chapter6
1
「一体どうなってんだこりゃ……?」
素っ頓狂な声を上げて。魚谷が後部座席のドアを開けた。
一台のセルシオの周りに、たくさんの人間が倒れている。
「いきなり豪快に倒れちゃったネー……」
「ドミノみてぇだったよな……」
同じ様に反対側のドアを開けて出てきた紅葉が、すぐ足元でうつぶせに倒れていた人間を転がしてみる。
みんな、先程までは死んだゾンビのような顔をしていたのに。
なんとも倖せそうな顔で倒れているではないか。
「なんだコイツラ……気味悪ィ」
同じくその辺に倒れていた中年男の顔を見た魚谷が、顔をしかめてその身体を蹴りうつ伏せに転がした。
「きっと、楽しい夢でも見てるのよ」
「……メデタシメデタシってやつ……?」
車の運転席には、両手を頭の後ろで組んだ撥春が倒したシートにもたれかかっている。
助手席で、段々と良くなっていく透の顔色を覗きこんでいた咲が微笑んだ。
「そのようね……」
「って、おい、アレ見ろよ花島!!」
「すごいのー!!」
唐突に、外から二人の歓声が響き渡ってきた。
「どうしたのよありさ……」
車から身を乗り出し、魚谷たちの視線を辿った咲も同じ様に目を丸くする。
「あー……」
立ち上がって、ゆっくりと
まだ薄暗い、夜明けの空を仰いだ春が、ポツリとつぶやいた。
「祭ってカンジ……?」
花見のスポットとなっているその山にあった、たくさんの桜の木。
徐々に差し込む朝日の光に照らされたその全てが、満開の花を身に纏っていたのである。
「やぁやぁこれはこれは」
「凄いな……」
その後ろから紫呉とはとりが感嘆の声を上げながらゆっくりと歩いて近寄ってきた。
「あら……草摩紫呉に草摩はとり……」
「あーハリィ! いつ来たの?!」
「今だ」
「先生……はよ」
「てか、来るのが遅えんだよ物書き! こっちは寝ないで格闘してたんだぜ?」
「あははーごめんごめん。 てゆうか、僕等も同じ立場ではあるんですよ? ねぇ。はーさん?」
「――おまえはしっかり寝てただろうが」
「……ギク」
「おまえのいびきは公害並だからな…… バレないはずがないだろう」
「ンなこったろうと思ったぜ……」
「嘘はいけないわね……嘘は……」
「け、けど、今まで周りを取り囲まれてて身動きとれなかったっていうのも事実なんだよ〜!?」
浴びせられた非難の視線にたまらず紫呉が声を上げると、
「いきなり、その場に居た人間全員が倒れだしたんだ ……こんな風にな」
足元を見渡していたはとりがそれに付け加えた。
「で? 一体何調べてたんだよ?」
「もちろん、纏血桜の事ですよ」
「あの桜が、神隠しの元という意味で『纏血桜』なんて名前で呼ばれるようになったのは、ある一人の女が原因らしい」
「女……?」
「ハリィ、ゲンインってどういうコト? その人何かしたの?」
「自殺したんだそうだ。桜の木の枝に縄をくくりつけて。 ……もう随分昔の話らしいが」
「まぁ……」
「その木が、今で言う纏血桜なんですよ。自殺の原因までははっきり残ってなかったんだけどね」
「丁度、女の自殺後から、この辺りで神隠しが続いたらしい。しかも、その翌年から桜は赤い花を纏うようになった。それが偶然なのか、本当に関連性があるのかはわからんが」
「で、益々有名になっちゃった桜を、誰が言いだしたか、血を好んで纏う桜――『纏血桜』と呼ぶようになったのですよ」
「そんなことが……」
「だけど先生……どうしてそんなコトが、草摩の蔵なんかに残されてたんだ……?」
ミステリーと呟く春。
「あ、それはですねぇ……」
紫呉が、そう言いかけた時
助手席に座ったまま、話に耳だけを傾けていた咲の瞳が見開かれた。
「う……ん……っ」
重く閉じられていた透の瞳が 今
ゆっくりと 開かれていく。
「――透……君……?」
「何? 透だって?」
「トール?! 起きたの?!」
「本田さん……はよ」
「おや。お姫様のお目覚めだねぇ」
