2.里美の誘い
今日子の朝は早い。
母親の世話焼きを期待できる環境じゃない彼女の一日は、弁当作りからはじまる。もちろん自分用だ。
朝からしみったれた家事に追われながら、かといって自分磨きにも手抜かりはない。
あらかた家事の終わった後、部屋の出窓から海を眺め、片手間に髪を巻くのが今日子の日課になっていた。
オークル10の白肌に、30分も時間をかけて巻いたエクステ。
そして『キスしたくなる』という売り文句に惹かれて買ったグロスは、まだ結果こそ出していないが、口唇をぽってりと厚く演出している。
今日子は鏡に向かって微笑みかけ、キメ顔を作ってみせた。
笑顔も、OKだ。
今朝の風は梅雨の重さを含んで、今日子の夏服を湿らせた。
元々が新しいわけではない校舎は暗い灰色がかってどことなく陰気だ。そこから聴こえてくる陽気な声が逆に不釣合いな感じさえする。
2年生から進学希望か就職希望かで分けられる、ここ――、愛媛県立八幡高校での今日子の所属は2−E、就職クラス。
全体の30%しかいない就職希望者用の校舎として与えられているのが、目の前にそびえる3階建てのこの校舎だ。
下駄箱から階段へ、そして廊下へと移動する間も、いかにも進学する気のなさそうな生徒がそこかしこにたむろっているのが見える。
まあ人のことは言えない。今日子だって思いっきり同類だ。
2−Eに行き着くまでの間、この校舎にいる男子達はその多くが人間ウォッチングに勤しむのが習慣になっているらしい。
今もホラ、見られているのが気配からわかる。
それも無遠慮にジロジロと観察してくる奴もいれば、まるで見ていない風を装ってチラ見してくる奴まで、タイプは色々だ。
そして人が通り過ぎたあとに、噂話を始めるのだろう。コソコソ何か言い合っているのが聞こえてくる。
今日子の方も慣れたもので、自分がどんな風に言われているのか大体把握しているのだ。
『まあまあ可愛いけれど特定のカレシは作らない、スカした女』――これがイメージらしい。
人は自分の好き勝手に想像して、決め付ける。
話したこともないくせに、その人格までをも外見と結びつけて。
まあ、好きに噂すればいい。と、今日子は鼻を鳴らした。
実際のところ、今日子の人間性については噂ほどカッコいいわけではない。『スカした女』だけは、一理あるかもしれないけれど。
今日子にはかつて、随分長い間思いを寄せていた先輩がいた。いわゆる片想いってやつだ。しかも、一方的な。
その先輩を追いかけて同じ高校に入学したはいいが、二度にわたる告白は、その二度とも芳しい返事はもらえず。
そして残念ながら先輩が選んだのは、清楚で真面目な子で。
つまり先輩の好みは、今日子とは限りなく真逆に近いタイプだったわけだ。
恋愛はひとりじゃ出来ない。
どれほど真剣に思いつめても、肝心の相手から思われないと始まらない。
それはまるで専属契約のように。
願いが叶わないのなら、諦めるしかないのだ。
今日子も振られてしばらくの間は引きずりもしたが、それからすでに1年以上経っている。
今では未練らしい未練も残っていないし、ラブレターを送った話は笑い話として披露すら出来るほど立ち直っているのだ。
噂話で言われているようなイメージは、所詮人の作り上げたイメージ。
実際は、むしろ熱い奴だったりする。
恋は追いかけられるよりも、追いかけたいのだ。思われるよりも、思いたい。
たまに告ってくれる男子もいるけど、どうもその気にならないのは、きっとそのせいだ――と今日子は思っている。
ただ、『いつかハマるような人と出会いたい!』――と願いながらも、きっかけを作る努力は一切していない。
それがカレシのいない、一番の原因かもしれない。
廊下の窓から吹き抜けた風に今日子の長い髪が泳いだ。それに誘われた男子生徒が、また一人振り返るのがわかった。
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「オハヨー」
何となく薄汚れて埃っぽい教室は、携帯をいじってる子、DSをやってる子、様々だ。
窓際のカーテンはすぐそばの海から吹いてくる風に煽られて、大きく膨らみ、波打っている。
そのカーテンの傍、後ろから2番目の席が今日子の指定席。
校舎と校舎の隙間から僅かに海の見えるその席は、隣に一番仲のいい友達もいて、その点もナイスだ。
「今日子! オハヨ」
「オハヨ」
彼女は川口里美。
2年になってから出来た同じ人種、同じレベルな友達。
1年の時はモロ金髪だった髪を、2年になってから黒髪ストレートに変えたらしい。
――『ウケがいいからね』
そう含み笑いをするまん丸な黒目がちの瞳は、メガネのレンズ越しだ。
もちろんメガネだって実用性などまるでない度なしレンズで。メガネっ娘路線のウケ狙いに決まっている。
「今日子さぁ、今夜暇ー?」
メガネ越しの上目遣いは、その角度まで計算されたような可愛いらしさで今日子の顔を覗き込んだ。
ふわりと鼻を掠めるのは、どうやら里美のなめている飴の匂いらしい。甘い匂いが辺りに漂っていた。
「暇だよ」
