chapter1
1
「…………?」
「どうしたの本田さん。後ろに何かいるの?」
バイト帰り。
月も出ていない暗い帰路を、迎えに来てくれた由希と共に歩いている途中だった。
由希の声に我に返った透は慌ててそちらを向きなおす。
「あ……いえ。気のせいだったみたいです」
不思議そうな由希の顔に透は笑顔を作って答える。
(誰かに呼ばれた気がしたのですが……)
だが、実際後ろを振り返っても気配は感じ取れず。
落ちている枯葉が、吹き付けてくる冷たい風でカサカサと舞い踊っている様子が暗がりの中ようやく見てとれるだけだった。
季節は、11月。
北風と共に長い冬が足音をたててやってくる、そんな時期だった。
「……そう? ならいいんだけど」
白い息を吐きながらしかし優しく笑顔を返し、由希はまたゆっくりと歩き始める。
外灯も少ない、真っ暗な道。
少しでも離れてしまえばすぐに互いの位置もわからなくなりそうな深い闇。
はぐれてしまわないように透も慌てて足を進めた。
冷たい夜風が、その長い茶髪を攫っていく。
2
「……そういやおまえ、昨日の夜何やってたんだよ?」
夕飯時。
夾が思い出したかのように顔を上げ、透を見る。
「はい? ……何がですか?」
夾の言葉に、さしあたって思い当たる節がない。
炊飯器のご飯を茶碗へ盛る手を休め、夾を見返した。
「おまえ、夜中になんか大声でわめいてなかったか?」
「ええ? わたしが……ですか?」
言って、大きな瞳をさらに見開く。
「ああ。 ……しかもなんかすげー音とかしてたんだが……びびって起きちまったぜ」
「……そういえば。昨日僕も、多分それと同じの聞いたよ。夾君」
テーブルを挟んで透の向かい側であぐらをかいていた紫呉までもが箸を止め透を見る。
「え? ええ?」
「締め切り近いからねぇ。明け方まで起きてたんだよ」
「てめえが生活不規則なのは元からだろが。仕事のせいにしてんじゃねぇよ」
「そうなの? 俺は全然気づかなかったけど」
声に振り向くと、夾の向かい側に正座して座っていた由希が、透から受け取った茶碗を片手に視線を天井に泳がせていた。
「まぁ、由希君はねぇ……」
「寝起き最悪だもんな」
「起きてても最悪な奴に言われたくない……」
「……ああ? そりゃ俺に言ってんのか? クソ鼠」
「はいはいどうどう。二人とも。喧嘩するのは勝手だけどそれよりも透君でしょう?」
紫呉の言葉で、全員の注目が透に集中する。
「えぇ!? ……と言われましても一体何がなにやら……」
汗を一筋浮かべ透が苦笑した。
「覚えてないのか。……寝ぼけてたのか?」
真顔で問う夾に顔を赤くして縮こまる透。
「え、えと……かもしれません。すみません……」
「っておい。なんで謝るんだよ」
「みなさんをお騒がせしてしまいましたから……」
「……あほぅ。寝ぼけて騒がせる、なんざ、おまえよりさらに上を行く奴がすぐそこに居座ってやがるだろが」
「だから、馬鹿猫に言われたくない」
「〜あ? ちょと待てこら、誰が馬鹿だ誰が」
「反応を示すって事は、一応認識はしてるんだな。馬鹿猫にしちゃ大したものだよ」
「〜くぉのクソ鼠……っ」
「まぁとりあえず、何もなくてよかったよ。でもどうしたんだろうね? 透君、いつも寝起きとかいい方なのに。何か怖い夢でも見たの?」
「はぁ……」
紫呉に聞かれて、首をかしげる。
そういえば……何か夢なら見ていた気がする。
ぼんやりとして、掴み所がなくって。
強い印象もない、全く現実身を帯びない夢。
起きたらなんだか忘れてしまっていた。
……でも、どこか懐かしさを感じた……。
「そうかもしれません。あまり覚えていないのですが……」
苦笑すると紫呉もにこりと微笑んだ。
「ま。夢なんてそんなものだよ。深く考えこまない方がいいのかもしれないね」
「はい」
透の表情に笑顔が戻った――そのすぐ目の前では、テーブルを挟んでの鼠と猫のデッドヒートのゴングが今まさに鳴り響かんとしていた。
