6.合コン 4
その洋風居酒屋には、今日子達のくつろぐ個室から更に奥まった位置にバーカウンターがある。
南国のジャングルをイメージして造られたそこは鬱蒼と木が生い茂り、ギリギリまで落とした照明のせいか、外の通路から中を窺い知ることは出来ない。
入っていく客層もカップルばかりで、独特の妖しいムード漂う空間だった。
合コンのメンバーはバーでふたりきりの会話を楽しむ人たちと、相変わらず居酒屋スペースで会話を続ける人たちとに分かれていった。
まず最初に腰をあげたのがエロめがねとサトだ。
ふたりは外野が口を挟めないほどの親密ぶりを見せつけながら、バーへ移動していった。
次にオカダを取り合っていた派遣社員の内のひとりが、ハシモトとバーへ。
今日子をしつこく誘っていた新垣は電話がかかってきたらしく席を外し、居酒屋スペースには今日子とオカダ、そして派遣社員のケイという女の子の3人だけが残っていた。
そしていまそこでは、オカダとケイがふたりの世界を作っており、その真正面に座ったままの今日子はひとりグラスを傾けている――といった按配だ。
こんなに狭い、そして薄暗い部屋に取り残された今日子は、これからどうすればいいのかわからずにいた。
なにせ初めての合コンだ。
バーへと、一組消え、二組消え、そして目の前では三組目がいい雰囲気を作り出している。
明らかにお邪魔虫だとわかっているけれど、無断で帰っていいものかどうかがわからないのだ。
今日子はひとりため息をつくと、前の席に座るふたりをこっそりと窺った。
ケイはギャル系で、きついツリ目を太めのアイラインで縁取った瞳が印象的だ。
今日の合コンに賭けているのか、フレンチネイルにはアートが施され、着ているワンピースも四国では手に入らないショップの品だ。
そんなケイは、先ほどからずっとオカダをバーへ誘っている。
「ねえ、オカダさーん。あたし達も行きましょうよお」
そう言って上目遣いで見つめるケイに、オカダも満更ではないのだろう。
「いやあ、オレは生ビール派だからさ。こっちの方が都合いいんだよなあ」
と首の後ろをボリボリ掻きながらも、頬はでれっと緩みっぱなしだ。
今日子は携帯の時計を確認し、あと10分待ってサトが戻らなければ先に帰ろうと思っていた。
前の席ではオカダとケイが社内の噂話をはじめたようだ。出てくる名前も、専門用語も、今日子にはまるでわからない内容だった。
ふと今日子は、ケイの話に相槌を打つオカダの日焼けした右腕に目をやった。
ビールジョッキを持ち上げた瞬間に腕時計がずれて、日焼けの痕があらわになったのだ。
右腕だけが特に焼けて見えるのは、車の運転のせいなのかもしれない。
妙に筋張っているその腕は、クラスの男子と比べれば一回りは太さが違うように見えた。
けれど――と、今日子はオカダの表情をじっと窺った。
笑い方といい、雰囲気といい、オカダはどこか少年のように映るのだ。
眉を片方だけ上げて笑うのは癖なのか、少し気が強そうで。
いつも笑っているように見える口元は、元々口角が上がった得な形をしているのかもしれない。
そして幼く見える最大の要因であろう瞳は、リスのようで。
顎を引き気味にして上目遣いで笑う顔は、いたずらっ子をそのまま大人にしたようだった。
髪は黒く、ぼさぼさで。無造作に見せながら実は時間をかけた立ち具合なのかもしれない。
薄いピンク色のYシャツにグレイのネクタイは、会社帰りなのだろうか。襟に社章らしいピンのような物が留められている。
「――なあ?」
そのオカダが急にこちらを向いたかと思えば、口の端をニッと上げた。
「そんなに見つめられたら照れるだろー? 今日子ちゃんもしかして、オレに惚れちゃった?」
そう言って頬づえをつき、こっちへと身を乗り出してくる。
「なっ……。あるわけないし! 自意識過剰だってば」
今日子はグラスを持ち上げ、わざとらしく自分を見るオカダから目を逸らした。そして横顔にケイの視線を感じながら、ジントニックをあおった。
わざわざ睨まなくても、うざがられていることくらいは今日子にだってわかっているのだ。
「おいおい、飲みすぎじゃねーの?」
今日子はトンと音を立ててグラスを置き、バッグと携帯を掴んで立ち上がると嫌味なほどの笑顔を作った。
「別に。――じゃあ、お邪魔虫は消えますから。ごゆっくり」
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かっこよく部屋をあとにしたはいいけれど、今日子は出てすぐ壁に手をつくこととなった。
座っている時は平気だったのに、歩いた途端足元がふらついたのだ。
今日子は壁沿いを手で伝いながら化粧室へと歩いた。
途中、角に置かれた観葉植物に躓きそうになり、いよいよ自分が酔っ払っていることを思い知る。
まったく、何てザマだ。
――と、今日子はぶつけた膝を擦りながら苦笑した。
オカダの忠告はあながち間違いではなかったのだ。ちょっと調子に乗って飲みすぎたらしい。
今日子はようやく辿りついた化粧室に身を滑り込ませ、洗面台の大きな鏡を覗き込んだ。
