らしく。(8/36)縦書き表示RDF


らしく。
作:五十崎由記



8.夏休み前


あの忌々しい合コンから日々は過ぎ行き、相変わらず退屈で少しだけ楽しい日常を今日子は送っていた。

そんな日々の積み重ねはやがて、あの日の事をつまらない思い出の一つへと変化させる。 

里美の口から彼らの話題でも出ない限り、いつの間にか合コンの事は思い出さなくなっていた。 


それはともかく。 

海も空も眩しいほどの青さで、県立八幡高校はいよいよ明日から夏休みへと突入する。 

教壇ではこの学校のアイドル教師であり、担任でもある椎名舞子が、恒例の夏休みの注意事項を照れながら読みあげようとしていた。
 
「ええっと、皆さん、真面目な話ですから聞いてください!」 

舞子は、今日子が以前好きだった先輩の彼女にちょっと似ている。 

ストレートの長い髪は真っ直ぐ下ろして、前髪はナナメ。 

そして女性らしい色使いのワンピースや長めのスカート。 

バカ相手に一生懸命語りかけるひたむきさや、ふわふわしたイメージが男子生徒から人気なのだ。

「この辺りの海水浴場は、例年県内外から沢山の方がみえられます。そこで――」 

舞子は日誌で半分顔を隠すようにして話しているが、そうする理由に今日子は勘付いていた。きっと、これから話す注意事項の内容が恥ずかしくて照れているのだ。

 
この学校のすぐそばには、県内でも有数の海水浴場がある。 

夏休みともなると大勢の若者やサーファーが集まり、自然――、ナンパ系の誘いが増えるのだ。 

数年前にこの学校の生徒が、都合のいい遊び相手にされた挙句妊娠したなどという噂話を、今日子も耳にしたことがあった。

そしてそれ以降、夏休み前のHRにくだらない注意事項が盛り込まれるようになったのだ。

「夏は開放的になり、余計な誘惑も多い季節ですから気をつけましょう。特に女子は、男の人から『何もしない』と言われても信じないこと!」
 
早口言葉のようにまくし立てた舞子は、顔どころか首筋まで真っ赤に染まっている。

「何もしないから舞ちゃん遊ぼうぜー!」

案の定男子にからかわれた壇上の舞子は、声を張り上げるとヒステリックに叫んだ。

「静かにして下さいっ! 以上、HRは終わり」 

 ◇

微妙に高さにズレのある机がガタガタと鳴り、クラスメイト達が帰宅の準備に取り掛かっている。 

HRも終わったことだし、今日子も本来なら帰る時間だ。

けれど。

「今日子……、日直?」

「うん」 

1学期最後の日。運悪く今日子は日直だ。 

里美は口唇を尖らせ、「えー?」と不満そうな声をあげている。
 
すっかりメガネっ娘を卒業してしまった里美は、あの合コン以来エロメガネに入れ込んでいる。20歳でエレガントな設定を維持し続け、この夏休みは彼らの会社で派遣のバイトをするらしかった。

