3.合コン 1
八幡浜市は愛媛県の西、九州と海を隔てた臨海の地だ。
そして主な産業は第一にみかん栽培が挙げられる――つまり農業主体の小さな地方都市だ。
そんなわけだから地価が高騰するわけもなく、それは街の中心部である駅周辺を見ただけでもわかる。
通常なら縦長のイメージが強いオフィスビルも、ここでは横長の作りだ。町全体の風景が、平たく、横に広がる感じで展開している。
食料の自給率が低いと言われる現在でも、ここではまだまだ農業や漁業で生計を立てている家庭は多く、都会のようにサラリーマン家庭が大多数なわけではない。
今日子の母親が経営するスナックの客は、そんな――自営農業・漁業のおじさん方が大半を占める。
そして今夜、里美と合コンの待ち合わせをした場所は駅の噴水前だ。
この街で合コンが出来るお店といえば、このあたりのオフィス勤務なサラリーマンを客層にする居酒屋か、バーくらいしか選びようがない。
それらのお店は外観も多少は洒落ているし、建物自体が広いこともあって、スペースもゆったりと作られている。
そもそもが夜に開いている店の少ない土地だ。
今日子のような『田舎の、ちょっとスレた子』は、極限られた遊び場の中で、適当に楽しみを見出すしかないのだ。
だから、会場に指定された居酒屋の名前を聞いたときも、ああ、あの店か、とすぐに分かった。
今日子が開いた携帯のディスプレイは19時20分を表示している。
この頃は随分と日が暮れるのが遅くなったなあ、と今日子は感慨に耽りながら西の空に広がる夕映えを眺めた。
オレンジ色に染まった雲がうすくたなびき、湿気の強い生暖かい風が時折強く吹いている。
丁度仕事帰りの時間帯だ。
駅の改札からは少し疲れた顔の社会人たちが次々と吐き出され、家路へと急いでいる。
梅雨が明けない季節柄、手に傘を持つ姿も多い。それが余計に、仕事用らしい大きな鞄を重そうに見せていた。
それはともかく、合コン、だ。
初イベントに備えて、今日子もそれなりに頑張ってきたつもりだった。
何が何でも20歳のフリーターに見えなきゃいけないわけだ。
普段から大人っぽく見られる今日子でも、さすがに社会人に見えるかどうかまでは自信が無かった。
噴水前に佇んでいた今日子は、波打つ水面に顔を覗かせた。
絶え間なく吹き上げる水しぶきと零れ落ちる雫に、波紋が途切れることはない。
映った顔はもちろん歪んでいてチェックどころではないのだけれど、そうでもしていないと、どこかソワソワと落ち着かないのだ。
今日子は諦めて顔を起こし、いつもは履かないミュールの高い踵をカツンと鳴らした。
「今日子ー!」
駅の改札から続く横断歩道の向こう側から、耳に馴染んだ里美――、もとい、サトの呼ぶ声が聴こえた。
今日子は眩しい西日に目を細めながら首を巡らせ、サトの姿を探した。
けれど、それらしい人物の姿は見当たらない。
……と思っていたら、今日子の脳が一度は『違う』と素通りしたはずの女がサトだったようだ。
小走りに駆け寄るサトは、メガネっ娘の衣装を脱ぎ捨てて、カラコンと色合いのきれいなニットのワンピース姿だ。
とても17歳には見えやしない。
今日子はサトの変貌振りを上から下まで眺め、しみじみと感嘆の声をあげた。
「サト、気合い入ってるねぇ。お姉さんみたいじゃん」
そう言った後になって、お姉さんのフリをしているのだから当然か、と思い直し、今日子はひとりクスクスと笑った。
「お待たせー。……今日子も、なんだかカワイイね。Can-Camのモデルを意識したっぽい!」
思い切り図星をつかれ、今日子は恥ずかしくなって俯いた。
これでも雑誌の特集記事――『合コンで好感度抜群! 新人OLの必勝コーディネート』を片手に頑張ったのだ。
今日子はさんざん悩んだ末に、一番大人に見える黒いキャミソールのワンピースを選んだ。
多少露出度は気になるけれど、年齢を誤魔化すためだ。この程度の賭けは仕方がない。
それにしてもお互いの容姿を牽制しあう独特の雰囲気が、そういうイベントがこれから始まるのだという事を余計に意識させ、今日子はにわかに緊張し始めていた。
サトは駅前留学のビルに掲げられた大型ディスプレイの時計を見上げ、
「――もう時間ギリギリ! 行こ」
と、今日子の二の腕を引いた。
「うん」
今日子は高鳴ってきた鼓動を落ち着かせるつもりで息を一つ吐くと、首を縦に振って答えた。