里美の誘いはどうせ駅前のカラオケ屋だろう、と今日子は予想していた。
そこで働くフリーターのバイト君に、このところ里美はハマっているのだ。
男受けだけを狙ってイメージまで改造する里美は、そのくせ片想いには滅法弱い。パターンは、大体いつも同じだ。
暇を見つけては目当ての店に通いつめ、ほんの一瞬だけ触れ合えるチャンスに胸をときめかせる。
そしてドキドキしながらドリンクを注文し、その店員が運んでくると、恥ずかしさのあまり歌うのもやめてしまう。
そんな様子が 手に取るように伝わってきて、その都度今日子は面白がって笑っていた。
里美はギャップの激しすぎる面がある。そんなところも、親友の可愛いところだ。
けれど。
「やったねっ! ひとりじゃ気が引けると思ってたんだよねえ。初合コンだしー」
予想とは違う里美のプランに、今日子は耳を疑い聞き返した。
「……は? 合コン?」
「うん、合コーン」
それは勘違いでも聞き違いでもなくて。どうやら里美は本気で合コンに誘っているらしい。
彼女は身を乗り出して今日子の机に頬づえをつき、
「早速参加のメールを送らなきゃ!」
と、携帯をいじり始めた。
今日子は慌てて手を伸ばし、メールを打つ里美の腕を引っ張った。
このままでは、行きたくもない合コンの面子に加えられてしまう。
早合点して、話もろくに聞かないまま返事をするのではなかった――と、今日子はすでに後悔していた。
というのも、今日子は合コンに良いイメージを持っていないのだ。
「え? カ、カラオケ屋のバイト君は?」
今日子は里美が熱をあげていたバイト君の件を持ち出して、話の流れを止めようとした。
けれど、どうやらそれは失敗に終わったらしい。
「その話はもうやめてっ!」
今日子が言い終わる前に、里美はプイっと顔をそむけ、聞きませんのポーズを取っている。
「もう振られたの! だから、それを忘れるために合コン行くんじゃん?」
「えー、合コンって……」
今日子からすると、里美は一番大切な女友達だ。もちろん慰めてあげたい気持ちはある。
しかし、その手段が合コンというのにはイマイチ賛同出来かねた。
里美はそんな今日子の顔色を窺っているのか、下から覗きこみ、話し始めた。
「春休みに派遣で知り合った友達から誘われて、さ。女の子がふたり足りないから、友達とどう? って」
「ふうん」
派遣の話なら、以前里美から聞いた事があった。
里美は姉の保険証を使って本人になりすまし、派遣会社に登録してバイトをしたことがあるらしい。
高校生とは待遇も違い、結構おいしいのだとかいう話だ。
それにしても――と、今日子はチラっと横目で里美を見やった。
いくら親友の誘いでも、合コンは乗り気がしない。
今日子はいままで何度誘われても、合コンの話は断り続けていたのだ。
だから実際にどんなことをするのかは、噂程度にしか知らないのだが。
それでも初対面の男と一緒に飲み会をするらしいことくらいはわかる。むしろ、問題はそこだった。
見も知らない他人と飲んで何が楽しいのか、さっぱり理解出来ない。
それなら、友達と遊ぶ方がよほど気楽だろう――と、これが今日子の本音なのだ。
「たださー、ひとつだけ問題が! あたし、そのバイト歳サバ読んでたから……」
「は?」
「だってホラあ! お姉ちゃんの名前でバイトしたから。つまり、相手はあたしのことを3歳上に思ってるんだよね」
みっつ、ということは――、と今日子は指を折った。
「ハタチ?」
「うん、コンセプトは20歳のフリーター。あたしの名前は里絵。間違えやすいから、今夜だけ『サト』って呼んでよ」
早口でまくしたてる里美の言葉に、今日子はごくりと唾を飲み込んだ。
「コンセプトって、今夜だけサトって呼んでって。まさか、ハタチのふりして合コン行けってこと?」
「お願いっ! 他に友達いないんだもんっ! この通り!」
里美、――もとい、サトはメガネの前でパンッと柏手を打った。今日子を拝み倒す勢いで、「お願いっ!」と繰り返している。
20歳、フリーター。
それは無理をすれば騙せないことも無い範囲で。
もちろん本音はイヤに決まっているのだが、それで里美の気が晴れるなら、お安い御用と言えなくもない。
今日子は盛大なため息をつき、半ば根負けした気分で里美に目を向けた。そして懇願し続ける里美に念を押した。
「んもう……今回だけだからね? 二度と行かないからね?」
「わあいっ! 感謝っ。駅前噴水に晩7時半ね?」
無邪気に喜ぶ里美は、よほど合コンを楽しみにしているのだろうか。
腕を突き上げて万歳し、早速メールの続きを打ち込んでいる。
まったくもう、ゲンキンなんだから。今日子はそう呟くと、器用な手つきで文字を入力していく里美に苦笑した。
ふと――開け放たれた窓から風がそよいで、今日子の頬をするりと撫でていった。
窓から見上げた空は薄いブルーが広がっている。
今日子はその所々に浮かぶ夏雲のはしりに目を細め、風を感じた。
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