「本田君、大丈夫か?」
降る声に、完全に瞳を見開き
ガバッと半身を起こした透。
見渡す限りの、みんなの嬉々とした顔、顔、顔……
「……ここ、は……」
ふと顔を上げると、涙で濡れた 咲の微笑があった。
「お帰りなさい……お帰りなさい……っ 〜透君……」
最後の方は、もはや
声にすら ならなかった。
「……ただいまです……っ」
咲に抱きしめられた透は、照れくさそうに、だが、微笑みでみんなを照らす。
「……一件落着ってか?」
二人を見ていた魚谷が、鼻を啜りながらも満足そうに微笑む。
「あれぇ? でも」
「? どうしたの? もみっち?」
「由希と夾の姿がまだ見えない……」
「ああ!? こ、こうしてはいられないのですっ」
春が総てを言い終わらぬ内に
大声を上げて咲の膝から地へと、降り立つ透。
大きくバランスを崩す。
「って、大丈夫かよ?」
よろめくその体を、慌てて魚谷が支える。
「どうしたの? ……透君」
「〜あ、あの、……事情は後程説明させていただきますので……そのっ ちょっと……、
〜すぐ……っ 戻りますので……っ」
よほど慌てていたのか。
しどろもどろになりながらもなんとかそこまで言い終えると 透は、
すぐにその場を離れる。
「トオル!? どこへ行くのー!?」
「すみません〜!」
呼びかけに背中で謝りながら、それでも一目散に頂上を目指して走っていった。
「あーあ……病み上がりだっつうんに フラフラじゃねーか……」
「あらありさ……病み上がりとはちょっと違うのよ……?」
「似たようなもんだろ?」
「まぁ……いいんじゃない……?」
それまで、黙って後姿を目で追っていた春が穏やかに微笑する。
と、まるでそれにつられたかのように、周りも同じ様な表情を浮かべ、透の背を見送った。
「……だなっ」
2
「―……っ」
「ここは……」
二人が頭を抱えて上半身を起こした時
闇の中心に浮かぶ 淡い光――
――見たことのない 銀髪の 綺麗な女性と、
あの子供が立っているのが目についた。
が、
透の姿が見当たらない。
どこにも
「……っ ……ぉい……っ、クソガキ……っ」
「〜本田さんはどうしたんだ!?」
子供を 睨みつけ、
ヨロヨロと、その場に立ち上がる。
二人の怒りと不安の入り混じった声を耳にし、ほとんど反射的にそちらを振り返った女性と子供。
二人の姿を――その表情を見るや否や、
子供は 由希や夾が見たことも無い、戸惑ったような表情を浮かべる。
そこに、常に鎧の様に纏っていた邪気は もう無い。
子供の様子の変化に、由希と夾は僅かに躊躇する。
やがて、口を開こうとした子供を制し、傍らに立っていた女性が透き通るような……か細い声を上げた。
『透チャンは……目覚めたようですね……
……あのままの状態が続けば、本当に危なかったですから……』
女性の視線を受け、子供も頷く。
『……操っていた人間達も……そろそろ目が覚める頃だと思うよ』
「……あ?」
子供の柔和な雰囲気に、
二人のその親しげな様子に
いまいち、状況が飲み込めない由希と夾。
夾が、素っとん狂な声をそのまま上げると、
由希は 少しだけ怪訝そうな色を残したまま、おずおずと口を開く。
「あの……あなたは?」
その視線から――二人から庇うように、守るように
今度は子供が、女性の前に出た。
『僕のねえさまだよ』
「……って、切り倒されたんじゃなかったのかよ」
言葉を飲み込むや否や、咎めるような声を上げる夾。
子供は、その細い肩をビクっと震わす。
罪悪感からか、その顔色は青い。
明らかに 先程までと様子の違う子供の態度に
その表情に
夾も、由希も眉を顰める。
ついには、うつむいてしまった子供に代わって 「姉」と称された女性が、子供の頭を撫でながら語り出した。
優しげな、しかしどこか憂いを帯びた視線を子供に向けたままで。
『ええ……力のほとんどは無くなってしまいました。