鏡に映った顔は、頬が少し赤らんでいる以外はどこも変わりはない。
普段より時間をかけた化粧は、グロスのとれた口唇のせいか、あまり濃くは見えなかった。
丁寧に巻いた茶色の巻き髪は崩れておらず、ゆるいカーブを描いて鎖骨に垂れている。
そのわきに引っかかったキャミソールのストラップが、細い肩を強調していた。
誰からも、『若く見える』とは言われなかったその姿をもう一度見直しているうちに、今日子の目線は自然と左の耳に吸い寄せられた。
左手で耳たぶを触ってみたけれど、あの時のようなぞくぞく感はない。
ふと――、脳裏にオカダのからかうような笑顔が浮かんで。今日子は顔をしかめると、鏡の中の自分に水を引っかけた。
「まったく、合コンなんて二度と行かないんだから」
無意識に口をついて出たひとりごとは、化粧室の壁に跳ね返り、確認しなおすように今日子の鼓膜を震わせた。
手早く化粧を直したあと、今日子は携帯のメールフォームにサトへのメールを打ち始めた。
お金は相手持ちらしいと聞いていたけれど、内緒で帰るのはやはり気が引けるのだ。
覚束ない指先で短いメッセージを入力し、化粧室を出る。そして送信ボタンを押した――その時だ。
「今日子ちゃん大丈夫?」
ディスプレイに気をとられていた今日子は、通りを歩いてきた人にぶつかって抱きとめられた。
「え……あ、すみません、よそ見してて」
運悪く、それは新垣で。
執拗に誘う新垣が席を外しているうちに帰りたかった今日子にとって、間が悪いとしか言いようが無かった。
今日子は携帯を閉じ、新垣から身体を離そうと後ろに引いた。
けれど。
「今日子ちゃん、足元が危なっかしいね。――送るよ」
新垣は今日子を抱きとめた腕を更に回すと、絡めとるように腕を掴んでくる。
「え? いや、いいです。あたし一人で帰れるので」
焦って軽くもがいてみたけど、それは無駄な抵抗で。
今日子はより強い力で腕を掴まれ、新垣に引き寄せられた。
「ちょっ……」
抗議するつもりで睨みあげた今日子の目に、新垣の困ったような表情が映った。
新垣はその端正な頬を歪ませると、
「こんな所でみっともないよ。お互い大人なんだからさ……わかるでしょ?」
と、ため息まじりの声を出した。
今日子はここにきて、本気で恐ろしくなっていた。
キャミソール一枚の背中は冷房が効いているにも関わらず、冷たい汗が伝っている。
飲みすぎたせいもあるだろうが、喉が渇いて、うまく舌が回らなかった。
それに。
こうしている間にもすれ違う見知らぬ客は、見てみぬふりをして通り過ぎていく。
それどころか、あからさまに笑っている人もいて。
どう抵抗したところで新垣の力に敵うはずもなく、今日子はずるずると引きずられるように出口へ導かれていた。
情けなくも、涙で視界がぼやけてくる。
そしていよいよ最初の一滴が零れ落ちそうになった時、その声は背中から聞こえた。
「――新垣。その子、オレ予約済みなんだよね」
新垣の、強引な腕の力が急に緩んだ。
今日子はその反動で尻餅を付きそうになった所を、背中から支えられた。
「オカダ……」
ぼそっと呟いた新垣は、ぽかんと口を開けて今日子の後ろを見ている。その視線の先に、オカダがいるらしいことを今日子は知った。
「悪いなー、新垣。まあ、そういうことだから」
頭の上からそんなセリフが聞こえた直後、今日子は後ろから伸びてきた腕に、やんわりと引き寄せられた。
それは全然不快ではなくて。
今日子は胸の前で交差された腕と、背中から伝ってくる体温に、猛烈な安心感を覚えていた。
根拠なんて、ない。
ただその温かさと力加減は、新垣から感じたような獰猛さを微塵も感じさせなかったのだ。
助けてくれたのだ――と、本能で確信していた。
新垣は、「マジかよ」と漏らすと今日子を見下ろし、拝むようなジェスチャーを見せた。そして
「今日子ちゃん、ごめんね? んじゃオカダ、またな」
と小走りに個室の方へ立ち去っていった。
新垣の後姿が見えなくなったあと、ようやく今日子は背中の男を振り返った。
きっとニヤニヤしているのだろう。
――そう思っていたけれど、やはりオカダは口の端を上げて笑っていた。
「オレ、ちょっと格好良すぎだなあー。だろ?」
そう言って少年のような笑顔を見せるオカダは、さっきまでの怖さを吹き飛ばすような明るさで。
今日子はその笑い顔に吸い寄せられて、お礼を口にすることすら素で忘れていた。
やがて立ちすくんだままの今日子の髪を、オカダはくしゃっとかき混ぜると、
「送ってやるよ」
とひとりで先に歩き出す。
今日子はオカダに乱された髪を撫でながら、その背中をじっと見ていた。
いつもの今日子なら絶対口にしているはずの、
『髪の毛ぐしゃぐしゃにしないでよね』
という憎まれ口さえも声にならないままで。
そして、店の入り口で立ち止まったオカダが、
「おいっ。帰んねーのかよ?」
と振り返るまで、今日子はその場に立ち尽くしていた。
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