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らしく。
作:五十崎由記



12.崩れたプライド


花火大会が終わると、潮が引くように人の群れも引いていった。
 
中身の溢れかえったゴミ箱や、まだ灯りを消せない出店のテントが祭りのあとの侘しさを一層際立たせる。
 
時刻はまだ宵の口。

それでも田舎の夏祭りは案外あっさりと終わりを告げるもので、ふと辺りを見渡せば、同業者の姿しか見えなくなっていた。

 
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今日子は持ち場のブースに戻り、その解体作業に取り掛かっていた。
 
ピーク時は結構な盛り上がりを見せた出店通りも、客足の途絶えたいまは、今日子と同じくブースの解体に取り掛かる業者の姿が目立つ。
 
今夜は風が弱いせいかやたらと暑くて。

今日子のこめかみにも、オカダのうなじにも、玉のような汗が浮かんでいた。

 
それにしても――と、今日子は傍で屈みこむ、オカダの背中に目を落とした。
 
一体どういうつもりなのか、オカダは一向に帰る様子もなく、本来ならば今日子がひとりで片付けるべき作業をずっと手伝っているのだ。
 
今日子にしてみればもちろんそれは有り難いのだけれど。

でも、謝礼を払えるわけでもないのに――と、気がかりでしょうがなかった。
 
腰を屈めて力仕事に勤しむオカダの首には、すでにネクタイは見られない。

シャツの背中は薄汚く埃をかぶっている。

後ろからは見えないが、きっと胸元もボタンが外されているのだろう。襟の辺りがくつろいでいるようだった。
 
半袖のシャツから伸びる日焼けした腕は、今日子だけなら軽く2時間はかかる解体をあっという間に終わらせていく。

今日子は積み上げられていくブースの残骸を、半ば呆然と眺めていた。

「なあ? バラした後はまとめるだけでいいのか?」
 
不意に、オカダが振り返って。今日子は慌てて作業に戻り、何でもないふりをして答えた。

「うん。積み上げておけば、明日業者が取りにくるの」

けれど。

「また見てただろー? お前、オレの事がそんなに気になる?」
 
盗み見ていたことをまたもや見破られ、今日子の心臓は不安定に鼓動のペースを上げていく。

「濡れ衣ですー。大体ね、あんた自意識過剰すぎんのよ。なんであたしがあんたを見なきゃいけないの? 逆ならわかるけど。あたしにしてみればあんたなんてね、空気みたいなもんなんだってば。昔風に言えばアウトオブ眼中、圏外……えーっと他には、着拒!」
 
鼓動の速さも手伝って、今日子はひとしきり早口でまくしたてた。
 
なのに、当のオカダはニヤニヤと笑うばかりで。

そんな態度が余計火に油を注ぎ、今日子はぐっと顎を上げると喧嘩を売るみたいに吠え立てた。

「本当だってば! あんたなんてね、空気と一緒にすることすら空気に失礼なくらいなの。空気は大切だけど、別にあんたいなくてもあたしは困らないし、なんならいますぐ帰ってもらっても平気なんですー! 帰れば?」
 