すでに実態もなく、今はこうして想いを形に留めているのが精一杯です……』
「想いを……形に……?」
『残留思念というものを考えていただけるとわかりやすいかもしれません』
「……幽霊みてぇなものなのか?」
『そうですね』
女性は俯いたまま 少し寂し気に微笑んだ。
『元々"わたし"は、本当に幽霊でしたから』
その場に居た、全員
その言葉を飲み込むのに少々の時間を要した。
沈黙によって齎された静寂が 少しの間だけ辺りを支配する。
「〜なんだって?」
それは、
子供も同じだったらしい。
『ねえさま……?』
自分の知らない言葉――姉と慕っていた存在の過去に、不安げな表情で女性の顔を見上げる。
『……あなたにも 話した事がなかったわね……』
視線を真っ向から受け止め
女性は、その細面に苦笑を浮かべる。
瞼を伏せるも しかし女性ははっきりした口調で語る。
『――\"わたし"。人間だったんです』
「なんだって?」
「人……間?」
ただ、瞳を見開き 透き通った体を改めて凝視する二人。
瞳を瞑ったまま
女性は 淡々と答えた。
『えぇ……この桜の木の枝で、首を吊ったんです』
「……」
『"わたし"の魂は、成仏を許されなかったみたいですね……
そのままこの桜に取り込まれて……、
……もう何百年も、昔の話です』
『そんな……
ねえさまが、人間……!?』
その事実を受け止めるのに、必死だったんだろう。
2人に遅れて、しかし 2人以上に、強い反応を示した子供。
細い手は 撫でるのを止め
うっすらと瞼を開けると
驚きに見開かれたその瞳に映し出された自身の顔は、穏やかに苦笑していた。
『"わたし"と接する内に、あなたにも変な力が宿ってしまったみたいね……
"わたし"のこの力は……人間として生まれたその時からすでに持っていた力だから……』
「どうし……て」
神隠し、なんて――
そう、続く言葉を見越したのか、
『……必要、と、されたかったのかもしれません』
横から響いた声に由希を振り返ると、女性は真っ直ぐにその瞳を見た。
「……」
目が合って、
その瞬間に由希は、何かを感じ取る。
しかし、
靄のかかった、はっきりとはしないソレの正体が何なのかがわからずに、
ただ、その戸惑いの瞳で、女性の瞳を見つめ返すだけだった。
由希のその感情に気づいたのか、
女性はやはり、苦笑を浮かべる。
どこか哀しみを帯びた 憂いの表情で。
3
『生まれてきてから、"わたし"は裏切られてばかりだったんです。
親にも、友達にも。……恋人も。
そうやっていつしか
自分を生み出した世界の何もかもが……、
……いいえ。
世界そのものが信じられなくなって
……ただ 真っ暗で
そこには 確かに何もかもが揃っているはずなのに
でも"わたし"には 何も 見えなくて
見えてこなくて
――だから、
自分が生まれてきた意味――そこに存在する答えがわからなくて
……見つからなくて
それは
とてもとても 不安だった……
何をやっても
どこへ行っても
光なんて無くて
何をしたって
どこまで行ったって いつだって
"わたし"は
この闇の中心に
独り……で
……命を絶てば 救われるかと思ったの
総ての柵から
絶望から
開放される、と……信じていたの
…けれど実際は
この木に取り込まれてしまって
身動きが取れなくなっただけで、
今度は 逃げることすらも 出来なくなった
孤独は変わらなかった
自分の弱さを責める……それはまるで罰であるかのように……』
『……ねえさま』
『だから、同じ様な死にたがりの人達に
……せめて、夢を見せてあげたかったの
儚くても
……一瞬でも』
「……」
再び静かに瞳を閉じて
ゆっくりと上げた腕――その手を胸元にあてる
『……せめて
満たされていってほしかったの』
一言一言、思い出しながら語るその表情は自嘲気味に、笑みの形に歪む。
が、次の瞬間。
『だけど、今日子に会った』