「そんなの放っといて遊び行こうよォ。明日から、あんまり遊べないんでしょー?」

「うん。でも、これやって帰るよ」 

今日子は日直をサボるのも、サボる人も嫌いだ。里美には内緒にしているけれど。 

もちろん、日直の仕事が好きなわけでは決してない。ただ、この作業をサボりたいとまでは思わないのだ。 

もしかするとそれは、母子家庭で育ったせいかもしれない。今日子にとって、家事や雑用といった作業は、さほど苦にならないものだった。

「お祭りのバイト、いつ終わるの?」 

夏休みは、毎年今日子は出店のバイトをやっている。それは中学生の頃からだから、かれこれ4年目のキャリアだ。

「花火大会がラストかなー?」 

スナックの常連客でもあるヤクザ屋さんの紹介で始めたのだが、出店のバイトは日給にして一万円を超える。 

ただ、市内のお祭りは全部範囲内。つまり、客として祭りに参加することは難しい。

けれど、数日間働いただけで結構な給料になるそのバイトは、今日子にとって貴重な収入源になっていた。

「いつだっけ? それ。8月4日?」

「かな? 確か土曜」 

そんなわけで、今日子にとって毎年夏祭りは労働の日だ。それと同時に、『好きな人と夏祭りに行ってみたい』というのが、ちっぽけな彼女の憧れでもある。

「じゃあ、花火大会明けに連絡するー。――ってかさ」 

里美は廊下にチラっと目をやると、今日子に向き直って含み笑いを漏らした。

「うん?」

「待ってるみたいよ? カレ」
 
そう言って廊下を振り返る里美の視線の先を辿ると、教室のドアにもたれかかる茶髪の後姿が目に留まった。

「もうさ、いい加減つき合ってあげればー? 見てるとこっちまで切なくなっちゃうよ」

「うーん」
 
今日子には最近、毎日一緒に下校をする男子がいる。 

すでに通算3回告られその都度断り、なのに一向に諦める様子も無く、あのようにして健気に待っているのだ。

「女は想ってくれる人に応えてあげる方が、楽で幸せだと思うよ?」 

彼――横山泰は、イケメンではないけれど、少し垢抜けている。 

制服の着方や、気だるそうな話し方が今日子好みで。現時点ではクラスで一番仲の良い男子、って所だ。

「じゃ、帰るわ。花火大会終わったら連絡するー。遊び行こうねえ」

「うん、わかった」 

里美が教室から姿を消すと、そこに残るのはもう今日子ひとりきりだ。今日子はひとつため息をつくと、黒板に歩み寄り、早速作業に取り掛かった。
 
黒板消しさえきれいにすれば、あとは日誌を書くだけで日直の仕事は終わり。
 
今日子は黒板消しをふたつ取り上げると、窓の外に身を乗り出して、その内側を叩き合わせた。
 
もちろんクリーナーもあるのだが、今日子はそれを使うのが好きではない。吸い取りきれない粒子が表面にこびり付いて、きれいになったようには見えないからだ。
 
今日子は舞い上がるチョークの粉から顔をそむけ、教室の中に入らないようにと窓を閉めた。そのガラス窓に、どうやら教室へと入ってきたらしい泰の姿が映し出されていた。

 
振り返ると、泰は教壇前の机に腰掛けて携帯をいじっているようだった。 

きっとゲームでもしているのだろう。上体を屈めて携帯を覗き込み、せわしなく指を動かしている。

「何? 待ってんの?」

「あー、うん」 

声をかけると、泰は携帯から顔を上げ、その細い目を更に眩しそうに細めて今日子を見上げてきた。
 
そして。

「今日子ちゃんサー8月4日って暇してる?」
 
何を言い出すのかと思えば、それはついさっきまで里美と交わしていた会話の内容と似通っていて。今日子はその小さな偶然に、思わず笑いをかみ殺した。

「花火大会ならバイトだよ?」

「ちえっ! もう断られたあー」
 
花火大会といえば、この小さな田舎町では、真夏の一大イベントだ。高校生ともなればカレカノ同士で楽しむ姿も多く見られる。
 
泰は、きっと誘ってくれようとしていたのだろう。どちみち今日子はバイトが入っていて、都合がつかないのだが。

机に腰掛けたままの泰は、脚をブラブラさせながら手の中の携帯を折りたたんでいた。

その様子は断られたことをどうとも思っていないのか、なんとも自然体な素振りで。口で言うほど残念がっているようには見えない。 

今日子は、泰のこんな所が好きだ。

誘い方がしつこくないし、断っても明るい。

それは軽薄さと紙一重なのだけれど、今日子にしてみれば気分的に楽だった。

 
今日子は日誌に氏名を記入すると、それを教壇の上に置いた。そして自分の席に掛けたままのバッグを取ると、肩から背負った。

日直の仕事も、あとは戸締り確認をするばかりだ。
 
今日子は教室の窓ガラスを全部閉めると、そのまま踵を返して廊下の窓ガラスを確認しに向かった。

と、その時。

「夏休みだけでもさー、試しにつき合わねえ? 俺ら」
 
背中に、これで4回目になる告白が聞こえて。今日子は小さくため息をつくと、教壇前の泰を振り返った。

「またその話? 懲りないなあ」
 
茶化すようにそう言いはしても、今日子は明確な返事を口にしないままでいた。
 
ほんの少し前に里美と話をしたからだろうか。『想ってくれる人とつき合う方が幸せになれる』と言った里美の言葉を、急に思い出したからだ。

 
今日子は、相手からの気持ちを受け入れたことが一度も無い。
 
それは好き好みの問題ではなく、基本的に今日子は自分が追いかける側の恋しかしたことがないためで。

