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らしく。
作:五十崎由記



5.合コン 3


新垣の綻んだ口元が動く瞬間は、まるでスローモーションのように今日子の目には映った。

室内を薄暗く演出しているキャンドルが微妙な空気の流れに揺らめき、その仄かな灯りがステンドグラスからこぼれ、彼の横顔を照らしていた。


「――3番の人に、口移しでコレを飲ませてもらおうかな?」

そう言って新垣は、飲みかけのソルティドッグを高く持ち上げた。

「やだあ! 新垣さんエッチぃ」

自分じゃなくて残念なのか、ホッとしているのか、女の子達が口々に嬌声をあげる。


今日子は体中の血が沸騰するような、そんな感覚に襲われ、手の中の割り箸をぎゅっと握り締めた。

所詮、これが男の本性なのだ。

たとえ趣味がスキューバでも、誘い方が素敵でも、いくら爽やかそうに見えても、一皮向けばクラスのサカった男子と変わらない。

そんな新垣を一瞬でもかっこいいと思った自分が、今日子は悔しくてならなかった。


新垣はその番号の持ち主が誰なのか、知っているくせに知らないふりで。

誰だかわからないけど名乗り出るのを待ってます――、という風を装っているようだった。

「お前も好き者だなァ。3番だれー?」

メガネがニヤニヤと見回して、女の子達が『あたし違ーう』と呟く。

違うと口に出さない人が限られてきた中で、自然と今日子に目が集まっているのがわかった。


何故こんな形で、見世物になりながら口移しなどしなければならないのか。ルールだとはわかっていても、今日子は納得できなかった。

何せキスどころか、男と付き合ったことさえないのだ。

別に後生大事に守ってきたわけではないにしても、ちょっと憧れがあったのも確かで、それを思うとひどく情けない気分になった。

鼻の奥がつんと痛んで、悔しくて、涙が出そうだ。

でも。

これ以上黙ってもいるのも、そろそろ限界だろう。名乗り出ないと仕方がない。

自暴自棄な気分も手伝って、今日子がようやく重い口を割ったその時。


「あた……」 「参ったなあ! オレだよ」


俯いたまま呟いた小さな声は目の前の男によってかき消され、今日子は弾かれたように顔を上げた。

「やだあ! オカダさんの口移しぃ? 写メ撮ってもいいー?」

「いいよー、撮っちゃって」

オカダと一瞬目が合ったけれど、今日子は唖然として咄嗟には言葉が出ないままだ。

そのうちに彼は立ち上がり、さっきと同じようにテーブルを回り込むと、今日子と新垣の間に割って入った。


見上げたオカダの肩越しに、ぽかんと口を開けた新垣の間抜け顔が見える。

仰け反ったオカダの動きで、彼が新垣のグラスの中身を口に含んでいるのがわかった。

今日子の位置からは、オカダの広い背中に邪魔をされ、直接目にする事は出来ない。

けれど、キャアキャアと囃し立てて写メを撮る周囲の様子から、きっといま口唇が重ねられているのだろうと想像できた。


喧騒の中、今日子の胸の内にはたくさんの『なぜ?』が飛び交っていた。

オカダは勘違いをしているのだろうか? 

いや、勘違いでなければ、わざわざ名乗り出てまで恥をかくわけがないのだ。

今日子はもう一度確認してみようと、手の中の割り箸を隠し見た。

――3番。

何度見ても、今日子の割り箸は3番だった。

オカダの申し出は窮地に立たされていた今日子にとって、まさに天の助けともいうべき幸運に他ならない。

けれど、オカダの勘違いをその場で正さなかったことが、今日子に後ろめたさを感じさせていた。


やがて。

オカダの背中の動きで長い行為の終わりを知った。

「ごちそうさまでしたあ!」

そう笑い飛ばした声のあと、オカダがくるりとこちらを振り返った。

その動きが巻き起こした小さな風で、キャンドルの炎が揺らめき、照明が波立っている。

仄かな灯りがオカダを照らしだし、彼の口唇が濡れていることがわかった。

今日子は息を呑むと、慌ててまつ毛を伏せた。

そして目を合わせることも、うまく呼吸をすることも出来ないまま、オカダが通り過ぎるのをじっと待っていた。

それはほんの一瞬の出来事。

だけどその10倍にも、20倍の時間にも感じられた。

すれ違いざま、オカダは周囲の目が死角になった合間を縫って、今日子の手の中の物を取り去っていった。

不意打ちともいえるその動作に、今日子は驚いて顔を上げた。

口の端をニッと上げて笑うオカダの横顔が、視線の先を一瞬掠める。

けれどすぐにそれは逸らされて、彼の背中を目で追う形になった。


オカダは勘違いをしていたわけではなかったのだ。今日子の番号をわかった上で、助けてくれたのだ。

気付いてたんだ、と今日子は口唇だけで呟き、声に出せないそれを喉の奥へと押しやった。


席へ戻ったオカダは、女の子達から寄せられた携帯のディスプレイを覗き、笑っているようだ。

そのまま生ビールのジョッキを手に、冗談を飛ばしている。

まるで、何も無かったみたいに。

「ねぇ、今日子ちゃん?」

「え?」

囁くような声に振り返ると、隣の新垣がメニュー表で苦い顔を隠すようにして、今日子に口元を寄せていた。

「今日子ちゃん、オカダ狙いなの?」

そう問いかける新垣の瞳はいぶかしむようで。

今日子は質問の意味に一瞬戸惑いながら、まさか、そんな、と、手を振りながら否定した。

「ない、ない! ホラ、彼を狙っているのはアノ人たちだし?」

「そっか、ならいいけど……」

尚も何か言いたげな顔つきの新垣を遮り、今日子はジントニックの残りをぐいっと飲み干した。そして、

「新垣さんドリンクの追加注文、お願いできますか?」

クラスの男子達から『可愛い』と好評な上目遣いでそう言うと、頬の横でグラスの氷をカランと鳴らした。

「オッケイ」

新垣はふっと表情を和らげ、それで会話は終わりを告げた。


けれど。

今日子は気持ちの波が、ざわざわと音を立てていることに気付いていた。

それは強く、静かにスピードを増して。

そのざわめきは、新垣に誘惑されかけた時や、耳に息を吹きかけられた時とは違う感じで。

もっと、ずっと、胸の奥から揺すぶられるような、確かな強さをもっていた。


両手で空のグラスを揺すると、また氷の鳴る音がした。

それを目の前まで持ち上げて、今日子は向こう側を透かし見る。

ライムの刺さったグラスの奥に、氷の曲線に歪んだオカダの横顔が映った。

その大笑いしている口元に自然と目が引き寄せられ、今日子はどうかしている、と頭を振った。

それでもなんだか気になって。ついついオカダに目がいく自分がいて。

今日子は少々飲みすぎたらしい自分を諌めるように、頬に冷たいグラスを押し当てた。

そしてしゃんと背筋を伸ばし、もう一度オカダに目を移した。

ムカつく男。

でもあの男に庇われたことは確かなのだ。

――オカダさん、か。

声にならない呟きは、ただ喉の奥を震わせただけで終わった。

けれど、胸の奥のざわめきは、まだ小さな音を響かせていた。







  





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