顔を上げた女性は、穏やかに微笑んでいた。
『いつものように取り込もうとして、頭に触れようと接触した時、今日子に言われたわ……
……"わたし"は、ズルいって』
その銀色を帯びた瞳は ただ真っ直ぐに
前を見上げる。
『言ってくれないとわからない……って
独りで抱えて 隠してしまえば、誰にも見つからないのは当然だって
意味や理由は 無いなら無いで構わない
後になって必ず 見えてくるものだから
今欲しいのなら 自分で勝手に作ってしまえばいい
それが「世界」の中心なんだから
そうやって 開き直ってればいいじゃないか……って』
――周りや自分を責めるだけの
恨み辛みをただ悼み慰めるだけの毎日は、とても楽だろうけど
楽しくはないだろう……?――
4
痛くても
独りきりで 何もみえなくなってしまっても
信じることに疲れてしまって
絶望だけが残ってしまっても
闇の中でも
決して 自分を
見失わないで
そうやって 誰もが泣きながら 体を引きずって歩いていく
羽なんてどこにもないんだから。
それが
生きるという事。
『振り返ってみると、"わたし"はいつも
怖がって……ばかりだったんです
裏切られるという 恐怖。
置いていかれる 哀しみ。
捨て置かれた ……痛み。
自分の信じるモノが 消え去る瞬間――
もう二度と 感じたくなかったから
壁を作って 何もかもを遠ざけた。
でも、
それは結局――逃げているのと一緒
答えが見つかるはずがなかったんです……』
由希も
夾も
黙っていた。
ただ
その視線だけは 逸らすことを許さずに
真っ直ぐに 女性を捉えている
『「優しくして欲しい」と泣いてねだるのは 他に手段を持たない赤ちゃんだけ……
誰かに愛してほしいのなら
どんなに怖くても、
……それが痛くても
自分を信じて、受け入れないと駄目なんですよね……
相手の事も
自分自身の事も
……過ぎ去って 儚く消えてしまったものたちの事も
決して
目を逸らさずに』
『…………』
子供も やはり
片時も逸らさずに 女性の顔を見上げている。
それは 最初に見た、あの底の抜けた空洞のような目ではなく、
強い意思のこめられた、真摯な瞳で。
――似ている、と
同じだと 感じた
彼女の話が
孤独で、どうしようもないほど痛かった、
さっきまでの自分と重なる
彼女が
まるで、自分を代弁しているかのような、そんな錯覚を覚えた
こいつらも――
ふと、視線を 同じように片時も彼女から目を離そうとはしない由希と夾に移す。
コイツラも そうなのか……?
『求めるばかりで。
そのくせ、過去の存在に嘆くばかりで。
大事な思い出すら忘れてしまおうとしていた――それらが作り出した現実を否定するだけの"わたし"には、考えもしなかったことを、今日子が……』
(思い出は……、それが、どんなに痛くても……
捨ててしまっては……駄目なんです……っ)
『……それから、透チャンが、教えてくれました』
馴染みある名前にぴくっと小さく反応を示す、由希と夾。
瞬時に。
彼等の脳裏に
咲く花
『由希君』
――彼女は
それが自然な事であるかのように 傍に居て
『夾君』
当たり前の事のように
惜しむことなく 笑顔を降らす
誰よりも
誰かの倖せを喜び
誰かの笑顔を祈る少女
……温かくて
かけがえの無い
傍にいたくて
どうしようもない
それは
泣きたくなる程の衝動
知るよしもなかった感情を
……狂おしい程のいとおしさを 教えてくれる人。
『――人が
「死にたい」と思うのは、
弱さからくる愚痴みたいなものだから
それは
強い「願い」の裏返しなのだから
折角の強くなるチャンスを、摘んでしまっては駄目だと言われました……
……それは
独りきりでは ほんの小さな声……
小さな 見落としてしまう程に小さな
衝撃が来ればすぐに消えてしまうような光
でも
誰かを想えば
想う程に 強くなる――』
由希と夾の瞳を見つめ 優しく微笑む。