好きでもない人とつき合うなんて、そんな考えははなから持ち合わせていなかったのだ。
 
けれど。
 
何度断っても諦めず、根に持つような素振りさえ見せない泰に、今日子の気持ちは徐々に懐柔されつつあった。
 
何しろ、泰ほど粘る男など見たことがない。

その粘りも方法を誤れば今日子の負担になるのだろうが、それすらなくて。今日子はいつしか、そんな泰の明るさに好感を持つようになっていたのだ。
 
それに、泰は『試しに、夏休みだけ』と口にした。

その気安さが、余計に今日子の背中を押して。今日子はそれきり黙りこむと、泰への返事を考えあぐねた。

 
いつになく返事の遅い今日子の様子は、泰の目にもあと一押しで落ちる風に映ったのかもしれない。

泰は緩んでいた口元を引き締めると、真面目そうな顔つきで言葉を紡いだ。

「俺 今日子ちゃん好きだよ? 本当に」
 
その声は、やたら真摯に胸を刺して。今日子は日頃とは違う泰の、その真剣な眼差しに吸い寄せられ、視線を逸らすことが出来なかった。
 
どうしよう、試しに夏休みだけつき合ってみようかな。こんなに何度も告白してくれるのだから、きっと大事にしてくれるに違いない。

――今日子はそう考え巡らし、ふうっと小さく息をつくと、初めてOKの一言を口にしようとしていた。

 
その時、たまたま窓から強い日差しが差し込んできて。

雲間から覗いた真夏の太陽が、泰を直撃したのだろう。彼は顔の前に手を翳し、強い光を遮った。

泰の右腕にある時計の文字盤が、きらりと日差しを撥ね返していた。広げた手のひらを翳した顔は、その口から下だけが見えて。
 
今日子には、半分隠された泰の顔が、知っている誰かとだぶって見えた。どこかで見たことがある――そんな気がしたのだ。
 
今日子はなぜかそれが気になって。泰の手からはみ出している彼の口元を凝視すると、記憶の糸を手繰っては、似ている誰かを捜し求めた。
 
ニッと、口の片側だけを釣り上げたように笑う口元。それは少し、意地悪そうで。よからぬ企みを、思いついたようにも見えて。

「眩しっ!」
 
不意に声を出した泰の、その口唇の動きが、今日子の胸にひとりの人物を思い浮かばせた。 


――オカダだ。
 
今日子ちゃーん、と呼ぶ軽い声。そしてニッと口角を上げる笑い方。
 
泰は――、少しだけオカダに似ている。骨格が似ていると声も似てくるのだろうか。
 
今日子は泰の口元を食い入るように見つめながら、意識は記憶の海を漂っていた。
 
バカにするみたいな言い草や、今日子の言葉尻をとらえては茶化すように笑う声。そして、騙されて奪われたファーストキス。
 
そんな――出来ることなら忘れたままでいたかった過去が、今日子に思いもよらぬきつい一言を言わせていた。

「絶対やだ。無理!」
 
泰も、今回ばかりは期待していたのだろう。いつもなら残念がるポーズしか見せない彼が、無念さを声に滲ませていた。

「ええ? ひでーなあ。 これはもしや、と期待したのに!」 

泰はストンと机から飛び降りると、次の瞬間には、声とは裏腹な明るい笑顔を見せていた。

「振られた人の表情じゃないよね? 泰って」
 
思わず他人事みたいに言い放つと、こちらに向かって歩いてきた泰は、小さく声を漏らして笑っていた。

「ダメ元の長期戦だからねー」
 
鼻の頭に皺を寄せて笑う泰は、スポーツバッグを肩に背負い、どうやら今日子と一緒に帰るつもりでいるらしい。
 
今日子は泰が教室を出るのを待って、ドアを閉めた。

「――よし、戸締りOK!」


少し前までの喧騒とは打って変わって、廊下は人影が見当たらず、静まり返っていた。
 
明日からは、一月以上にもわたる長い休みだ。
 
次にこの廊下を歩くのは、9月。その時も自分は、いまと変わらず平凡な毎日を送っているのだろうか。と、今日子は想像した。そして、そんな一月後の自分を思い描くにつれ、さっき強い口調ではねつけた泰からの告白が、急に惜しまれ始めた。
 
今日子はちらっと隣の泰を見上げ、オカダに似ているその口元で視線を止めた。 

オカダに似ている。たったそれだけの理由で反射的に拒絶してしまったけれど。でも――と、今日子は口唇を噛んだ。
 
少しばかり似ているだなんて、気にしなければ済むことだ。泰はこの通り話しやすくて、一緒にいて苦になるタイプでもない。
 
今日子はひとり頷くと、胸の内である決意を固めた。

――『次、また懲りずに告って来たら、その時こそいい返事をしよう』

「何ひとりでニヤニヤしながら頷いてんの? 今日子ちゃん気持ち悪い!」
 
どうやら勝手に頬が緩んでいたらしい。今日子は片手で頬を擦ると、「何でもない!」とぶっきらぼうに答えた。

 
閑散とした校舎に、ローファーとスニーカーのすこし異なる足音が交互に響いた。

今日子は階段を軽快な足取りで下り、さしかかった踊り場で足を止める。
 
今日子の背丈よりも大きな窓の向こうに、真っ青な海と夏空が広がっている。右奥に見える山際には、存在感のある雲が顔を覗かせて。まさに夏本番といった景色だ。

「今日子ちゃーん、何してんのー?」
 
呼び声に振り返ると、泰が階段を下りた先の下駄箱からこちらを見上げていた。

「いま行くー」
 
今日子は声を張り上げると、階段を駆け足で下り、最後の数段を一気に飛び降りた。










  





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