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らしく。
作:五十崎由記



18.恋のはじまり 4



一車線である海岸沿いのその道は、今日子を乗せた啓二のランドクルーザー以外に車の影はない。前も後ろも濡れて黒光りするアスファルトが続くのみだ。
 
運転席の啓二は、もと来た道へ引き返すつもりなのだろう。ハンドルを回転させるように切っては、車体の向きを変えている。今日子はその様子を隣から苦々しい思いで眺め、嫌味を口にするチャンスを窺っていた。
 
やがて車がUターンし、サイドミラーに映るラブホテルが小さくなった頃、今日子は隣の啓二をキッと睨みつけ、毒づいた。

「あんた最低。ホント見そこなった。もうちょっとマシな人かと思ってたのに、こんなバカ男だったなんて」
 
今日子は今日子なりに、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせているつもりなのだが、啓二はどこ吹く風といった具合に聞き流すばかりで。

「ハイハイ」
 
時折思い出したように投げやりなふたつ返事を口にして、余計に今日子を怒らせた。
 
それどころか。

「お前さあ、その呼び方どうにかなんねーのかよ。あんた、って。空気読めよなあ、何のために自己紹介もどきなことをしたと思ってんだよ」
 
と、運転の合間を縫い、チラッと視線を寄越しては、自分のことを棚にあげて説教までする始末だ。
 
今日子はそのずうずうしさに呆れ、じろじろと啓二の横顔を観察した。
 
奥二重の瞳は、彼の口よりもお喋りで。しょっちゅう、悪巧みを思いついたイタズラっ子みたいに、くるくると表情を変える。
 
眉は気が強そうに上がっていて。たまに口の片側を上げて意地悪そうに笑う時は、眉毛も一緒に上がるのだ。
 
鼻は高くも低くもなく、骨組みのしっかりした顔型。無造作に散らしたボサボサの髪は黒くて、触ったことなどないけれど硬そうなイメージ。
 
どれひとつ取っても、今日子の好みではないのだ。
 
ガキ大将がそのまま大人になったような外見も趣味じゃなければ、茶化したり、意地悪ばかりをするいけすかない性格も、本来なら鬱陶しい部類に入る。
 
なのに、何故この男がいいのだろう。学校にさえ行けば、チヤホヤしてくれる男子はたくさんいるのに。――と今日子は不思議で仕方なかった。
 
けれど。

「お前、また見惚れちゃってんのか。参ったな」
 
急に、啓二がそう茶化してきて。今日子はムッと口唇を突き出すと、彼の言葉尻を捉えてあげつらった。

「自惚れるのもいい加減にしてよね。なんであたしが、あんたに見惚れなきゃいけないの?」
 
啓二は耳の穴を指でほじり、うるさそうに口元を歪めた。そして、「また、あんた、かよ。学習能力のない奴め」と言った。
 
その言い草が妙に癪に障って、今日子は揚げ足をとる啓二の、更に揚げ足をとった。

「あんただってあたしのこと、お前って呼ぶじゃん」
 
あんた、と言ったのは、もちろんわざとだ。
 
直後、振り返った啓二が息を飲むみたいな表情を見せて。今日子は相手を言い負かした優越感から、満足げに顎を上げてみせた。

 
車は海岸通りから市街へと進み、人通りの多い駅前周辺にさしかかっていた。
 
ビルに掲げられた大型スクリーンには、いま上映中であるハリウッド映画の予告が流れている。その隣には、ビアガーデン営業中と書かれた垂れ幕が下ろされていた。

「なあ?」
 
ふと、啓二が呼びかけてきて。なに? と今日子が問う前に、つぎの言葉が投げかけられた。

「時計がPM.4:30丁度になったら、せーので名前呼ばね?」

本来であればはぐらかしたり、冗談にしたりと、心の準備をする時間を稼ぎたいところなのに、よく見ればあと20秒しか猶予がなくて。

「い、いいよ?」
 
元々が強がりで、素直になれない性格の今日子だ。この機会を逃せば、名前で呼び合うなどという照れる行為は、当分の間出来るはずがなかった。
 
そんなこともあって今日子は、急に持ち出されたその提案を受け入れることに決めた。
 
照れるのはお互い様だ。恥もふたりでかけば怖くない。そう思っていたのだ。
 
 
計器パネル横のデジタル時計が、一秒毎に点滅していた。
 
口の中が渇いて。啓二に聞かれそうなほど、今日子の心臓は誤作動を起こしたみたいに高鳴っていた。
 
ただ単に、名前を呼び合うだけ。そう何度も自分に言い聞かせながら、今日子はカウントダウンの点滅を見守った。
 
やがて。
 
――5
 
――4
 
――3
 
――2
 
――1
 
――0

「ケージっ!」  「……」
 
名前を口にした直後、今日子は石になったみたいに固まってしまった。
 
ふたりで呼び合う約束のはずが、啓二は黙ったままで。今日子の声だけがやたら元気よく車内に響き、それが余計に彼女を強張らせたのだ。

「ぷっ」
 
隣で、彼が吹き出す気配がして。ハッと我に返った今日子が啓二を振り返った時には、彼は肩を震わせて笑っていた。

「アッハッハ! お前最高だよなあ。あー、涙出てきたあ」

 
今日子は、信じられない思いで隣の彼を見ていた。
 
騙されたのだ、まんまと。合コンの帰り道にキスをされた時と同じように。
 
彼にとっては他愛もないイタズラだったのかもしれない。落とし穴を掘って、そこに獲物が引っかかるのを待つくらいのつもりで。
 
それでも、これはあんまりひどすぎやしないかと、今日子はぎゅっとバッグの柄を握り締めた。
 
ただでさえプライドの高い今日子だ。騙された上に笑い者にされたのでは、不機嫌になる程度ではすまない。伏せたまつ毛の内側では、いまにも悔し涙が滲んできそうで、今日子は何度も目を瞬かせては、それに抗っていた。

 
たちの悪い冗談のせいで、ふたりの間に険悪なムードがたちこめる中、今日子はつぎに信号待ちで車が停まったら、その隙に車を降りようと思っていた。
 
その機会は、意外にはやく訪れて。ひとつ先の信号が黄色から赤に変わり、啓二の運転する車はゆるゆるとスピードを落としていった。その交差点が目の前にさしかかった頃、今日子は顔を上げ、啓二を振り返った。

「じゃ、あたし帰る。サヨウナラ」

なるべく慇懃な口調でそう言って、今日子は啓二に背を向けた。そしてドアに手をかけて、ロックを外した時だ。

「今日子、お前飯作れるー?」
 
啓二の声が背中から聞こえて。振り返った先には爽やかな笑顔があり、もう一度その口唇が「今日子?」 と動いた。










  





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