5
『……今日子は、
"わたし"の話を聞いてくれました。
"わたし"が二度と寂しくならないよう、毎年一度"わたし"に会いに来てくれる事を約束してくれました。
"わたし"も、
もう人は取り込まない事を、彼女に約束しました。
取り交わされた約束が何年か続いて……一年なんて短いもので、今日子が透チャンを連れて来てくれることを、とても心待ちにするようになりました。
……けれど』
そこまで言い終え、一旦閉ざされた口。
少しだけ
落とされた視線。
『数年前から
今日子が 来なくなって……』
浮かべた、濃い哀の色を
『信じていましたが……それはやはり寂しいものでした』
隠すように、彼女は苦笑した。
そのまま視線をさらに落とせば 丁度位置する子供の瞳を捉える。
『その不安を……この子に感じさせてしまったのでしょうね……』
『ねえさま……』
『本当に ごめんなさいね……
……随分酷いことをさせてしまった
本当はあなたは とても純粋な、優しい子なのに……』
至極すまなさそうに
女性は瞳を伏せる。
反論しようと 子供は一瞬口を開きかけたが、
しばしの間 その口は何も紡ぐ事なく、閉ざされてしまった。
沈黙するのを見届けてから
改めて女性は 由希と夾を振り返った。
『……でも、
"わたし"は 真の意味で初めて
誰かを……自分を、信じるということが出来たと思います
今日子の事を
……ずっと信じていた……』
瞳を閉じて
思い浮かべる大切な笑顔はしかし
少しだけ 霞んでしまって いて
『……ですが、もうあの笑顔には……』
……その事実が 今もなお この胸をしめつける。
ほんの
『…………会えないのですね……』
ほんの
少しだけ……
『今日――
透チャンに触れて
もう一度、彼女の中の今日子に会うことが出来て……
……それが、わたしに最期の力――
――勇気を くれたんです』
見開かれた銀の瞳には、
痛みに歪んだ色は もう どこにも見当たらなかった。
『心残りは……この子の事だけでしたから……』
いつでも
どこまでも真っ直ぐで純粋な、
好奇心の塊で出来ているかのような大きな目で 自分の事を見上げ続けていた。
――今
その大きな瞳には 今にも零れ落ちてしまいそうな涙が浮かんでいる。
『……だいじょうぶ。あなたなら
だって "わたし"が今日子の事を待ち続けていられたのは
あなたのおかげでもあるんですもの……』
『…………』
やがて訪れるであろう孤独に
未だ 小さく震える手
竦む様な 底なしの不安と 恐怖
――それでも
溢れ出る雫を しかし子供は、気丈にもその手でぐいっと拭うと
今度こそ
彼女の問いに 笑顔を見せた。
『僕も約束するよ ねえさまに。
生きていく。
ねえさまに貰ったこの力を……心を、大事にする。
もう 捨てたりなんかしない。
今はまだ……怖いけど
僕も、「勇気」に変えてみせる。
……絶対』
子供の言葉に
何度も、何度も頷く女性。
『――ねえさまから生まれた、新しいトモダチにねえさまの事を話すんだ。
きっと数十年、数百年はつきないよ。
だから
寂しくなんか、ない……っ ないから……
……安心して。
今度こそ
……ゆっくり 休んでね……』
女性はもう 何も言えずに
子供を抱きしめた。
……今知っている言葉だけじゃ 決して足りない。
それでも 止め処なく溢れるこの感情が
どうか この子に伝わりますように……
『……ねぇさま』
さびしい。
つらい。
かなしい。
すがりつきたい。
だけど――それでも。
子供は腹の底に力を入れて、精一杯堪える。
自分は、この憂いを帯びた笑顔を浮かべる女性に
たくさん 大切なことを 教わった。
誰かを愛する事によって生じる
痛みや
寂しさや
哀しみを
優しさや
強さを
教わった
その位 たくさん
自分を……愛してくれた
自分は
……愛されていたんだ
こんなにも――
『ありがとう
……ねえさま』
自分を包む細い腕。