そしてふたりは、いつもより余所行きの衣装と強張った笑顔を纏い、夜の街へと飛び込んで行った。
小さめなバッグの柄を握る今日子の手のひらは、じっとりと汗が滲んでいた。
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その会場は、去年オープンした洋風居酒屋の奥――白い木のパーテイションや、背の高いベンジャミンの植木で目隠しされた通路の奥の個室にあった。
閉ざされた中の部屋からは男女の声が漏れ聴こえ、ふたり以外のメンバーがもう揃っていることを予感させる。
サトは『開けるよ?』と小声で耳打ちし、今日子がそれに頷いた後、その扉は開かれた。
「コンバンハー!」
明るい声で中に入るサトの、背中越しに中を覗く。
天井から吊るされた大きな羽がゆっくりと回る室内は、外のフロアとは一転して薄暗く、掘りごたつ調のテーブルに男が4人、女がふたり座っていた。
一見して今日子達よりもずっと年齢が上と分かるその顔ぶれに、今日子は母親がやっているスナックでの一場面を思い出した。
ゴルフコンペの打ち上げや、ママ――、母親の誕生日にはホステスの人手が足りず、手伝いに呼ばれた事が何度かあるのだ。
その時に接客した『上司に連れてこられた若いサラリーマン達』と、目の前の男達がだぶって見えた。
「ここに座りなよ」
その声がどうやら自分にむけられたものと気付くと、今日子は『ここ』と差された場所に目を向けた。
「……ハイ」
返事をしたはいいけれど、どう見てもそこは男に挟まれたスペースで。
不安になってついサトを振り返ると、別の声に誘われたサトは、何の抵抗も感じさせない明るい声で席に着こうとしていた。
それを見ると躊躇っている自分のほうが不謹慎な気がして、今日子もその指定された場所に腰を下ろした。
「ねぇ、なに飲む?」
ふわりと柑橘系の爽やかな香りが漂ったかと思えば、座りなよと言った男が、ドリンクのメニューを広げて今日子の顔を覗きこんでいた。
20代前半――、のように見える。香りの正体は、どうやらこの男が付けているコロンのようだ。
少し長めな毛先に、ゆるく癖がついて跳ねた茶色の髪。
日焼けした肌に、すっきりとした一重瞼の瞳が優しげな色を乗せて細められ、形の良い口唇が笑みを含んでいた。
その笑顔からはクラスメイトの男子とは違って、随分女慣れした余裕が感じられた。
かっこいい人。
そう表現して間違いないレベルの男前だ。
ドリンクのメニューは当たり前だがお酒ばかりで。今日子はその中からインスピレーションでジントニックを選び、メニューの写真を指し示した。
注文が一通り終わると、端から順番に自己紹介が始まった。
篠原今日子、20歳、派遣。
名前だけが本物の自己紹介は、数年後には本当になっているかもしれない。今日子はその嘘を、スラスラと抵抗もなく口に出来た。
「へぇ。今日子ちゃん、か。可愛い名前だね?」
先ほどから色々と世話を焼いてくれる隣の男は、新垣と名乗った。
彼は沖縄出身で、八幡浜に住み今年で2年になること。
趣味はスキューバダイビングで、免許も持っていることなどを明るい声で話す。
今日子の目には、新垣の精悍な横顔が妙に眩しく映った。
趣味がスキューバだなんていう人を目の当たりにしたのが初めてなのだ。
その上、クラスメイトの男子達と違って自身の趣味や特技を堂々と口にしている。もじもじウジウジと小さな声でしか物を言えない同級生とは、大違いだった。
自己紹介を終えた新垣は床についた両腕で上体を支え、他のメンバーの自己紹介に耳を傾けているようだった。
その腕や手の大きさもクラスの男子達より一回り大きく、逞しい。
そしてその指先が、今日子のそれの、ほんの数センチ先に置かれたのを見ると、ただそれだけでドキドキした。
自己紹介によると、彼らは全員同じ会社に勤める同僚らしい。
ひとりずつから受け取った名刺には、今日子も聞き覚えのある重工業系の社名が書かれていた。
サトの友達だという女の子ふたりは、彼らが働くその会社に派遣で勤めているのだそうだ。
――つまり、今日子とサトだけが初対面ってワケで。
年齢は、サトの隣に座るメガネの男が24歳で一番年上。他は全員23歳らしい。
今日子はその年の差を引き算し、自分が小学1年生の時にこの人たちは中学生だったんだ、などと漠然と考え、6つの年の差の大きさを改めて感じた。
