傷 (9)
雲隠れの里のデータの詳細は、ほとんど記されていなかったが、
最近書き加えられたことといえば、二尾を封印されていたくノ一が雲隠れの忍者だったこと。
そしてその女忍者を殺したのも、アスマを殺したにっくき暁のメンバーだったということ。
シカマルは二年前、その張本人と対峙し、仇を討った。
彼にとって、それは決して忘れられない出来事。
未だにあの時の心の傷がうずく。
…それはきっと、癒されはしないだろう。
しかし、忍の道を選んだ自分にとって、それは逃れられない運命。
一時は、逃げ出したいと思った。自分に忍は向いていないと。
だが、あの時そばにいた、風を操るくノ一・テマリは、
「傷つくのが怖いのか?」
そう口にした。
自分はあの時、あの場から逃げ出すことしか考えていなかった。
のんびり生きて、のんびり死んでいくのが自分だったから。
けれども今はもう別の道を、次の扉を開けて歩き出しているのだ。
いつまでも、あの時のままでいられるはずがない。
雲だっていつまでも同じ場所にいることはない。
風に押されて流されて行くだろう。
風に押されて、目的の場所へと旅立つことだろう-------
「あいつ…、思いっきり嫌がってたな…」
キスの時、唇を離した途端に彼女の口から叫喚された拒絶の言葉。
「あんなにはっきり否定することないだろ…」
つい先程も、彼女の口から「あり得ない」と完全否定されてしまった。
思い出せば思い出すほど、シカマルの気持ちは沈んでいく。
彼女の心は自分には向けられていない。それはわかっている。
ちょっと踏み入っただけで、嫌がられた現実がそれを証明していた。
わかっていても、いざ目の当たりにすると相当こたえるものだ。
正直に、たった一言を言えばそれで済むのに。
婚約者がいようと関係ない。
チョウジに言われたとおり、素直に伝えてしまえばこんなに苦しむこともないのだ。
だけど、伝えたら伝えたで楽になるとは、決して思えなかった。
むしろ今まで以上に、自分や彼女も苦しむことになるのではないだろうか?
自分が伝えようとしないのは、返される答えがわかっているし、それを聞きたくないから。
だから力ずくで、らしくない行動をとってしまった自分がいる。
ある意味、それも自分に正直になったまでの行動だと言えば、言えなくもない。
だから、吹っ切るためにもあんなことを言ってしまった。
…幸せになれと。
夢の中でのみ交わされる彼女との甘い夢も、きっと、永遠に夢のままで終わってしまうのだろう。
そう思った途端に、自分の胸が急に締め付けられる。
----そして同時に思い出される、あの時の過激で卑猥な夢…。
しかもよりによって、テマリによく似たあの女と自分は関係を持ってしまった。
何よりも、テマリと勘違いしてしまった自分が腹立たしかった。
「はぁ------- っ……」
深い罪悪感に満ちた、長いため息をつく。
「シカマルー! いのちゃんが来たわよー!」
突然、母の声が下から聞こえ、シカマルは眉をひそめる。
「…いの?」
階段を駆け上がる音がしたかと思うと、彼女が部屋に飛び込んできた。
「シカマルー! あんた謹慎してるんだってー? 何やってんのよー!」
「はぁ〜、めんどくせ。…誰に聞いた?」
「誰だっていいでしょー! ったく、しっかりしてよねー!」
「オレは謹慎中なんだよ。勝手に入ってくんじゃ…」
一瞬、目の前に立ついのが、テマリの姿と重なって見え言葉を失った。
確かに今のテマリも長い金髪なので、いのと一見、見た目が重なるところもある。
奇遇にも今日のいのは、いつものポニーテールではなく、髪を垂らした状態だった。
それは、まるでテマリのような-----
「え…、ちょっ、シカマル!?」
テマリの姿が見えると、もう抑制が効かなかった。
いのに近づくと、身を屈めて唇を寄せる。
「……」
しかし、すぐにシカマルは我に返る。
キスも未遂に終わる。
「---ああ、わりぃ…、チョウジ……」
「何でチョウジなのーっ!?」
額に片手を置いて、シカマルは息を吐き出す。
「いの、取り敢えず帰ってくんね? オレ、今こういう状態だから近づくな。
何するかわかんねー…」
しかし、いのは…、
「---それでもいい…」
今度は彼女がシカマルに近づく。
「…よせ」
シカマルは、相変わらず横を向いたまま、幼馴染の少女を拒む。
いのが悲しげな表情で見つめる。
「やっぱりテマリさんとじゃないと、ダメなの…? 素敵だわ…」
「!!」
横を向いていたシカマルが、急に険しい顔になって正面を向く。
その口癖は---…
「---お前…、マリヤか?」
いのの唇の端がつり上がる。
「ふふ。やっと気づいてくれた?」
刹那、いのの姿が黒髪のマリヤに変わった。
それは、変化や分身・影分身の術とは異なる、
スーッと引いていくような混ざり合うような境界線のない変化の仕方だった。
まるで、ぼやけて見えるかのように。道理でテマリに見えたはずだった。
さっきのは、錯覚だったわけではない。
