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らしく。
作:五十崎由記



24.あんたなんか


3杯目のジントニックを飲み干した頃には、今日子の警戒心は相当に薄れていた。それは、結局最後まで伝えることのできなかった里美の伝言や、隣に座る泰の肩や腕が密着していることを含め、何もかもについて、だ。
 
よく考えてみれば、どうでもいいはずがないのだが、つまりは酔っ払っていた。
 
そして4杯目がいま手元にあり、隣の泰も同じような杯数を重ねている。
 
隣のテーブルからは賑やかな笑い声が波のように起こっては消え、その中に啓二の声が混じっているのが、今日子の耳にも届いていた。
 
何かのゲームをしているのだろう。
 
時折、一気飲みを急きたてる掛け声や、初体験の思い出話を披露する声が嫌でも聞こえてきて。テーブルがひとつ違うだけで、こんなにも場の空気が違うものかと、今日子はため息のでる思いだった。
 
というのも、隣のテーブルが罰ゲームに盛り上がっているいま、いよいよ本題に入りそうな雰囲気が今日子たちのテーブルにはたちこめているのだ。

 
何せ、隣はゲームに夢中なのだ。
 
泰にしてみれば、その喧騒に紛れて、という気持ちがあるのかもしれない。
 
酒が入っているせいか、泰の瞳は濡れたように光っていて。少し汗ばんだ手のひらが、密着した膝の上で今日子の右手に重ねられていた。
 
もちろん今日子自身もそのことに気付いているのだが、酔っ払ったいまとなっては、泰の手を振り払うような過敏さもなく。ただグラスを傾けては、重ねられた手をそのままにしているだけだった。


