には『貪欲王』という別名も付けられていたほどだった。
しかし、それも昔の話、そんな恐れられた貪欲王は今、勝ち目のない戦いの真っ只中にいた。
敵はすこぶる強靭で、皇帝の身体を蝕み続ける病魔だった。
その敵にだけは、人生で初めて苦戦を強いられていた。
べモンドルが臥床するようになってから、ほぼ二ヶ月が過ぎた。
身体はやせ衰え、身体を起こすこともままならぬ状態。
眠っては目覚め、目覚めては眠りに就く病人そのものの日々を送っていた。
もはや、かつての皇帝の威光はどこにもない。
「-----お目覚めですか?」
べモンドルは、くぼんだ瞼をうっすらと開けていた。
側にいつも付き添う専属医師のウェンリッグが、優しげに皇帝の様子を伺う。
「ウェンリッグよ…、余は懐かしい夢を見ていた…」
「どのような夢ですか?」
「若かりし頃の…ぺネロジ山脈に遠征に行った頃の夢だ…」
「おお、それは、貴方様が皇帝に就かれて初めて錦を飾ったあの遠征ですな?」
べモンドルは、懐かしそうな笑みを浮かべながら遠くを見つめる。
久しぶりに会話が続いたことに、今日は身体の調子が良さそうだと、ウェンリッグも安堵する。
「----あの頃は、病に患うこともなく、人生を謳歌していたものだった…。
それがまさか、かような姿になろうとは……貪欲王が聞いて呆れる」
そう言って自分を嘲笑するが、医師は首を横に振った。
「そのように御自身を卑下されてはなりませぬ。べモンドル様は、今も尚、
勇猛果敢に戦う真の覇王なのでございます。
何を弱気なことをおっしゃられますか」
先帝の御世から仕えてきた医師・ウェンリッグは、自分よりも二十以上も若い皇帝に叱咤した。
「昔からそなたには、色々力になってもらってきた…。随分励まされたものだ。
-----叱られても来たがな……」
「どちらかと言えば、叱った数の方が多かったですな」
べモンドルの寝室に、久しぶりに笑い声が響き渡る。
「それよりも、国は今どうなっている…? 海岸と河岸は…? 東方や山地は…?
民はちゃんと穀物と税を納めているか…?」
「はい。御心配には及びません。今は、ガイン様とロイゼン卿が中心となって一切を率いてますれば、
何の問題がございましょう」
「…そうだったな。今は余の代わりを、あれが引き継いでいるのだったな…。
あれは…、ガインはよくしているか?」
「----はい。采配を振るうガイン皇子のお姿は、若き日の貴方様と瓜二つにございます」
べモンドルは、そこで何故か失笑した。
「瓜二つか…。あれも余に似て、融通の利かぬ痴れ者よ。
大波に揺られて自分が乗った船を沈めねばよいが……」
皇帝は、天蓋を見上げながら、若き嗣子が周囲に翻弄されて孤立しないことを祈った。
べモンドル自身、孤立こそしなかったが、信頼を寄せていた重臣に裏切られた過去が幾つもあった。
「----余り無茶をするなと…あれに伝えてくれ…。それからガインを…、宜しく…頼…む」
「ベモンドル様っ!?」
突然急変した皇帝の容態に、ウェンリッグは慌てて聴診器を胸にあてがう。
呼吸が乱れ、身体全体に浮き上がる汗と顔色が異常を物語っていた。
しかしベモンドルは、医師のその手を払いのけ苦しそうに呻いた。
「いくら…、皇子といえど…、お…前は----------…」
「皇帝!? ベモンドル様--------っ!!」
ベモンドルの訃報は、すぐさまガイン皇子にも伝えられた。
バ--------ン……!!
「ロイゼンッ!! 皇帝が崩御したっ!!」
扉を荒々しく開け、ガインは父・ベモンドルの寝室にではなく、魔法師・ロイゼンの部屋へ駆け込んだ。
窓際に立って、外を眺めていた長身長髪の男は、突然飛び込んで来た皇子に視線を移す。
「…それはおめでとうございます。いよいよ皇帝の座とこの国が、あなた様のものとなるわけですね」
うっすらと微笑を浮かべ、青いローブ姿のロイゼンが静かに呟いた。
「この瞬間をどんなに待ち望んだことか!! ふははは…!! 皇帝だ!!
ようやくこの私が皇帝に即位する日が来たのだ!!」
実父の訃報に悲しむわけでもなく、ガインは辛辣な笑い声をあげる。
そして魔法師の部屋に反響し、壁に映るガインのその影は、まるで悪魔が高笑いしているかのようだった。
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