オカダは聞いているのかいないのか、最初のうちこそ身体は今日子のほうを向いていたけれど、途中からは完全に背を向けてクーラーボックスを漁っている。

「ちょっと、聞いてるの?」

別に聞いていなかったところで、どうだって構わないのに。

言い過ぎなのに。

今日子は立ち上がるとオカダの背中に周りこみ、ムキになって絡んだ。
 
途端、オカダがこっちを振り返って。ほらよ、と今日子に冷たい缶を差し出してきた。

「もう終わりだろ? 労働のあとはビールと決まってるよな」
 
押し付けられたビールは表面に汗をかいていて、今日子の手のひらをしっとりと湿らせた。


「あっちで飲もうぜー」
 
立ち上がったオカダはまるっきり聞き流しているといった風で、花火を見た堤防のあたりを指さしている。
 
その瞳はやっぱりキラキラしていて。これから何か面白いことがはじまるとでもいうような表情で。

肩すかしを食らった今日子は、それきり二の句を継げられなかった。
 
今日子はオカダの指した方を見やると、再び手の中のビールに目を落とした。

 
きっとまた、ガキだとか思われてるんだ。
 
実際その通りなのだが、煽られたらつい反応してしまって。

余計な一言まで口にして、時に人を傷つけるところは、今日子自身がもっとも嫌悪する自分の短所だった。

本来なら、片付けを手伝ってくれてありがとう、と言うべきなのだ。
 
わかっているのに、すぐには素直になれなくて。

さんざん悪態をついた手前バツが悪くて、どんな顔をしていいのかもわからない。

今日子は手の中のビールを転がして、中途半端に沈黙を守るしか出来なかった。

「ったく。ホラ、行こ」
 
オカダは、いつまでも俯いたままの今日子に焦れたのか、それとも気持ちの行き詰った今日子に助け舟を出したつもりなのか、強引に腕を掴んできて。

そのまま今日子を連行するみたいに、堤防へと歩き出した。
 
やがて。
 
腕を掴んでいたオカダの手がゆっくりと下に滑ってきて、今日子は手を握られたことに気付いた。

 
繋がれた手の先から、火照った熱がじわじわと侵食してくるようだ。

心が揺れて。

鼓動の高鳴りが、加速をつけてあがっていた。
 
やばい。これじゃまるで恋みたいだ――と、今日子はもう一方の手に握ったビールを、強く頬に押し当てた。
 
信じられないけれど、本来ならあるはずがないことだけれど、今日子はオカダ相手にときめいてしまっていたのだ。

そんな自分の変化を必要以上に意識してしまうのは、きっと今日子のプライドの高さゆえだろう。
 
今日子は繋がれた手を振り払うことも、握り返すことも出来ないまま、嘘だ、そんなはずはない、と、必死に自分の気持ちを否定していた。
 
けれどそれは、坂道を転がっていくみたいに速さを増して。

一度傾いてしまった気持ちは、今日子自身ですら抵抗出来ない勢いで落ちていったのだ。


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堤防が近づくにつれ、風の力が強まっていた。
 
オカダの髪が揺れて。シャツの背中も風を孕んで、大きくはためいていた。
 
後ろをついていく今日子の前髪が捲れあがり、おでこが全開になっている。
 
オカダは堤防から階段を下り、その奥に見えるボート小屋を目指しているようだった。
 
互いにブースの撤去作業をした後だ。
 
埃まみれに違いない手の内側は、どこかじゃりじゃりとしていて。

その感触が、今日子の胸に古い記憶を呼び覚ましていた。
 
それはとっくに顔も思い出せない、父親との遠い思い出である。


「ようし、ここらで飲むか」
 
小屋の手前でオカダは立ち止まり、ズボンが汚れるのもお構いなしといった様子で砂の上に座り込んだ。

そのままビールのタブを引き、お疲れ、と乾杯のポーズを取っている。
 
今日子も少し間をあけて座り、オカダの缶にコツンと自分の缶をぶつけた。
 
オカダはよほど喉が渇いていたのか、その後は一気に缶をあおり、美味しそうに喉を鳴らしている。
 
今日子はそんなオカダの飲みっぷりを横目で窺いながら、ちびちびと自分もビールに口を付けた。