そして変なボロを出して嘘がばれないように、なるべく大人しくしてやり過ごそうと身を引き締めていた。
そんな風にして常に話の聞き役に回っていた今日子の目に、少し不可解な現象が先ほどから映っていた。
サトの女友達のふたりが、ひとりの男を巡って露骨な取り合いをしているのだ。
それは今日子の真正面に座る、オカダという人。
彼ら4人の中では一番少年っぽい瞳の、イタズラっ子がそのまま大人になったような印象を持つ男だ。
派遣の女の子ふたりに挟まれた彼は、彼女たちに甲斐甲斐しく世話を焼かれながら、まんざらでもなさそうな顔で美味しそうに生ビールを飲んでいる。
今日子は別にカレシを作りたくて参加したわけじゃない。
それに人の好みは自由だ。
けれど、なぜオカダだけに人気が集中しているのかが気になった。
だって、どう贔屓目に見ても、今日子の隣に座る新垣の方が男前なのだ。
大人から見れば、ああいうタイプがいい男なのだろうか? と、グラス越しにオカダを観察し、皆の話題に適当な相槌を打ちながら、今日子は時間を過ごした。
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初めて参加した合コンは、最初こそ全員で和やかに話していたけれど、途中からはほぼ個人対個人に分かれて、それぞれ『振り分けられた相手との会話を楽しみましょう』という雰囲気に変化していた。
今日子にあてがわれたらしい男は、右隣の新垣だ。
メンバーの中で一番今日子好みな新垣が話し相手になってくれている。今日子はその偶然を、心の片隅でラッキーだと思っていた。
知らない男と話すにしても、どうせならかっこいい人の方がいいに決まっている。
それにつけ加え、新垣は話し上手でもあったのだ。
彼は生まれ育った沖縄を離れ、この町では社員寮にひとりで住んでいること。
海と空との境界線がわからないほど青く澄んでいた、サイパンでの思い出話。
休日にひとりでドライブした先で眺めた宇和島の夕陽が、目に沁みるほど綺麗だったことなどを、時にはジェスチャーを交えながら話す。
そんな会話の一つ一つが今日子にはとても刺激的で、話を聞いているだけの自分までもが、少し大人になったような気がした。
新垣の話もひと段落した頃、彼はポケットからごそごそと携帯を取り出し、「これ、俺が撮ったんだ」と言って、赤く丸い太陽が海に沈んでいく画像をディスプレイに映し出した。
そして夕陽の写メを見せながらふと耳元に口唇を寄せ、今日子だけに聴こえるように、
「ね? 今度一緒に見に行かない?」
と囁いた。
その秘密めいた訊かれ方に、心臓がドクンと大きく鼓動を打った。
『篠原さーん。遊び行こうよー!』と、男子に誘われたことなら沢山ある。
まるで『体育館に移動しようよー』と同じに聴こえる誘いなら。
けれど。
新垣の誘いにはその声音にエッチな雰囲気が感じられて、今日子は返事を考えながらドキドキしていた。
いつの間にか隣の彼はテーブルに頬杖をつき、同じ目線の高さから今日子の顔をじっと覗き込んでいる。口元に僅かな笑みを含み、艶やかな瞳は挑戦的にさえ見えた。
返事を待っている――、そんな微笑だ。
いくら今日子が子供でも、どうやら自分が狙われているらしい事くらいは容易に察する事が出来た。
張り裂けそうなほどドキドキしている鼓動がうるさくて、必死で断る口実を思い巡らすけれど、何も思い浮かばない。
その思考を邪魔するような新垣の瞳が目の前にあり、フル回転させたい脳もなかなか思うように働かなかった。
――何か言わないと。
そう焦れば焦るほど何も思いつかず、膝の上で重ね合わせた手のひらが汗に濡れてくるのが分かった。
「えっと……」
とりあえず時間稼ぎをするつもりで呟いた言葉は、サトの隣に座るメガネの男によってかき消された。
「よーしッ! じゃあ王様ゲームいくぜえ!」
「いえぇぇぇぇいッ!」
男の号令に復唱するかのように皆、腕を高く突き上げて『いえーい』と叫んでいる。
「い、いえーい?」
今日子は状況がつかめないままそれに倣い、追い詰められていた空気がうやむやにされたことに胸を撫で下ろしていた。
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