その温かさを 自分に向けられた愛情を全身で感じながら
子供は静かに瞳を閉じた。
――この温もりが 糧になる
留め置ける、「心」というものを自分は持っているから
乗り越えられる
……乗り越えてみせる。
きっと――
静かに
頬を流れる、一滴。
と、
その時。
「……お!?」
「なんだこれ……」
6
「……お!?」
「なんだこれ……」
由希と夾の身体を、光が包みこんだ。
光は徐々にその輝きを増していく。
『また新しい日が、昇り始めたのね……』
光に驚いて、そちらに向き直った女性が口を開く。
「え?」
『わたしたちが、人に影響しえる力を使えるのは夜の間だけですから』
「って、俺達、どうなるんだ?」
『その内に。元の身体で目覚めると思うよ。トオルと同じ様に』
子供が涙を拭いて だがしっかりと由希と夾を見る。
『今の状態は魂だけだから』
少しだけ すまなさそうに。
「あ? そうなのか?」
「なんだ。気づいてなかったのか? 馬鹿猫」
呆れかえった視線を夾に投げる由希。
「んだと……っ じゃあおまえは気づいてたのか?!」
「当たり前だろ……おまえじゃないんだから」
「〜すかしてんじゃねえぞコラ!!」
徐々に増す光の強さに、しかし構うことなく続く二人の口論を呆然と見、いつしか笑い出した女性と子供。
聞こえてきた笑い声に、由希と夾はようやく言い合いを中断し、バツが悪そうな顔でそちらを振り返る。
一頻り笑った後、女性と子供は改めて、彼等に向き直った。
『……透チャンに伝えてください。「ありがとう」って……』
「わかりました」
『「約束」、忘れるな……って。言っといてくれよな』
「『約束』だ? なんだそりゃ?」
『秘密』
「てめぇ……最後まで可愛気のないガキだったな……っ」
『……悪かったな……』
「……」
俯いてしまった子供の様子に、夾はしばらく腕組みをして考え込んでいたが、
やがて、つかつかと子供の近くまで歩み寄る。
「〜悪かった」
唐突に
子どもに向かって その光を帯びた右手を差し出した。
『……え?』
意味がわからずに、子供は夾の顔を見上げる。
「―だからっ
悪かったっつってんだよ……その、事情知りもしないで、……『化け物』呼ばわりしてさ
……俺だって、似たようなもんなのに」
『……おまえって……』
「あぁ?」
『実は お人よし……?』
「ンなんじゃねぇよ!! ただ……一言謝っときたかっただけだ……っ」
『…………』
差し出された手を
握らずに、子供は夾と小指をからめた。
『おまえも約束したからな……っ』
「は? ……って、だから約束ってなんなんだよ?!」
『だから秘密って言ってるだろう? 戻ったらトオルに聞きなよ!』
「くぉのガキ……!!」
『……ずっと気になってたんだけど。
「ガキ」じゃないよ。僕コレでも数十年は生きてるから』
「〜あ? う、嘘だろ!?」
『おまえなんかに嘘ついてどうするのさ』
「『なんか』は余計だ!!」
喧騒のその隣では、由希が、女性と向き直っていた。
『本当にありがとう。 最期にあなたたちに会えてよかったと思うわ……』
「……あの」
『……?』
「ずっと気になってたんだけど、俺達って……」
『……』
「その、どこかで…… 〜っ」
言いかけた由希の口を女性は人差し指1本で閉ざす。
『……「秘密」は 多いほうが楽しいでしょう?』
そう言って微笑んだ、女性の顔が段々と霞んできた。
気づけば 自分らが纏っている光……その輝きが、強くなっていた。
太陽が昇り始めたのだ。
『……元気で。あなたたちも……どうか負けないでね……っ』
『「約束」忘れるなよ!?』
「あの、やっぱり貴女は……!!」
「だから……約束ってなんな……!?」
瞬間
膨大な量の光が弾け、由希と夾の身体を包み込み……
……その姿と共に、消える。
やがて
静けさを取り戻したそこには、すでに闇しかなかった。
『……、
……いっちゃった……ね』