「なあ、お前さあ?」
 
やがて一本目を飲みきったオカダが、腕で口元を拭いながら言った。

「え?」 

オカダは砂の上に座り込んだ今日子の、膝から頭のてっぺんまでをじろじろと眺め回している。

「な、何よ?」
 
今日子は自分の身なりがどこかおかしいのかと気になって、エプロンを付けた胸元や、Tシャツの袖のあたりを見回した。

けれど。

「お前、今日は別人みたいに若くね? 高校生でも通りそうじゃん」
 
その台詞に、今日子は思考が一瞬止まった。

そして、冷水を頭からかぶったような衝撃を受けた。

 
すっかり忘れていたのだ。

オカダの中では、派遣のフリーターと認識されているのだ、ということを。
 
――だって、高校生だもん。

そう本当のことを口にできたら、どれほどいいだろう。
 
しかし今日子には、それを言えない、言ってはならない事情があった。
 
里美は夏休みの期間中、オカダの勤める会社で派遣のバイトをしているのだ。

春休みの時と同じく、成人になりすまして。
 
――『あたしは高校生だけど、里美は20歳だよ』
 
そう言ってみようか、とふいに今日子は考えた。

でも、そうすると次は、なぜ嘘を付いたのかという理由が必要になる。

 
目の前のオカダは顎に指をかけ、今日子の全身をくまなく観察するみたいに視線を這わせていた。

その不審がる顔つきに、今日子は焦って言い訳を口にした。

「き、今日は汚れる仕事だってわかってたからこんな格好をしてるけど。普段はもうちょっとマシなんだからね」

「ふうん?」
 
鼓動が、嫌なリズムでどくどくと鳴っている。

急速に喉が渇いて。

今日子は好きではないビールを、流し込むように飲んだ。

「お前さ、オレ言ってやろうか? 人事課の奴に」

「え?」

オカダの口から出た職場の話に、今日子は瞬間的に身体を強張らせた。
 
けれど。

「うちに派遣で入ればいいじゃん。お前の――なんつったっけ、あの友達」

「さ、サト?」

「ああ、そうそう。その娘と一緒に働けるしな」

 
なんだ、疑われているわけじゃなかったんだ。と、ホッとしたのも束の間の話だ。
 
今日子は、里美とはわけが違う。

里美は姉の保険証を使って姉に成りすましているけれど、今日子はひとりっ子なのだ。

オカダの勤める会社に派遣で入るなどと、出来ようはずがなかった。

「えーっと、ありがたいお話だけど、やめとくね。もう他の仕事決まってるし。……それはそうと、あれ見て!」

 
とにかく何でもいいから、これ以上派遣の話を続けたくない。今日子は無理矢理話題をかえようと、海のほうを指差した。
 
けれど、捻り出したその話題も失敗だったようだ。

今日子は焦るがあまり、他人に語って聞かせるつもりなどなかった話を切り出してしまっていた。

「あの海岸、波打ち際の辺りね」
 
指差した方向には真っ黒な海が広がり、小さく打ち寄せる波が微かな音を立てている。

昼間なら白っぽく見えるはずの砂も、黒ずんだ灰色にいまは見えた。

「あの辺りで、昔お父さんと潮干狩りをしたことがあるの」
 
オカダは身体をよじり、今日子の指す方向に目を向けていた。

「へえ? ここ掘れるんだ?」

「うん、多分あのあたりだったと思う」


 
それは今日子の中に残された唯一の、父親の記憶だった。
 
母親が写真を処分してしまったので、どんな顔をしているのかもわからない。

そんな父の話は、噂でだけなら今日子も耳にしたことがあった。
 
大借金を作って妻子を捨てたのだとも聞いたし、女を作って出て行ったとも聞いた。

それらはすべて大人の口さがない噂話だ。

嘘なのかもしれないし、もしかすると両方本当なのかもしれない。
 
ただ確かなことは、父の話題を持ち出されることを、母は極端に嫌がるということだ。

それはタブーと言っても良かった。
 
なので今日子は、父の話を口にすること自体久しぶりだったし、むしろそんな話題を口にした自分にも驚いていた。
 
オカダはそんな裏事情を知るはずもないから、世間話のひとつとして聞き流しているだろう。

――と今日子は思っていたのだが。

