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らしく。
作:五十崎由記



28.元カノからの電話



元カノの好きだったジョージウィンストン。その着信音は未練がましくそのままにしていたわけではないが、聞こえた時は一瞬背筋が震えた。
 
――着信、椎名舞子。高専時代から4年間、啓二がつき合ってきた女性だ。
 
ともかく、着信音を変えないでいたのは運が良い――と、啓二は車に乗り込む今日子の背中をチラッと見やった。

「もしもし?」
 
先日とは立場が逆だ。
 
男からの電話に逆上し、さんざん今日子を責めた日のことを思い出し、啓二は苦笑をかみ殺した。

『もしもし? わたし。啓二、元気だった?』
 
舞子の口調はふたりがつき合っていた頃のまま、まるで時間が止まっているようだった。わたし、と言っただけでは気付かないかもしれないなんて、少しも思っていないみたいだ。

「ああ、久しぶりだな。お前は?」

『お久しぶり、元気よ』

「ふうん」
 
啓二は左耳を手のひらで押さえた。国道を走りすぎていく車と、風の音に邪魔をされ、ひどく聞き取りづらいのだ。
 
そしてその理由がそれだけではないことを、啓二は薄々感じ取っていた。
 
どこかおかしい。4年間もつき合ったキャリアがそう感じさせるのか、舞子の様子はどこか白々しいのだ。
 
一体どんな用件なのかはわからないが、暇だからかけてきたわけではない。それは間違いない気がした。

『ねえ、啓二。いまから少し会えない?』
 
誘う言葉に、啓二の心が一瞬揺れた。
 
未練などとっくに切り捨てたと思っていたのだが、一度は結婚まで考えた相手なのだ。拒絶する台詞が、即座には出てこなかった。
 
啓二は知らず知らずのうちに、助手席で待つ今日子を目で追っていた。
 
今日子は風鈴を揺らして遊んでいるのか、ひとりで居るはずなのに微笑を浮かべている。
 
一瞬、目が合って。なのに、気のない素振りで逸らすところが今日子らしい。つくづく舞子とは逆のタイプだ――と、啓二は思わず吹き出した。

「何の用だよ? 電話じゃいけないのか?」

『時間はとらせないわ。会って直接話したいのよ。いつもの所で会いましょう? 駅前の……』
 
珍しいな、と啓二はタバコを口に咥えた。そして風から身をよじるようにして火を点けた。

 
舞子はどちらかといえば大人しく、無理をしてまで自分の意見を推し通すタチではない。
 
気乗りがしないながら、啓二が耳を傾けてしまうのは、舞子の声に何か差し迫った理由を感じ取ったからだ。

それともう一つ。
 
考え方次第では、会うことによって自分の気持ちがすっきりするかもしれない。
 
まったくないとは言い切れない未練を断ち切るために、顔を見るのも悪くないかと思ったからだ。

「いいよ。じゃ、後で」
 
啓二は携帯をポケットに突っ込むと、今日子が待つ車へと駆け寄った。
 
ドアを開けた途端、中にこもった熱気がムッと流れ出てきて。エアコンひとつつけていないのかと、啓二は半ば呆れた視線を今日子に向けた。

「暑すぎ。お前さー、エアコンくらい付けろよ」

「だって! つけ方がわからないんだもん……」

「免許持ってねえのかよ。だっせえ奴」
 
何しろ真夏だ。そう簡単にエアコンがエアコンとしての用を足すはずもなく、当分熱風を浴びることになるのは仕方ないのだが。
 
それにしても今日子は、免許を持たないばかりか、恐らく車に乗りつけてさえいないのだろう。そう思うと彼女の世間知らずさが可愛くて、啓二はひとり息を漏らした。
 
アクセルを踏み込み、啓二はスピードを上げて市街へと車を走らせた。来る時よりも混んでいる国道は、盆のためか他県ナンバーを多く見かける。

「今日子ー?」
 
ださいと言われただけで不機嫌になったのか、隣の今日子は顔をそむけ、窓の外を眺めているようだった。

「今日子ちゃーん?」
 
無視を決め込んでいるのだろう。顔を覗きこんでも、猫なで声を出しても、うんともすんとも言わない。
 
こんなところが今日子の可愛いところでもあり、厄介なところでもある。
 
赤信号に引っかかったタイミングで、啓二は今日子の肩を揺すった。

「今日子、ちょっと出かける用事が出来たからー」

「え!? 仕事?」
 
途端に振り返った今日子は、ポーカーフェイスが吹き飛んでいて。寄せられた眉が、見開いた瞳が、歪んだ口唇が、淋しいと言っているようだった。
 
啓二は一瞬あっけにとられ、そして吹き出した。

「お前ホント可愛いなあ。ウケるっ」
 
今日子はパッと見クールを装っている風だが、咄嗟の反応がやたらと子供っぽくて。ここで笑ってはまた不貞腐れるかもしれないが、彼女の正直すぎる反応に、とても笑いを抑え切れそうになかった。

「だ、騙したの?」

「いや? ちょっと仕事が入っちゃって」
 
これは必要な嘘だ。――と、啓二はタバコをもみ消した。それでも今日子の表情を見ると、罪悪感めいたものがわき起こった。

「お前、寮で待ってろよ。多分すぐに終わると思うから」
 
強すぎる西日が目に沁みて、啓二は頭に掛けっぱなしでいたサングラスを下に下ろした。

「うん……」
 
小さな返事をポツリと漏らす今日子は、膝の上で風鈴を転がしている。その横顔を、啓二はちらりと見やった。
 
長い髪がエアコンの風に煽られている。尖らせた口唇や、落としたまつ毛がひどく淋しそうで。そんな様子がサングラス越しにもはっきりと見えた。
 
いま運転中じゃなかったら、きっと抱いていたはずだ。

「淋しいんだろー?」
 
からかうと、今日子は途端にぷうっと頬を膨らませた。

「全然? 平気だよ」

「ホントにー?」

「本当だってば! しつこいなあ。ホラ、前向いてないと危ないじゃん」
 
最後は犬を追い払うかのごとく振り払われたけれど。啓二は幸せな気分に口元を緩め、鼻歌を歌った。

 
夕暮れ時の市街は、赤いテールランプが川のように連なっていた。夕映えがオレンジ色にビルも人も染めて。
 
やがて車は川の流れに飲み込まれ、オレンジ色に溶けていった。








  





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