「ねえ今日子ちゃーん?」
 
泰は、今日子に比べればアルコールの耐性があるのかもしれない。目つきは若干とろんとして見えるが、しっかりした口調で話を切り出してきた。

「んー?」

「昨日、里美ちゃんが言ってたんだけど。合コンの人と怪しいかも、って本当?」
 
今日子は枝豆に伸ばしていた手を一旦止めて、泰を振り返った。
 
先ほど里美と泰のやり取りに出てきた『忠告』というのは、そのことだったのだろう。ケーキバイキングを中断させた電話の内容を、どうやら里美は泰に話しているようだった。

「合コンに行った、なんて話も初耳だったんだけど。マジで今日子ちゃん、合コンなんかで知り合った男と連絡取り合ってんの?」
 
泰はポテトフライを口に放り込み、「言っとくけどさ、今日子ちゃん。合コンは、基本、遊びだよ」と言った。

 
今日子は泰の手元から右手を引き抜くと、ジントニックのグラスを両手で持ち上げた。
 
瑞々しい緑のライムが、グラスの縁に刺さっている。その皮の部分に目を落としているのに、視界の隅に入る啓二の姿がひどく気になっていた。
 
俯いたきり、今日子が何も返事をしないせいかもしれない。泰は苛立ったように今日子の腕を掴むと、視線を合わせようとするみたいに、隣から覗き込んでくる。
 
その様子が、やたら真剣そうで。今日子は掴まれた腕の先にある泰へ、顔を向けた。

「持ち帰って、セックスできりゃラッキー。それが男の本音、ってやつだよ?」

「うん……」
 
実際、啓二がどういうつもりだったかは別にしても、新垣などは泰の言葉通りだったはずだ。
 
今日子は曖昧な返事をしたあと、いまも視界に入っている啓二の存在を意識しないようにして口を開いた。

「合コンは行ったけど、別に何もないよ。里美が面白がって、大袈裟に言ってるだけだから」
 
もちろん、嘘だ。
 
良心が痛まないわけではないが、しかし啓二とは数時間のつき合いで終わったのだ。無かったことにしてしまったほうが楽だし、思い返して細かく話すのも嫌だった。
 
泰は今日子の言葉を疑っているのか、しばらく黙ってこちらを窺っていた。けれどしばらくの後、表情を和らげ、「なーんだ」と呟いた。

「良かった。本当だったらどうしようかと思った」
 
ため息まじりの声は、安堵している気持ちをあらわにしていて。今日子は、そんな泰の様子に後ろめたさを感じて顔をそむけた。
 
その時だった。 

隣のテーブルから、一段と大きな歓声がわいて。ふと、視線をそちらに移すと、啓二とケイのキスシーンが目に飛び込んできた。
 
キスシーンが、目に飛び込んできた。

 ◇

口唇が重なり合う瞬間、ふたりは示し合わせたみたいに瞼を閉じていた。顔を傾けて、引き寄せられるように、自然に。
 
あまりにも大きな里美の声に、目を吸い寄せられたのは、きっと今日子ばかりではないはずだ。
 
いくつもの視線が集まっているだろう中で、ふたりはゆっくりと時間をかけてキスをしていた。その間今日子は目を逸らせないまま、ふたりの様子をじっと見つめていた。
 
やがて、口唇が離れたあとの啓二は妙に頬が緩んでいて。含み笑いを浮かべた口元も、どこかデレデレしたように見えた。

「――すげえな、キスしてるじゃん」
 
泰も一部始終を見守っていたのだろう。感嘆とも、呆れたともつかない声をあげて。それが今日子を我に返らせた。

「え? あ、ああ。すごいね」
 
今日子は慌てて啓二から目を逸らすと、氷ばかりが目立つグラスを一気にあけた。

「あ、今日子ちゃんのグラス、空になっちゃったね」
 
乱暴にあおったせいか、口の端から雫が垂れて。今日子はそれを手の甲でぐっと拭うと、店員を呼ぶべく、チャイムに手を伸ばした。
 
それはもちろん、追加を注文するつもりで、だったのだが。

「ねえ今日子ちゃーん? まだ飲むならさ、向こうのバーに行かない?」
 
伸ばした手を、即座に握られて。
 
今日子は自分の手を掴む日焼けした右手から、泰の顔へと視線をずらした。
 
泰は、やや小首を傾げるようにしてこっちを見下ろしていた。
 
笑うと糸のように細くなる目は、今日子と同じくらい飲んでいるのに、まだ充血していない。
 
啓二とよく似ている口元も、日頃はにやけて緩んでいることが多いのだが、いまはきゅっと引き結ばれていて。そんな泰の様子が、別の誘いのように今日子の目には映った。

 
この居酒屋に隣接するバーは、カップルの溜まり場だ。実際にそこへ入ったことなどなくても、それは誰しも知っていることだった。
 
外からは中の様子が窺えないように照明が落とされ、どことなく淫靡なムードが漂っている。合コンの時も一組、また一組と、次々にメンバーたちが姿を消した場所だ。
 
そこへ誘われているということはつまり、メールの返事を遠まわしに聞かれているのと同じことなのではないか。
 
酔っ払って思考能力が低下しているとはいえ、今日子の胸の内には、確かにこのとき警鐘音が鳴り響いていた。
 
迂闊に返事をするべきではない。泰の気持ちに応える気がないのなら、期待を持たせてはいけない――と。
 
けれど。

「いいよ、行こうか」
 
そう返事してしまったのは、今日子を戒める心の声よりも、もっと強い気持ちがあったからだ。
 
嫌でも啓二の姿が目に入るこの場所に、これ以上居たくなかったからだ。

 ◇

ペアシートから立ち上がったとき、酔いが足にきているのが自分でもわかった。
 
今日子は顔を伏せ、隣のテーブルの誰とも目を合わせないようにして、泰の後ろに続いた。
 
泰は当たり前のように今日子の分まで精算を済ませ、デニムのポケットに財布をしまっている。そしてこちらを振り返ると、躊躇いの感じられない手つきで今日子の手を握ってきた。
 
今日子はぼうっと靄のかかる頭の中で、これじゃふたりは、誰の目にもカレカノに映るだろうな、と思っていた。
 
実際、泰の方はその気でいるに違いない。
 
そして今日子の方も、それは違う、と抗う気などなく、このまま状況に身を任せてみるのもいいかな、と諦めていた。
 
もう、うんざりなのだ。啓二のことで心を乱されるのは。
 
そんなことよりも、泰についていく方が、よほど楽だった。

 
ほどなく通路の先にベンジャミンが見え、バーへ続く曲がり角に差し掛かった。
 
いままでは、ただ通り過ぎるだけだった曲がり角。そこを初めて曲がったあと、今日子は急に視界が暗くなるのがわかった。
 
ペアシートに座っているときは、ただのオフホワイトに見えた泰のTシャツが、青白く浮き上がって見える。
 
それはライトのせいだろうか。通路の天井から、青い色のライトがふたりを照らしていた。

やがて。
 
徐々に闇が深まっていく通路も、終わりが見えて。
 
バーの入り口は、熱帯の樹々が両サイドからアーチをつくり、ジャングルのように鬱蒼としている。すでに辺りは真っ暗で、目の前を歩く泰のTシャツだけが、道しるべのように光っていた。
 
