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らしく。
作:五十崎由記



22.ペアシート 1


月曜日は昨日の雨曇りが嘘のような夏日で、夜7時を回っているというのに容赦なく照りつける西日が、待ち合わせ場所へと向かう今日子の横顔を照らしていた。
 
泰から指定されたのは、合コンの会場にもなった、あの洋風居酒屋。

客が多いことがわかりきっているお店。しかも酒が入るだろうシチュエーションで、告白の返事をしなければならないなんて。さすがの今日子も気乗りせず、自然と足取りが重くなるのだった。


――『つーか、お前そいつとつき合えば良かったじゃん』

昨日啓二から焚きつけられた一言は、今日子の心の柔らかい部分を深くえぐって。ひとりで歩いた帰り道も、ずっとその台詞が耳の奥でリフレインしていた。

悔しさのあまり、そうすればよかったと、つい言い返したけれど。啓二がダメだったから、じゃあ泰で、だなどと器用に立ち回れる性格でもなくて。今日子は考えるべくもなく、泰への返事は決めていた。


駅前の横断歩道は丁度ラッシュの時間帯ということもあり、会社帰りのサラリーマンたちでごったがえしていた。

そのたくさんの頭が上を向いているのは、大型スクリーンを見上げているからだろう。ナイターに入った高校野球の第4試合は、地元選出の名門校で。どうやら一点を争う好ゲームになっているようだった。

信号が青に変わり、人波を縫って進んでいた今日子は、デニムのポケットの内側で携帯が震えるのを感じた。ディスプレイに点滅する名前は、里美。今日子は人ごみを避け、歩道を渡った先のコンビニ前で立ち止まり、携帯を耳に押し当てた。

「もしもしー?」

『あ、今日子ー?』

今日子は手で左耳を押さえ、若干聞き取りづらい里美の声に集中した。

里美とは、ケーキバイキング以来だ。

昨日途中で抜け出した手前、フォローの電話を入れるべきだったのに、啓二に泣かされたあとの今日子には、そんな気力もなくて。今日子はバツの悪さに顔をしかめ、回線の向こう側にいる里美の機嫌を窺った。

「里美、昨日ゴメンねー。途中で帰っちゃって。電話入れるのも忘れてたし……」

里美は、「え?」と訊き返したあと、思い出したように言った。

『ああ、OK、OK! あれから実はさあ、ふらっと寄ったゲーセンで泰クン見つけたんだ。で、暇だからちょっとお茶して――』

けれど。

「……? あれ、里美?」

それきり電波が途切れたのか、里美の声は聞こえなくて。しばらくの後、完全に回線が切れたことを示す電子音が耳に届いた。

今日子はすぐさま電話をかけ直したけれど、やはり電波が届かないのか、無表情な女声のアナウンスが耳を掠めるだけで。諦めて携帯をポケットにしまうと、今日子は再び待ち合わせ場所へと歩き出した。

携帯を閉じる前に見た時刻は、約束の10分前。あと10分もすれば、顔をあわせづらい泰に会わなければならないのだ。

今日子はため息をつき、ビルの谷間へと落ちていく太陽に目を細めた。夕焼け色に染まる街並みは、ビルも人も溶けていくようで。今日子は口元を引き締めると、暮れる寸前の風景に自らも飛び込んでいった。

 ◇

顔を合わせた途端、泰は待ちかねたように居酒屋の中へと今日子を誘った。

「腹減ったあ。入ろうぜー」

夏休みに入って初めての泰は、ユーズドっぽい色合いのポロシャツにデニム姿で。右耳に3つ光るピアスだけが、教室で見る彼と同じだった。

今日子は泰に促されるままに、洋風居酒屋の店内へと足を進めた。直後、ききすぎた冷房が肌を刺して。汗が冷えて寒気に襲われた今日子は、店に入った端から手洗いを借りたくなった。

「いらっしゃいませえっ」

平日のせいか、フロアにはまだ空席が目立つ。

今日子たちの他には、会社帰りに見える男女が数組いるばかりだ。いずれも入り口からは見えにくい奥の席についている。

「泰、あたしちょっと化粧室借りてくるね」

今日子は向かってきた店員の脇をすぎ、居酒屋の奥を目指した。通路のつき当たりを右に曲がったところにあるベンジャミンは、合コンの日のままだ。化粧室の入り口に佇むその樹を見れば、いやでも啓二を思い出して。今日子は頭の中から彼の面影を追い払うように首を振ると、化粧室へ一歩踏み込んだ。