「あんたのその姿もニセモノか…? 頼むから紛らわしい姿しないでくれ。
お陰で酷い夢見ちまったじゃねーか」
「酷い夢? …酷いこというのね。それに、これが私の本当の姿よ」
「ふーん…。とは言え、あれはただの夢じゃねーな。あんた、オレの夢の中で、
幻術を見せていたな? さすがに夢ん中じゃ、オレも幻術返しはできねーよ」
----無我夢中だったし…。
「…さぁ、どうかしら。そんなことどうだっていいじゃない、面倒臭いわね。
それにあなたって、そうは見えないのに結構-----素敵だったわ…」
うっとりとして、マリヤがシカマルの胸に頬と手を添えるが、
シカマルは女を睨み返す。
「ホラ、その目…。獣のように相手を射抜く挑発的な目。
素敵過ぎてゾクゾクするわ…。だから、もう一度あなたと……」
「----そんなに良かったんなら、イヤというほど味わわせてやるよ」
シカマルはマリヤの白い手を掴み、ベッドに押し倒した。
真っ白なシーツに、闇色の絹糸が広がる。
余裕を孕んだマリヤの瞳が、テマリの緑目と重なる。
だから、今自分の背中に回されたしなやかな両手も、
彼女のものだと錯覚してしまう。
シカマルは誘われるがまま、彼女のぬくもりの中に身を沈めた……。
「----出て行け」
ベッドから抜け出し、シカマルは背中を向け女に冷たく言う。
「…それが終えた後の女に言うセリフ? ムードがないわね」
「るせ。あんた、何が狙いだ? 何故オレに付きまとう?
どうせ雲隠れというのもウソなんだろ?」
「…やっぱりあなた、素敵だったわ。あんなに激しくも狂おしい情熱、
一体この身体のどこに潜めていたの?」
マリヤははぐらかす。
身を起こし、彼の汗ばんだ背中にうっとり寄り添う。
「何でわざわざ火影の前に現れたりした? 宣戦布告か?
それともオレをあおっているつもりか? それにその傷----」
視線を感じ、マリヤがサッと太股の内側を隠した。
そこには、一生残るであろう傷が見えていた。
ズボンをはいたシカマルが立ち上がり、背中を向けたまま首だけを回し、女を見下ろす。
「あなたが欲しいだけよ…身も心もね。でも、心だけはまだ手に入らない。
せっかくあなたの想い人に似ているというのに、何故まだ堕ちないの?
あの人に嫉妬しちゃうわ…はやく私に全てを捧げて…」
「姿じゃねーんだよ。それに、身も心もねぇ…。
----悪りーが、オレはそんな甘かねーぜ」
「…え?」
どういう意味かわからず、マリヤの顔から初めて笑みが消える。
しばらく沈黙が続くが、シカマルが振り返りフッと微笑んだ。
それを目にすると、マリヤは散らばった衣服を手繰り寄せて、
忽然とベッドの上から姿を消した。
*
テマリは、帰る二〜三日前から文書をしたためていた。
取り敢えず、自分の知っている範囲で、調べたことをまとめていた。
時々、木ノ葉の図書処で数々の文献も参考にさせてもらった。
さすが五大国の中でも中心となる隠れ里。
砂では知り得なかった文献にも目を通すことが相叶い、貴重な経験をしたと思う。
テマリはそれだけでも満足だった。
元々、勉強熱心な性格だったので、本当はもっと読みたい本などがあったのだが、
もう帰る時間が差し迫っていた。
これ以上、同盟国とは言え、他里にお邪魔しているわけには行かない。
そろそろ砂の皆も心配しているだろうし、何より自分が故郷を恋しい…。
書き終わりペンを置くと、「よし」と言って立ち上がる。
あとはこれを火影に渡して、自分は帰るだけ。
----本当は、直接あいつにこれを言いたかったんだが…。
時間はたっぷりあったはずなのに、面と向かってまともに会話する時間はほとんどなかった。
こんなことは以前にはなかったこと。
----何があいつを変えてしまったのだろう…?
そう思うと、不意に彼の熱を帯びた唇と身体を思い出してしまう。
テマリは頭をブルブルと振り、おかしな思い出を忘れようとする。
だがそれは、忘れようと思っても忘れられず、時々彼女を苦しめていた。
そして、砂に戻れば自分はきっと名異斗と-------
テマリは、それだけが心残りだった。
本当にこれで良かったのだろうかと…。
「おごってやるという約束も、とうとう果たせなかったな…」
彼を傷付けたまま帰るというのも、何だか心残りだった。
それに、心にポッカリ穴があいているようなこの感覚は何なのか。
テマリは窓の外を寂しげに見つめる。
相変わらずスッキリしない空模様で、暗雲が垂れ込めている。
木ノ葉にいる間、ほとんど天気は曇天、時に雷を伴った雨だった。
テマリの心の中にも、雨が降り出しそうだった。
そうして、約二週間に渡るテマリの木ノ葉滞在は、これで幕を閉じた----。
To Be Continued …
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お、何とか第二部も、残り1〜2話くらいで終えられそう…。
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