今日子は首を巡らせ、周囲に目を凝らした。けれど、まだ目が慣れないせいか、何も見えなくて。ただ、泰に導かれるままに足を進めていた。

 
その時だ。

「――おいっ」
 
背後からいきなり声をかけられたかと思えば、引っ手繰るように腕を掴まれて。その反動で、泰に握られていた手がするりと離れた。

「え?」
 
強引に引っ張られた衝撃が強くて、転ばないように体勢を整えるのが精一杯だ。そしてそのままずるずると引きずられ、通路へ出る間際、一層強い力で引っ張り出された今日子は、壁にしたたか背中を打ちつけた。
 
もともと酔っ払っていたせいもあり、ふらつく足元では堪えきれなくて。

「痛っ……」
 
今日子は壁に背中を凭せ掛けたまま、ずるずると座り込んだ。
 
打ち付けてジンジン痛む背中を擦ると、上から影が降りて、目の前に誰かが立っているのがわかった。
 
顔を見なくてもそれが誰なのかくらいは、今日子にもわかっていたのだけれど。

「ちょっと、何だよあんた。今日子ちゃん大丈夫ー?」
 
突然拉致された形になった今日子を追い、バーから泰が飛び出てきて。
 
差し出されたその腕に掴まろうと今日子が手を伸ばしたとき、目の前に立つ啓二が泰の腕を叩き払った。

「うるせえよっ、お前には関係ない」
 
パシンと渇いた音が通路に響いたあと、それを追いかけるように啓二の怒鳴り声が続いて。今日子は目的を失った手を引っ込めると、自分を見下ろす啓二へと顔をあげた。
 
啓二は身を屈めてこちらを覗き込んでいた。
 
そして視線が絡むと、間合いを詰めてきて。いつしか今日子の視界には、啓二しか入らなくなっていた。
 
嫌でも目に入る啓二の顔は、気の強そうな上がり眉が少し寄せられて、間に皺を刻んでいた。
 
少年っぽさを残す瞳は、冷めたような、つまらない物でも見るような目つきで。
 
さっきケイとキスしていた口元は片側だけが、やや上がっている。その口が開いたつぎの瞬間、押し殺した声が耳に届いた。

「どういうつもりだよお前」
 
啓二はそう言うと、存在感たっぷりの眉を片側だけ上げた。
 
その様子は、返答を待っているというよりも、まるで今日子を責めているみたいで。今日子は考えるよりも先に、口を開いていた。

「どういう、って。あ、あんたに関係ないじゃん」
 
呂律が回らないのは、酔っているからではない。
 
壁際いっぱいまで追い詰められたせいか、心臓は破裂しそうなほど高鳴っている。その怯えにも似た感情のせいで、今日子は呼吸がうまくできないでいたのだ。
 
じいっと見据えてくる啓二の目から、逃げるように視線を逸らした瞬間、走り去っていく泰の足が見えて。今日子はハッとして、泰を呼び止めようとした。
 
なにも事情を知らない泰にとって、この状況は異常に違いない。もしかすると、店員を呼びにいったのでは――そんな予感がしたのだ。
 
けれど。

「どこ見てんだよ」
 
泰に気を取られたことが、余計に啓二を煽ったのだろうか。

「関係なくねーだろが。何なんだよ、お前は。さっきから黙って見てりゃイチャイチャしやがって。このバカ女!」
 
泰へと伸ばしかけた手を掴まれて、その痛さに今日子は顔をしかめ、啓二を振り返った。
 
啓二は、何か文句あるのか、とでも言いたげな面構えで。威圧するみたいに上から見下ろしたまま、掴んだ手を離そうとしない。
 
 
今日子はここにきて、啓二の理不尽な言葉に怒りがこみ上げていた。
 
去っていく泰を止めようとしたのは、店員を呼ばれたら都合が悪いと思ったからだ。なのに、バカ女とまで呼ばれて。
 
今日子は掴まれた腕を乱暴に振り払うと、床に手をついて立ち上がった。そして同じく立ち上がった啓二に向かって、顎を上げた。

「イチャイチャなんかしてないじゃん。それはあんたの方でしょー?」
 