子供が ぽつりと呟く。
『今日のコトは、夢みたいに思うでしょうね……』
『大丈夫だよ。「約束」したからさ』
『……そうね』
微笑する女性。
自分も微笑みを返そうと 見上げたその姿が……
……女性が居る、辺りの空間そのものが――
――ゆらり と揺らぐのを
子供は……見逃さなかった。
一瞬で
総てを悟る。
この「女性」は……
女性は、やはり、もう…………
『…………』
『……? どうしたの……?』
少しだけうつむいて、
次の瞬間には。
『なんでもないよ』
再び、満面の笑顔で、子供は「女性」を見上げた。
……その手を握り。
確かにここに在る、彼女の温かさを感じる。
『でも、ねえさま…… さっき銀色の髪の方が言ってたことって……結局なんだったの?』
聞かれて、「女性」はしばらくその瞳を泳がせていたが……
『……そうね……あなたになら 教えてあげてもいいかもね』
どこか悪戯っぽく、しかし、いつものように 優しい笑みを浮かべた。
徐々に霞みゆく姿で。
――その、長い銀の髪を揺らしながら。
7
「はぁ、はぁ……」
もはや 自分の息遣いと、
壊れそうな程激しく響く鼓動の音しか聞こえない。
寒さに麻痺したのか、手足の先の感覚はほとんど失われていた。
それでもなお、頬を刺す、痛い程の冷気。
が、その分
肺を満たす、澄んだ空気。
桜並木に囲まれた、薄桃色の雨が舞い散る坂を
流れる 長い栗色の髪。
真白の息を吐きながら、少女は懸命に駆け上がる。
前へ。
前へ。
季節外れの幻想的な世界には目もくれず。
息せき切って、足がほつれて
何度も何度も 転びそうになった。
それでも 前方だけをその瞳に捕らえ
透は 足を止めなかった。
早く。
早く。
夢の中で何度も行き来していた道が、
やけに懐かしく感じる。
あの時は、言いようのない不安だけが彼女の前進を急かした。
が、
今では……たった一つの強い想いだけが 彼女を動かしている。
ただ、一心に想う事は。
会いたい。
……今すぐ。
――やがて、
桜が開ける。
朝ぼらけの空の下。
正面――中央の切り株の上―に立つ、
見上げるまでに大きく、視野に入りきれない程見事な、赤い桜のイリュージョン。
舞い踊る鮮やかな赤に、目を奪われそうになりながらも。
周りに倒れているたくさんの人々を踏んでしまわないように細心の注意を配りながら、奥へと進む。
目指す夢桜花の下で
辺りをキョロキョロと見渡しながら、ゆっくりと、その場に身を起こした二人の男。
「……っ」
彼等を視界に捕らえるなり、
透は、全身全霊で その名を叫んだ。
「〜由希君っ!!
――夾君!!」
響く心地よい音に瞳を見開き、そちらを振り返った二人は。
「……とお……!?」
「本田さ……?」
飛び込んできた泣き笑顔と。
伸ばされた細い腕、
その柔らかな感触に、
ほんの一瞬 ……我を失う。
BOM!!
「……ありがとう……、……ありがとうございます……っ」
鼠と猫を抱きしめながら、
震える声で、ただ一言を繰り返す少女。
二人はその温かさを、
「〜ありがとう……ございます……っ」
全身で 感じる。
冷たい、しかしどこか、穏やかな風に
優しく流れる艶やかな髪が、身体をくすぐる。
滴り落ちた温かい雫が。
二人の身体を濡らす。
そうやって 一瞬一瞬がスローモーションのように
穏やかに ゆっくりと 流れゆく。
それは
なによりも 永遠を願わせる光耀。
彼女が居る、たったそれだけで。
なんと 世界の優しいことか。
「お帰り……本田さん」
「おかえり……な……」
ざぁぁぁ………
一際、風が強く吹きつけた。
イリュージョンの赤桜の花びらは、やがて白く変化し、
透たちの元に 雪のように降る。
はらはら、はらはら……
……まるで、
一人と二匹を、包み込むように。
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