今日子にとって初めてのカレである啓二とのつき合いは、結局数時間という短い期間で終わった。

きちんと別れ話をしたわけではないが、する必要もない。

何せふたりは携帯の番号すら交換していないのだ。そうなると、赤の他人と何ら変わらないわけで。

別れ話をするための連絡すら取れない。そんな関係がはたしてつき合ったと言えるのだろうか――と、今日子はグロスを塗り直しながら思った。

化粧室の大きな鏡は、今日子の腰から上を映し出していた。

キャミソールを2枚重ねた下は、7分丈のデニム。日頃は肩に垂らしている髪を、今日はシニヨンにまとめている。

今日子は鏡の前でくるりと回り、背中や横から見た自分の姿をつぶさにチェックした。そして最後に鏡の中の自分を覗き込み、微笑みかけた。笑顔も、OKだ。


化粧室を出ると、やはり冷気が肌に沁みた。

むき出しになったうなじから肩のラインが特に冷えて、今日子は手のひらで二の腕を擦りながらフロアへ続く通路を歩いた。

角を曲がると、通路側のテーブルで手をあげる泰を見つけて。今日子はその――口の片側を上げた笑顔を遠目に見て、やはり泰は啓二に似ていると思った。

ついその口元に目が吸い寄せられるのは、今日子の中に僅かに残る未練がそうさせるのだろうか。今日子は意識して目を逸らし、奥歯を噛んだ。


泰の待つ席は、必ずしもいい場所ではなかった。

入り口から客が入るたびに席の脇を歩かれるし、ドアから熱風だって入ってくる。普段なら喜ぶべき席ではないのだが、寒さに震えていた今日子にとっては、少しありがたい。

今日子はコーナーを曲がり、泰の元へと歩み寄った。そしてテーブルの脇にたどり着いた時、その異変に気付いた。

「何これ」

本来ならテーブルを挟んで向かい合うはずの椅子が無い。その代わり片側にだけペアシートが置かれていて、端っこに詰めるみたいにして泰が座っている。

「今日はカップルデーなんだなー。まあ確信犯なんだけど! ペアシートはドリンク100円だよ。お得だろー?」

そう言って泰は、ピンク色のペアシートの隙間をぽんぽんと叩いた。

「ほらあ、座ってっ!」

立ちすくんだままの今日子に焦れたのか、泰は腕を掴んできて。今日子はその隙間に腰を下ろした。

案の定、ペアシートは狭かった。

身体のそこかしこが密着し、触れ合った部分からは泰の体温が流れ込んでくる。その温もりが気にならなければいいのだが、冷えた素肌には心地よくて。今日子は、泰の体温を気持ちいいと思っている状況に危機感を覚えた。

「これ恥ずかしいよ。別の席に移れないの?」

「なんで? イヤなのー?」

メニューを捲っていた泰が、急にこっちを向いて。その距離の近さに今日子は思わず上体を退いた。

「そんなに身構えられたら傷つくじゃん」

「え? ああ、そんなつもりじゃ」

泰の眼差しは、その口調ほど軽薄そうではない。いつになく真顔で、軽くあしらえないような雰囲気があった。

けれど。

やはり、この席は移りたいのだ。泰の気持ちに応えてあげられないのだから、変に気を持たせないほうがいい。

そう思って今日子が口を開きかけた時。

「お客様ー? お飲み物のご注文はよろしいでしょうか?」

愛想のいい店員の笑顔に割り込まれて、今日子は切り出すタイミングを失った。

テーブルには泰が注文したらしい品々が所狭しと並べられ、若い女の店員が伝票を手に今日子の注文を待っていた。


今日子は泰から手渡されたメニューに目を落とし、ドリンク欄を指で辿った。

きれいな色のカクテルがたくさん並び、その下にはビールと日本酒の銘柄が続いている。

「えっと……、ジントニック、で」

それは、合コンの時に飲んだ覚えのあるお酒の名前で。今日子はライムの刺さったグラスの写真を指差して、店員を見上げた。

――突如。

「あれえ? 今日子?」

店員の、畏まりましたの声が、背中から響いた素っ頓狂な呼び声にかき消された。

驚いて振り返ると、そこには仕事帰りなのかやたら大人っぽい装いの里美がいて。

「おっ、里美ちゃんじゃーん」

一緒になって振り返った泰が、里美に気付いて立ち上がったのだろう。急にペアシートの片側が、浮き上がるのがわかった。

今日子は、偶然だね、と口にしながら、自分に注がれる入り口からの視線を全身で感じていた。

もう二度と会うことなどない。今日子は確かに、そう思っていたのだ。

なのに。

ボサッとした無造作な黒髪。

気の強そうな眉は片一方上がっていて、いま彼がすこぶる不機嫌であるらしいことがわかる。

リスみたいな奥二重の瞳は、顎を引いているせいか、少し上目遣いに見えて。いつも笑っているように見える口元は、今日に限って無愛想に引き結ばれている。

彼こそは、今日子にとっていま最もこの場に居てほしくない人だった。

今日子はペアシートの背もたれをぎゅっと握り、無遠慮に寄越される視線からじっと耐えていた。その眼差しは貫かれそうなほどに強くて、熱くて、胸の奥を激しく揺さぶられるような気がした。

今日子は、啓二から目を逸らすと、立ち話を続けている里美と泰を交互に見上げた。そして入り口に背を向けるように、身体をよじった。







  





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