いきりたった今日子の声は、普段より2割増しに大きなものとなった。けれど、その後半部分は上から被せるみたいな啓二の声にかき消された。

「はああああ!? オレは断じてそんなことはしてない。お前と一緒にすんな、っつの、バーカ」
 
啓二はそう言うと、更に一歩前へと踏み出した。まるで、威嚇するみたいに。
 
今日子はそれが悔しくて、ぐっと啓二を睨みつけていた。
 
一歩も退くもんか――と、そんな覚悟を踏ん張った足元からみなぎらせていたのだ。
 
けれど。

「――おい、コラっ岡田っ! 人様に迷惑かけてんじゃねえよ」
 
そんな意地のぶつかり合いは、泰が呼んできたらしい新垣によって中断することとなった。
 
バタバタと落ち着かない足音に続き、横からぬっと腕が伸びて。啓二の身体が引き離されたあと、不安そうな目をした泰や里美、そして派遣の女の子たちの姿が今日子の視界に入った。
 
泰が、こちらを凝視している。
 
横顔にその視線を痛いほど感じながら、今日子は泰に顔を向けることは出来なかった。
 
ただ、新垣の腕を振り解こうとする啓二だけを見つめていた。

「うっせえっ、放っとけ! このバカ女とまだ話が終わってねーんだよ」
 
啓二はそう怒鳴る間も、今日子から目を逸らさないままだ。それはまるで、先に目を逸らしたほうが負けというルールでもあるみたいに。
 
新垣を押しやると、啓二はまた今日子ににじり寄った。

「――今日子、よーく聞いとけよ?」
 
そして念を押したあとで、ぶちまけるように言った。

「オレはなあ、男にだらしない女は大っ嫌いなんだよっ!!」

一瞬、辺りがしんと静まり返るのがわかった。

周りには、ふたりを取り囲むいくつもの姿があるのに、誰ひとりとして微動だにしない。その静寂が、尚更今日子を追い詰めていた。
 
今日子はつま先から頭のてっぺんまで恥ずかしさが駆け上がり、身体の芯がかっと熱くなるのがわかった。

これではまるで、今日子が男にだらしないみたいだ。
 
目の前の啓二は、間違ったことなど何も言っていないような顔つきで。相変わらず非難がましい眼差しをこちらに向けたままだ。
 
今日子はわなわなと震え出す両手を握り締め、力を振り絞って吠え立てた。

「あたしがっ。あたしのどこが男にだらしないって言うのよっ!」
 
そしてふたりを取り囲むギャラリーの中――ケイの姿を認めると、彼女を指さして啓二に振り返った。

「ケージの方こそ、あの子とキスしてたじゃん! デレデレしちゃってさあ」
 
そうだ、啓二はキスをしていた。
 
そのことを持ち出したのは、今日子をだらしないと言った啓二に、一矢報いたい気持ちがあったからだ。
 
けれど。
 
今日子はそれを口にして初めて、自分がひどく傷ついていることを知った。


「バカ言ってんじゃねえよ。罰ゲームなんだから仕方ねーだろがっ」
 
啓二が、さも当たり前だと言わんがばかりに反論をしている。小首を傾げて。不遜な面構えで。
 
それを切り返して、もっとひどくあげつらってやりたいのに。
 
ぶつけてやりたい文句なら、口の中に溢れかえっているのに。
 
今日子はそれきり、声を出せなくなってしまった。
 
何か言おうとしても、喉が締め付けられたように苦しくて、言葉にならないまま終わる。だからせめて、射殺すくらいに睨んでやろうと顎をあげた。


けれど。

「今日子、悪かったよ。もう泣くなってば……」
 
――やがて、おずおずと伸びてきた啓二の腕に、すっぽりと包まれて。
 
今日子の視界は、再び啓二だけの世界に閉ざされてしまった。
 
ふと鼻についた臭いは、昨日ボート小屋で嗅いだものと同じで。今日子は、気が付けばその胸に縋りつき、泣きじゃくっていた。










  





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