3
その夜――
透は桜に囲まれた道を一人裸足で歩いていた。
辺りは真っ暗で。見上げれば今にも吸い込まれてしまいそうな、深い闇。
しかし、気づけば足元に続いていた道ですらもいつの間にか闇に紛れて見えなくなってしまった。
黒一色の世界に、ただ、桜の薄桃色が静かに舞い散る。
雪のように。
透は、その中をただ一心に歩き続けていた。
奥へ奥へと。
進むほどに、自分はそこへ行かなきゃいけない。そんな気がしてたまらなかった。
やがて桜の木々が開け、闇の割合が一気に膨張する。
いつの間にか、後にした桜の花の色も見えなくなっていた。
どこが上なのか、下なのか。左右ですらもわからなくなるような、濃い闇。
その奥に。
一人の、少女とも、少年ともつかない子供が立っていた。
青白く光る小さな体。
その表情は見えない。
「あなたは……誰、ですか……?」
――瞬間。
子供の体が宙に浮かんだかと思うと、ソレは一気に透との間合いをつめる。
息つく間もなく。
その小さな、飛び上がる程に冷たい両手が透の頬に触れる。
透の目の前で、ゆっくりと微笑んだ子供は、
その異様に裂けた薄い唇を開かせた。
血のような濃い赤が覗く。
――そして、
すぐ耳元で囁かれる、ゾッとする程低い声。
『――キミを むかえにきたよ』
「――!?」
瞳を見開き飛び起きる。
布団を両手で握り締め、懸命に肩で息をする透。
我にかえり、慌てて辺りを見渡せば、
目の前に広がるそこは、暗がりではあるが間違いなくいつもの自分の部屋だった。
規則的に響く無機質な時計の音――
……それに合わせて、段々と激しかった鼓動が静まっていく。
そしてようやく、夢だと認識すると、透は先ほど見た映像を改めて思い返してみた。
断片的な夢の記憶。
桜の並木道の奥にたたずんでいる子供。あれは――
恨みしか持たない様なあの声を――
自分は知っているような気がする。
会った事があるような気がする。いつだったか、遠い昔に――
……ふと小さな鏡に目がつき、その中に映る自分を見て透は凍りついた。
泥の手形がついている。
それはまるで子供のもののように小さな。 そして――
――それは自分の両頬に。
べったりと。
まるで血のように。
4
「元気がないのね……透君」
教室の自分の席に座り次の科目の教科書を出しているその後姿を見、クラスメートで、透の友達でもある花島 咲はいつものように淡々とつぶやいた。
なかなかの美少女ではあるが、その独自のオーラというか、独特の雰囲気のせいもあり周りのクラスメートからは一目置かれている。
「……花島もそう思うか?」
咲の隣で、組んだ両手を後ろ頭に回した背の高い美少女、魚谷ありさもまた、友達である透の背中を心配気に見つめながら言う。
長いスカート、肩に流れる金髪はさらに彼女の魅力を際立ててはいるのだが、逆に彼女もまた、周りに一定の距離を敷かれていた。
が、二人は全く気にしてはいない。
これでも昔に比べたら随分周りに馴染んできた方だ。
それに。
他人が気にならないのは、彼女らがしっかりとした自分を持っているという何よりの証拠である。
彼女らは透の良き友人であり、良き理解者でもあった。
友達という枠を超えた、温かい――それはまるで家族のような絆。
三人は大概いつも一緒に居る。
「ええ。……というより、この間から、透君の周りに妙な電波を感じるの……」
「出たよ花島の電波情報」
「なんなんだよそりゃ……」
別に聞き耳を立てていた訳ではなかったが、比較的後ろの席に位置する夾には二人の会話を聞くなと言う方が無理な話だった。
最も、猫の物の怪に憑かれている彼の聴力は普通の人間に比べれば、ずば抜けて高い。
急に会話に割り込んできた夾に、しかし驚いた様子もなく構わずに二人は会話を続ける。
先程から一人黙って席に着いていた彼が、じっと透の様子を伺っていた事を承知していたからだ。