こちらを振り返ったオカダは、先ほどまでの様子と一変していた。


「なあ、お前暇だろ? 明日潮干狩り行かね?」
 
一体どうしたことか、オカダの瞳はわくわくと好奇心に満ち溢れていて。

「はあ? なんであたしが……」

「だあって、やってみたいじゃんよー。ホラ、明日の干潮時刻は午後3時の予定だって。こりゃもう決まりだな」
 
挙句に、携帯片手にそんな情報まで調べる始末だ。

今日子はこんな話題を出すべきではなかったと、つくづく後悔し、舌打ちをしていた。

けれど。

「やだ、ってば」
 
日焼けするし、汚れるし――と、嫌な理由をたくさん並べ立てるつもりだったのに、目を上げた途端オカダの瞳に引き寄せられて。

今日子はそれ以上強く突っぱねることが出来なくなった。
 
「な? 明日3時に、ここ集合だからな」
 
オカダはイタズラ好きの子供が何か悪巧みを思いついた時みたいに、含んだような笑みを浮かべていた。

そして決定事項を通達するといった調子で、強引に話を畳み掛けてくる。

「んもう……」
 
今日子は大きなため息をつき、むうっと口唇を歪ませた。

その声と表情が、オカダに明日の約束を確信させたのかもしれない。

しょうがないなあ、と言いかけた今日子の耳に、思いがけない台詞が飛び込んできた。

「で、さあ……。ちょっと、どうにも思い出せないから聞くけど。お前、名前なんだったっけ?」
 

今日子は、まさか冗談だろうと、最初は思っていた。
 
だって、先に話しかけてきたのはオカダなのだ。

一月前に一度会ったきりの今日子の顔を、オカダは覚えていたのだから。
 
けれど視線が合った瞬間、僅かに泳いだ彼のその目線の動きで、今日子はオカダが、本気で今日子の名を覚えていないことに気づいた。
 
 
今日子は、一瞬何も考えられなかった。

でも、次の瞬間にはもう立ち上がっていた。

立って、お尻の砂を払って、引き返そうとしていた。
 
砂を払う手が震えて、心臓もガンガンと強いリズムで鳴り響いていた。

あまりにも急に心拍数が上昇したせいか、聞こえるはずのない金属音までもが耳を掠めて。
 
今日子は、腹が立つのか、悔しいのか、泣きそうなのかもわからなかった。

ただこの場には居たくないという一心だった。
 
今日子は震える手をぐっと握り締め、オカダの方を見ないまま踵を返した。

「待てって! ごめんってば。オレ、人の名前覚えるの苦手で」
 
オカダが慌てた様子で腕を掴んできたけれど、今日子は乱暴にその腕を振り払っていた。
 
一瞬だけ絡み合ったオカダの眼差しは、少しバツが悪そうで。それが余計に今日子を傷つけた。

 
そうだ、今日子は傷ついていた。

名前さえ覚えられていなかった現実に。

そして、名刺を破り捨てても尚オカダの名を覚えていた、自分自身との差に。

「なあ、機嫌直せって。明日絶対来いよ」
 
この期に及んでまだそんなことを言うオカダは、どこまでずうずうしいのだろう。

口なんて絶対きいてやるもんか、と思っていたのに、今日子は瞬間的に振り返り、声を荒げて叫んでいた。

「行かないよ、誰が行くもんか。バーカっ」
 
今日子はそう言い捨て、重い砂を蹴って駆け出した。

足を砂に取られて、時折バランスを崩しながら。

「おーいっ、3時だぞ! 来るまで待ってるからな」
 
動揺して、思考回路すらショートしている今日子とは違い、背中に届いた声はあまりにも普通な声音で。

それが余計に悔しくて。今日子はもう一度振り返り、全身から声を振り絞った。

「行かないってば! あんたなんか大嫌いっ」

 
大嫌い。

そう声に出した途端、ずっと我慢していたものが零れ落ちた。
 
言い逃げするみたいに走り出した今日子は、次から次へと溢れてくる涙のわけに、もちろん気づいていた。
 
けれどプライドの高さゆえに、それを素直に認めることは簡単ではないのだ。

「何泣いてんの、あたし。バカじゃん」
 
独り言にしては大きな声で自分を叱咤しながら、今日子は海岸沿いの道をひた走っていた。







  





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