33.墓参り
その崖っぷち上空には、一羽のカモメが飛んでいた。
丈の伸びたシロツメクサが群生し、あたり一面が緑色に染まっている。
どこからかタネが飛んできたのだろう。
1ヶ所だけ黄色い花をつけた草が生えていた。
崖の際には錆びた柵が申し訳程度にあるばかりで、そこから海面を覗き込むと足がすくむほどの高さがあった。
風のせいか、瀬戸内海とは思えない激しさで波が打ち付け、白い泡を浮かべている。
その――、なんだかサスペンスドラマにでも登場しそうな崖っぷちに、啓二の父親の墓はあった。
ぽつん、と。
注意しないと、見落としてしまいそうなささやかさで。
「カノジョ連れてきたよ」
啓二は開口一番、墓石に向かってそう語りかけていた。
まださほど古くない墓石の側面には、日付と、啓二とは一文字違いの名前が掘り込まれている。
どうやら彼の父親は、彼が小学生の頃に亡くなられているらしい。
啓二は墓前に花を供え、線香を立てると跪いて手を合わせた。
それにならって、今日子も冥福を祈る。
目を閉じると、打ちつける波の音に紛れてカモメの鳴き声が聞こえた。
車が、砂利を踏みしめながら近づく音がする。
蒸気の漏れる気配で、それがバスであることがわかった。
目を開けて隣を見ると、まだ啓二は瞼を閉じたままだった。
その横顔を、今日子はじっと見つめた。
耳をすませば、祈りの声が聞こえそうな神妙さだった。
やがて。
祈りを終えた彼が、昨日作った風鈴を墓にかけた。まるでオリンピックのメダルを授与するみたいに。
強い浜風に翻弄される風鈴は、右に左にと大きく揺れているのに、不思議と音が出なくて。
手に取ってみると、啓二が細工したのか透明のテープが貼りめぐらされていた。
風鈴の下では、線香の白い煙が生まれたはなから風に千切られている。
色々と問うてみたい疑問はあるが、今日子は口に出せないでいた。
今日子の家にとって父親の話がタブーであるように、彼にとっても同じかもしれない。
そう思うと、黙る以外なかった。
「あー、疲れた」
突然、墓手前に広がるシロツメクサの上に啓二がごろんと寝転がった。大地と一体になって、全身で太陽を受け止めるみたいに。
「腹減った。飯食おうよ」
顔だけをこちらに傾けた啓二の、前髪が揺れている。
無邪気な物言いが、甘えた子供みたいだった。
その後ふたりは、墓の前で弁当を広げた。日差しを遮るもののない、炎天下のもとで。
食べている最中も、終わったあとも、会話はない。
啓二が寝転んでいる間は、今日子は四葉のクローバーを探し、啓二が起き上がると、今日子も手を休めた。
やがて。
啓二はここの空気を満喫出来たとでもいうみたいに、「よし」と掛け声をあげて起き上がった。
再び父親の墓前に座り、小声で何かを語りかける。
そして最後のお別れを告げるみたいに、墓石を手のひらで擦っている。
「行こうか」
振り向いた啓二は吹っ切れたような笑顔を見せ、手を差し伸べてきた。
今日子はその手に自分の手を重ね、引かれるままに歩き出した。
助手席のドアを開ける前に、もう一度今日子は墓を振り返った。
音の鳴らない風鈴が、風を纏って揺れている。
その丸みを帯びた縁が、午後の日差しをきらりと跳ね返していた。
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「いまの場所に、子供の頃住んでいた家があったんだ」
車を発進させたあと、バックミラーを見上げて啓二が言った。
「え?」
ガラス越しに振り返ったけれど、崖はとっくにカーブの向こう側で。
今日子の目には、切り取られた海と、窓に映った自分の顔が映るばかりだった。
墓から遠ざかるにつれ、ようやく啓二はぽつりぽつりと少年時代の思い出話を語り始めた。
あの場所で、両親が民宿をやっていたこと。
ひとりっ子で、遊び相手がいなかったこと。
お父さんは風が好きで、紙飛行機を作るのが上手だったこと。
「――その風好きが高じてさ、まだ世間では珍しかった家庭用の風力発電機を買ってきたらしいんだ。小型の、屋外に取り付けるやつをね」
彼の咥えたタバコの煙が、風にのまれて吹き飛んでいく。
その軌跡を目で追いながら、今日子は啓二の声に耳をすませた。
「発電機さえあれば、もし台風で停電になったとしても民宿一軒分の電力が賄えるはずだから。って」
タバコの先に、溜まった灰が首を傾げている。
それに気付かないのか、啓二は灰を落とすでもなく咥えたままだ。
今日子は慎重に彼の口からタバコを抜き取ると、灰皿でもみ消した。
「オレが小学5年生の時に、とても大きな台風がきたんだ。その日は学校が昼で終わって、家に早く帰るように注意されたのを、いまでもよく覚えているんだけど。夜になっていよいよ本番かって時に、停電になったのさ。真夏で、すごく暑くて」
啓二は、そこで黙り込んだ。
海岸沿いの道は一車線の下り坂で、左手には海が広がり、右手は木が生い茂る林になっていた。
木漏れ日がフロントガラスにまだらの影を落とし、ボンネットの左の角が眩しく光っている。
やがて啓二は、古ぼけた建物の脇に車を停めた。
えんじ色の屋根に、黒ずんだクリーム色の壁。
木造平屋建てと思われるその建物の入り口には、墨汁の滲んだ木の看板がかかっていて、『XX地区公民館』と書かれていた。
「懐かしいな。ちょっと降りようか」
そう啓二に促され、今日子は公民館に降り立った。
爪先立って中を覗いたが、公民館には人の気配が感じられない。
窓はカーテンがきっちりと閉じられ、駐車場の入り口には鉄の鎖が掛けられている。
自動販売機でジュースを買い、ふたりは入り口の段差に腰掛けた。
駐車場を囲む塀の、濃い影が落ちている。そこにうずくまる猫を、啓二の視線は捉えていた。
けれど。
身を起こした猫が、のっそりとその場を離れたあとも、啓二の視線は動かなくて。
彼が、そこにはない何かを見ていることが、今日子を不安にさせた。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、まるで啓二が遠くにいるみたいだった。
啓二、と呼びかける前に、彼が口を開いた。
「とにかくその夜、うちの父親は発電機を見てくると言って懐中電灯片手に外へ出たらしい。そして、さっきの墓があった場所で吹き飛ばされて、海に落ちた。死体はあがらなくて、だからあの墓には何も入ってないんだ」
缶の表面に浮いた結露が、手のひらを濡らしていた。
啓二は缶を開けないまま、またタバコを咥えている。
濡れた手のひらで庇うようにして火を点け、煙を吐き出している。
「まだ聞く? ってか、オレのこと知りたい?」
やっとこっちを振り返った啓二は、強気な口調とは裏腹に眼差しが揺れていて。
それを見た瞬間、今日子はその首に抱きついていた。強く、しがみついた。
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