「ええ、そう。とても微弱だけれど。……何かが透君に干渉している事は間違いないようね……」
「何かって、なんだよ。もっと具体的に言えや」
「わからないから『何か』なんだろが。馬鹿きょん」
「〜馬鹿は余計だこのクソヤンキーっ」
「……透君。家ではどう?」
ほおって置けばすぐにでも勃発しそうな、彼女曰く『心地よい電波』を、しかし無表情で咲が遮る。
「……どうもこうもねぇよ」
聞かれて夾は、深々とため息まじりにボヤき視線を再び透に移す。
「ぼけーっとしてるかと思えば、突然大きな声張り上げるし。
夜は夜でなんか一人で騒いでてちっとも寝てねえみてえだし。
……別に、単に寝ぼけてるだけかもしんねーけどよ。
……けどなんつか、最近のあいつって……」
「――変なんだよね。最近の本田さん」
その声に見上げれば、一体いつの間にここに来ていたのか、心配そうに透を見ている由希の顔がある。
途端に仏頂面になる夾の様子に笑いながら魚谷は口を開いた。
「よお。王子。お勤めご苦労」
生徒会の会長でもある彼は、度々席をはずす事が多い。最近魚谷はそれを『お勤め』と称している。
それに苦笑すると、由希は今度は咲に向き直った。
「……ねぇ花島さん。その電波って何とか特定できないのかな?」
「なんとも言えないわね……。透君、聞いてもわたしたちにも何も話さないから……」
「あたしらに心配かけたくないっつうんだろ。……あいつの事だから」
どこか遠くの方を見ているかのような魚谷の表情。言いながら僅かに苦笑する。
「……そうね……。透君はそういう子だわ……」
魚谷の言葉に寂しげに微笑む咲。
「……そういえば。本田さん、この間言っていたよ。変な夢を見るって」
思い出したかの様に顔を上げた由希。
その表情にその場にいた全員の視線が集中する。
「でかした王子!」
「んだよ……ンな事ぁさっさと言えやこのクソ由希」
「それって、どんな夢……?」
夾の吐く暴言に整った眉を潜めながらも話を続ける由希。
「ええと……。確か……桜の夢だったかな……?」
「桜ぁ? この真冬にか?」
「夢の話なんだからそういうこともあるだろ馬鹿猫。……とにかく。満開の桜の並木道を一人で歩いている夢をよく見るって聞いた事あるよ」
「季節外れな夢もあったもんだな……。 ……で? 何かわかったか? 花島」
魚谷の問いを受けた、その整った横顔には、彼女にしてはめずらしく少し困惑した色を帯びていた。
「桜……なのかしら……。似たようなものは感じるのだけど……」
5
あの夜と全く同じ夢を、透はここ最近毎晩……いや、寝る度に見ていた。
何度見たって、あの寒気がするような後味の悪さは慣れるものではない。
両頬に泥の手形をべっとりとつけられて、恐怖で飛び起きた途端に洗面所へ走り必死に顔を洗う――そんな夜が続いていた。
やつれて当然だ。
正直、夜が来るのが怖いとさえ感じる。
あの子供――
どこかで見た気はするのだが、それがいつ、どこでだったのか、今の今までさっぱり見当もつかなかった。
最後まで顔がはっきり見えないせいだろうか。
……せめて起きている時は。
あの夢の断片を見たくはない。あの夢を思い出したくはない。
――ないのだが、自分はどうしてもあの子を……何かを思い出さなくてはいけない、そんな気がしてたまらない。
しかもそれは早急を要している気がした。
寝る度に、その感触が、よりリアルになっていくからだ。
闇の中を流れる冷たい風。
桜の薄桃色の 儚く舞い散る様。
そしてあの子。
あの冷たい手も。
――その、声も。
……そして、ほら。
今も聞こえてくる。
自分を呼ぶ、くぐもった声。
『――トオル……』
決して気のせいなどではない。
今では、こんなに近くに聞こえるのだから。
まるで、自分の隣……見上げればすぐそこに居るかのように。
付いて、片時も離れない事を告げているかのように。
度々と聞こえてくるその声は――
明らかに あの夢の中の子供のそれだった。 |